ケンのブログ

日々の雑感や日記

名古屋フィルの定期演奏会を聴きに行く(518回)

2023年12月17日 | 音楽
12月9日愛知県立芸術劇場コンサートホールに名古屋フィルハーモニー交響楽団第518回定期演奏会を聴きに行く。

指揮は沼尻竜典さん

最初に演奏されたのはベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番

ピアノは清水和音さん。

この曲は第一楽章はピアノがこの楽章全体を支配するリズムで和音を印象的に奏でる開始の仕方になっている。

たぶん 和音さんは椅子に座って一呼吸置かれてから演奏を始められるのでは と思っていたら 僕の感覚から見ると もうステージにすたすたと歩いて出てきて そのまんまの勢いで演奏を始められるという印象だった。

できれば 曲の最初は 演奏者の動きに注目したいと思っていたのだけれど 僕が注目する前にもう演奏が始まっているという感じだった。

その始まり方に接して 若いころの清水和音さんが テレビで 女性アナウンサーに 「大勢の人が聴いているコンサートホールで ステージに出ていくときは怖くないですか」と問われ 「そりゃ怖いですよ」と答えれらたときのことを思い出した。

それで女性アナウンサーが和音さんに「怖いときはどうするんですか」と尋ねると、和音さんは「そりゃ もう 怖いまま出ていくんですよ」と答えられた。

まだ 和音さんがデビュー間もないころの僕の記憶だけれど もう そのまんま という和音さんの回答に なんか 感じのよさそうな人 と思った。

そして 「怖いときは怖いまま出ていく」 という若き日の清水和音さんの言葉はなぜか僕の心の中に格言のように箴言のように刻まれている。

実践できているかどうかとなると 話は別だけれど、、、。

演奏は どんな演奏と言葉で形容するには もうコンサートの日から 日数が経過して記憶が薄れてしまっている。

ただ 第三楽章で ビオラがこの楽章の主要テーマを滑らかに奏でる場面があるのだけれど そこで ビオラに対してチェロが一人だけで合いの手を入れているのが印象的だった。

このテーマをビオラが滑らかに奏でる場面は僕は昔から好きなのだけれど そこに チェロがあんな風に絡んでいるというのは 生演奏で ステージを見ながら聴くことで初めて気づいた。

その他にもチェロが一人だけ奏でるという場面か第三楽章には かなりあって ピアノとチェロの掛け合いも僕にとってはとても興味深く感じられた。

やはり 中学生くらいのころからレコードで聴いている曲でも生演奏で聴いてみて改めて気づくことが多いなと感じる。

アンコールで和音さんはショパンの「英雄ポロネーズ」を演奏してくださった。

これも、さあアンコールですよ という感じではなく 和音さんはトコトコとステージのわきから出てきて 椅子に座って すぐに弾き出す という感じだった。

曲の中間で、ウィキペディアの楽曲解説に「トリオではホ長調に転調し、左手のオクターヴ連打の上にメロディーが現れる」と書いてある場面がある。

和音さんの演奏は この連打がとても執拗で 聴きながら 例えばショスタコーヴィチの交響曲第7番の第一楽章で ラヴェルのボレロのように 同じメロディーを執拗に繰り返す場面などを 思い浮かべた。

なんだか あの 執拗さには 「負けてたまるか」というような感じが出ているように僕には思えた。

考えてみれば 今 紛争が続いている ロシア ウクライナの すぐ近くにショパンの故国ポーランドはあるんだな とそんなことを演奏を聴きながら考えていた。

20分の休憩をはさんで
次に演奏されたのはシュミットの交響曲第2番

これはたぶん 録音 ライブ通じて 僕にとっては初めて聴く曲だ。

なので 記憶に残っていることは少ない。

ただ、第二楽章の冒頭から出てくる 木管のコラール風の旋律を聴きながら ブラームス交響曲第3番の第三楽章の冒頭で出てくるやはり 木管のコラール風の旋律がどこか心の中でかぶってきて なんともしみじみとした気分になった。

