ケンのブログ

日々の雑感や日記

三月三十一日

2018年03月31日 | 日記
三月も今日で終わりかと思う。
すっかり気候も春になっている。
昨日ネットのニュースの見出しを見ていたら
奈良県のある自治体でタバコを吸ったら40分間はエレベーターに乗っては
いけないという就業規則ができるというようなことが書いてあった。
なんでも喫煙すると呼気から受動喫煙のもとになるような
物質が排出されるのがなくなるのに40分かかるという学説が
根拠でこのきまりができたらしい。
エレベーターは使えないかわりに階段は使ってもいいらしい。
例えば6階からしたに降りていって煙草を吸って6階まで
階段で上ってくると再びしごとをするべく呼吸を
整えるのに5分はかかりそうな気がする。
したにエレベーターで下りるのに3分煙草を吸うのに3分から5分
また6階まで階段で上がるのに3分から5分呼吸を整えるのに5分
一本煙草を吸ってからまたしごとを始めるのに15分から20分くらい
かかりそうだ。クラシックのコンサートの前半と後半との間の
休憩時間に相当するような時間。
三本煙草を吸ったら昼休み一回分に近いくらいの時間になってしまう。
禁煙ファシズムという言葉があるけれどこんな決まりを作るくらいなら
いっそのこと就業規則でタバコは禁止としてしまった方が
はるかにすっきるするような気がする。
ネットでこの記事の見出しを見たとき言葉は悪いけれど
煙草を吸う人へのいじめかと思った。
今日煙草を吸う場所で一緒になった女性に
ある自治体で煙草を吸ったら40分エレベーターにのったらあかんという
きまりができたんですって、と言ったら
ええ?そんなん誰が時間計ってるんでしょうねというのが第一声だった。
本当にその通りだと思う。
まあこれも逆の意味で極端な例かも知れないけれど
ある方が書いた本を読んでいたら「私はものごとを進めるときに
規則というものを作らない。だからいわゆる違反者というものは
生まれない。しかし、考えの合わない人は去っていくし
やったもの勝ちの論理が働くので考えの合う人、やる気のある人は
どんどんしごとをやっていく」という主旨のことがかかれていた。
もちろんこんな放任主義的なやり方でものごとを進められる人は
世の中ごく一部だと思うけれど
規則を作らないので違反者も出ないという記述は注目に値する。
パウロも律法からは罪の意識が生じるだけ
だから私は律法にではなく信仰にたつという主旨のことを
いっている。
このように違反者をつくること罪人をつくることをあまり
好まない人は世の中に一定数いるようで
八王源先生も
「警察は事件が起きてから捕まえるから罪人を作ってしまう
事件が起きるのを防ぐのが本当の警察の役目」とよくおっしゃっておられた。

