ケンのブログ

日々の雑感や日記

京都市交響楽団定期演奏会を聴きに行く。(第687回)

2024年03月22日 | 日記
3月16日は京都市交響楽団第687回定期演奏会を聴きに行った。

指揮は広上淳一さん ピアノはジャン エフラム バヴゼさん。

最初に演奏されたのはピアノ バヴゼさんで
バルトークのピアノ協奏曲第2番


演奏が始まってしばらくは ボーっとしていたけれど ある程度、時間がたってくると、これって おしゃれで かなり華やいで ブライトな世界と思い始めた。

バルトークは暗いイメージが僕にはあるけど、この演奏はおしゃれで ブライトだなと思った。

それで、たまたま この演奏会の数日前にネットで目にした バルトークの若き日の写真はとてもシュッとした男前であることを思い出した。

芸術家に限らず、死後も名前が残るような人は、晩年の写真が主に人の目に触れることになるけれど若いころのシュッとした顔にも注目すべきだと思う。

どんな人でも 若いときのベースがそのまま根底に残るということがあるから。

オーケストラの方をずっと見ていて二楽章になってふと ピアノのバヴゼさんに目をやると ピアノを弾くためという観点で考えると ちょっと不自然というか 無駄な動きをバヴゼさんがしていることに気付き始めた。

この動きはなんだ と思ってしばらく見ていると 「ああ あの動きはオーケストラにキューを出したり 気を送ったりしているんだ」ということがわかった。

特に二楽章から三楽章にいたる場面では もう二楽章の最後でピアニストがオーケストラの方に顔を向けて 「この状態をキープして三楽章よろしくたのみます」という感じでおがみたおしているような気がしてちょっとユーモラスでもあった。

きっと、ピアニストがキューを出したり 気を送ったりしてもいいという合意というか暗黙の合意がバヴゼさんと広上さんの間に出来ていたのだと思う。

でも、ピアニストがたとえキューや気を送ったとしてもそれに対応できるだけの余裕というか度量が広上さんにもあったということなのだと思う。

もちろんピアニストは特に指揮のような動作をしなくてもそこで演奏しているだけで大きな気をオーケストラに送っているわけだけれど、このピアニストの場合は 素人目というか 僕の目にもそれとわかる動作だったということだ。

でも 見ていて けっこう楽しかった。

ピアノを弾いてて指揮も自分がちょっと表に出たいというときは ちゃっかり表に出ちゃうというのはフランスというかラテン的な考え方なのかなと思った。

第二楽章は 途中から 結構 速いスケールをピアノが弾いていくことになる。

音楽が速くなっても 中庸のテンションを保ちながら弾いておられるように僕には思えてそれもまたすごいことだなと感じた。

たぶん 第二楽章の表記が演奏会のプログラムによると アダージョとなっているので だとえ途中で音が速くなっても アダージョのベースを崩してはいけないという意識も働いているのかもしれない。

そういう なんというか 根本の型を崩さずに 自由にふるまえるというのがすごいことのように僕には思えた。

さすがに 三楽章になって 音楽がもっと激しくなると 中庸のテンションではなくなったけれど、、、。

アンコールにドビュッシーが演奏された。
聴いたことある曲だけれど タイトルまでは知らないという曲。
ちょっと勢い余った感じの演奏に僕には思えた。

けれど アンコールだし コンチェルトをやったあとだし。

最初から ドビュッシーを演奏する という意識で演奏されたら きっとまた違った感じになるのだろうと思った。

演奏が終わった後 ピアノの後ろでアンコールを床に腰を下ろして聴いておられた広上さんの方にバヴゼさんは歩み寄られた。

その時になって 広上さんが後ろで聴いておられることに僕は初めて気づいた。

そして バヴゼさんと広上さんのカーテンコールは 二人の体格の違いを存分に生かしたパントマイムの要素も多分に含まれていてみていて楽しかった。

20分の休憩をはさんで次に
ラフマニノフの交響曲第3番作品44が演奏された。

いい曲なのだけれど 僕の理解がまだまだ足りないせいか いまひとつ交響曲としての統合性に欠けるような気がして どこか映画音楽のようだなという印象がぬぐいされなかった。

でも ときおり 木管や チェロなど主に低い音を受け持つ弦から ふっと気持ちが和らぐような旋律が出てくるのに気づいて そういうところはやはりラフマニノフだなと思った。

