僕は 東海地方で生まれ育ったけれど 高校を卒業して以来 東京に6年ほど そして大阪に30年ほど暮らしてこちらに戻ってきた。
なので もともとこちらの出身と言っても やはり いまだに 東京や大阪での経験が僕の中ではスタンダードになっていてこちらに来て おやっと思うことが多い。
その おやっと思うことの中身は 今のところどちらかというと 印象の良いことよりも あまりよくないといういか 少なくとも僕にとっては好ましくないように思えることの方が多い。
僕は 男の割には電車などで足をそろえて座る癖というか習慣がある。
おかまの真似をしたくてそうしているというよりも、僕は股関節が柔らかくて かつ内転筋がかなり発達しているので 脚をだらっと開いて座るよりはある程度すぼめたほうが 背筋も伸びるしむしろ楽ということがある。
先日 両ひざがくっつく程度に足をそろえて 電車の中でうつむいて寝るというか目をつぶっていた。
脚をそろえて正面を見据えているとやはり それは男性としては ちょっと変わったポーズであることに変わりないので 向かいに座った人が妙に足の位置を気にしたりすることが多いので なんとなく申し訳なくて目を閉じることが多い。
そんな風にして 脚をそろえて目を閉じていたら ある駅で男子高校生が乗ってきて 僕のすがたを見て「きゃははは 面白いやないか」と言って僕の隣にドカッと腰を下ろした。目をつぶっているので見てないけれど たぶん 大股開きで 背中を背もたれに沈めるようなよくあるヤンキー座りをその子はしたのだと思う。
そして 僕の方に体を寄せてきて 友達に 「よし、この場面写真にとってや」と言った。
友達はたぶん写真を撮ったのだと思う。そんな気配だった。
これは いかん 相手にしたらいかん 相手にしたとたんに車内での喧嘩になってしまう。
そんなことになったら 下手したら 高校生も 僕も 手痛いダメージを食らってしまう。
今は 車内暴力などに対する警察の意識も高いから下手したら刑事責任を問われることになりかねない。
ここは がまんと思って ずっと目を閉じていた。
すると 高校生は 僕の方にもたれかかるようになってきた。
僕は 喧嘩はさけなければと思いつつも このままなめられっぱなしでは 高校生がどんどんエスカレートしてきて さらに喧嘩の可能性が高まってしまう。
少しはおどしたらなあかん と思って 脚を閉じたまま 握りこぶしを自分の太もものあいだにねじ込んで 内転筋に力を入れて 電車が揺れても 体はほどんど微動だにしないという芸をやった。
僕は そういう芸が実はちょっとだけできるのです。
その芸を始めて一二分経つと 高校生は だんだん 静かになってきた。
これは やばいと 高校生に 思ってもらえれば喧嘩の確率は下がるししめたと思った。
5分ほどたつと高校生は完全に静かになった。
電車が 目的地に近づいたころ 僕は 初めて目を開けた。
すると その高校生は 単語帳を開いて 勉強していた というか 勉強するふりをしたのだと思う。
まあ、喧嘩にならずにやれやれだった。
ただ こちらに来て ここまで程度がはなはだしくはなくても これに類することを何度か経験しているから 僕は こちらで電車に乗るときは 最後尾 つまり 車掌さんのいる車両に乗ることに決めている。
車掌さんも 僕と高校生の間の出来事は 把握しておられるような気がする。
でも 車掌さんが乗っている車両でよくあんなことできるなと思う。
というか 車掌が乗っている車両とか意識してないだけかもしれないけれど。
でも 大阪に 30年住んでいたけれど こういうたぐいのあほな目にあったことは一度もない。
たとえば 僕が大阪で使っていた私鉄の路線には 野球で甲子園出場経験のある高校もあり そんな駅から 野球部の子が乗ってくると まるで 丸太のように太い手足で 一瞬ごついなあと思うけれど そういう子たちって 一般乗客を威嚇するような態度をとることはほどんどない というか 部活で上下関係などをたたきこまれていてむしろ礼儀正しい子の方が多いくらいだ。
ほんとにヤンキーみたいな子が電車で幅を利かせているって やはり 田舎なのだろうかとおもってしまう。
大阪ではしかるべき領域でヤンキーの子が幅を利かせているのは見たことがあるけれど電車など公共の場所でそれをしているのをあまり見たことがないから、、、。
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これも大阪ではあまり経験しなかったけれど こちらで 時々経験する話。
夜 9時過ぎに 安い定食屋などに行くと 数人のグループで話をしているのだけれど 何を話しているのか全く分からないという集団が少なからずある。
それは 外国語を話しているわけでもなく 小声でひそひそ話をしているわけでもない。
声は 小さくはないけれど 発音がもごもごしていてきわめて不明瞭なので 声はそこそそ大きくても 周りの人間には何を話しているのかわからないという話し方。
