ケンのブログ

日々の雑感や日記

京都市交響楽団を聴きに行く。

2023年05月28日 | 音楽
5月20日 京都市交響楽団の第678回定期演奏会に行く。

指揮は井上道義さん。

最初に演奏されたのが ラヴェルの「ダフニスとクロエ」組曲第2番。

聴いていて 美しいオーケストレーションに触れ ラヴェルを形容するときによく使われる言葉 「オーケストラの魔術師」という言葉が何度も心に浮かんだ。

プログラムに「無言劇」と書いてある箇所が曲中にあって そこで フルートのとても印象深い しみじみとしたソロが出てきた。

確か ここのソロのことを 20世紀に書かれたフルートの旋律で最も美しい と言っていた人がいたなあ と思いつつ その旋律に聴き入ろうと思った。

そうしたら その時 どこからともなく かすかな いびきの音が聴こえてきた。

なので 僕の耳には フルートといびきのデュオのような感じになってしまった。

フルートの旋律に 聴き入ることは ある意味 妨げられる形になってしまったけれど コンサートに ハプニングは つきもの。 その先 どうなるものかと思って そのデュオに身を任せていた。

すると そのフルートのソロが終わって ちょっとおどけたような楽想が出てきたときに いびきがピタッと止んだ。

ハイドンのびっくり交響曲のように 突如 大きい音が出るわけでもなく ただ しみじみとした旋律から おどけたような楽想に音楽が移っただけなのにピタッといびきがやんだ。

それも すごいことだな と僕は思った。

要するに いびきをかいてしまう つまり 覚醒と睡眠の狭間にあるような状態の脳にもラヴェルの音楽は 確実に何かを伝えているということなのだと 僕は思った。

やっぱり 音楽って そして ラヴェルの音楽ってすごいな と思った。
コンサート会場で 欧米からのお客さんと思われる人もちらほら見かけたけれど 演奏中 この演奏なら 海外からのどんなお客さんに 聴いていただいても 恥ずかしくないというか 素晴らしい演奏だな と何度か思った。

プログラムに「全員の踊り」と書いてある箇所 つまり 音楽の終盤に盛り上がっていくところでは 通常CDなどでこの曲を聴くのよりも はるかに ストレートに小太鼓の音が 耳に入ってきた。

スーッと ストレートに ダイレクトに クリアに 耳に入ってくるという感じだったので ステージに目を凝らすと 小太鼓は 指揮者 井上道義さんの ほぼ真正面 つまり オーケストラ後方の センターに配置されていた。

僕も 後方のセンターに近いところにいたので 本当に ホールの中央を 音が 僕のいるところに まっすぐに 届いてくるという感じで とても印象的だった。

それを聴きながら そして ステージを見ながら そういえば ちょうど一週間前の名古屋フィル定期の クセキナス作曲 ノモスガンマの演奏でも 道義さんの正面にティンパニーが配置されていたことを思い出した。

二週連続で 違うオーケストラで 同じ指揮者の演奏を聴いて こういう 共通項を見つけられるのもまた興味深いことだなと思った。

演奏の最後の一振りで道義さんは 身体を 反時計回りに180度回転されたので 曲が終わった瞬間には もう 客席の方を向いておられた。

そういえば 一週間前の名古屋フィル定期の第一曲目 バルトークのルーマニア舞曲の時もそうだったなと思い出した。

バルトークもルーマニア舞曲だし ダフニスとクロエの最後も 「全員の踊り」つまり舞曲かと思った。

共通項を見つけ 分類 整理して 知識を得ていくというのは 僕に限らず ヒトの脳の特徴の一つだとは思うけれど あまり そういう方向ばかりに 頭を働かせるのもよくないかもしれないけれど、、、。

次に ドビュッシーの夜想曲が演奏された。

ラヴェルの直後にドビュッシーを聴くと ほぼ同時代のフランスの音楽でも ラヴェルが 明晰で絢爛な感じなのに対して ドビュッシーの響きは 少し 沈んでいて 重みがあるなと感じる。

