ケンのブログ

日々の雑感や日記

悲しい気持ち

2022年05月31日 | 日記歌入り
気温はそれほど上がりませんでしたが 湿気が強いというか蒸し暑い気がします。

だんだん夏が近づいていると思います。暦の上ではもう夏ですが。

緑も だんだん濃くなってきているように思います。

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オイゲンヨッフム指揮 ロンドン交響楽団の演奏で
ベートーヴェン 交響曲第9番を聴きました。

ずっとブルックナーをきいていたら 第九が聴きたくなったのです。

ブルックナーの交響曲が第九の影響が強いですからね。

ヨッフムさん指揮 ロンドン交響楽団の演奏 サウンドが素晴らしい。

いいサウンドだなあと思って聴いていたら、 ロンドン交響楽団は 映画スーパーマンなどのサウンドトラックを担当していることを思い出しました。

きっとサウンドのいいオーケストラなのだと思います。

過去に何度かロンドン響の生演奏を聴きましたが確かにサウンドはよかったです。

ほかの動物にできなくて人間だけにできること それは創造だと言った人がいました。

確かにそうですね。

その創造において並外れて優れていたベートーベンは もっとも人間らしい人物の一人なのだと思いました。

しかし、その創造も まったく新しいものを生み出したわけではなく それまでに人間が生み出してきたものの集大成であるように僕には思えます。

第九をきいていると 教会の音楽のサウンドのようだと思う場面もありますし そのほかいろんな場面があります。
人間が生み出したものをつないでいくこと それはとても大切なことだと僕は思います。

■悲しい気持ち JUST A MAN IN LOVE
桑田佳祐さんの「悲しい気持ち JUST A MAN IN LOVE」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音しました。

聴いていただければ幸いです。

先日 ユニクロに行ったら 大きな柱に綾瀬はるかさんのポスターが貼ってありました。
うわあ この人 何着ても似合うなあと思ってみていたら 店内のBGMが桑田佳祐さんの「悲しい気持ち JUST A MAN IN LOVE」になりました。

80年代の後半にこの歌が好きでよく聴いていました。

いい歌だなあと思いました。

歌詞にある「夢で会えたら あの日に帰ろう 夜空に舞う星に 願いを込めて」のイメージは七夕でしょうか。

そうかもしれません。

「君のことを今も忘れられない」と歌詞にあります。

僕は 自分の心に留まったことに対する記憶力がいいので 一瞬言葉を交わしただけの人のことをずっと覚えていることもよくあります。

想い出は 想い出のままの方がいいこともあるかもしれません。

想い出から何かがはじまることもあるかもしれないし。

こればかりはわかりません。

パンチのきいたリズムが印象深い歌だと思います。

↓桑田佳祐さんの「悲しい気持ち JUST A MAN IN LOVE」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音しました。

蒸し暑くなってきた

2022年05月30日 | 日記
ずいぶん暑くなってきたなと思う。

自動車のインジケーターに表示される外気温は30度を超えることもあるようになった。

湿度が高く蒸し暑く感じると冷房を入れたくなる。

入れるとすぐに寒くなり切るとまた暑くなるというなんともいえない状態になっている。

この時期の温度の感じ方は人それぞれ 体質などによっても変わるのだと思う。

僕はすぐに暑くなったり寒くなったり 寒暖の出入りが多いタイプなので人と寒暖の意見が合わないことも多い。

お店には ところてん 葛切り 水ようかん 寒天 など夏を思わせる食べ物も多くなった。

うちわせんべい というものもあり うちわの形をしているけれど 実質は どうみても小麦粉と卵を砂糖をこねて焼いたかんじのよくある カステラ風味のせんべいのように見える。

