ケンのブログ

日々の雑感や日記

天然ボケ

2019年10月30日 | 日記
朝、浜村淳さんのラジオを聴いた。東京ラブストーリーという30年近く前のテレビドラマの話題になった。「あのときの鈴木保奈美さんは本当にショートヘアでカッコよかったです」と浜村淳さんが言った。「あのとき保奈美さんは髪長かったですよ」アシスタントの鳥居睦子さんが言った。「そうですよ。あのときは髪長かったです」と若手のアシスタントの女性も言った。

浜村さんしばらくポカーンという感じになってしまって言葉が出てこなかった。ラジオの音声が空白になってしまった。そして、浜村さんは気をとりなおしたように「なんであんた若いのに鈴木保奈美さんが髪長かったって知ってるの?」と若手の女性アシスタントに言った。「再放送見ましたもん」とそのアシスタントは答えた。「そうか再放送見たんですね」と浜村さんは言った。

僕も東京ラブストーリーは見てなくて、それでも90年代の鈴木保奈美さんはショートカットのカッコいい女性というイメージを持っていたので浜村さんにだまされるところだった。

それにしても浜村さん天然のボケで本当にいい味だなと思う。自然体でいるから天然のボケも出るしミスしたら若い子にすぐフォローしてもらえるのかなと思う。きっとそれが浜村さんが80才過ぎても毎朝、生放送を続けられる秘訣なのだろう。僕もあやかりたいと思うのだけれど、、、。

保奈美さんって浜村さんから見れば娘くらいの年齢だけれどそういう人のこと素直にカッコいいと言えるところもなんか尊敬してしまう。

新聞を見ると東北本線が全線17日ぶりに開通と出ている。台風19号の影響で線路の敷石が流れてしまい運転できない区間があったという。本当に鉄道って何かあっても必死になって復旧してしまうところがすごいと思う。

新聞には福島県の須賀川駅のホームに電車が到着した瞬間の写真が出ている。普段、大阪にすんでいるとなんか片田舎の駅のよう見える。

ホームから電車に乗ろうとしている人の姿を見ると今、大阪の町を歩いている人よりも厚手のコートやブルゾンを着ている。東北だから寒いんだと思って須賀川の昨日の気象情報を見ると最高気温は14度、最低気温は9度となっている。大阪で言えば十一月下旬から十二月上旬くらいの感じだろうか。

しかし、大阪なら十二月の初旬頃はもっと多くの人がマフラーをしていると思うけれど福島県須賀川の写真を見るとマフラーをしている人はいない。やはりもっと厳しい寒さが待っているからこの程度の寒さではまだマフラーをしないのだと想像する。身体が寒冷な気候に慣れるということなのだろう。また、福島や千葉にも平穏な生活が戻るようにと願う。

僕の自宅最寄り駅前の桜の葉がすこしだけ紅に色づいてきている。大阪でもだんだんこれから紅葉の季節になっていくのだろうと思う。

 


お互いに安全に

2019年10月29日 | 日記
新聞を見ると自転車に乗りながらスマホを操作していて重大事故につながることがあるという記事が出ている。


本当にスマホを操作しながら自転車を運転するって怖くないのかと思う。僕はスマホを見ながら自転車を運転したりすることには臆病な方だ。それと、自転車でスピードを出して飛ばすことにも臆病だ。


僕は岐阜県で小中高等学校とすごしたのでよく友達と自転車で遠出をした。あるときM君とS君それに僕の三人で自転車で山あいの村へ行った。山あいに行く道は坂が多いので下り坂になるとM君はほとんどブレーキをかけずにまるで下り坂の等加速度運動に身をゆだねるかのようにぐんぐん自転車を加速していった。


S君は積極的に自転車を加速したというわけではないがまあM君が走るならということでS君も自転車を加速していった。僕は下り坂だからといって自分が普段出さないような速い速度を出すと取り返しのつかないことになりそうで怖かったので「おーい、待っとってくれえ、スピード出しすぎや」と先に行った二人を呼ばった。

