ケンのブログ

日々の雑感や日記

マスクも会話もずれている

2021年05月28日 | 日記
新聞にサラリーマン川柳の上位10作品が載っている。

僕の印象に止まったものを3つ

①会社へは来るなと上司 行けと妻

まあお父さんは家にいても粗大ゴミということなのだろうか。

亭主元気で留守がいいと思われている方が案外幸せかもしれないとも思う。

コロナで会社に来るなと言われても、それもつらいということもあるし。


②お父さん マスクも会話も ずれている

まあ、家族から、ちょっとお父さんはずれている、と言われるくらいのほうが、いいのかもしれないとも思う。

家族から口もきいてもらえなくなったら、逆にピンチかも。

僕の友達で、息子さんが大学で情報工学を学んでおられる人がいる。

その友達が僕に言った。
「息子に情報工学って何やと聞くと、息子は『お前にはわからん』と言って教えてくれないんだよ。それで、自分の部屋で情報工学とか言って一人でパソコンいじってるかと思うと、時々クスクスって笑い声が聞こえてくるんだよな」と。

まあ、親父も息子もそれぞれにずれていて、いい親子だなとうらやましくなってくる。

③お若いと言われ マスクをはずせない

まあね、マスクをしているほうが気分的に楽ということもある。なれてしまったし。

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ある方が、電子ピアノでサザンオールスターズのTSUNAMIを弾いてくださった。

弾いてくださったと言っても、左手で、簡単にコードを弾きながら右手でメロディを弾くという、まあ、本当にシンプルな弾き方だけれど。

ただ、そういう簡単な弾き方であるからこそ、この曲のコード進行がどんなに美しいかということが際立ってくる。

すごいな、と思う、日本のポップスというジャンルの音楽の中では、屈指の名曲だと思う。

まあ、それはともかく 一日いちにち無事に通れますように、それを第一に願っていきたい。





よみがえる思い出

2021年05月27日 | 日記
予備校に勤めていた頃、ある高校の入学式に、予備校の案内物の配布に行ったことがある。

駅前で配るテッシュペーパーのような感じで、入学式のために校門に入っていく生徒に予備校の案内物を配る。

学生のアルバイトの男の子と、僕と二人で行った。

その配布(手配り)が終わって、周りのゴミを集めて帰り道でアルバイトの子が僕に言った。

「今日、手配りした高校、賢い高校ですか」と。

その高校は、その地域の中では、学力が割と高い子が行くという感じの公立高校だった。

それで「そうやで。この地域ではまあ賢い高校やで」と僕は言った。「でも、なんでそれがわかったの?」と続けた。

すると、そのバイトの男の子は一言「服装の乱れたやつが一人もおらん」と言った。

男の子らしい短い一言だったから逆にインパクトがあった。

「そうか、それでわかったんか」と僕は感心したように言った。

本当にある意味、男らしい観察力だなと思った。

今日、幹線道路の歩道を歩いていたら、寄り添ってあるく、高校生のカップルとすれ違った。

それから、また50メートルくらい後方から歩いてくる高校生のカップルと、すれ違った。

二組のカップルとも制服をきちんと着ているという感じだった。

僕は「服装の乱れたやつが一人もおらん」というあの時のバイトの子の言葉を思い出した。

そして、僕も、きっとそこそこ賢い高校のカップルなんやろうなと思った。

でも、この地域の賢い高校って?とその次の瞬間に考えている自分に、やっぱり、勤めていた頃の考え方のくせがいまだに抜けないんだなと思ってしまう。

でも、こんな、雨模様の日に高校生がカップルで歩いて、どんな気持ちなんだろう、と思わず想像してしまう。

まあ、うらやましいといえばうらやましい。

この年頃でないと味わえない感覚があるから。

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ヤクルトスワローズの青木選手が日米通算2500本安打を打ったと新聞に出ている。

そんなに派手さはないのにすごいなと思ってしまう。

2000本安打を達成した選手は50人以上いたと思うけれど2500本となると青木選手を含めて過去に11人しかいない。

2000本からのプラス500本がとても困難ということなのだと思う。

新聞に過去に2500本安打を達成した選手11人全員の名前が載っている。

こういう機会にそういう名前を見るのも楽しみの一つ。

本当にどの名前を見ても、名選手、大選手という顔ぶればかり。

そのなかに門田博光という名前がある。

懐かしいなと思う。

確か1988年、つまり昭和最後の年、そして、南海ホークスと阪急ブレーブス最後の年に僕は西宮スタジアムに阪急 対 南海の試合を見に行った。

当時南海ホークスに所属していた門田博光選手の打った打球が西宮スタジアムのライトスタンドの銀屋根にワンバウンドして夜空の場外に消えていったときの美しさを僕は今も忘れることができない。