若鮎 というおかしもあるけれど よく見ると どうみてもどら焼きを鮎のかたちにしただけと思えなくもない。

まあ、季節感を表現するのが和菓子の特色なのだろうけど、、、。

ビニールでできた笹のようなものもおもちゃのコーナーに売っている。

使い方見本の絵を見ると そのササをうまく飾って願い事を書いた短冊をつけるらしい。

ビニールの笹って味気ない気もするけれど、合成樹脂のクリスマスツリーも多い時代だから、まあ気分が味わえればいいのかもしれない。

僕の好みとしては 自宅でビニールの笹を飾るよりも そういうのを用意してお宮などに行って短冊に書いて飾ってもらうという方を選ぶかなとは思う。

僕が関西ですんでいた場所の近くのお宮は今頃 茅の輪くぐりのころだなあと思う。

水田を見ると、稲もまだ小さいながらも 根付いてきて、しっかりとなっているように思う。

一日いちにち 無事にすごせますように。







脱炭素社会 スニーカーダンサー

2022年05月30日 | 日記歌入り
新聞に脱炭素社会で太陽光発電を推進するということが書かれている。

太陽光発電が脱炭素という言葉とセットで語られることが多い。

太陽光発電設備は緑を破壊して作られることがおおい。

緑は光合成によって二酸化炭素と水から 有機物を合成する。

つまりその限りでは空気中の二酸化炭素を消費する。

おまけに その過程で動物にとっては大切な酸素も生み出してくれる。

これは、中学校でも習うことだと思う。

植物を破壊する行為を脱炭素というスローガンで推進するのは言葉の使い方が無茶苦茶だと思う。

いや 脱炭素とは 二酸化炭素を光合成で消費することではなく そもそも二酸化炭素を発生させないことだ と言い訳するのならば それは屁理屈ではないかと思ってしまう。

本当に最近 屁理屈のような論理が多いなと思うことがある。

それに気づいている人は多いのだと思うけれど 戦争がいけないとわかっていてもなかなかやめられないのと同じで もう世の中が脱炭素で経済を回していくという流れになっているので山本リンダさんの歌ではないけれど 社会の上層部の人も含めて「もうどうにもとまらなく」なっているのだと思う。

というか社会の上層部の人がどうにもとまらなくなって 脱炭素で旗を振っているので 一般市民は もうそういうものだと思いながら槍をもって突っ込んでいくしかない そんな感じなのだと思ってしまう。

どこかでみんな思いなおさないと 本当に人類にとってとりかえしのつかないことになりそうだと思う。

きっとそう思っているのは僕だけではないと感じる。

イギリスのジョンソン首相が何かの機会に 「国民の教育水準が低くなると民主主義は成り立たない」という主旨の発言をされていた。

脱炭素という言葉の使い方は おかしい と多くの人が気づくべきだと思う。

ただ、気づいたところで 何かいい発電方法があるのかといえば その返答には困ってしまうのだけれど。

僕の知っているある人は 「それでも現状では 火力発電がもっとも安定した発電方法。
そのためにも 石油を 使い捨て商品などに安易に使わずに 燃料としてのみ使うようにして節約することが大切」

という主旨のことをおっしゃっていた。

僕も 現状はその通りだなと思う。

個人的なことでも 世の中全体のことでも なかなか紙一重のことが思うようにならない現実があるなと思う。
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岐阜の地方紙に 岐阜県の平野部から見た御岳山と 伊吹山の写真が出ている。

こうして今 濃尾平野で毎日暮らしている目で見ると 見慣れた風景の写真 という気がする。

確かに岐阜は平野部でも山が身近に見えるなと思う。

■スニーカーダンサー
井上陽水さんの「スニーカーダンサー」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップロードします。

聴いていただければ幸いです。

1979年にリリースされた「スニーカーダンサー」というタイトルのアルバムのA面に針を下すと第一曲目がこの「スニーカーダンサー」でした。

快活なリズム。明るい、抜けるようなサウンド。すごい歌というか曲だなあと思いました。

「呼び止めないでおくれ 間違わないでおくれ
俺は不思議な動きをするけど 道に迷ってるのではない
俺はただのスニーカーダンサー」と歌詞にあります。

同じパターンのメロディが3回出てきますがいずれも歌詞は
「○○だけど □□ではない 俺はただのスニーカーダンサー」となっています。

ああでもない こうでもない ただのスニーカーダンサーだよ と井上陽水さんは言いたいのだと思います。

要するに ああだ こうだ と規定されるのが嫌なのですね。

規定されると何かが違う。

そういう思いを持つことって誰にでもあると思います。

手を入念に洗う人に 「お前 潔癖症だろう」と規定してかかると 規定された人は
「別にそうではないよ ただ、手を念入りに洗うだけだよ」 と言いたくなるでしょう。

陽水さんが 「別に○○ではない 俺はただのスニーカーダンサー」と言っているのと同じことだと思います。

ちょっと自信を無くしている人に
「君は自己肯定感が低いねえ」などと安易に規定してかかると 規定された人は
「別にそんなわけではない ただ ちょっと今は自信をなくしてるだけだよ」と言いたくなるのではないでしょうか。