しかしM君はなかなか自転車の速度を落としてくれない。S君もM君についていく。僕が後ろから呼ばるとM君はますます面白がって自転車を加速させているようだった。


さいわい山あいの下り坂はそんなに長く続くわけではないので下り坂が終わると僕はM君とS君に追いつく。しかし下り坂になるとまたM君は自転車を下りにまかせて加速するので僕はまた「おーい、待っとってくれえ。スピード出すぎて怖いんや」と言った。それでM君は速度を落としてくれると思ったが逆だった。
「なんやお前こんなこと怖いんか」といってますます面白がって自転車を飛ばすという感じだった。


もうこれはあかんと僕は思った。ここまで必死にM君とS君を追いかけてきたけど、よく考えればここは山道だからまっすぐに引き返せば一人でもとの場所に戻れるんや。冷静にならなあかん、と思った。


僕は小学生の頃から一人で電車に乗って神戸までいったりしたいたけれど、やはり必死で友達を追いかけていたのでそんなことにも気づかなかった。集団行動のなかでいじめの深みにはまるときというのはきっとこういう思考の盲点というのがあるのだろう。


そして次の坂でM君、S君に引き離されたタイミングで僕は黙って道を逆の方に引き返した。ずっとまっすぐ戻ってくるとやがて僕がすんでいる町の市街地のはずれに出てそこからは見覚えのある道だったので無事に家に帰ってきた。


まあ、いまから思えばあれはちょっとしたいじめだった。いじめた方は軽い気持ちなのだろうがいじめられた方は40年以上たっても覚えているということがある。やはり安易に他人をいじめるのは慎むべきだ。


スマホと自転車の話がとんでもない方にそれてしまったが、下り坂で飛ばしすぎると危ないのと同じように、スマホを見ながら前方不注意だと取り返しのつかないことになるという危機感があればスマホを見ながら自転車を運転することが怖くなるはずと思う。


スピードについてもそう。速度が2倍になるとぶつかったときの衝撃は2の2乗つまり4倍になる。ぶつかったときの衝撃は速度の2乗に比例する。なので20キロの速度でぶつかったときの衝撃を2の2乗の4とすれば30キロメートルの速度でぶつかったときの衝撃は3の二乗の9になる。


こういうことを意識しているだけでも安全運転につながると思う。あと、僕は前方からスマホを見ながら歩いてくる人を見たときにはその人がこのままいけば進むであろう進行方向のなかには入らないように心がけている。お互いに気をつけてなるべく安全にすごしたいものだと思う。


車での移動

2019年10月28日 | 日記
新聞を見ると千葉や福島県の豪雨でなくなった方の半数が車の中でなくなったと出ている。この記事に自動車は水深30センチの水で巻き上げる水がエンジンルームに入ってエンジンが停止する可能性がある。水深60センチだとしばらく走ってやがてエンジンが止まると書いてある。ということはもう歩いていて足の甲が覆われるくらいの水深になったら車は降りなあかんということなのかと思った。

水深30センチでエンジンが止まる可能性があり60センチでは止まると書いてあるのだからやはり新聞の記事を書く人は文章の論理構成がしっかりしているなと思う。止まる可能性があるという状況と可能性というよりもむしろ普通に止まる水深の場合わけがちゃんとわかるように書いてあるから。

ずいぶん昔に、雷の時は車の中に入ると安全とテレビでやっていた。雷が車の金属製の部分を伝わって地面に逃げるのでいわば車がアースのような役割をはたして安全と言っていた。それはうそではないと思うのだけれども水には車は弱いということを心に留めておきたいと思った。

車でなくなる人が多いと聞いて東北大震災の時の津波の映像でほんとうに車がいともたやすく水の中に巻き混まれていったことを思い出した。僕はちょっと怖いもの見たさのところがあってあのとき津波の動画をけっこう繰り返して見ていた。