僕は 20歳代のころに 管弦楽曲に関しては ドビュッシーよりもラヴェルをよく聴いていたせいもあると思うけれど ドビュッシーのちょっと重い感じが いまだに 苦手で コンサートから数日が経過してしまった今では 演奏のことは あまり記憶に残っていない。

もっと早くにこのブログ記事をかけばよかったのだけれど つい さぼってしまった。

この曲の演奏では 女性コーラスが オーケストラ後方の高いところに 配置されて その 声は 印象的だった。

ただ それを 聴きながら ラヴェルの「ダフニスとクロエ」も 女性コーラスを入れて演奏される場合もあるのに なぜ ダフニスとクロエに コーラスを入れずに ドビュッシーにはコーラスを入れたのか そういう 「なぜ」が生まれるところも 演出の見せどころなのかな と思った。

ラヴェルとドビュッシーというコンサート前半の二曲で ひとつの流れ という風にとらえると 二曲目のドビュッシーで コーラスを入れて 前半の最後を盛り上げる という風にとらえることができるかもしれない。

20分の休憩をはさんで 次に演奏されたのが 武満徹の「地平線のドーリア」

演奏中 木管の響きのような音が かなり 頻繁に出てきて 木管はどこにいるのだろうと探したけれど ステージには弦楽器しかいない。

どんなふうにして 木管のような音が出ているのだろうと 目を凝らしたけれど ちょっと近眼なので けっきょく わからずしまいだった。

視覚と聴覚の両方を使うと それなりに 楽しく聴けるけれど CDなどで 音だけ聴いたら 僕の場合は ちょっと退屈するかも と思った。

最後はドビュッシーの交響詩 海 が演奏された。
管楽器ももちろん美しかったけれど 弦の音が朗々となるような場面もあって そういうところで心が引き込まれた。

それを聴きながら 素晴らしいな と思う自分もいたし もっと響きが濃厚ならば、、、と思う自分もいて その思いが相半ばしていた。

演奏の後半あたりで 近眼の僕にはフルートの人が オーボエの人に話しかけているように見える場面があり、「演奏中に話をしとったらあかんがな」と思っていたら それからほどなくして フルートとオーボエの印象深いデュオが出てきたので 僕には話をしているように見えただけで 実際は 何かの合図をしておられたのだと思う。

最後の盛り上がりは 圧倒されるような感じで 目をつぶってしまった。

いい 演奏会でよかった。

蛇足だけれど、道義さんはプレトークで 「キリスト教は一神教なのでオルガンは教会の中央に置く場合が多いけれど 日本は多神教 八百万の神なので 中心をずらす。 なので 京都コンサートホールのオルガンも ちょっと中心(中央)から右にずれている」というような面白い趣旨の話をしておられた。

そういわれて コンサートホールのオルガンを見ると確かに中央より右に位置している。

京都コンサートホールには何回も通ったけれど そんなこと意識したことなかったなあと思った。

人に指摘されることで気づくことが人間 いくらでもあるものだなあと思う。

地下鉄で 四条までもどってきて 駅のエスカレーターに乗ったら 後方から 男性同士の会話が聴こえてきた。

「今の段階では 優勝した時と同じペースらしいで」と話す声が聞こえたので 阪神タイガースの話題だとすぐにわかった。

あとで落ち着いて セントラルリーグの順位をスマホでチェックしたら 阪神タイガースがセリーグの首位だった。

知らなかったなあ。中日ドラゴンズが最下位は知っていたけれど、、、。

それは ともかく いちにち いちにち 無事に過ごせますように。それを第一に願っていきたい。




名古屋フィル定期演奏会を聴きに行く。

2023年05月18日 | 音楽
5月13日 名古屋フィルの512回定期演奏会を聴きに行く。

指揮は井上道義さん。

最初にバルトークのルーマニア舞曲 Sz 47a BB61が演奏される。

ちょっとおどけた感じと 不安な感じなどが入り乱れた舞曲で いかにも 井上道義さんが好きそうな感じの曲と思った。

次に バイオリン独奏服部百音さんで 同じく バルトークのバイオリン協奏曲第2番Sz112 BB117が演奏される。

演奏中 結構 楽しんで聴いている自分がいることに気づく。

昔はバルトークは退屈することが多かったけれど たぶん 40歳代の時に ショスタコーヴィチの交響曲を かなり CDで聴いたので バルトークのようなちょっと暗くて 陰鬱な世界に自分の感覚が慣れたのだと思う。