人生で、一度だけ見た場外ホームランがとても美しかったというのは幸せなことかもしれない。

今は、あのあたり、芸術センターとかあるんだなと思う。

本当に西宮北口の駅をおりてダフ屋のおばちゃんに、「内野特別席安いよ」と声をかけられてそれを信じて買ったら、甲子園で言うアルプススタンドにあたる位置の席で、とても試合が見にくかった。

それ以来、タフ屋からはチケットを一度も買っていない。

しかし、最近、野球、見に行ってないけど、今でも「余れば買うよ、なければ売るよ」と言っているおじさんや、おばさんっているんだろうか。それともダフ屋もネットになっているのか、本当にそれもわからないくらい最近、野球、見に行ってないなと思う。

まあ、藤井寺とか、西宮とか、僕の好きなタイプのスタジアムがなくなってしまったせいもあるかもしれない。

それは、ともかく、一日いちにち無事にすごせますように、それを一番に願っていきたい。






肌寒い一日

2021年05月26日 | 日記
曇り空の一日。案外、肌寒いと感じる。

大阪の緊急事態宣言が延長と新聞に出ている。

またか、とも思う。仕方ないかとも思う。

ただ、延長という事実より、具体的にどのような制限を受けるのかということのほうがむしろ気になるようになってきた。

長引く緊急事態による気持ちの変化だなと思う。

ワクチンに関して、僕が購読している新聞は、基本的にはワクチンの接種が急がれるという論調になっている。

ノーベル賞の山中教授が、ファクターX も新型には効果がうすい というような独特の表現をしておられる。

ファクターXって、ちょっとふざけた言い方のようにも思うけれど、代数で未知数をXと置く発想なんだろうなと、僕の足りない頭で捉えると、それはそれなりに納得がいく。

それが、何であるかはわからないけれど、それはある。という発想だと思う。

あるいは、それが何であるかはわからないけど、それがあることは確かなようだ という発想なのだと思う。

まあ、そういう発想ができるからノーベル賞をとるようなところまでいけるのかな、とたりない頭で想像してみたりする。

神とか霊とかそういう形而上のものも、なんであるかはわからないけれど、あることは確かだと信じるかどうかという問題と捉えることもできると思う。

信じ切っている人には、それがなんであるかわかるということもあるかもしれないけれど。

ちょっと話がそれてしまったけれど、その山中教授もワクチンが決め手というようなことを新聞のコラムに書いておられると、ワクチンに関して心配性な僕でも、うーん、山中教授がおっしゃるのなら、、、と思ってしまう側面がある。

やはり、誰が言っているかというのは大切かなと思う。

できれば、あの人の言うことだったら耳を傾けてみようと思われたらうれしいけれど、そういうこだわりもとっていければいいなとも思う。

人の話に耳を傾けることはもっと大切とも思う。

それもなかなか簡単なことではないけれど。

一日いちにち無事に通りますように、それを第一に願っていきたい。

駆け込み乗車

2021年05月25日 | 日記
僕は、走るのが速いわけではないけれど、走ったり歩いたりしていて、急にピタッと止まる筋肉はなぜか割とあるようだ。

例えば、スーパーマーケットで前を歩いているおばちゃんが急に止まったので僕も急に止まると、後ろを歩いていたおじさんに追突されたことがある。

また、大阪、下町の商店街で、ちょっと、ある看板に目が止まったのでピタッとそこで止まったら、後ろを歩いていたおばちゃんに追突された。

自動車の追突というのはあると思うけれど、歩行者どうしの追突って、そんなにないと思う。

つまり、僕が歩いていて、急に止まるのが、得意ということなのだと思う。

まあ、そんなことが得意でも何の自慢にもならないと思いつつ自慢しているけれど、、、。

先日、普段、あまり乗らない、地下鉄の路線に乗ったとき、僕がホームに降りると電車が停車していた。

普段、乗らない路線なので、その停車中の電車が、僕の目的地に向かうものなのか、目的地の反対に向かうものなのかわからなかったけれど、電光掲示板を見たら、僕の目的地に向かうものだったのであわてて飛び乗ったら結果的に、駆け込み乗車ということになってしまった。

電車に駆け込んで、駆け込んだ瞬間に、ピタッと車内で止まって、心の中で「やった。着地成功。コマネチ10点満点」と思って自己満足に浸っていたら、車内アナウンスで「危険ですので、駆け込み乗車はおやめください。駆け込み乗車は、危険である上に、電車の遅れの原因ともなります。駆け込み乗車はおやめください」と3回くらい繰り返した。