だれが動画をネットにアップしたのか知らないがあの当時、津波の映像をユーチューブで見ると次の動画という画面にしばしば菅原洋一さんが歌うサザンオールスターズのTSUNAMIという歌がアップされていた。

それは菅原洋一さんが必要最小限の静かな伴奏でしっとりと歌ったものでその歌を聴くと妙に心が落ちつく気がした。歌もアレンジの仕方や歌いかたによってずいぶん印象が違うのものだと思う。

僕はいま車を所有していないので車で出ていって遭難してしまうという心配はどうやらなさそう。しかし、台風がきていてもまあちょっとくらいええやろうと思って近くのコンビニとか行ってしまうくせがあるので気をつけなくてはと思った。

関西にいても家族が千葉や福島におられるというかたは本当に関西よりも現地のニュースの方が気になってしまうところだと思う。こ

最近読んだ本に例えば森林をつぶしてそこに太陽光パネルをしきつめるといままで森林が熱を吸収していたのに太陽光パネルは熱を反射してしまう、そして上昇気流が起こって地球の温暖化に一役買ってしまう。というようなことが書いてあって、いや、その可能性はおおいにあると思った。

また、太陽光パネルは太陽光発電をしているので水に濡れたときにへたに絶縁していない手でさわると感電の可能性があるということもその本に指摘してあった。今回の豪雨で太陽光パネルの屋根から水か漏れるという被害を新聞で読んだときに、屋根の修理は慎重にするに越したことはないと思った。

洪水の被害にあう可能性を少しでも低くするためになるべく割り箸をつかわないとか環境に配慮した生活も大切なのではないかと感じる。




人工知能の音楽

2019年10月25日 | 音楽
昨日は随分雨が降り、今日も曇り模様のお天気になっている。
おかげで気温が随分下がった。
僕は動くとわりとすぐに暑くなる体質だけれど
暑いと思って脱いでじっとしていると
まもなく寒くなってまた着ると言う状態になっている。
脱いだり着たり忙しい季節だなと思うけれど
それでもやはりだんだん寒くなってくるんだなと
かなりリアルに思えるようになった。

昨日ラジオを聞いていたら美空ひばりさんの晩年の
ヒットソングの作詞をした方がプロデュースして
人工知能によってひばりさんのすがたや
歌声を再現するという試みがなされたのだという。
もちろん人工知能を実際に運用するための
実験としてこのようなことをするのは
大切と思う。
このような試みで明らかなった事柄を
もとに人工知能を改良しより役立つものにするということは
学問の進歩のためには欠かせない。
しかし、なんか一方でそんな人工的に
再現されたひばりさんを見るのもなんか
味気ないだろうなと想像してしまった。

何日か前にブルーノ ワルターという指揮者が
1950年代にブラームスの交響曲第2番を
ニューヨークフィルと演奏して録音したCDを聴いた。
この時代の演奏ってワルターのものに限らず
今と比べると随分思いきった表現のものが多いように思う。
音が乱れるのを恐れて小さくまとまるよりも
しっかりと演奏しようという気迫が感じられて
なんとも言えない気持ちになる。
それに、言うまでもないことだけれど
この時代のニューヨークフィルは結構うまい。
第四楽章の気品と気迫が共存した演奏を聴いて
僕が小学校5年生くらいの時にこのレコードが
廉価版で発売され、その帯に
「第四楽章の圧倒的迫力に接した聴衆は
ワルターを女性的と評することがいかに不当かを知るであろう」という感じの
キャッチコピーが書かれていたことを思い出した。
レコードのキャッチコピーって
宣伝のためのものだから内容はあてにならないけれど
あのときのキャッチコピーは本当に
演奏そのものをよく形容したものだったなと思う。
それにコピーの表現に時代が感じられる。
ちなみにこの当時、オイルショックの影響で
1000円で買えた廉価盤が
1200円に値上がりしてしまった。
それこそ僕にとってはショックだったから
そのことはいまだに覚えている。
しかし、現在でも1950年代の音源のCDは
だいたい1200円くらいで買えるから
そういう意味ではCDも安くなったものだなと思う。
もちろんこれはクラシックやジャズの録音の古いものに
限った話かもしれないけれど。