ショスタコーヴィチの バイオリン協奏曲第一番にちょっと似ていると思ったけれど 家に帰ってから 作曲年代を調べてみると バルトークの方が10年ほど先に作曲されているので ショスタコーヴィチがバルトークに似ているという方が 正解だとは思うけれど、、、

たぶん 同時代の作曲家で 互いにこの二人は 大きな影響を与え合っているのだろうと思う。

バルトークの管楽器の転がし方は ショスタコーヴィチに似ていると思うこともあるし、、、。

この曲は そこそこ規模の大きな曲なのに なぜか 道義さんは 指揮台を使わずに指揮している。

それに 普通 指揮者は オーケストラに 垂直方向を向くものだけれど オーケストラに向かって垂直方向から 反時計回りに45度くらいの角度で立っておられる。

微妙に 指揮者の左手にいる 服部百音さんと向かい合うような感じで なんか 変だなと思っていた。
服部百音さんも演奏中に道義さんの方に 妙に近づいて行ったり。

何かヘンだと思っていた。

曲の 終盤 第三楽章で 二人が ちょっとした しぐさをした瞬間に 「ああ 道義さんと 百音さん 二人で ダンスをするイメージだ」と直観的にわかった。

「まあ バルトークだけれど 固くならずに 僕とダンスをするイメージでやろうよ」とか 道義さんなら言いそうな気がするし。

実際は なんて言ったか知らないけれど、、、。

若くて 期待のバイオリン奏者と ダンスとは 道義さんも役得だなとは 思ってしまう。

けれど プロのオーケストラを指揮してバルトークを演奏することは 生易しいことではないようにも思う。

と まあ あれこれ 考えつつ 楽しめる 演奏だったと思う。

百音さんが アンコールをしてくださったけれど 20世紀の音楽風の曲とは思ったけれど 僕の知らない曲だった。

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20分の休憩をはさんで 次に
クセナキスの ノモス ガンマ という曲が演奏された。

この曲の演奏ではオーケストラは 円盤状に並んで その 円盤の中心に道義さんが立って指揮するという構成だった。

今度は 道義さんは ステージ奥のパイプオルガンに向かって 垂直方向から 時計回りに 30度から40度くらいの角度で立っておられた。

なんだか この日は 斜めに 立たれることが多いなと思った。

曲は 混とんとしていて 一見 雑音の嵐のようにも思えるのだけれど 結構楽しい。

たぶん 道義さんの 演出がうまいからだと思う。

打楽器が あちこちで ババババンとなった時 一瞬 花火の連発の光景を思い浮かべた。

また 日本の祭りの和太鼓を思い浮かべた場面もあった。

きっと 打楽器の響きって 洋の東西を問わず 結構 普遍的なものであるのかな とそんなことを思った。

僕は 最近 あまり 指揮者を見ていなくて オーケストラの 楽器を見ていることが多いのだけれど たまたま 微妙な位置関係で 楽器が 見にくいときがあったので 指揮者 道義さんの方に視線を移した。

すると 道義さんは パイプオルガンの垂直方向から時計回りに30度から40度の角度で立っている その 視線のまっすぐ先には ティンパニーの奏者がおられることに気づいた。

道義さんが何の意味もなく ティンパニーの方を向いて立つということは あるはずもなく 何か 意味があるのだろうと思った。

どんな 意味かは わからないけれど ティンパニーの方を向いて立っておられる道義さんを見て もう ずいぶん昔に 大阪のザ シンフォニーホールで ベートーヴェンの第九を道義さんの指揮で聴いた時 僕は パイプオルガンに近い席にいて その時 道義さんが 第二楽章の演奏を開始するときに ティンパニーの奏者に 目配せをしてから 入られたことを思い出した。

