今目の前にあるコーヒー豆の入ったパッケージ。このコーヒーのもとであるコーヒー豆はベトナムとブラジルで生産されたと表記されている。
・こんなにも身近にあるスーパーで普通に売っているコーヒーを買っている私は日本に住んでいる。
・これは日本の輸出入業者、あるいはアメリカ・ヨーロッパ大手の日本法人が乙仲業者を使って日本に輸入し、国内物流・輸送・倉庫業者によって、スーパーに持ち込まれ、アルバイトやパートの方が、商品棚に並べ、それを日本に住む私が手にとって、今ここにパッケージに入ったベトナムとブラジルのブレンドのコーヒー豆があるわけだ。
・これがいわゆる、国際化の分かりやすい一例。エチオピア等でも多く取れるこのコーヒー豆。
私が日本円を支払い、購入したコーヒーの内のいったい、どのくらいが現地で、栽培し、摘んでいる農家の方にわたるのか。それともこのイメージは古臭くて、ほぼ機械化されて、人力要素は、ほとんどないに等しいのだろうか。従って、そんなことを気にする必要はないのだろうか。
そうだとしたら、今度は、一体原産地で働く彼らは、何をして衣医食趣住を営んでいるのだろう。
身近にあるものを、ただたんに買う行為にだって、搾取に加担している可能性があるかも知れないことを知っておいてもいいだろう。今例に挙げた農家の方も同じ人間と考えるならば。