僕、車掌さんのいる最後尾に駆け込んだわけでではないけれど、なんだか、車掌さんが、車内モニタで僕のことを見ていて、僕に当てこすりでいっているような執拗な繰り返しだった。

怒りを込めた当てこすりと言うよりも、ちょっとユーモアのある感じの当てこすりだったけれど、、、。

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今日、私鉄の駅で、おばちゃんが発車間際の電車に向かってダッシュしていった。

これは完全な駆け込み乗車だ。

おばちゃん、危ない、と僕は思った。

けれども、そのおばちゃんは、ちょっと違った。

確かにダッシュしていたけれど、電車のドアに向かって一目散にダッシュしているのではなく、ホームで、電車のドアの開閉をチェックするかかりのアルバイトの男の子に向かって言葉ではなくてゼスチャーで、「お兄ちゃん、電車止めといて」という合図を送りながらダッシュしていた。

なので、ホームのドア係のお兄さんが電車のドアに手を添えて、ドアが閉まらないように、力を加えていた。

なので、駆け込み乗車の割には、おばちゃんは、危険なく電車に乗ることができた。

なかなか、味のある駆け込み乗車だなと思った。

こういう機転って、利きそうでなかなかきかないように思う。

やはり、駆け込み乗車にも、才能を発揮する人がいるんだなと思った。

まあ、それでも、おばちゃんならではの才能だとは思うけれど。

男ではなかなかこういう才能は発揮できない。

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電車の話題を書いたので過去の思い出をひとつ。

かれこれ20年以上前に、JR鹿児島の駅で、きっぷを買うかなり長蛇の列ができていたことがある。

そうしたら、駅の係員が「宮崎の方に行く人はこちらにお並びいただくと早いです」と宮崎の方、専門の列に並んでいる人を誘導していた。

そのとき僕は霧島神宮に行こうとしていた。

霧島神宮は鹿児島から見ると、宮崎の方向にあたる。つまり、簡略に言えば霧島神宮は鹿児島から宮崎の方にあたる。

それで、僕はその指示どおりに宮崎の方の列に並んだ。

そして僕の順番が回ってきたとき、駅の係員は僕に宮崎行きのきっぷを渡そうとした。

それで、僕は「僕の行き先は宮崎ではありません。霧島神宮です」と言った。

すると駅の係員は「宮崎はこちらに並んでくださいと私、言いましたよ。霧島神宮だったら、もう一度お客さんあちらの列に並んでください」と言って、僕がもともと並んでいてかなり前の方まで進んでいた列の最後尾に、もう一度僕を、並び直させた。

「お前、宮崎ではなく、宮崎の方と言ったじゃないか。霧島神宮は鹿児島から見れば、宮崎の方に当たる。だから僕はお前の指示どおりに、こちらに並んだんだ」と言い返してやろうかと思ったけれど、その駅の係員の顔を見ると、「宮崎の方」と「宮崎そのもの」の言葉の意味の違いがわかりそうな顔をしていないし、気が短かそうで、申し訳ありませんという言葉を知らないタイプの人だと直感的にわかったので、喧嘩するだけアホらしいと思って、もともと並んでいた列の最後尾にもう一度並び直した。

まあ、宮崎の方、と言われて宮崎方面と解釈する僕も、変といえば、変かもしれないけれど。

本当に、人間、何がまともで、何がまともでないか、状況や、属する集団によって違ってきたりする。

まあ、そういうのはお互い様という考えを大切にしたいとは思う。


とは言うものの、コンビニで、僕が間違った列に並んでいて、レジの女の子が不慣れでおとなしい子だったらしくて、僕の間違いを指摘できなくて、僕の順番が来たときになって、はじめて小さな声で「あちらに並び直してください」と言ったことがある。

あのときは本当に頭にきて、「それなら、もっと早く言ってくれよ。こうして時間をくっているうちに、あちらの列もどんどん長くなってしまったじゃないか」と言って、僕はレジに商品をたたきつけて、買わずに店を出てしまった。

電車の時間を気にしながら並んでいたので、あのときは、クソーという気持ちを我慢できなかった。

ところが、その日は地震で、駅に行ったら電車は止まっていた。

通りで、コンビニに異様に長い列ができているはずだと思った。

僕は、テレビをほとんど見ないし、ネットのニュースもそれほどまめにチェックしないので、こういうときはどうもトンチンカンなことになってしまう。

それから、しばらくのあいだ、僕がそのコンビニに行くと、店員さんが、ちょっと緊張している感じだったし、それからしばらくして、そのコンビニの床には、並び方を示すマークが施された。

