歌手のUAが女優の夏木まりと対談したという内容の記事を
朝日新聞(10日金曜夕刊)でよんだ。
とても、両者の発言が印象に残ったので、書き留めておきたい。
~省略~
夏木「普段はどんな音楽を聞いているのか?」
UA「アマゾンのインディオの歌とか、ピグミー族の
歌とか。ビートや次の展開が予測できるものはもう聞けない」
夏木「生きていくために叫んでいる音楽には、かなわない、生命力が
あるから・・・」~省略
UA「私も「嫌ならやめよう」くらいの気持ちで東京に出てきて
、やっと今なんですよ。いやだとかやりたいとかではなく、うたって
いかなければ、と自分の運命に屈服したのは。ちょっと前まで、
なんで今さら自分自分と意識するか悩んだけれど、千利休や
松尾芭蕉のように、自分を無にするという仏教的なことを、表現で
もってやり通した人もいることだし~省略~」
以上 2005年6月10日朝日新聞 夕刊より。
二人とも自己表現、歌と演技が評価されることによって、お金を得ている。
「千利休や松尾芭蕉は自分を無にして、物事を表現した」というのは
とても印象に残る。そもそも表現とは、一流の表現とは、そういうも
のなのかもしれないと思った。写真科やフォトジャーナリスも同じだと思った。
なんかいいな、と思った写真からは撮影者の存在は伝わってこない。
ロバート・キャパはこういった、「いい写真が取れないのは、被写体へ
の近づき方が足りないからだ」と。きっと近づいて撮れるということは
被写体に受け入れられている、つまり、異質な存在ではなくなって
いる、ということでもあるのだろう。
そのことが表現(作品)にも出るのだろう。
千利休や松尾芭蕉が、自然に溶け込んで表現したように。
朝日新聞(10日金曜夕刊)でよんだ。
とても、両者の発言が印象に残ったので、書き留めておきたい。
~省略~
夏木「普段はどんな音楽を聞いているのか?」
UA「アマゾンのインディオの歌とか、ピグミー族の
歌とか。ビートや次の展開が予測できるものはもう聞けない」
夏木「生きていくために叫んでいる音楽には、かなわない、生命力が
あるから・・・」~省略
UA「私も「嫌ならやめよう」くらいの気持ちで東京に出てきて
、やっと今なんですよ。いやだとかやりたいとかではなく、うたって
いかなければ、と自分の運命に屈服したのは。ちょっと前まで、
なんで今さら自分自分と意識するか悩んだけれど、千利休や
松尾芭蕉のように、自分を無にするという仏教的なことを、表現で
もってやり通した人もいることだし~省略~」
以上 2005年6月10日朝日新聞 夕刊より。
二人とも自己表現、歌と演技が評価されることによって、お金を得ている。
「千利休や松尾芭蕉は自分を無にして、物事を表現した」というのは
とても印象に残る。そもそも表現とは、一流の表現とは、そういうも
のなのかもしれないと思った。写真科やフォトジャーナリスも同じだと思った。
なんかいいな、と思った写真からは撮影者の存在は伝わってこない。
ロバート・キャパはこういった、「いい写真が取れないのは、被写体へ
の近づき方が足りないからだ」と。きっと近づいて撮れるということは
被写体に受け入れられている、つまり、異質な存在ではなくなって
いる、ということでもあるのだろう。
そのことが表現(作品)にも出るのだろう。
千利休や松尾芭蕉が、自然に溶け込んで表現したように。