名古屋市名東区 赤帽タケフジ運送の「ふ箱」

赤帽タケフジの車窓から見える光景

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吉田藩、前芝の灯台

2009年12月04日 | いにしえから学ぶ

Img_1125  田原の帰り。前芝海岸にある、灯明台に寄ってみました。江戸時代初期の灯台が再現されてます。

 17世紀半ばに、蒲郡三谷沖で当吉田藩の御用船が嵐で沈没した。藩主が後そのようなことがないようにと、この地に灯台を構築した。

 高さ7メイターの立派なものだ。当地豊川河口の前芝は、江戸への年貢米の回送、またお伊勢さんへの御参りでにぎやっていました。

 しかしこの灯明台の修理、管理は当地前芝村に任ぜられました。そのかかりまえは大変なものでしたでしょう。しかし、その明かりは、蒲郡の西浦、南は田原の地でも見えたといいます。想像してみました。当時の三河湾を。あかりは月のみ、真っ暗な三河湾に菜種油の灯明がぽっりと・・・。まさに闇夜のともし火です。船を操る人にとってはありがたいともし火であったことでしょう。


赤帽廃業

2009年12月04日 | 私のなりわい・運送のこと

 仲間の赤帽に12月下旬の仕事の依頼をTELした。そうしたら「今年いっぱいで廃業する」という。ことばがつまる。

彼とは十数年来相棒としてやってきた。二年前に、あと三年もしたらやめようかともらしていたが・・。突然聞かされると答えに窮し、とっさにお疲れさんでしたというのが精一杯で・・・。TELの後、彼とあんな仕事をしたな・・、あの時も一緒だったな・・と、思い出が駆け巡った。

 彼と二人で, レンタカーの二トントで西伊豆まで引越しに行った。もう十年以上前だ。その運賃十数万円が払ってもらえず、沈痛な雰囲気で帰ったことがあった。帰路ことばも出ない私に、安直な慰めなどは一切なかったけれど、十分に気遣ってくれたことを思い出しました。

 色々仕事のことを教えてくれた先輩の一人でした。機会あれば二十数年の赤帽生活を話し合いたいと思っている。自分も「その時」は、計画的に?、突然に?、強引に?やってくるんだろうな・・・ということを噛みしめる。

 今夜はなんだか淋しい気分で酒を呑む。