今日も法要。妻の父の一周忌。連日抹香臭い話ですがご容赦を・・。
本日の法要は、昨日のように坊さんが流感でドタキャンもなくすみました。妻のお手次寺(旦那寺)は、自分とこと同様の真宗です。たまたまその寺の先代住職が、東別院の輪番であることを知りました。「輪番」とは、四年の任期で勤めるいわば別院の「かしら」です。それに抜擢されるのは、やはり品格、力量が備わっていたのでしょうね。その息子の新住職が今回の法要をしてくれました。
昨年の暮れに義父がなくなり、その葬儀式はその息子住職が執り行いました。そして、その後の三十五日の法事は、現在輪番である、元住職がおこないました。その時お話です。
九十を過ぎて亡くなった人を遺族の皆さんは勝手に大往生と言いますが、それはなりませんと・・・。亡くなった父の生きてきた「苦」の発見がなくてはならないという話でした。意味合いは、忘れましたが、法要に集うことの意味であったでしょうか。追善供養をする・・ということではない。・・・・でしたか?
さてジュニアの法話は?というと。昨年の葬儀式のときは、正直、ことばに落ち着きがなく、ご自分のことばで語っていないように思いました。しかし、本日の話は、結構いけてましたよ。法をかたることで自らも知らされていくのでしょうね・・・。えらそうなこといってごめんなさい。