最後に毎年3月の定期恒例の今年で引退なさるプレーヤーの紹介がなされて、毎年のことだけれど、ちょっとうるうるっとなってしまった。

帰りは京都植物園の門からちょっと中をのぞいて それから地下鉄の駅に向かった。

駅にいく道々 夫婦でコンサートの印象を語る声が聞こえてくる。

ある おじさんが 奥さんと思しき人に「やっぱラフマニノフは辛気臭くないからええなあ」と語る声がたまたま僕の耳に入ってしまった。

確かにメロディは美しいし バーッと盛り上がるところもあるし 癒しの要素もあるし 辛気臭くない なるほど と思った。

でも それよりも なによりも 辛気臭くない という いわば関西独特の表現がコンサートの帰りに人の口をついて出てくるというのが 京都のコンサートだなと思う。

それはともかく いちにち いちにち 無事に過ごせますように それを第一に願っていきたい。









ファゴットのリサイタルを聴きに行く

2024年03月15日 | 音楽
3月9日 京都の呉竹文化センターに京響のファゴット、村中宏さんを中心としたリサイタルを聴きに行く。

最初に演奏されたのがファゴット村中さんピアノ矢野百華さんで
ドボルザークの「わが母の教えたまいし歌」
ちょっと前に京響でドボルザークの新世界からを聴いた時もそうだったけれど、彼の旋律はなぜか涙を誘うなと思う。

次にやはりファゴット村中さんピアノ矢野さんで
モーツァルトのファゴット協奏曲K.191が演奏された。
知り合いでアマオケでプレイしている方がモーツァルトは長調でも影が差す と言っていた。

本当にそうだなと思ったし そう思えるような演奏だった

あとケッヘル番号がまだ100番台のころのモーツァルトはバロック音楽と古典音楽の狭間のような音楽に感じられる部分があるなと思った。

次にピアノ ファゴットに加えてフルート中川佳子さんが入られて
バッハのフルートソナタBWV1035よりアダージョ マ ノン トロッポ とアレグロが演奏された。けれど 中川さんが京響の時とは雰囲気の全然違うドレスを着て入ってらして僕が緊張してしまったせいかどんな演奏だったか忘れてしまった。

どんなドレスだったかも忘れてしまったというか 緊張して目に入らなかった。

ただ、演奏に先立つトークで中川さんがヨハン セバスチャン バッハのことを「お父さんバッハ」と呼んでおられて そんな呼び方、初めて聞いたと思ったことは不思議に覚えている。

村中さんもなんとなく中川さんには気を使っておられる感じだったとか、そんな 余計なことだけ覚えているということは要するに僕が演奏に集中して聴けてなかったということだと思う。

次にファゴットとフルートでエイトル ヴィラ ロポスの
ブラジル風バッハ第六番が演奏された。
1938年第二次世界大戦に向かっている時代の作品。

聴いていてショスタコーヴィチを思い浮かべるような不安な要素が漂っている部分があるなと思った。

あと、これは特定の曲を聴いてというよりもリサイタル全体を通しての印象なのだけれど、
ファゴットの低音はチェロの低音に似ている、特に バッハの無伴奏チェロソナタで 例えばフルニエさんの演奏のように 低音をぐっと踏み込んで出すタイプの演奏における低音によく似ているなと思った。

次にファゴットのソロでモーリスアラール編 パガニーニの主題による変奏曲が演奏された。

これは凄い演奏だった。ファゴットのソロだけでここまでできるのかと思った。

次にまたピアノ ファゴット フルートのソロでチックコリア フルートとファゴットとピアノのためのトリオが演奏された。

途中で聴いたこともないような種類の音が聴こえてきたので目を開けたらピアノの矢野さんがグランドピアノのグランドの部分に手を突っ込んでピアノの弦を直接はじいておられたので驚いた。

ただ これは パガニーニを聴いた後だったので ジャズということもあり ちょっとリラックスして聴けたなと思う。

アンコールで
能登半島の舟こぎうたという感じで中川さんが紹介しておられた曲が演奏された。
演奏を聴いていて ラヴェルの ダフニスとクロエ 第一組曲の冒頭付近でフルートで最初に出てくるテーマ(ニンフたちのテーマ)を心に思い浮かべる場面が何度かあった。

家に帰ってきてからニンフを調べてみると それは水の妖精というようなことが書いてあったから舟漕ぎ歌のなかでニンフの主題を思い浮かべるのはあながち間違った感覚ではないかもと思った。

