ケンのブログ

日々の雑感や日記

名曲コンサートを聴きに行く

2023年03月30日 | 音楽
3月28日 名フィルの名曲シリーズを聴きに行く。

最初は行くつもりはなかった。

けれど 数日前にN響コンサートマスターの篠崎史紀さんがベートーヴェンの例に触れながら、「人間の想像しうるものならばヒットはするけれど100年も200年もは残らない、残るようなものならば そこには目に見えないものとの交信があるはずだ」というようなことを語っておられる動画を見て 「それは そうだよな」 と思ったことがきっかけで 急に思いついてこのコンサートに行くことにした。

プログラムが ベートーヴェンの交響曲第一番と 第三番だったからだ。

指揮は小泉和裕さん。

僕の個人的な 印象なのだけれど 小泉和裕さんと 秋山和慶さんの二人は なんとなく
もう聴く前から安心 という気がする。

特別なことが起きるかどうかは聴いてみないとわからないけれど すくなくとも はずれるという心配はない という安心感がなぜか 聴く前からある。

あくまで 個人の感想ですけど、、、。

金山と言う駅で降りる。

金山は大阪で言うと 京橋のイメージに近いかな と考えたりして。

駅チカのコンサートホールなのだけれど 駅の逆の出口から出てしまい ぐるっと駅の回りを一周してたどり着いたので 徒歩5分程度とあるサイトに書いてあったのに 15分くらいかかってしまった。

時間に余裕を見ておいてよかった。

ホールは 4階席まである天井の高いもので 客席の勾配もけっこう急で 昔の 大阪フェスティバルホールなどを思い出してしまう。

最初に演奏されたのは ベートーヴェンの交響曲第一番。
上の方の席の正面からオーケストラを見ていると 曲の開始は 木管楽器が 主導的に音を出して 弦楽器は ピチカートでそれに合の手を入れる という形になっている。


よく 交響曲第一番は まだ ハイドンなどの影響が 色濃いと言われるけれど こんなに 管楽器が堂々と鳴って始まる交響曲って ベートーヴェンの前の時代には 僕が知る限り やっぱり ないぞ と思ってしまう。

しかも 最初の方の木管の和音は まずキーンとなって それからふわっと来る という連続で とても印象深いものになっている。

やっぱり 曲が始まると同時に ベートーヴェンは 世界が違うなと思ってしまう。

篠崎さんのおっしゃった目に見えないものとの交信 というようなことが 心にある状態で聴くと、旧約聖書創世記の天地創造の場面で「神は光あれと言われた。すると光があった 神はその光を見てよしとされた」と書いてあるように ベートーヴェンも 一つ一つの音を 心の中でよしとしながら 作曲と言うか創作をしていっているように思えてくる。

やっぱり すごいなと思う。

第九交響曲に出てくる 歓喜の歌の旋律は ドレミファソラシドの音階を隣同士行ったり来たりするものだけれど 交響曲第一番でも 全体を通してそういう 音の進み方が 随所にきこえてくるような気がして それも 僕にとっては 印象深いことだった。

あと これも 単なる 僕の主観にすぎないけれど 木管の響きの中心がオーボエにある とういうことを ベートーヴェンは かなり 周到に意識しているのではないだろうか という気がした。

演奏も本当に 僕にとっては オーソドックスに聴こえるもので とてもよかった。

20分の休憩をはさんで次に演奏されたのは 同じくベートーヴェンの交響曲第三番

ステージを見ると 金管は ホルンが3人と トランペットが2人(たぶん)いるだけだ。

あの 長大で 広大で壮大なシンフォニーの金管がたったのこれだけなのか と演奏を聴く前から すでに いまさらのように 感心してしまう。
この曲の演奏も 僕には オーソドックスに思えるもので とてもよかった。

第三楽章の中間で出てくる ホルンの響きは 柔らかい感じでよかったなと思う。

第四楽章の 中間で オーボエがゆっくりと しみじみと この楽章の主要な旋律を奏でて それから 音楽が 壮大に盛り上がっていくのだけれど そこを 聴いて 「こういう世界が きっと ワーグナーなどにつながっていくのだろうな」と心の中で想像していた。