井上陽水さんが「別に○○ではない 俺はただのスニーカーダンサー」と言っているのと同じことだと思います。

そう考えると 井上陽水さんのこの歌詞は 安易に 一般化してとらえられることに反発したくなる気持ちを 端的に代弁していると思います。

とても知的な歌詞ですね。

すごいことだと思います。

1979年当時もけっこうスニーカーって流行ってましたね。

僕の周りでもおしゃれな人は ちょっとアンクルの高いコンバースとか履いてました。

今も 例えば西宮や名古屋の芸術センターの前の広場でスニーカーを履いて踊っている人って居そうな感じですね。

お店にはスニーカーが所狭しと並んでますし。

そう考えると1979年の歌でも古さを感じません。

むしろ 新鮮なくらいです。

いい歌だなと思います。

↓井上陽水さんの「スニーカーダンサー」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで録音しました。

早口言葉 何度でも

2022年05月28日 | 日記歌入り
水ようかん 寒天 ところてん など夏を思わせる食べ物をよく見かけるようになりました。

寒天の味の一つに ニッキ と表示してあるのを見るとなつかしい言葉の響きだなと思います。

呉服屋さんをのぞくと 紫陽花 七夕 などが描かれた小風呂敷が展示してあります。

うちわなども100円ショップでは売ってます。

関西の高校生は最近はうちわよりも 100円ショップの電池式の小型扇風機であおぐ子が多かったですが 名古屋地域はどうなのでしょう。

また、見てみたいと思います。

■何度でも
ドリームズカムトゥルーの「何度でも」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップロードします。

聴いていただければ幸いです。

調べたら、2005年にテレビドラマの主題歌としてリリースされたと出ていました。

「10000回ダメでへとへとになっても」 と歌詞にあるので 武田鉄矢の101回目のプロポーズの主題歌かと思ったら それは違いました。

テレビをほとんど見ないので こういう情報の記憶は無茶苦茶になっています。

101回目のプロポーズは1991年でした。

90年代に 会社で先輩と電話のやり取りをしていて 名前を聞き取る場面がありました。

「智子だよ 智子は 山口智子の智子」と先輩は言いました。

「山口智子って誰?」と僕は言いました。

「ええ?お前 山口智子 知らないの?」と先輩は言いました。

ちょっと先輩は驚いていたようでした。

知りませんでした。

調べると 山口智子さんは僕より2歳年下で今年58歳になられそうです。

山口智子は知りませんが綾瀬はるかはポスターを見るとすぐにあの人とわかります。

テレビドラマと言っても中学生のころ「俺たちの旅」をまともに見て以来 ほとんどまともに見たものはないことに今更のように気づきます。

ドリカムの「何度でも」はリリースしてしばらくしたころにユーチューブにアップされたライブの映像を見て 字余りだけれど すごい歌だなと思いました。

早口言葉の歌のようです。

舌がもつれないように頑張りましたが もつれたところもあります。

「喘ぎ嘆きながら」というところは 本当にもつれています。

まあ いっかと思いました。

↓ドリームズカムトゥルーの「何度でも」をカラオケDAMの音源で歌いました。

自動車の風景 DESTINY

2022年05月26日 | 日記歌入り
ホームセンターの立体駐車場に行ったら、トヨタ系統のやや高級な大型乗用車がけっこうたくさん止まっていました。

それで、ただ駐車しているだけではなく 自動車の所有者と思しき人が 中にいて 何をするでもなく時間をつぶしているという様相を呈している場合も結構多いです。

ホームセンターの立体駐車場に大型でやや高級な自動車が多いというのも 東海地方の特徴なのだろうかとまじめに考えてしまいました。

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三菱電機が検査の不正をしていたというニュースが新聞に出ています。

多大な迷惑をかけて申し訳ないと 責任ある立場の人が語ったということも新聞に書いてあります。

ここまで、不正が常態化すると 責任者の方も そんなに悪いとは感じてないだろうと思ってしまいます。

三菱がルールだというような感じになっていたのかもしれないと思ってしまいます。

おなじ不正でも しょぼい会社の不正は 徹底的にたたかれて しょぼい会社が立ち直れなくなってしまうようなこともあります。

しかし、 三菱のような会社は 不正をしても まあ適当に謝って居直っていれば過ぎていくかもしれません。

そう考えると 不正ということに関しても ある意味 世の中 不公平だなと思ってしまいます。

しかし、天の神はすべてを見ている という考え方をすれば 不公平はきっとないのだろうと思います。


■DESTINY
松任谷由実さんの「DESTINY」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップロードします。

聴いていただければ幸いです。

1979年のリリースです。

僕が高校2年の時。

その頃は この歌をあまり聴いていませんでした。

後になって松任谷由実さんがこの歌をコンサートでよく取り上げることを知ってから いい歌だなと思うようになりました。

「冷たくされていつかは 見返すつもりだった」と歌詞にあります。

このフレーズか最も心に留まっていました。

「昔より遊んでるみたい」というフレーズも面白いと思います。

僕の母が どこで仕入れた情報をもとにしたのかはわかりませんが「松任谷由実って不良やったんやろ?」と何かの機会に口走ったことがありました。

まあね、いろんなライブをやるようなお店に出入りされていたわけですから不良と言えば不良かもしれません。

「昔より遊んでるみたい」というフレーズを見ると 母が言ったことを思い出します。

↓松任谷由実さんの「DESTINY」をカラオケDAMの音源で歌いました。