もちろん 音楽をきく感覚に 正しい 間違いはないとは思うけれど、、、。

村中さんがアンコール曲の作曲者の名まえを読み間違えて中川さんからするどく突っ込まれたことも印象的だった。

そして最後にグノーのアベマリアが演奏された。

ほとんど伴奏でバッハ平均律ピアノ曲集のプレリュードを奏でるピアノの音だけに集中してしまった。

やはりバッハはいいなと思った。グノーのアベマリアだけれど、、、。

四条の駅まで戻ってきて 四条駅で京都産業大学の看板が目についてしまった。

3月のお彼岸過ぎにはもうオープンキャンパスがある。

本当に 早くから動かないと学生が獲得できない時代になっているんだなと思う。

看板に描かれていた京産のキャンパスに立つ3人の女の子の後ろ姿はかわいかったけれど。

京産の出身のある子が、「勉強は嫌いやったけど 学校は好きやった」と言っていたことをふと思い出した。

まあ それもよくある話かなと思って。

逆に 勉強はよくできたけれど 学校は嫌いやったという人もいたりして 本当に世の中いろいろだなと思う。

それはともかく いちにち いちにち 無事にすごせますように それを第一に願っていきたい。


甘い誘惑

2024年03月12日 | 日記
名古屋駅構内のコンビニでチロルチョコを買った。

店員の女性が「これだけで足りますか」と言った。

「はい」と僕は言った。

たりるかどうかわからないけれど、チョコレートは一度にたくさん買うと買っただけ食べてしまいがちなのでチロルチョコにすることが多いのも事実。

チロルだと一個ずつばら売りだから。

でも、その時の女性の「これだけで足りますか」という言葉の抑揚は
こんな甘い誘惑に一個だけで耐えられますかというような含みがあるように僕には思えた。

男性と 女性では ホルモンなどいろいろ身体の仕組みが違うけれど 甘いものへの希求性というのも男と女ではやはりかなり違うのだろうなと思った場面だった。

本当に見ず知らずのあいだがらだけれど 思わず「足りますか」と言ってしまったという感じだったから。

それはともかく いちにち いちにち無事に過ごせますように、それを第一に願っていきたい。



いやはやなんとも

2024年03月09日 | 日記
先日 実家で 母と一緒にお昼のテレビを見ていたら、女性のコメンテーターがなんだかちょっと興味深いことを話しておられた。

たぶん この論旨はあの人 と思って スマホで調べると 出てきた結果は 僕が多分あの人だろうと思った人だった。

そのプロフィールを見て 僕が 母に 「この人 創価高校の出身で すごく頭がいいらしいよ」と言ったら、「そうか」と母。

ねらって 「そうか」 と言っているわけではないことが いやはや何とも と思ってしまう。

それはともかく いちにち いちにち 無事に過ごせますように それを第一に願っていきたい。

人口も減り続けて、、、

2024年03月01日 | 日記
数日前に2023年の出生数が約75万人というニュースに接して本当に愕然とした気持ちになった。

僕が予備校の職員として働き始めたころは1970年代に生まれた子が予備校に来ていたころで 当時の18歳人口は約200万人と言われていた。

しかし、それから18歳人口は減る一方で 要するに17年後の18歳人口は約75万人になってしまう。

僕が予備校で働き始めたころから比べると約37パーセントくらいの数になってしまうのかと思うと やはりちょっと異常なことだなと思う。

何とも言えない 寂しさとか 不安とか そういうものが心をよぎるような気がする。

これから 僕も年金をもらう年齢に入っていくけれど こんなに 若い人が少ない状態で本当に年金をもらい続けられるのか とか 、、、

そして、そういうことを考えていると あと 何年生きるだろう とか これからの人生 まだ 花が咲くとか そういうこともあるのか それとも 枯れていく一方なのか とか そういう方にも考えが進んでしまう。

うーん わびしい限りだけれど この歳になって 考えてどうにもなることではないようにも思えてくるし。

天に任せて一日 いちにち 生きるしかない とは 思うのだけれど、そういう確信を持つにいたるのはなかなか やさしくもないなとも感じる。

あと もう こうなったら 日本に来ている外国人の人とも仲良くする道が見つかるといいなとかそういうことも考える。

それはともかく一日一日無事に過ごせますように それを第一に願っていきたい。