まあ、今はどこのコンビニにもあるマークだけれど、、、。

ただ、そのときはレジの子が不慣れでおとなしい子だったのは事実なので、それからは僕はそのコンビニでは、なるべく品行方正にするように努めているつもりだ。

腹が立って、我慢できる時も、できないときも、その時どきの状況によるなと思う。

まあ、腹を立てないに越したことはないけれど、、、。

それはともかく、毎日無事にすごせることを一番に願っていきたいと思う。






知らぬ間に世の中動いている

2021年05月23日 | 日記
僕の自宅マンションの近くにたぶん昭和40年代に建ったマンションがある。

そのマンションの横の通り道には桜の木もあって通り抜けるのが楽しみだった。

若いママが、井戸端会議をしていることも、ままあった。

一ヶ月くらい前からそのマンションの側道が通行止めになった。

理由はわからないけど、なんしか通行止めだからとそこを通らないでいた。

一週間くらい前に、その通行止めの仕切りの脇に少し隙間ができていた。

通れるものなら、マンションの側道を通ったほうが少し駅に近道になる。

それで、その隙間をかいくぐってマンションの側道に入った。

すると、そのマンションの階段がベニヤ板で塞いである。

あれ、と思ってみると、マンションにはもう誰も住んでいなかった。

本当に、この春先までは若いママが井戸端会議をして、子供も三輪車に乗っていたりしたのに。

いつの間にみんなマンションを引き払ったんだろう。

すぐ近所のマンションなのに気づかなかった。

もし、女性と一緒に暮らしたりしていたら、女性の情報ネットはすごいから、僕もなにかわかったかもしれないけれど、こういうとき独り身の情報のなさを感じるなと思う。

しかし、マンション一棟まるごと人がいなくなるのに気づかないなんて都会生活の盲点だなとも思う。

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僕の近所の水田の田植えにはかなり時間差があって、もう田植えが終わっている水田もあれば、まだ、準備中のところもある。

そんなこともあって、歩いていると結構、水田に目が行く。

何日か前にJRの駅の山側の水田はどうだろうと思って見ると水田はもうなくて、盛り土がしてあって、ブルドーザーがその脇に止まっている。

ああ、この何年か、市民の草の根団体の人が、駅の山側の開発反対と言っていたのはこのことかと今さらのように気づく。

しかし、どうなんだろう、僕の住んでいる町をこれだけ開発して、しかるべきマンションの入居率になるのだろうか。

エビデンスは何もないけれど、直感的に、難しいような気もする。

まあ、こればかりは、やってみなければわからないけれど。

しかし、田んぼのあぜ道を通って、高速道路のすぐ近くにある高校に通う高校生を眺めるのが好きだったので、残念と思う気持ちはある。

最近、僕の住む街に私立高校が一つ移転してきて、公立高校とはちょっと違う方向からやってくる高校生はよく見かけるようになったけれど。

しかし、宅地開発がなされていても、どうも今ひとつと感じてしまうのは、僕の今の時代に対する気持ちが影響しているのだろうか。

そんな気もする。

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五輪選手のコロナワクチンの接種に関してある競技団体幹部のこんな談話が新聞に出ている。

「(ワクチンの)将来のリスクなど細かい説明はなく、『すぐに回答を』という感じだった」と。

本当に、これも今のすぐに回答を迫る世相を反映した言葉だなと思う。

すぐに回答を迫られるといえば僕にとってはアプリもその一つ。

僕が、アプリに関して、どうもあまり積極的になれないのは、アプリを入れようとすると、次の〇〇に同意しますかということをアプリが聴いてくることが多いということもある。

もう老眼やし、画面でそんな同意すべき規約の文章読む気力ないし、でも同意する とすぐにタップしないと、アプリの画面が先に行かないし、それでアプリに登録して、何かあった時に「あなた、このリスクがあることについては同意してますよ。ちゃんとアプリで同意したことになっています」と言われたらどう抗弁したらいいのかわからないというのも一つある。

まあ、駐車場に「無断駐車は罰金2万円」と張り紙をしたら、それだけで2万円の請求の正当性を法的に認められるほど、世の中、単純ではないので、アプリの同意もいざとなったら開き直って裁判に訴えてくださいと言ってもいいのかもしれないけれど、、、。

そんなこと言う勇気があるかどうか、、、。

もちろん、スマホを持ってないので、タブレットにアプリを入れて、お店で、しゃがんでリュックをあけて、タブレットを取り出して、うーん えーと とやっていると、受付に並んでいる人の列の邪魔だし、自分自身もそれでストレスということもあるけれど、、、。

何かとややこしい世の中だけれど、一日いちにち無事に過ごせますように、それを第一に願っていきたい。