一流の指揮者の交響曲の演奏は
おとの数が多いしニュアンスは微妙だし
これを人工知能で再現というのはナンセンスなんだろうなと思う。




東京大学音楽部管弦楽団サマーコンサート2018 8月5日 ザ シンフォニーホール

2019年10月23日 | 日記


昨日8月5日はザ シンフォニーホールに東京大学音楽部管弦楽団サマーコンサート2018を聴きに行った。
シンフォニーホールからの案内をみて早めに前売り券をかったのだけれど当日ネットを見るとチケットは売り切れ、当日券は出ませんとなっていた。
ええ、アマチュアのコンサートでそんなことあるの?と思った。
まあ、自由席やし、チケット売り切れいってもタダ券もらって
実際には会場に来ない人もあるし、と思ってちょっと余裕を
かましていた。
会場には30分くらい前に行ったけれど、余裕をかまして
おもむろにトイレにいってから席にいったら
ほんとうに満員でビックリした。
正直いってさすが東大ブランドの集客力と思った。
東京大学音楽部で検索しただけで
もう僕のタブレットには東京大学と提携開発の商品
というような感じの広告が出てくる。※
うーん、なんか、さすがと思ってしまう。

※提携か監修か忘れたけどなんしかそんな感じの広告が
タブレットに出てきた。

会場に入ると初々しい感じの子達が室内楽の
デモンストレーションをやっていた。
そばで聴くと頼りないおとのようにおもえたけれど
トイレに入っているとけっこう力強いおとが
聴こえてきた。
指揮は武藤英明さん

最初に演奏されたのがベルリオーズのローマの謝肉祭序曲作品9
オケのメンバーがステージに入ってきたとき
みんな体格がいいと思った。
アマのオケを聴くときときどき体格がプロと違う
と音楽を聴く前に思ってしまうことがあるけれど
今日は体格のいい子が多いなと思った。

最初、音が鳴ったとき音色が明るいと思った。
イングリッシュホルンのソロがとてもうまくてたっぷりと歌っている。
弦と菅のからみも美しい。
パーカッションもリズミカルでうまい。
音楽がギアチェンジして速くなると
ちょっとアマチュアのオーケストラとは思えないような
演奏の盛り上がりかただった。
なんかすごいなと思った。
ベルリオーズ独特のなんか弦の音が
深く突っ込むようなところもしっかり突っ込んでいた。
みんなが積極的に自発的に音を出しているように感じられる。
それがとてもいいことに思えた。

次に演奏されたのがチャイコフスキーのくるみ割り人形組曲作品71a

序曲
弦が軽やかに鳴っている。
木管もうまくからんでいる
ベルリオーズからここまで演奏を聴いてきて
アマチュアのオーケストラとしてはどのパートも
うまいんだなと思う。

マーチ
トランペットもホルンもうまい
木管と弦が同じ音形をたどるところも息があって美しい。
チャイコフスキーのすばらしい音楽もあいまって
ちょっと夢見心地になってしまった。
アマのオケをきいてこんなふうになることめずらしいなと思う。

ロシアの躍り
みんな楽しそうに弾いている。
若いということもあるのだろうけれど
ほんとうに楽しそうに弾いているように見えた。

アラビラの躍り
クラリネットが東洋風のモチーフを吹く。
弦もちょっと暗い感じをよく出しているなと思った。
あやしい夜のような雰囲気をクラリネットも弦も
よく表現しているなと思った。
オーボエも息の長い旋律をきれいに奏でているなと思った。

