購入。一度しか出来なかった貴重なライブの記録。
新たな自分の中の名曲を発見。
ずばり。この二曲+一曲。
①『Dear Wonderful World』
「Oh Baby, 通り雨~♪
②『It's a Woderful World』
「無駄なものなど きっと何一つとしてないさ~」
「忘れないで君のことを~♪」
あと③『蘇生』も良かった。
「何度でも何度でも~♪」
「人生諦めが肝心」なんていっているやつには、前蹴りをくらわして
やりたくなるので。
歌詞で、曲で、桜井さんが脳梗塞から蘇ったことを表現していて感動。
~~
車で食料品を買いにスーパーへ。
レジのおばさんがしていた時計が妙に格好良く見えた。
実用性重視のそんなに高くはないものだと思うが、
非常に光って見えた。何でだろう。
欲しいとかそういう感情ではなかった。
9/1(土)
Ap Bank主催の野外LiveのDVD。
2種類あって計DVD6枚、合計6時間。
飛ばし飛ばし観る。中でもHEROを号泣しながらというより、涙を我慢できずに歌っていた場面がもっとも印象的だった。「自分が(桜井さんが)浜田省吾さんが好きで、自分のこと(Mr.Children)が好きだいうスキマスイッチがいて、思わずそういったつながりのようなものがうれしくて・・・」そういった感情がこみ上げてきたからとのこと。涙が移って自分も泣けた。この「HERO」を5回は観て、3回は泣いた(泣くというより涙が止まらない状態)。
全体を通してすごく気持ちよさそうに、楽しそうに歌っていたのが印象に残った。
8月18日(土)※(注)ネタ(Live内容一部)明かしてます。
<msnctyst addresslist="04:宮城県名取市;" address="名取市" w:st="on"></msnctyst>
名取市
にてMr.Children Live 2007 HOME
「夜の野外ライブ」
人生初のLIVEだった。車で仙台の手前、仙台空港近くの美田園という駅近くの臨時駐車場へ。そこからシャトルバスで名取スポーツパークへ。17:40頃から20:15まで途中猛烈な雨降りの中、熱唱が夜空の中に響き渡った。
一曲目はHOMEから。小林武史さんのピアノではじまった。
なんと2曲目にして『名もなき詩』が。続いて『星になれたら』、さらに大好きな曲、『HERO』も披露してくれました!!(HEROという曲は、スガシカオさんが、桜井さんと仲良しで、桜井さんにどうしたらあんな歌詞が書けるのか、とたずねたところ、結婚して家族を持たないと書けないよ、みたいなことを言われたそう)
『Any』、『CROSS LOAD』、『口笛』、『終わりなき旅』、『INNOCENT WORLD』なども。
終わりなき旅で、涙がこぼれ・・・。名もなき歌で、たぶん我慢できないだろうな、と思ったのだけれど。
夜と雨と幻想的なライトアップ、ストーリーのある映像と、そして最近の自分の苦しい状況と、明日も同じ場所でライブがあるのに全力で唱ってくれた桜井さんのどこまでも響く歌声など、色々な要素が絡み合った結果か。HOMEというアルバムのタイトルにもなっている15周年記念ツアー。自分たちのHOMEとも言える曲と桜井さんの口から。それにしても『名もなき詩』が本当に聞けるとは。
さらには『IMAGINE』を桜井さんが熱唱。
『しるし』で、Darling darling~♪♪って、あれはなんだろう、心臓に直接とどくような感覚は。
とにかく、もう本当にInsiteに響きました。なんだか届くかなんて関係なくお礼を言いたくなります。
素敵な曲をThanks.Mr.Childrenとバックバンド、そして関係者の人たち。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
終了後に浮かんだ疑問。
「いつもLIVEではあのテンションを維持できるのだろうか??」
明日も3時間近く、同じテンション・モチベーション、同じ場所で熱唱しなくてはならない。予定が組まれているので、当たり前だが、今日、土砂降りの中、全く桜井さんは手を抜いているようには思えなかった。むしろ土砂降りに対抗するがごとく、テンションをあげている感じがした。もちろん、それまでのツアーではうだる暑さの中で熱唱してきたのかもしれない。でもうって変わってこの日の名取は、寒いぐらいで途中大雨だった。
「きてくれた人たちを満足させたい」、この一心なのかな。HOMEという名の通り、HOMEのように音楽で温もりを伝えたい。この思いが観客に伝わるからだろう。考えてみれば、異常なことだ。今日集まった一万人の目的は一つ。「Mr.Childrenの音楽が聴きたい」これなのだ。この目的に応え、満足させてしまう、唄いきるパワーは並大抵ではないと思う。終了直前のMr.Childrenの挨拶では、観客もそれに対し、大きな拍手。「満足したよ~、こちらこそ、ありがとう!!」という形の表出。プロの「伝える力」ってすごい。
②『Sunday』 休日に聴くのにちょうど良い感じの曲。
③『I can’t be with you』 ボーカルのドロレスが優しい声でしかもカッコよすぎる。
アイルランド出身でアメリカで成功するまでには色々な苦しみと闘ったのでしょう。
④追加 『Just my Imagination』、Totalだけど3500万枚売っちゃうわけですよね。
これも大好きな曲の一つ。
⑤『Stars』これは自分がいつでも聴けるように(笑)
~
「こんな不調和な生活の中で
たまに情緒不安定になるだろう?
