ケンのブログ

日々の雑感や日記

京都市交響楽団定期演奏会を聴きに行く。

2023年09月25日 | 音楽
9月23日 京都コンサートホールで 京都市交響楽団682回定期演奏会を聴く。

指揮は沖澤のどかさん

普段は指揮者のプレトークはあまり聞かないか 聞いても途中からだけれど 9月23日はのどかさんのトークを最初から聞いてしまう。

曲目はベートーヴェンの交響曲第4番とコネソンの管弦楽のための「コスミックトリロジー」

のどかさんは ベートーヴェンの交響曲第4番を演奏する理由として カップリング曲のコスミックレトロジーが宇宙の音楽だから 4番もその壮大さのゆえに選曲したという主旨のことを語ってくださった。

壮大な理由として 第一楽章のちょっと不安げな序奏から 主部に至る過程の話をしておられたのだけれど 詳しいことは忘れてしまった。

なんしか そこらあたりの 展開が壮大 という主旨のことを語っておられたのだろうと思った。

その話の中でのどかさんは 4番第一楽章の冒頭で弦のピチカートに続いて提示される3度下降と2度上昇 とウィキペディアに書いてある音形をサラッと歌ってくださったのだけれど 歌うのがうまいんだなと思った。

のどかさんの歌を思い出して ベートーベン4番の一楽章冒頭の音形を心の中で何度も歌っているうちに あれ? マーラー交響曲第一番第一楽章の冒頭で提示される音形にそっくり と気づいてしまった。

こういう気付きって もう 絶対に気付いている人がいるはずだけれど 自分の中では 大きな 自己満足になってしまう。

でも 気づきというのも一つのご縁で 約三週間前に 小林研一郎さん指揮の名古屋フィルで マーラー一番の素晴らしい演奏を聴いてその印象が心に残っていたことが大きいと思う。

※実際に調べてみたら ベートーヴェンが3度下降に対してマーラーは4度下降だから 両者は違うのだけれど なんだか 何度も歌っているうちに心の中で二つがかぶってしまった。

あと 第四楽章の 冒頭で提示される16分音符の速いパッセージ とウィキペディアに書いてある音形を これも タカタカタカタカタカという感じでのどかさんは歌ってくださって それが ベートーヴェンの時代ということを考えるととてもスピーディー そして その意味で革新的という主旨のことを語っておられた。

うーん 言われてみれば その通りかも すごい と思って話を聞いていた。

もう一曲の演奏曲 コスミックトリロジーに関しては 曲を知らないので何を話されたか忘れてしまったけれど 客演ではなかなかやらせてもらえない曲 京都市交響楽団だから演奏できる曲 という主旨のことを語っておられた。

あと いろんな 作曲家や映画音楽の影響を受けている というようなことも語っておられたと記憶している。

そして 最後に 「私は話がヘタなんですけど」と前置きしたうえで「昨日 京都で食べたラーメンに宇宙を感じました」と語っておられた。

確かに 話は あまり うまくないみたい、、、。
ベートーヴェン4番の演奏は とても丁寧で きびきびしていた。

身体のパワーでは 男性に勝てないけれど 動きがきびきびしていて しなやかだから 指揮の気がうまく オーケストラに伝わるのだと思う。

のどかさんはトークで 第四楽章のリズムのスピード ということを語っておられたけれど 実際の演奏では 僕は 第四楽章もさることながら 第三楽章の冒頭で 簡潔に提示される 速いリズムに よりスピードを感じた。

この第三楽章は 僕は 中学生のころ ずっと ブルーノワルターのステレオ盤のレコードを聴いていて 大学生になったくらいのころに 初めて カルロスクライバーの演奏を録音で聞いた時に 冒頭のリズムが 速い と鮮明に思ったことがあるけれど 、のどかさんの演奏は その時の記憶を呼び覚ましてくれた。

家に帰ってきて クライバーの演奏をYouTubeで聴いてみると もう 二十歳くらいのころに 速いと感じた鮮烈な印象は 僕の中からは消えていて むしろ のどかさんの 第三楽章の冒頭の提示は スピードがあって それでいて 音が先へ倒れこむように流れてしまうことがなく 速いけれど 引っ掛かりもある という感じでとてもよかったなと感じた。

そして その印象は 4番の演奏 全体の印象にもつながったような気がする。

あと4番の演奏を聴くと 木管はじめ 管楽器が モーツァルトまでの時代とは比べ物にならないくらい はっきりとそして頻繁に 音楽の 動機を 扱うんだな ということも改めて思い知らされることになった。

