ケンのブログ

日々の雑感や日記

不自然な状態 浜辺の歌

2022年07月31日 | 日記歌入り
何日かぶりに電車に乗る。

外は暑いけれど 電車に乗ると たぶん換気のためと思うけれど 冷気が強くてウインドブレーカーが必要になる。

電車に限らず 冷房のある屋内に入るとそうなる場合が多いような気がする。

不自然と言えば不自然に思える。

コロナ以前の生活では 夏は 冷房のしてあるところに行くと 涼しくてほっとするという感じだった。

今は 外は暑い 中は 冷房の効きすぎで寒い という様相になってしまっている。

僕の体感温度はあまりあてにならないけれど 少なくとも僕の場合はそんな感じだ。

このまま 換気ということで また冬になれば 車内は寒いということになりそうな気がする。

このような生活も かなり長くなってきたなあと思う。

なるべくはやく 元の生活に戻りたいという気持ちも芽生えつつ かばんの中にウインドブレーカは入れていくので 今の 生活に慣れたともいえる。

ただ、あまり不自然なことが長く続くというのも不安と言えば不安。

やはりなるべくはやく 少なくとも コロナ以前の状態に戻れるといいな とは思う。

7月30日付の読売新聞のコラムに子供の理科離れということについて 生物学者の福岡伸一さんの言葉を引用して次のような指摘がなされている。

「私(わたし)から見ると(子供たちの理科離れの)理由は明々白々です。大人たち自身が理科離れしているからです。ゴキブリやクモを見るとすぐに叩き潰したり。 

大人が自然に関心を示せば気づくはずなのです。そこに精妙さや美しさやデザインの奇抜さがあることに」と。
本当に あまりに 不自然な生活が続くと 自然への関心は より薄れてしまって 私たちの人間としても感覚も 変わってしまうような気がする。

そのようなことが なるべくおきないように願っていきたい。

それは ともかく いちにち いちにち 無事でありますように それを第一に願っていきたい。

■浜辺の歌
浜辺の歌 をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップロードします。聴いていただければ幸いです。

調べると昭和16年 つまり太平洋戦争が始まった年のリリースとなっています。

僕はあるCDで ミッシャーマイスキーさんというチェロの奏者がこの曲を取り上げておられるのを聴いて 浜辺の歌って こんなに美しいのかと思いました。

外国の人に 日本の美しさを教えられることも あると思います。

↓浜辺の歌 をカラオケDAMの音源で歌いました。

へそ天

2022年07月30日 | 日記
7月29日付の読売新聞のコラムに「へそ天」という言葉の意味が書いてある。

文脈によって意味が異なるようで この文脈ではこう というように場合分けして 意味が書いてある。

その  文章の中で 医療現場における「へそ天」という言葉の意味も説明されている。

医療現場で「へそ天」を言えば 丸くて深く上向きにしっかりついている おへそのことで それは 健康の鏡であると書いてある。

逆に 「腸に異常が出るとへその形が微妙に変わる」。とも書いてある。

それを 読んで 僕は岐阜県民謡郡上節の歌詞を思い出した。

こんな 歌詞だ。

「嫁入りしたけど しあわせわるて へそが出べそで 帰された」と。

僕は これは 郡上節特有の 面白おかしい歌詞だと思っていた。

もちろん そういう側面は多分にあると思う。

しかし、新聞に書いてある「へそ天」の語義にちなんで 出べそについて調べてみると 医学的には 脱腸の状態になると 出べそなる と書いてある。

そうか へそが 出べそで 帰された というのは 嫁の健康上の意味合いもあるのか とそれを見て思った。

そう考えると 民謡の歌詞というのは 面白おかしく書いてあるようで 実は いろんな智恵がそこには 含まれているのだなと思う。


「踊り踊って 嫁の口なけりゃ 一生後家でも ササ構やせぬ」
という歌詞も郡上節にはある。

これを 見ると なんとなく 踊りが 出合いの場であることが推察される。
まあ、僕も 踊ったことはあるので 実感として それはわかる。

現代風に言えば ディスコが出会いの場になりうることと同じだ。

しかし 踊って 嫁の口 なけりゃ 一生後家でも構やせぬ 

と笑い飛ばしてみることも 心のために大切なような気がする。

今日の 新聞の 人生相談に 結婚して子供もいるけれど、夫がゲイで 女性として愛されていなかったことが悲しい、子供が成長したので離婚も考えている という要旨のものがあった。