あの場面は 印象深かったので 今でも覚えている。

きっと 第九の第二楽章でも そして クセキナスの ノモス ガンマ でも 道義さんは ティンパニーが演奏のかなめと思っておられた可能性は 十分にあるような気がした。

弦楽器が 弓で 弦をたたくような 場面もあり その時は そういえば ベルリオーズの幻想交響曲の第五楽章の最後の方 怒涛のように曲が盛り上がっていく場面で 弓で弦をたたくような奏法が確か あったな と心の中でそんなことを考えていた。

クセキナスの音楽も怒涛のような音楽だったけれど。

あと オーケストラが 円盤状に並び その中心に 道義さんがいるので 当然 道義さんは360度を意識しながら 指揮しなければならない。

いかにも 道義さんらしいな と思ったのは ときおり というか かなり頻繁に 道義さんが 自分の 背後の 奏者にも シグナルを送っておられたことだ。

それは 指揮棒の先を スッと 後ろに 向けたり 手首をうまく使って 指先を真後ろの奏者に向けたりとか、、、。

見ていて 結構 楽しかった。

最後に演奏されたのは ラベルのボレロ。

ステージを暗くする 演出だったので 僕は ステージに目を凝らすことをあきらめ 音を聴くことに 集中した。

集中と言っても いろいろ 他ごとをかんがえていたけれど、、、。

音だけをきいていると この曲に 展開というものがないということを やはり よりいっそう 意識させられることになる。

展開がなく 同じことを 延々と繰り返す。

変わるのは 基本的に 楽器の音色と 音量。

それだけで 一曲 構成してしまうのは やはり ラベルはすごいな と思ってしまう。

木管が しみじみと ホールに響いていて 泣きそうになった場面もあった。

延々と続く 同じメロディ そして ダンスのための音楽 と思ったときに 心の中に 故郷 岐阜県の民謡 郡上節が 思い浮かんだ。

郡上節も 同じことを 延々と繰り返す。 そして 踊りのための 音楽というか歌。

前半で演奏された バルトークも 民謡と思われる メロディが いろいろ 出てきたし ボレロも ダンスのための 民族的な要素の強い音楽。
それを 聴いていて 郡上節に 思いが至ったというのは 案外 前半のバルトークから続くコンサート全体の流れの中でそうなったような気がする。

もちろん 道義さんが 具体的に 郡上節を思い描かれたはずは ないと思うけれど コンサート全体を通して 音楽の持つ 全世界的な普遍性 そういうものを 道義さんは 意識されていたのではないか そんな 気がする。

道義さんにとって 最後の 名古屋フィルのステージだと聞くし 戦争や コロナで 世界の秩序が おかしくなりかけている時代。

そういう時に 道義さんが 音楽の持つ 全人類的な普遍性を 問いかけたのではないだろうか そんな気がしてならない。

ボレロの演奏は 今まで聴いた ボレロの生演奏では 僕にとって 最も 印象深いものになった。

なお 後半のクセキナスのノモス ガンマ そして ラヴェルのボレロを演奏されるのに先立って道義さんはプレトークをされた。

そのプレトークで 道義さんは「前半のバルトークのバイオリン協奏曲を聴いて難曲だと思った人は手をあげてください」「では 名曲だと思った人は手をあげてください」と会場のみんなに問いかけられた。

難曲で手を挙げた人と 名曲で手を挙げた人の数は 大体同じくらいだったと思う。

そして その 問いかけをモチーフにして 道義さんは 「音楽はわかりやすさも大切 そして 難しいものに挑戦することも大切。クセキナスはわかりにくいかもしれないけれど そのあとに ラヴェルのボレロを用意しています」という主旨のことをおっしゃった。

ベートーヴェンも第九の歓喜の歌のメロディのようにわかりやすいものもあれば 難しいものもあるという主旨のこともそのはなしのなかでおっしゃっていた。

名フィル512回定期演奏会のプログラムに即しても バルトークは 民謡の素材が豊富でわかりやす部分 楽しい部分がある反面 陰鬱で 難しいと感じる場面もある。

クセキナスが難解とすれば ボレロは 同じメロディの繰り返しでわかりやすいと言えばわかりやすい。

本当に わかりやすく楽しいことを求める心と 難しいものに挑戦する心意気の両方が大切と思った。

考えてみれば バルトークやショスタコーヴィチは僕が 中学生 高校生の頃は 難しい音楽と感じていたし 今ほど演奏される機会もなかったように思うけれど 最近は 若い演奏家が 当たり前のように取り上げておられることもある。