本当に いい 演奏だった。

そして次に演奏されたのが コネソンの管弦楽のためのコスミックトリロジー

初めて聴く曲なので 演奏の印象は もう忘れてしまった。

木琴など パーカッションが やはり 素早く 明確に音を出しているな と思ったこと 映画音楽のほかに ストラビンスキー ラヴェル ドビュッシー ジャズ などの音楽を演奏中に思い出したことなどが 断片的に記憶に残っているだけだ。

でも いい演奏だった。

音楽が終わるときに 力づくで音を止めるというよりも たとえ腕を振り下ろしても 音が 止まるというよりも 音楽の演奏から 抜ける という感じのイメージもちょっと新鮮だなと思った。

もちろん 抜ける というのは 聴き手の僕が勝手に感じているイメージで オーケストラの人には ここで 音が終わる というのは ちゃんとつたわっているはずなのだけれど、、、。

いい演奏会でよかった。

それはともかく いちにち いちにち 無事に過ごせますように それを第一に願っていきたい。

運送業の女性

2023年09月22日 | 日記
コンビニのお弁当や パンのコーナーでは 女性は一般に 男が見ているところでは商品を取らないことが多いと思う。

僕の場合 お弁当や パンのコーナーで女性とかちあってしまったとき 僕の目の前で商品を取っていった女性は ほぼ皆無なのではないかと思う。

たいていは 僕が商品をとって ほかの商品のところに行ったり 会計に行ったときに改めてお弁当や パンを女性は探すことになる。

あるいは そもそも パンや お弁当を買うのをあきらめて コンビニを出て行ってしまう女性もいる。

先日 佐川急便のユニフォームを着た女性と コンビニのおにぎりや弁当 総菜のコーナーでかち合ってしまった。

その 女性は 僕が お弁当の 値段やカロリーを見るために お弁当に視線を落としたタイミングで サッと 自分のお目当ての商品をとって レジのところに行ってしまった。

やっぱり 佐川の女性は スピードと タイミングの取り方が 違うな と思う。

それはともかく いちにち いちにち 無事でありますように それを第一に願っていきたい。



9月も半ばになって。

2023年09月19日 | 音楽
9月9日 名古屋フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会を聴きに行く。

会場は愛知芸術劇場コンサートホール。

指揮は小泉和裕さん

はじめにピアノ アンドレイ ググニンさんでラフマニノフのピアノ協奏曲第2番が演奏された。

曲が始まった時 ググニンさんはちょっと抑え気味に演奏される方なんだなと思った。

その抑え気味というのが 僕にはすこしだけ物足りなく思えた。

しかし 演奏が進むにつれて 細かい音の動きがとてもきれいにできていることに気づき始めた。

あと 静かでロマンチックな曲想の表現もとても素敵 と思うようになった。

結果 演奏が終わってみると とてもいい演奏だったなと感じた。

20分の休憩をはさんで次に演奏されたのがプロコフィエフの交響曲第5番

たぶん 録音 生演奏通じて初めて聴く曲なので プログラムを見ると一楽章 アンダンテ 二楽章アレグロ 三楽章アダージョ 四楽章アレグロ となっている。

二楽章が速くて 三楽章が遅いパターン

基本的にベートーヴェンの第九 とか ブルックナーの8番とか そういうパターンか?と頭の中で勝手に考えていた。

そんなことを考えながら 演奏が始まると 独特の不安な感じ 管楽器の鳴り方の時として悲痛な感じに ブルックナーよりも ショスタコーヴィチを連想することになってしまった。

作曲年代も1944年で 第二次世界大戦中だし。

ただ、プロコフィエフの音楽は ショスタコーヴィチに似ているところもあるけれど 概して 重みという点では ショスタコーヴィチの方があるように僕には思える。

逆に 軽やかな機動性 ということに プロコフィエフの音楽は長けている と感じた。

名古屋フィルはかなり うまいし いい 演奏会でよかった。

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九月も半ばになって もう 立秋から一か月以上もたつのに 相変わらず蒸し暑いなと思う。