でも darlin 共に悩んだり
生涯を君に捧ぐ
あるがままの心で生きられぬ弱さを
誰かのせいにして過ごしている
知らぬ間に築いていた自分らしさの檻の中で
もがいているなら
僕だってそうなんだ
どれほど分かり合える同志でも
孤独な夜はやってくるんだよ
Oh darlin このわだかまり
きっと消せはしないだろう
いろんな事を踏み台にしてきたけど
なくしちゃいけない物がやっと見つかった気がする」
~
歌詞 Mr.Children『名もなき詩』より
マグナムの写真家で、ものすごくいい写真を撮る。
決定的瞬間という写真集はとても有名で、ポートレートを
撮らせたら天下一品の人・・・・だと自分は思う。
いやその写真を見れば、多くの人がそう思うと思う。
今はすでに亡き人だが、彼の作品は生きている。
例えば、こちらアンリ・カルティエ=ブレッソン写真集成 (大型本)
ナックウェイは、恵比寿の写真美術館で観たけれど、ブレッソンも映画になっていたとは・・・。
映画オフィシャルサイトはこちら⇒ 瞬間の記憶
他のフォトジャーナリスト
⇒マグナム
(セバスチャン・サルガド)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(マグナム写真展)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(ナショナル・ジオグラフィックの写真家だった)
スティーブ・マッカリー
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(エリオット・アーウィット)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(元マグナム ジェームス・ナックウェイ)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(同じくナックウェイ)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これらによって、人生観が変わりました。眼を背けたくなる写真もかなりある。
でもやはり現実に起こっていることに対して、正面から自分の役割を見据え、対峙した写真からは逃れられなかった。同じ人間だから、こんな現実はあって言いわけがない。
世界には数十億という貧しい人々がいるというけれど、実感できないひとは、みればいい。貧しさのレベル感がわかるから。格差のレベルが分かるから。
日本人だってコミットしてます。
いつのまにか企業のHP(ネスレ)から消えていたこの映像・音楽・そして詩。
バイトが終わった後に聞いていた。
この後、本を3冊買ってしまった。
この人の感性はすごい!!と思って。
あの映像がなんとyoutubeで復活。
谷川俊太郎詩集『これが私のやさしさです』(集英社文庫)所収。
p.127 朝のリレー(ネスレCM)
プロデューサー:沖元 良
制作:芝田 美佳
演出:古郡 功
(東北新社)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ただ、大企業の生産(させている)するコーヒーにはいろいろ問題がある。
一つは、安く買い叩いて、重労働させているという事実。これも忘れてはならない。
例えば、辻村英之『コーヒーと南北問題』。
身近な存在の周囲には見過ごしてはならない事実が存在するのがこの世の常でありまた現実かもしれない。
●『写真はものの見方をどのように変えてきたか 3部 再生』
●『世界報道写真展2005
を観た。
前者は、シリーズものの写真展で第三部再生。
1945年から1950年代に撮られた写真が多か
った。撮影者は全12人で濱谷浩や木村伊兵衛
、植田正治など大物写真家たち。会場は人が
少なく暗い雰囲気だったが、その分観やすかった。
濱谷浩の『裏日本』『雪国』は非常に印象に残る
作品で何度観ても迫力がある。
後者の会場の雰囲気は人が多かったが観るのに
困るほどでもなくみんな真剣に写真に魅入ってい
た。スマトラ島の被害に苦しみ悲しむ人々を写した
ものやスーダンの紛争を写したものが印象に残った。
やはり新聞やTVを通しての報道では、瞬時に流し
てしまうものも、こうやって見せつけられるとかなり
違った印象になる。強烈だ。やはり、こういった
社会問題を扱う写真を正面からじっくり観る機会
は大切だと思う。いつ、どこで、何が起きていて、
なぜ起こったのか分かるようにキャプションも
つけられている。会場には展示された写真の内容
がどこで起こったのか具体的にイメージできるように、
印がつけられた世界地図も置いてあった。
朝日新聞(10日金曜夕刊)でよんだ。
とても、両者の発言が印象に残ったので、書き留めておきたい。
~省略~
夏木「普段はどんな音楽を聞いているのか?」
UA「アマゾンのインディオの歌とか、ピグミー族の