それだけ みんなが努力した結果として 昔ほど難しい音楽ではなくなったような気がする。

そういうのも時代の流れなのだと思う。

個人的には 道義さんのステージでは 5月13日の名古屋フィル定期と 何年前か忘れたけれど 大阪のフェスティバルホールで ショスタコーヴィチの交響曲第4番を演奏されたことが 僕にとっては 一番の思い出になった。

あと もう一つ 道義さんが2008年ころに 兵庫芸術文化センターのオーケストラとベートーヴェンの交響曲を1番から8番まで演奏されて 確か 7番8番の時に ウィーンやベルリンからやってきた 管楽器の名手の人が 入って演奏したことがあった。

そのとき 指揮者は同じでも 奏者が一人 二人入るだけで オーケストラ全体から出る音がこんなに違ってくるのか と思ったことも僕にとってはいい体験になった。

コンサートがひけて ロビーに出ると まだ ホールの中から 拍手が聴こえるので もう一度ホールに入ると スタンディングオベーションの中 道義さんがステージに一人で出てきて挨拶をしておられた。

本当に 動きが きびきびと しておられて これで 最後とは 信じられないけれど 道義さんのステージは本当に いつも 楽しかったな と思う。

たくさんのいい思い出をありがとうございました。

といいつつ まだ 聴く機会が ありそうな気がするけれど、、、。

それはともかく 一日 いちにち 無事でありますように それを第一に願っていきたい。









大きなお世話?

2023年05月12日 | 日記
先日 ある 飲食店で 「ラーメンセットと焼きそば単品で一人前 それに お稲荷さん一個」 という感じの 注文をしたら 仲居さんに「そんなに 全部 食べれるの? 一個 一個食べ終わってから 注文したらどう?」と言われて 大きなお世話だと思ったことがある。

メニューの写真をじっくり見て この 盛り付けサンプルなら このくらい頼んでも大丈夫と判断して頼んでいるのに ほんまに大きなお世話や と思った。

僕は 学生のころから 一人の生活が 長いので 餃子の王将に行ったときは こう すきやでは こう ココ壱番屋では こうなどと どの店でどういう注文の仕方をしたら 大体 自分にとって適量か わかっているつもりだ。

でも その 飲食店の 仲居さんは 僕が メニューを じっくり 時間をかけて 見ているので この人は メニューを 読むのが おそい あほの人や と思った可能性が高いと思う。

なぜなら 僕が メニューを 読んでいる途中にも 僕のところに来て 「何を 悩んでおるね? ええよ ゆっくり読んだらいいからね」と言いに来たからだ。

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どうも 字を じっくり 読んでいると のろまの人とか あほの人と思われる 可能性も高くなる傾向にある気がする。

先日 ドラッグストアで のどの薬のコーナーをじっと見ていたら 善良そうな男性の店員の方が 「何をおさがしですか?」とたずねてこられた。

「粉の龍角散です」と僕が言うと。

「粉の龍角散は品切れです」と店員さんはおっしゃった。

「まあ こういうご時世ですから品切れもやむをえませんね」と僕は言った。

すると店員さんは「こういうご時世じゃなくて 中国でも まだ コロナは流行っているし 製造が 需要に追い付いてないということなんです」とおっしゃった。

「だから そういう状況を こういうご時世と 言うんですよ」と僕は店員さんに言おうと思ったけれど もう あほらしくなって 黙っていた。

無駄に せっかく声をかけてくれた店員さんの機嫌をそこねたくなかったし、、、。

よさそうな感じの店員さんだったから、、、。

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また 過日 ドラッグストアで 女性の店員さんに
「消毒用のスプレーは あそこの 端に ありましたが 除菌用のスプレーはありませんか ちょっと安いのを探しているので」と僕は言った。

