親族の法事。妻子三人で訪れたら、坊さんが、新型インフルエンザで欠席という。さてどうしようかと相談。まあここは内輪で形式にとらわれずやろうということになる。しかし、お経は欠かせない。誰が導師を勤めるのか・・となる。白羽の矢が私に当たる。自分が称えることができるのは、「正信偈」(しょうしんげ)だけ。それでよしということで執り行う。無事すんで故人をしのび、あれこれワイワイガヤガヤ・・・。
法事、仏事は元来こんなものであったかと思う。亡くなった人の縁者が集い、ひとのいのちのはかなさをわが身にてらす。おい、お前はこのまま「朝(あした)の紅顔、夕べの白骨」で、おわってしまっていいのか!という思いを語り合う場であったように思います。
以前法事の法話で聞きかじったことですが、「僧」という意味について・・・。
釈迦の生まれたインドの言葉です。「サンガ」というそうです。本来の意味は、「釈迦の教えを奉ずる集団」ということばだそうです。きっとワイワガヤガヤの集いだったんでしょうね。・・・今日の法事のように。・・・ああよかった。