あと どの楽章か忘れてしまったけれど 弦楽器の音が細かく動くところで チャイコフスキーの弦楽セレナードを思い浮かべながら聴いていた場面があった。

初めて聴く曲に接すると どうも 過去に自分がきいた曲を思い浮かべてしまう傾向が最近の僕にはあるようだ。

歳をとった証拠だとは思うのだけれど。

今年最後の定期演奏会だったけれど 特に清水和音さんのピアノを聴けたことが僕にとってはうれしかった。

それはともかく いちにち いちにち 無事でありますように それを第一に願っていきたい。



冬の一日

2023年12月04日 | 日記
かなり寒さが厳しくなっている。

もう気温が10度を切ることは珍しくなくなった。

セーターを出してみたら 虫が食っていない。

防虫剤を入れるのを忘れていたのでラッキーと思った。

ところが 洗濯機のおしゃれ着洗いモードで洗い 干してみると 穴が空いている。

おしゃれ着洗いモードで洗って穴が空いたわけではなく ちょっと見て気づかなかった穴に洗って干すことで気づいたというわけだ。

僕もこの年まで生きているので 虫食いの穴とそうでない穴とはなんとなく区別がつく。

やはり 虫が食っていたか、、、。

まあ 防虫剤も入れずに つくねておいたら虫が食わない方がおかしいけれど。

それでユニクロにまたセーターを買いに行く。

斎藤佑樹君がユニクロのセーターのモデルになっていた。

やっぱり斎藤佑樹君 結構胸板も厚いし 骨太の身体に見える。

そうか このセーターのロールモデルは骨太かと思った。

それで 僕は もっと細身のラテン系の男の人がモデルになっている方のセーターを買う。

何となく そちらは 綿とポリエステルの合成で 虫に食われる確率も低いと思ったし、、、。


綿でも油断すると虫が食うけれど、、、。

その足で 牛丼チェーンで牛丼を注文。
先に来たお客さんがタブレットで注文していたのでこの店はそうなのかと思い僕もタブレットで自動注文した。

座席にもっていって 食べようとすると 店員の女の子が 「座席で食べると消費税が10パーセントになります」という。

「じゃあ勘定やり直してください」と僕。

すると 女の子は店長を呼んできた。

「お客さん ここは テイクアウト専門店なので 機械で注文すると自動的に軽減税率が適用されます。でもお客さんに損はさせません」と店長は言った。

損って どこが損なの と 僕は思った。

10パーセント消費税を払うところを8パーセントしか払ってなかったら僕は2パーセント脱税したともいえるし また2パーセントの不当利得を得たともいえるだろう。

その2パーセントの税金を払ってもそれは損にはならない。

払うべき税金を払ったことになるし 不当利得を得ている状態を解消したことにもなる。

どの角度から考えても 損とは言えないように思う。

僕が そんなことを考えながら  不思議そうな顔をしていると 女の子の店員さんが「お客さん どうぞ 座席でこのまま 召し上がってください」と言った。

やはり お店としても このまま 勘定しなおして 2パーセントの税金を払わせるのは気が引けたのかもしれないし それをすると 機械の操作が煩雑になるのかもしれない。

後者の可能性が圧倒的に高いと思うけれど。

こういう時に 関西人ならば大概は 「お客さん もう 今回は このままに しておきますわ。次からは中で食べるときは 10パーセント払ってくださいね。 今日はお勉強しときます」という発想になるはずなのだけれど、、、。

長年 関西に すんでいたので こういう時に 僕は ドーっと心が落ち込むほどのカルチャーショックを受けてしまう。

やっぱり ここは 田舎なんだなと思って。

それで僕は食事の途中でもう一度店長さんを呼んでもらって 「次からは 中で食べるときはあらかじめ申告して 10パーセント払いますのでね」と言った。

すると 店長さんは「そうです だから 自動で注文すると機械が8パーセントの消費税でカウントしてしまいますので、次回からは 直接カウンターで口頭で申し出てください」と言った。

何か 変な店長さん と思った。

損はさせない という店長さんの言葉が気になったから 払うべきものは払うと申し出たのに もう 損はさせないと自分がいったことは忘れているか 普段から店長さんはそういう物言いが習慣になっているから 僕は 次回からは払うと言った意図に気付かなかった可能性が高いと思う。

「電気とガスとまとめてお得」とかそんな言葉ばかりが頭にインプットされていて 納税は憲法に記された国民の義務ということは インプットされていないか あまり意識していないので こういうことになると思う。

国民の教育水準がさがっているとよく言われるけれど 教育水準がさがるとモラルも下がるのだなと思う。

民主主義が成り立つためには教育水準の高さを保つことが必要という話を聞いたことがある。

教育水準が低いと 国民のひとりひとりが政治的判断をできないから、、、。


本当におかしな世の中になってしまっているような気がする。

それはともかくいちにち いちにち 無事に過ごせますように。それを第一にねがっていいきたい。