すると 女性の店員さんは 驚いたような顔をして
「除菌用のスプレーって何に使うんですか?」と聞いてこられた。

そんなスプレーの用途までなんで答えなあかんの と 僕は思ってあっけにとられた顔をしていると その店員さんは
「除菌用のスプレーは せいぜい キッチンを拭くくらいにしか 使えませんよ」と言った。

「まあ キッチンを拭く程度です」と僕は言った。
除菌用スプレーでキッチンを拭いたことなんてめったにないけど、、、。

すると 店員さんは 除菌用のスプレーのある場所を教えてくれた。

その スプレーのパッケージには 「台所まわりの除菌 消臭」と書いてあった。

まさに 「キッチンを拭く」と店員さんがいったそのまんまだ。

もう 本当に 大きなお世話はやめてほしいと 思ってしまうのだけれど 例えば 僕が 飲食店などを経営していて トイレなどに その 除菌スプレーを置いていたら それこそ コロナのこのご時世に お店の 信用問題にかかわってしまう。

あそこの お店は コロナ対策ができていない などと、、、。

そういう意味で 女性の店員さんの アドバイスは 無駄では ないかもしれないけれど 
「何に使うんですか?」って 子供相手同様の質問を店員さんに投げかけられると ムッとなってしまう。

「消毒用ではなく 除菌用」 と僕が質問した時点で この人は 消毒と除菌の区別がついているのだから 余計なことは 言わない方がいい と判断してくださると ありがたいのだけれど お店の中を サンダル履きで  買い物している おじさんたちを見ていると 確かに 除菌と 消毒の違いなど 考えたこともない という 感じのおじさんが 多いことも事実であるように感じる。

大阪で こういう とんちんかんな 対応にあったことは ないというと ちょっと大げさだけれど この手の 大きなお世話 という 感じの 対応に会うことは 総じて田舎の方が多いように思う。

大阪に いたころも 梅田や 河原町よりも 高槻などで それも 駅から遠くて 地元のおじさん おばちゃん相手の店の方が こういう目にあう 確率は高かったように思う。

あと 京橋のドラッグストアにも ヨードがコロナに効くとか言う噂を聞いて 人が殺到していて ヨードは あっという間に売り切れ 店員さんはヨードの代わりと言ってアズレンのうがい薬を売っていたのに遭遇したこともあるけれど、、、。

でも 除菌用スプレーの用途を 僕に聞いてこられた女性の店員さんに 「靴の消臭 足の裏の消臭。 かゆいところに ちょっとスプレーすると ユースキンやオロナインより効果を感じる場合がある」 などと 僕の 本当の用途を話したら 店員さんは 目玉が飛び出すような勢いで怒り出すのではないかと 思ってしまう。

大体 男女の喧嘩の ひとつの原因は こういう 衛生管理に関する 問題である場合が多いように思う。

ただ、 コロナのおかげで 衛生管理の問題は ますます複雑になってしまったように思う。

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このように 女性の店員さんに 余計な世話をやかれる というケースが 僕の場合 比較的 多いような気がする。

いつか 百貨店に 母と行ったときに 僕が 床にしゃがんで 母の荷物の整理をしていたら 女性の店員さんが 飛んできて 「転びましたか 大丈夫ですか? あら 荷物こんな床の上に置いて 荷物 ここの 棚の上に置きますね」と言って 僕と母の荷物を商品の棚の上に移してしまった。

後で 僕が 「本当に あの店員さん 何を勘違いしたか知らんけど まったく 大きなお世話やわ」と言ったら 母は 「でも そんな風に 女性に飛んできてもらえるということは 本当になにか急病で倒れたときにも 女性に助けてもらえる可能性が 高いということだと思うよ」と言った。

まあ そういわれればそうかもしれない。

なにごとも プラスの側面を見るようにできれば いいとは 思うのだけれど、、、。

でも 本当に なにかと ややこしい 世の中 そして 規則や マニュアルに従うことが先行してしまって 何気ない 人と人との つながりが 薄れてしまっている時代でもあるな と思う。