あと 下から 上に 上がってくる ホールの音の感じが 天井の高い 急こう配のホール独特だなと思ったことが何度かあった。

そういう音って 結構好きなので それも 僕にとってはありがたいことだった。

いいコンサートでよかった。


















母から聞いた話

2023年03月28日 | 日記
母が僕の妹と長良川の支流のそのまた支流の川堤の桜を見に行ったらしい。

川の近くの小さいお宮のお賽銭箱に母が賽銭を投げた。

すると賽銭が賽銭箱の木に引っかかって賽銭箱のそこまで落ちなかった。

そのあと妹が賽銭を投げるとそれは賽銭箱の途中で引っかかっている母の賽銭にあたり 妹の賽銭と母の賽銭はともに賽銭箱の底にポトッと落ちたらしい。

「それは縁起のいい話と思うよ」 と僕は言った。

いちにち いちにち 無事に過ごせますように・

春のあれこれ

2023年03月24日 | 日記
3月21日に母は86歳になった。

あまり 歳をとったので自分の年齢が わからなくなることがあるそうだ。

それで 僕の妹から 一日一回 自分の年齢を唱えるといい というようなことを言われたらしい。

確かに 繰り返し 想起することで記憶に物事が定着する。

それは 記憶するための極意だなと思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ある方に 「みんな 野球の話をしてますね 私 テレビ見ないから 話題についていけなくて」 と言われる。

「僕も テレビ見ないから 話題についていけません」と答える。

3月23日付の新聞を見ると世帯視聴率は40パーセントを超えているらしい。

それは すごい。

テレビでは見ていなかったけれど 話題になっていることは知っていたので そちらに意識が行っていた。

そして 気づくと大相撲大阪場所も もう残すところ3日となっているし 高校野球で岐阜県の代表はすでに姿を消してしまった。

知らなかったな。 意識がそれてしまっていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ふと 検索でヒットした 「学校では教えてくれないクラシック」という動画を見ていたら、
「着想は神から来る」とベートーヴェンが言ったらしいというエピソードについて NHK交響楽団コンサートマスターの篠崎 史紀さんが「人間の想像し得るものならばヒットはするけれど100年も200年もは残らない。残るようなものならば そこには 目に見えないものとの交信 というものがあるはずだ」という主旨のことを語っておられた。

それを聞いた時 その通りだなと思った。

もう 残るようなものができるかどうかは 目に見えないものの力がなければならない。

もちろん 目に見えない力を受け取るには 相当な努力が必要だけれど 努力だけでそこまで到達できるわけではない。

なにしろ 努力の 対象は 目に見えないものなのだから。

そう 思ったとき なぜか ちょっと 心が軽くなるような気がした。

そして、思った 篠崎さんってきっといい人なんだろうなと。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

春と言うことと関係あるのかどうか きっと関係あると思うけれど セブンイレブンの店舗でビートルズのペニーレインを楽器だけで演奏したものがBGMで流れていた。

いいな と思う。

この歌だったら それこそ 目に見えないものから 受け取ったものがあるいは あるかもしれない。

それを証明するためには 100年 200年の時が必要だけれど。

でも この歌がリリースされた1967年から56年たつから あと44年で100年だけれど、、。

この歌の歌詞は いかにも イギリス人が書く歌詞という感じだ。

僕がいちばん好きなところだけを日本語で書くと
「ペニーレインには 砂時計を持った消防士がいる。 彼の ポケットには 女王のポートレイトが入っている」と。

女王って きっと 先般亡くなられたクイーンエリザベスのことだと思う。

いいな。

楽しい歌だけれど ところどころに イングランドや スコットランドの民謡と共通する哀愁が漂う。

そういうものが漂うというのが ある意味 何かを受け取っている証かもしれない。


↓ビートルズのペニーレインの動画です。

コンビニの店員さん

2023年03月21日 | 日記
コンビニで買い物をして お勘定が済んだときに女性の店員さんが 「お客様 いい声ですね」と言った。

声がいいと言われたことは 僕の人生で何度かあるけれど まったく面識のない コンビニの店員さんに声がいいと言われたのは 初めて。

なんだか うれしい気分。

春だから そういうことも言いたくなるのかもしれない。

気づけば桜も開花している。

ダウンジャケットを着るのをやめて ちょっと薄手のブルゾンに変えた。

春だなと思う。

井上陽水さんの 桜三月散歩道をカラオケDAMの音源で歌いました。

原曲のキーで ちょっと勢いをつけて歌ったので 一部ハウリングが出て 声もかすれてしまいました。


名古屋フィルの演奏会を聴きに行く。

2023年03月16日 | 日記
3月11日は名古屋フィルの第510回定期演奏会を聴きに行った。

指揮は大井剛史さん

最初に演奏されたのが ヒグドンのブルーカテドラル

1999年作曲とプログラムの楽曲解説に書いてあり 初めて聴く曲。

プログラムの楽曲解説に「曲は (中略) 輝かしい打楽器と柔らかな低弦のハーモニーで始まる。そしフルートとクラリネットがやさしく歌いあっていく」と書いてある箇所がある。