いわば 故意に低い声で発音を不明瞭にして声をこもらせているという状態の話し方をしている。
それでいて 仲間内では話は通じているようなのだ。
先日中華料理店に行ったときに お店の駐車場で自動車からなかなか出てこずにいる人たちがいたので ああ あの人たちは 僕がお店に入ってから 自分たちがお店に入ってきたいんだなとなんとなくわかった。
そういうのに逆らわない方がいいと思って その車を極力見ないようにしながら 僕は中華料理屋の店内に入った。
すると案の定 その人たちは 僕が注文し終わったころに数人の集団でお店に入ってきた。
そして話を始めたのだけれど やはり ひそひそ話をしているわけではないけれど 発音が不明瞭で声がこもった独特の話法で話しているので 日本語であることには間違いないのだけれど 僕には その人たちが何を話しているのかまったくわからない。
ちょっと気味が悪いなあと思う。
その人たちには申し訳ないけれど、、、。
それで 僕が食べ終わるにつれて だんだん 声が明瞭になってくる。
僕がその人たちの方を見ないので 少なくとも 僕はその人たちに悪意を持っているわけではないというのがその人たちにはわかるのだと思う。
でも 食事が終わって 会計をする頃になって だんだん 発音が明瞭になってくるって やはり これも あまり気持ちのいいものではない。
たぶん 僕が店を出たら あの人たち お店で 大声で話しているのだろうなと思う。
もう 僕の会計が終わるころには 話し方がかなり元気になってきているから そのように想像がつく。
やはり 気持ちのいいものではないことに思える。
ネットで声をこもらせる方法 と検索してみると 舌を上あごにつけるだけで声はこもる と書いてあるサイトがある。
実際にやってみると その方法で見事に声がこもるし それは 僕が定食屋で聴いたこもった声の話し方にそっくりの声にも思えてくる。
そういう方法を身に着けている人もいるんだなと思う。
他人に 話を聞きとられないという目的のためならば ひそひそ話より はるかに効果的であることは間違いない。
ひそひそ話は 声を潜めているだけで 発音が不明瞭なわけではないので 何を話しているか意外とわかってしまう。
こもった声は 何を話しているのかわかりにくいし 声をこもらせること自体に 一種 威嚇的な効果もあるので その人たちの話に耳を傾けてはいけないという意識も働く。
大阪で あまり 遭遇しなかった 故意に声をこもらせる人に こちらでは 夜9時以降に 頻繁とまでは言えないけれど 時々 遭遇するなと思う。
大阪は夜9時だとまだ 残業をした勤め人がいっぱい街にあふれている時間なので こもった感じにはあまりならない。
そういえば 回転寿司店で 一度とった皿を戻したりする動画を撮って拡散したり カラオケボックスの中で 女性を殺害してしまったり 町長が職員に セクハラを繰り返したり そういう陰湿な事件がこの地方では立て続けに起きている。
なぜなのだろう。
やはり こちらは 自動車で行動することが多いので 自動車の中に こもるという習慣が大阪に比べると多いような気がする。
飲食店なども 大阪のような都会では 直接歩いて行って入るということが多いけれど こちらでは 多くの場合 自動車をとめて そこから店に歩いていく場合が多い。
そういうことも少なからず影響していると思う。
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逆に 僕の自動車は あと3か月で 車検の期限だけれど いまだにワイパーに車検業者のチラシははさんでない。
大阪では 車検が近づくと 割と管理の行き届いたマンションに住んでいるにもかかわらず、ワイパーに車検業者のチラシがそこそこ頻繁にはさんであった
こちらは そういうことをほとんど見かけない。
あと 飲食店で 「おまえらにとって100万は大金かもしれへんけど 俺にとって100万なんてはした金なんや。そんなもんすぐに払ったるわ」みたいなことを電話で大声で話しているおじさんに 大阪 特に 南の方では ときどき 遭遇したけれど こちらでそういう人に遭遇したことはまだない。
こういうのも地域性なのだと思う。
ただ、だれしも 昔の記憶は美化されるというか どちらかというと 陰にこもったタイプのヤンキー的な人を見ていると 大阪の 割とあけすけなヤンキーの人たちが懐かしいなと思うこともある。
人の出方を見て声をこもらせたり 明瞭にしたり ある意味 大阪よりも 怖いなと思うこともあるけれど 八王源先生に教わった 極力その人たちの方を見ないでかかわらないようにすること というのを実行して また 安全は 人事を尽くして あとは天におまかせするという気持ちをいつももっていれば怖いということはないというか そういう気持ちはかなり軽減するのだと思う。
まあ いずれにしても いちにち いちにち 安全に 無事に過ごせますように それを第一に願っていきたい。