ある方の本に (防犯ということばかりに意識が行ってしまって)「知らない人に声をかけられたら 無視しましょう という世の中もまた殺伐としている」という主旨のことが書かれていた。

それを読んだとき 本当にその通りだなと思った。

また さらに 次の世代の人が 今の世の中のシステムに 疑問を感じて それを 変革していってくれるといいな と思うし そうでなければ ならないようにも思う。

それは ともかく いちにち いちにち 無事に過ごせますように それを第一に願っていきたい。





 







ゴールデンウイークの風景

2023年05月07日 | 日記
5月5日に実家に行くと 五月人形が飾ってあり その前に置いてある台に 菖蒲とちまきが供えてあった。

飾りつけをしてくれたのは 母だけれど、、、。

菖蒲は アクアブルーの ガラスの花瓶に生けてあった。

やはり そういう 季節を感じるのは いいものだなあと思う。

五月人形は 僕が 小学生のころに 買ってもらったものだけれど いまだに 新品同様の感じがする。

保管の仕方がよかったのだろうと思う。

小学生のころ この五月人形をバックに 友達と写真を撮ったことなどを思い出す。

せいくらべ という童謡に 「ちまき 食べ食べ 兄さんが 測ってくれた 背の丈」というくだりがあるけれど 本当に 昔は そういう 子供同士の いわば 生の交流が当たり前だったなあと しみじみと 思い出す。

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母が 実家に 集まってくださった方々の前で 「昔は 本当に右へならえ という時代だったけれど 今は ともすれば 誰もが 自分が 一番 という時代になってしまった。 しかし 一番と言っても 結局その一番も その人の人柄で 評価されるのではないだろうか」という主旨のことを話していた。

わけが わかったようで わからないような 話だけれど 言われてみれば そんな気もする。

気づけば オリオン座も だんだん 西に移動して行って 今は 夜空を見ても オリオン座を見つけることが 全くできなくなってしまった。

もう 暦の上では 夏だなと思う。

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たぶん ベトナムの人が店員をしているコンビニで買い物をしたら 140円のところ 60円しか財布に入っていなかった。

「ごめんなさい お金が足りません。キャンセルしてください」と言ったらレジを操作してキャンセルしてくれた。

お金をおろしてきて また 同じ 商品を レジに持っていったら 「この自動支払機で払っておいてください」と言って レジを離れて棚の商品の陳列の作業をしに 行ってしまった。

たぶん お金が足りないことを 正直に申告したから レジを離れても大丈夫と思ったのだと想像する。

でも 日本人の店員だったら たとえ 大丈夫と思っても レジを離れないような気がする。

やはり ベトナムは インドシナ半島とはいうものの 大陸と陸続きの国 そういう意味で大陸的なのかなあと思う。


僕は 電車の 出発時刻が迫っているときなどをのぞいては 待つことには 寛大だ。

列に並んで イライラした様子を見せることは よほど 時間に追われているとき以外 まずないし そもそも 駅の売店などをのぞけば 時間に追われて 買い物などをすることはない。

最近 コンビニや ティスカウントストアーに インド人と思われる人も多い。

そして インド人と 思われる人は 僕の後ろに イライラした様子で 並んでいる人を見かけると 僕に それとなく 目配せして イライラした人の会計を 最初に済ませて それから 僕の会計をゆっくりしてくださる。

そういう インド人と思われる人に コンビニと ディカウントストアーで遭遇した。

つまり 複数のインド人が 僕に対して 同じ やり方をしたということだ。

でも たとえ 列の後ろに並んでいる人でも イライラしていそうだったら その人の会計を先に すませて イライラしていない人の 会計を 後回しにして ゆっくりとやる。

なんか よく わからないけれど それって インド人らしいなと思った。

なにしろ 牛が線路に寝転んでいて 脱線事故が起きる 国なのだから 列に ちょっと並んで イライラするという 気持ちが なかなか わからないのだと思う。

だから その人の会計を先に済ませて 僕を後回しにする。

でも そういう 後回しのされかたは 逆に なんだか うれしいような気がする。

それは ともかく いちにち いちにち 無事に過ごせますように それを第一に願っていきたい。