そこでフルートが出てきたときに なんとなく ラヴェルのダフニスとクロエに出てくる 夜明けのようだ と思った。

後半は 曲が 力強くなって盛り上がっていくけれど そこを聴いていて 心の中で ホルストの惑星 特に火星を 心に思い浮かべていた。

次にシューマンの序奏と協奏的アレグロ作品134が演奏された。

ピアノはフィリッポ ゴリーニさん。

過去にどこかで聞いたことがあるかもしれないけれど 記憶に残ってないので 実質初めて聴く曲。

何度となく 出てくる 特徴的な モチーフを聴いて 「おい! 山田耕作先生の 赤とんぼやんか」と思った。

まあ こういう類似は 音楽の中には いくらでもあるけれど やはり 類似点を発見するというのは 楽しいものだなあとは思う。

家に帰ってきて ユーチューブを検索してみたら やはり 赤とんぼに そっくり ということで 動画をアップロードしている方がいた。

まあ そうだろうな と思った。

オーケストラが 堂々と鳴る場面では なんとなく 心の中で シューマンの交響曲第4番を思い浮かべていた。

最近 いろいろ 過去に聴いた 音楽を思い浮かべるクセに なってしまったな と思う。

次に 世界初演と言うことで 坂井健治さんのピアノ協奏曲キューブ が演奏された。

コンサートを聴いた当日に 書いていたら もっと 記憶が残っていたと思うけれど 5日も経過してしまったので 記憶が おぼろになってしまった。

ただ 楽しい曲だったことは 覚えている。

あちらで あの楽器が鳴り こんどは こちらで この楽器か とあちこち 見ているうちに曲が終わったという感じだった。

曲の途中から ピアノの譜面をめくる役の方に視線が行ってしまった。

初演の曲だから 譜めくりが必要なことは なんとなくわかる。

僕は上の方の席だから こまかいところまでは見えないけれど 譜面の右上の角から 巧みに譜面をめくっておられた。

関西のあるピアノの先生が 自分が演奏するときは とくにメガネをおかけにならないのに 他者の譜をめくるときは メガネをかけられることが多いので そのことを 尋ねたら 「ある意味 自分が演奏するよりも 人の譜をめくる方が緊張する」というようなことをおっしゃっていたことを思い出した。

演奏が終わって ステージのみんなも 初演成功という感じて祝典的に拍手をしているときも 譜をめくるかたは じっと不動の姿勢でおられたので ああ これは 歌舞伎の黒子の役とも似ているかも とそんなことを心の中でぼんやり考えていた。

もちろん 一度 ステージから引っ込むと カーテンコールでまた出てこられるということもなかったし、、、。

それから ピアノの アンコールがあった。

フィリッポ ゴリーニさんの発音が よすぎて ブラームス しか 聞き取れなかったけれど なんしか ブラームスのピアノ曲を演奏してくださった。

音が 先に先に流れていくような感じに僕には聴こえた。

僕自身 割と ひとつ ひとつの 音に ひっかかりのあるタイプの演奏が好きな傾向にあるので 少なくとも僕の好みとは ちょっと 違うな と思った。

20分の休憩をはさんで次に演奏されたのが 
アーノルドの 交響曲第5番作品74

休憩時間に 席に座っていると ピアノの高音のような音がステージから聞こえてきた。

「あ ピアノか?」と思ってステージを見ると 男性の奏者の方が ハープを鳴らしておられた。

「あっ ハープとピアノって意外と似てる」と思った。

今まで ハープは どこか 乙女チックな楽器と思っていたけれど そうではなくて 結構ハードな楽器 とその時思った。

ハープのための協奏曲とか そういうタイプの曲とはちがって あくまで 交響曲の中で使用されるハープ 

なので 交響曲の中の 構成要素としての役割をハープはこの場合 担っているわけで なんというか やはり チャイコフスキーのバレー音楽とか モーツァルトの ハープとフルートのための協奏曲とか 僕が これまで知っている曲よりは ずっと ピアノに近いような この楽器の ハードな側面を見る思いでとても勉強になった。

それで 肝心の アーノルドの 曲はどうだったかというと これも あちこち 楽器を見ていて あまり 覚えていない ということになってしまう。

しいていえば 第二楽章で 弦だけなっていて 管楽器の奏者が まったく音を出さずに じっとしている様子が 印象的だったなと思う。

プログラムの楽曲解説には たぶん そのようなことをふまえてと思うけれど マーラーの5番のアダージェットとの近親性が指摘してあった。

今年度の最後にこうして定期演奏会が聴けて よかったな と思う。


↓シューマンの序奏と協奏的アレグロと山田耕作の「赤とんぼ」の類似性を指摘した動画です。

そういえば 赤とんぼの旋律がとても美しいと感じ 涙を流したのは イムジチ合奏団が来日した時に アンコールで演奏してくれた時だったなと思い出す。

きっと 赤とんぼのメロディが 西洋音楽と 日本人の感性の両方にマッチするからだと思う。

そういう曲を作る山田耕作もやっぱりすごいな とこういう機会に気づかせてもらえるのはありがたいことと思う。