人の 悩みは 本人にしか わからないことだけれど 離婚が一つの選択肢であると同時に 時にはそういうことを心の中で笑い飛ばしたりして そういう夫と 婚姻を継続するのも一つの選択肢なのではないかと ごく個人的に僕は思う。

あくまで個人の感想だけれど。

それは ともかく いちにち いちにち 無事でありますように それを第一に願っていきたい。

裁判はいかに UFO

2022年07月29日 | 日記歌入り
僕の体感温度は 人と違うことが多いのであまりあてにならないけれど 28日はなんとなくかなり蒸し暑かったような気がする。

暑さが体にだんだんしみてきているなというような気持ちになる。

ただ、昨年までは大阪でバックパックで電車に乗って駅から先は歩くという生活 今年は自動車での移動が中心の生活。

昨年までの方がそれは暑かったなとは思う。

京都の河原町の駅や大阪の梅田の駅で降りて ドラッグストアーでC1000タケダとかキレートレモンとかそういう系の飲み物を飲んでいたことを思い出す。

いつも同じ系の飲み物ばかり買うのでドラッグストアーのお兄さんが会計の時 ちょっと半笑いのような感じだったことを思い出す。

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東京五輪大会組織委員会理事の高橋さんの事件に関連して東京地検の捜索が入ったと新聞に出ている。

新聞に出ている弁護士の方のコメントはこのようになっている。

「高橋氏には 組織委員会理事 コンサル会社代表という二つの立場があるが AOKIからの資金について、組織委員会理事の職務に関連する行為の対価として受け取ったものと立証できるかかがポイントとなる」と。

新聞には 高橋氏はコンサル会社を通じて金銭を受け取ったと書いてあるし、公式ライセンスの承認は理事会の決議事項ではないと書いてあるから 裁判で有罪となるかどうかは まだまだわからないなと思う。

しかし、高橋さんの年齢が78歳と報道されているのを見ると そんな年齢になって 検察に捜査に入られるのも因果なことだなあと思う気持ちと いや こうなるまでに もう十分にいい思いをしておられるか と思う気持ちが相半ばしてしまう。

そんな風に 思うのも それこそ因果なことだなあと感じるけれど、、、。

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大阪で僕が住んでいたマンションは可燃ごみを入れるタンクがあって、そこに可燃ごみを放り込めば あとの処理は管理会社の職員の方と自治体に任せておけばよかった。

今は 所定の場所に網が張ってあって、その網の中に入れるのだけれど 網の中をカラスがつついて ゴミが散乱していることが かなり頻繁にある。

大概は 生ごみを 十分に包んだりしないで捨てることが原因になっているように思う。

むき出しの卵の殻とか 食品の食べ残しなどが散乱していることが多い。

それで なんとなく カラスは 臭いで ゴミのところにやってくるのかと思っていた。

そうしたら27日の朝は 固いプラスチック入りのモズクが散乱していたけれど 中身は100パーセント無事だった。

プラスチックケースが固くて 中身をほじるのをカラスがあきらめたためと思う。

そうか カラスは 食べ物を目で見て狙うのかとそれを見て思った。

まあ それも そうか と思う。

いずれにしても カラスって結構賢いんだなと思う。

でも ゴミを捨てに行って カラスに遭遇すると やはり ぞっとしてしまう。

それは ともかく 一日 いちにち 無事でありますように それを第一に願っていきたい。

■UFO
ピンクレディのUFOをカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで録音したものをアップロードします。