でも 日は短くなっているし 夜には 秋の虫もよく鳴いている。

気候の変動が叫ばれる中 本当に 無事に秋が深まってほしいと思っている自分がいる。

昔は 季節など 自然に 動いていくものだと 思っていたけれど 最近は 季節さえ 無事に 移り変わってほしいと 思っている 自分がいたりする。

それだけ 気候が 変わってきているということなのだと思う。

それは ともかく いちにち いちにち 無事にすごせますように それを第一に願っていきたい。



名古屋フィルハーモニー特別演奏会を聴きに行く

2023年09月12日 | 音楽
8月31日 小林研一郎さんが名古屋フィルハーモニーを指揮されたコンサートに行った。


今までに 聴いたマーラー1番の演奏の中で きっと 僕にとっては最も素晴らしいと感じられた演奏だったと思う。

特に 楽章を問わず 音楽が静かで柔らかくなるところが神秘的というレベルだったように思う。

こういう演奏を聴くと やっぱり人間80歳を過ぎてから初めてできることもあるのかなと思う。

小林研一郎さんは80歳過ぎてはるらしいし、、、。

ステージには見慣れない管楽器もいろいろあって、プログラムの楽器編成を見るとひとりの人がいろいろ楽器を持ち替えて演奏するという主旨のことが書いてあった。

第一楽章はプログラムの楽曲解説に下行四度と書いてある かっこうのさえずりのような音型が 様々な形で出てくるさまも生演奏だとよくわかってそれも楽しみの一つだった。

家に帰ってきて 楽曲解説を見ると この下行四度という表現が一楽章から三楽章の各楽章に出てくる。

そういわれてみれば と思って演奏を振り返ってみると確かに二楽章で絶えず繰り返されるリズムも 三楽章でティンパニーが静かに刻むリズムもそうだなと気づく。

普段 あまり 意識したことがなかったので。

そして しばしば旋律の中にも この下行四度が出てくることにも思いが至る。

マーラーの1番って どこか 習作的というか まとまりのないところのある曲だなと思っていた時期もあるけれど 実際に 生で演奏を聴いてみると そんなことはない こうした リズムの刻みかたをはじめとして きっと いろんなところで統一性が図られているんだなと思った。

一楽章や四楽章の 金管楽器のクライマックスも とても 迫力があってしびれた。

ただ、音が 大きいというより その大きな音に 壮大な感じが出ているところが素晴らしいと思った。

第四楽章は 若いころ 一度クライマックスがあって また 盛り下がって 最後にもう一度クライマックス。

なんで 一度クライマックスがあった後で盛り下がるんや と思っていた時期があった。

しかし 生演奏で聴いてみると 一回目のクライマックスの後で 第一楽章を回想していることがよくわかる。

そうか 音楽的頂点を一度作った後で 一楽章を回想するのか と思った。

ベートーヴェンの交響曲第5番では 第四楽章で一度歓喜のクライマックスを作った後 第三楽章を回想する場面があるけれど クライマックスの後で 音楽の 過去を回想するという発想は基本的に同じかもしれないと思った。

演奏が終わった後 小林研一郎さんは 第三楽章でソロを弾かれた女性のコントラバス奏者の方へ歩んで行かれた。

なんだかそのときの足取りに小林研一郎さんの年輪を感じるような思いになった。

僕も演奏を聴き終わった後 一生に何度も聴ける演奏ではないと 思ったけれど 小林研一郎さんも 演奏後にマイクを握って 要するに 「めったに聴けないような演奏を名フィルがしてくれた」という主旨のことをおっしゃっていた。

「僕がこうやって出てくると 皆さん 何か(アンコール)を演奏するのではないかと思われるでしょうが この後に 何か別のものを演奏して マーラーの壮大な印象を損ないたくない なので マーラー1番の最後の壮大なところをもう一度 演奏します」という主旨のことをおっしゃって 第四楽章の最後のところをもう一度やってくださった。

もう一度やった 曲のコーダは 最初の時よりもさらに 迫力があるように僕の耳には聴こえた。

1980年代に 東京 新宿の厚生年金ホールで 小林研一郎さんの指揮で ドボルザークの交響曲第8番 「イギリス」を聴いたとき 研一郎さんは この曲の第四楽章のテーマが曲の終盤に向けて 速いリズムで提示されるところから もう一度 演奏してくださったことがあった。

その時のことも 思い出して しばし ノスタルジックな気分にもなった。

あの時のオーケストラは どの オケだっただろう たぶん 読売日本交響楽団だったと思うけれど そこは 記憶があやふやに なってしまった。

本当に いい コンサートだったなと思う。

コンサートの前半にはルゥオ ジャチンさんのピアノで グリーグのピアノ協奏曲作品16が演奏されたけれど これも また 素晴らしい演奏でよかった。

それはともかく いちにち いちにち 無事に過ごせますように それを 第一に 願っていきたい。