中国の躍り
ファゴットとフルートのからみが息があっていてよかった。

葦笛のおどり
ピチカートとフルートのからみがうまい。
オーボエもよくなっていた。
金管と弦のからみもうまいと思った。

花のワルツ
オーボエ、クラリネット、ホルンのハーモニーが美しい。
ハープもうまい。
管楽器による前奏が終わると弦は速いテンポで
しっかりとリズムを刻む。
メロディーラインも伸びやかに弾いている。
なんだかみんなそれなりに自信をもって演奏しているように思える。
夢の中にいるような気分で音楽を聴いている自分がいることに気づく。
きっと若い演奏者だからこそ醸し出せるよさがあったのだと思う。

20分の休憩をはさんで次に演奏されたのが
ドボルザークの交響曲第8番ト長調作品88
第一楽章
チェロがよく鳴っている。
ちょっと音が明るすぎるようにも思うけれど、、。
リズミカルなところとしっとりとしたところのコントラストも
それなりに決まっている。
やっぱりうまいなとおもう。
ビオラの一番前の女の子がおどけるような感じで
体を伸ばしたりしながら笑顔で弾いているのが
けっこう目にとまる。
ぐっと音を突っ込むところもしっかりできている。
全体の音色はけっこう明るいなと思う。
フォルテのところになると音量もかなりあるのだなと思う。
トランペットもよく頑張ってメロディを吹いていた。
木管もたっぷりと歌っていた。

第二楽章
冒頭、弦の音がけっこうコク深く鳴った。
木管が鳥のさえずりのように鳴っている。
中間部でも弦がしっかり8つの音のまとまりを出している。
音楽が静かになったところで少し退屈と感じる場面もあった。

フルートの旋律をきいてドボルザークって美しいなと思った。

第三楽章
よく歌っている。
音色が明るいかなと思う。
オーボエが民謡風のメロディーを奏でる。
こういうところなんかドボルザークだなと思う。
楽章の終わりではティンパニがリズミカルに鳴っていた。

第四楽章
トランペットが鳴る。
チェロが出る前のティンパニの小さな音も印象的と感じる。
チェロもうまい。
ちょっと音色が明るいかなとも思う。
音楽がギアチェンジしてフルートが音を
転がすように息の長いフレーズを奏でている。
すばらしいと思った。
ちょっと弦が力んでいるかなと思うところもあった。
プロのオーケストラだったらチェロがもっとコクの深い音を
出すかなと思うけれど、よく頑張って弾いていると思う。
全体に弦の音が小さくなったところでアマっぽさが出るかなと思った。
フィニッシュに向かって音楽がはやくなるところ
ティンパニがとてもリズミカルに奏でられていると思った。

アンコールはドボルザークのスラブダンスが演奏された。
とても楽しそうに演奏していた。

コンサートマスターの体格がアスリートみたいと思った。

最後に余興のような感じで
オーケストラの伴奏で会場のみんなで
ドイツ民謡 歌声響く野に山にを輪唱しましょうということになった。

最初にオーケストラのメンバーの代表の子が歌ったのだけれど
余興ということもあってか
お経か歌かわかないようななんとも言えない感じだった。
オーケストラは前奏と称して
チャイコフスキーの弦楽セレナーデとドボルザークの交響曲第八番を
うまく編曲で繋いだものを演奏した。
チャイコフスキーの弦楽セレナーデはたしか小澤征爾さんが
斎藤先生から習ったとおっしゃっていたし
札幌に昔いったときすすきのの地下鉄駅の出口でPMFオーケストラの
メンバーがカルテットでこの曲を演奏していた。
そんな思いでもあってチャイコフスキーの弦セレは
僕にとって屈指の名曲であると同時に
教育的な音楽というイメージもある。
オーケストラのメンバーがチャイコフスキーの弦楽セレナーデを
美しく奏でるのを聴いて
本当に教育のよく行き届く方々だなとしみじみと思った。
この前奏のなかでトランペットがドボルザークの交響曲第八番の
第四楽章冒頭のファンファーレを見事に奏でた。
本番の時はちょっと音がかすったので
本番と余興の順番が逆になればよかったのにと思った。
なんか昨日のコンサートは僕にとっていい体験だったなと思う。


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