聴いていただければ幸いです。

映画 男はつらいよ で お寺の境内で女の子供たちが この歌を歌いながら遊んでいるシーンがあったと記憶しています。

何気ない一コマにも山田洋二監督は時代というものを取り入れておられるのだと思います。

そして 山田洋二監督の取入れられたものが 後になって振り返ってみると あの時代の象徴だったと思えることも いろいろあるように思います。

後になって振り返ってみて なるほど と思えるようなことは きっといいことなのだと思います。

ピンクレディの歌は僕の場合 強烈なリズムにひかれることが多いです。


↓ピンクレディのUFOをカラオケDAMの音源で歌いました。







思い出すこと 広島 津田投手

2022年07月27日 | 日記
新聞に景気は後退しているけれど 物価は上昇していると書いてある。

経済のことはわからないけれど それは心配なことだと思う。

なるべく無駄遣いをしないようにとは思うのだけれど、、、。

スポーツ欄を見るとオールスターゲームの結果が出ている。

もうそろそろとは思っていたけれど そうか オールスターゲームかと思う。

テレビを持たない生活をしているとこういう情報は遅れがちになってしまう。

僕はいろいろなことを すぐに過去の記憶と結び付けてしまう癖がある。

1993年の7月に会社の夏季休暇を使って北海道に10日くらい旅行に行った。

北海道の最初の滞在先は函館だった。

函館の飲食店で夕刻 いかそうめん食べていたら カウンターの上に置いてあった14型テレビではプロ野球のオールスターゲームが放映されていた。

飲食店のテレビなので そんなに 熱心に見ていたわけではなく 主に音声を聞いているという感じだった。

その放送の中で 実況中継のアナウンサーが 広島東洋カープの津田投手が ご病気のため亡くなられたことを報じていた。

僕は 夕刻に 函館の ちょっと場末感のある飲食店のテレビで 津田投手が亡くなられたことを知った。

最果ての地の 夕刻 ということもあいまって あれは 僕にとって本当に悲しい出来事だったなあと しみじみと思い出す。

本当に あのニュースを知った時には悲しかった。

津田投手のことをぼんやりと考えながら 函館の宿に戻ってきた記憶がある。
本当に あのときは 陰鬱で悲しい気持ちだったな、、、。

それで 津田投手の 全盛期の動画はないかと思って検索すると 出てくる。

そういう意味では便利な時代だなと思う。

動画で見る 津田投手の全盛期の投球は 壮絶という感じがする。

微妙なコースをボールと判定されたときも特に審判に歩み寄るとか 文句を言うそぶりなないけれど、すごい目で不動の姿勢で 審判の方をじっと見ている。

歩み寄って文句を言われるよりも 審判は こたえるのではないかと想像する。

いやあ 壮絶な投球 壮絶な人生だったのだろうなと想像してしまう。

本当に いろいろな人生があるものだなと思う。

それは ともかく いちにち いちにち 無事に過ごせますように 
それを第一に願っていきたい。










おかげさま 栄冠は君に輝く

2022年07月27日 | 日記歌入り
7月26日付の新聞を見ると大相撲名古屋場所で優勝した逸ノ城の談話が載っている。

「師匠、おかみさん、部屋の行司、力士、周りにいるみなさんのおかげです」と逸ノ城が語ったと書いてある。

おかげさんというのは この世界の常套句とは知っていても そういう言葉を見るのはいいものだなあと思う。

最近 スポーツ関係者の口からそういう言葉をきく機会が減ったように思うから。

僕が 小学生のころだから 昭和40年代だと思うけれど 横綱 大関も 個性的な力士が多かったけれど 平幕にも 富士桜とか 黒姫山とか 福の花とか個性的な力士が多かった。

そのうちの誰だかは忘れたけれど そんな平幕力士の一人が横綱に勝ってインタビュールームでNHKのアナウンサーからインタビューを受けていた。

たぶん 横綱 大関に勝った力士をテレビでインタビューするという慣習はそのころから始まったと思う。

インタビューを受ける力士は まだ 相撲が終わったばかりで 呼吸が乱れているということもあったと思うけれど アナウンサーから何を聞かれても 「はい おかげさまで」と何度も繰り返していた。