歌とか。ビートや次の展開が予測できるものはもう聞けない」
夏木「生きていくために叫んでいる音楽には、かなわない、生命力が
あるから・・・」~省略
UA「私も「嫌ならやめよう」くらいの気持ちで東京に出てきて
、やっと今なんですよ。いやだとかやりたいとかではなく、うたって
いかなければ、と自分の運命に屈服したのは。ちょっと前まで、
なんで今さら自分自分と意識するか悩んだけれど、千利休や
松尾芭蕉のように、自分を無にするという仏教的なことを、表現で
もってやり通した人もいることだし~省略~」
以上 2005年6月10日朝日新聞 夕刊より。
二人とも自己表現、歌と演技が評価されることによって、お金を得ている。
「千利休や松尾芭蕉は自分を無にして、物事を表現した」というのは
とても印象に残る。そもそも表現とは、一流の表現とは、そういうも
のなのかもしれないと思った。写真科やフォトジャーナリスも同じだと思った。
なんかいいな、と思った写真からは撮影者の存在は伝わってこない。
ロバート・キャパはこういった、「いい写真が取れないのは、被写体へ
の近づき方が足りないからだ」と。きっと近づいて撮れるということは
被写体に受け入れられている、つまり、異質な存在ではなくなって
いる、ということでもあるのだろう。
そのことが表現(作品)にも出るのだろう。
千利休や松尾芭蕉が、自然に溶け込んで表現したように。
そのことについて。
写真の評価軸について
~感性とロジックの融合って大切じゃない?~
①木村伊兵衛賞30回記念の写真展が川崎市市民ミュージアムで
開催されていたのを知り、訪ねたのである。
一緒に行った友人は、このコンテストの候補者にもなった人だ。
今まで30回分の受賞者の作品が、各回ごと数枚~十枚ほど展示され、
それぞれ観て回った。<計約400点>
感想だが、よくわからない作品もあったというのが本音である。
よくわからないというのは、作品を選ぶ側の審査員の意図(作品の評価軸)、
撮影者が見るものに何を伝えたいのか、という意図が見えな
い作品が、あるときを境にして受賞している印象を受けた。
今回の写真展の作品集(展覧会用写真集)を買ったが、ある年から現在年まで、常に
審査委員に加わっている人物がいるのだが、そのことが関係しているのだろうか。
木村伊兵衛賞の場合には、まず、どういうコンセプトのもとでこの賞を始めたのか、
もう一度、開催者は考えてみるべきだろう。木村伊兵衛氏が受賞者の作品を見たとき
、どう思うのか、気になった。なぜなら、本人は亡くなったが、氏の名前が使われて
いるのだから審査員も考えてみるべきだろう。もちろん自分評価だって大事だが。
結局、写真の評価なんぞ、主観でしかありえないわけだし、個人の歩んできた人生(感)だって
大きく影響するだろう。観るものにもある程度の想像力が要求されるのもわかる。
しかし、だからこそ、こういった作品の評価にもロジックだって必要である
と私は考えるのだが。
②新宿コニカ・ミノルタ・プラザで行われた野町和嘉氏の【エチオピア黙示録】も
観にいった。彼の作品の中でも【メッカ巡礼】は専門学校のときに先生が写真集を
もってきてくれて観ていたので知っている。「そうか、エチオピアも撮影していたのか」
と思った。
また、実はこの写真展の情報は、前述の写真展にパンフが置いてあって
(ラスト一枚だった)知ったのだ。
すごいクォリティーであった。エチオピアの生活観が見えてくる。
エチオピアの生活するには苦しいほどの大自然が見えてくる。
宗教を重んじている彼らの生活。苦しいにもかかわらず、いや、苦しいからこそ、
あそこまで信仰しているのだろうか。撮影状況の難しさも想像できるが、良くこれだけ
の写真集に仕上がったと思う。
今回も写真展受付で売られていた写真集【エチオピア黙示録】を買ってしまった。
※消費を減らすか、所得を増やすか。そろそろ考えんと遺憾な(笑)。
彼女のオフィシャルサイトはこちら、
http://www.toshiba-emi.co.jp/yusa/index_j.htm
40秒前後ですが、いくつか試聴できるようになっています。
もとは、兄が大好きな歌い手で、わたしが中学生ぐらいのころ、毎日のように隣の部屋から聞こえていました。
そのときは、「変わった名前と特徴ある声だな~」と「よくも、まー飽きずに毎日きいとるな・・・」
といった感想を持った覚えしかありませんが、最近聞いて、彼女の曲とそれにあった透き通った歌声を再認識し、心惹かれてしまいました。
兄弟(兄と妹)が熱心に聴いていたものに、わたしはかなり時間が経過してからはまってしまう傾向があるらしい。本人たちには悪いが、当時はかなり批判していた覚えもあるが、その反面、だからこそ記憶に残ってしまうということなのか。時間が過ぎてしまってから、人がはまっていた曲にはまるんだからある意味恥ずかしい。
ミーハーなんだなオレは(再認識)。