一緒にテレビを見ていた叔父(母の弟)に「あの力士 何を聞かれても 『おかげさまで』って言ってるね」と僕は言った。

すると叔父は「なっ おかしいな。 あのアナウンサーが後ろから背中押して勝たせてやったわけでもないのにな」と言った。

まあ、それは、それはそうだけれども。と僕は思った。

でも 子供心にも やっぱり おかげさん というのはいいものなのだなときっと僕は感じていたのだと思う。

その当時の叔父とのやりとりを覚えているのだから、、、。

今から思えば あのように 家族で話をしながら 相撲放送を見ることができた時代は幸せだったのだろうと思う。

今は どちらかと言えば 家族で一緒にテレビを見て話し合うというよりも ネットの動画を見て そこに書き込みをするというように時代がシフトしてしまった。

変われば 変わるものだなあと思う。

でも逸ノ城関も優勝できてよかったと思う。

関係ないことだれど 逸ノ城関の顔って少し中国の習近平さんに似ているような気がする。

眼の錯覚かもしれないけれど、、、。

おかげさん ということに関しては 相撲取りのようにたとえ決まり文句でもいいから 普段からおかげさん と言っていると 自然に おかげさんと 思えるようになるということはあると思う。人間は言葉でものを考えると思うから、、、。

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高校野球も 各地で代表校が決まったり 地区予選も終盤に来ている。

僕は割と地区予選の結果には目を通すほうだ。

自分の出身地の岐阜そして隣の愛知県 そして 大阪府 あとはいろいろお世話になった人の出身地の結果とかを中心に見る。

いろんな地域の結果を見ていると いまだに 大阪の高校名がもっともなじみがある。

予備校に勤めているとき 僕は ダイレクトメールを送る作業の一部を担当していたことがある。

高校別に 封入物を 微妙に変える ダイレクトメールの送り方をしていた。

その高校の進学実績などによって 封入物を少しだけ変えていた。

そんなせいだと思うけれど 大阪の高校名を見ると その高校が 大阪が9学区だったころはどの学区だったか、とか、どのくらいの進学実績があるか とか頭に浮かぶ高校が多い。

それでも 知らない高校名もいくつかあるなと思う。

たぶん こういうご時世だから 新しく高校ができたというよりも 経営統合などで名前を変えたところが多いのではないかと推察している。

よく 道によって賢し というけれど 自分が仕事で関係していたことはだれしも よく覚えているものだなあと思う。

もう一度 あの頃に 戻りたいとは 思わないけれど あの頃が 懐かしいなとは思う。

■栄冠は君に輝く 

「栄冠は君に輝く」をカラオケDAMの音源で歌い ICレコーダーで簡易に録音したものをアップロードします。

聴いていただければ幸いです。

古関裕而さんの作曲で昭和23年発表と調べたら出ていました。

この頃は 戦争に負けて もう一度 みんなの励みになるような歌を作ろう という気持ちで歌を作っていた人が多いように思います。

この「栄冠は君に輝く」もその最たるものではないでしょうか。

どうでもいいことですが 僕は古関裕而さんと誕生日が同じで そのことを心の中でひそかにうれしく思っています。

大阪に住んでいるころは 思い立って甲子園球場に行って 外野スタンドで一日高校やっ球を見ていたことも何度かあります。

ベストエイト以降にいくと 混んでいるので 大体 一回戦 二回戦ぐらいのころに行っていました。

試合の合間とか 5回の表裏が終わって 球場に水をまくタイミングなどに よく「栄冠は君に輝く」のメロディが甲子園球場に流れていたので 今でも この歌を聞くと 甲子園球場の外野スタンドの光景が目に浮かぶようです。

日本の球場を全部知っているわけではありませんが やっぱり あの球場の雰囲気は独特。 日本一 世界一の球場という人が結構いるのもわかる気がします。

↓「栄冠は君に輝く」をカラオケDAMの音源で歌いました。