お花見に行った

2018年03月30日 | 日記
ずっとここ二三日桜が満開に近い状態でどうしようか迷っていたのだけれど
やはりちょっとお花見に行きたくなって、自宅の近くのR宮へお花見に行った。
このお宮の境内には平成の式年遷宮の時の記念植樹の木が三本あるのだけれど
三本とも種類は違うけれど桜の花が咲いていた。
他の季節だとなかなかわからないことだけれど
この機会に平成の遷宮の記念植樹は桜とわかってよかった。
境内には何種類かの桜があり祇園しだれ桜も咲いていた。
その他僕は桜の種類に疎くてどの桜か書けないのが残念だけれど
駅前とか川縁にごく普通に植樹してある感じの桜も咲いていた。
どの桜もほぼ満開でタイミングはちょうどよかった。
昨年の春にここのお宮では桜の花が咲くタイミングと
もみじの新緑の葉が出るタイミングがほぼ同時と気づいたのだけれど
今年も見ると新緑のもみじの葉が出始めた頃で去年と同様
桜の花が咲くのともみじの葉が出るタイミングが同じと気づくことができてよかった。
昔はお宮にいくと建物の方に興味が行っていたけれど最近は
そこに育っている植物にむしろ興味がいくようになった。
境内の植物なのできっと野生植物というわけではなく
お宮のかたが世話をしておられるのだろうけれど本当に
ひとつのお宮を維持していくのは大変なことなんだなと思う。
このお宮は毎年四月におそらくお宮で一番大切なお祭りがある。
昨年はなかったけれど今年はイルミネーションをするようで
若いかたが何人かいらして四月七日のお宮のお祭りに備えて
イルミネーションの飾りつけをしておられた。
その中のひとりの女の子が僕にこれ、ライブやりますので見に来てください
と神社のお祭りの日に催されるライブのチラシをくださった。
ライブをなさるのですかと僕が問うとそのかたはライブではなく
イルミネーションの担当とのこと。
いずれにしてもそういうお宮関係の仕事ができるのはきっといいことのような気がする。
女の子に桜の花が咲くタイミングともみじの葉が出るタイミングが
同じことを実物を前に話そうかと思ったけれど、その子は
僕にチラシを手渡すとまた仲間との仕事の打ち合わせに
夢中の様子だったので話すのをやめた。
宮司さんの家の玄関の扉ががらがらっと空いて
宮司さん家族のお嫁さんとおぼしき方が出ていらした。
急いでいるご様子だったけれどお花がいい感じですねと
声をかけるとそうですねとおっしゃって駅の方へ急いでいかれた。
特に年齢を聞いたことはないのだけれど見た感じ
ここのお宮は宮司さんの息子さんがちょうど僕と同じくらいの年齢で
宮司さんが僕の父とほぼ同じ年齢という感じになっている。
平日は宮司さんの息子さんは郵便局の局長さんとして
そちらの方にでていらっしゃるのでお宮の方には宮司さん
奥さんお嫁さんがおられる感じになっている。
ちょっとお参りを済ませたあと社務所で根付けを買ったついでに
宮司さんと話をした。会話は成立するのだけれど
宮司さんの耳が遠いことはかなり明確にわかる。
小さい声で言ったことはどうも聞こえていないようなので
大切なことは大きな声で言うようにした。
お参りとお花見をすませてから、お宮の向かいのラウンジに寄った。
ママがお宮のライブとお祭りのチラシを出してくださった。
さっきお宮で同じものをいただきましたとも言いにくかったので
ありがとうございますと受け取った。
トイレに入るとメープルシロップのビンにかえでのようなものが
生けてあったのでそのことを話すと
ママの妹のような感じのかたがあれはかえでではなく
アイビーという観葉植物ですとおっしゃった。
そうですか、かえでににているので間違えましたというと
そうですねとおっしゃった。
コーヒーも召し上がりますかとおっしゃったので
いいえ、食事だけにしますと言った。
ラウンジをあとにしてここまで来たんだから
M神宮の桜も見ていこうと思ってM神宮へも行った。
こちらの方は地味な感じで僕が確認した限りでは
しだれ桜のような桜が境内に一本咲いていただけだった。
その花を至近距離から写生している女性がおられた。
お堂には職人のかたが入ってふすまの入れ換え作業をやっておられた。
やはりここでもお宮の維持は大変なんだなと思う。
三月十一日にここのお宮に来たときに咲いていた
山吹は見るともうしおれていた。
なんか花はかれるというよりもしおれるという表現の方が似合う気がする。
菊の植えてあるところを見ると今年の秋にも咲くように
枝が丁寧にカットしてありカットしていないところからは
きれいは葉が出ている。
秋になったらきっときれいな花が咲くのだろうと思う。
ちょっと二週間ぐらい前に調べてみたら天皇家のご紋が
菊であるのはここにお祭りされている天皇が菊を
とても愛したためというようなことがあるウェブサイトにかかれていた。
もし、それが本当だとすればやはりここのお宮では
菊の手入れは入念になさるのかなと想像した。
ここのお宮も個体差はあるものの桜の花が咲く時期と
もみじの新緑が出始めるのがほぼ同じタイミングになっていた。
ただ、このお宮は桜やもみじよりも榊や椿など常緑の植物が多く
ちょっとその分、厳かな感じだなと思う。
やはり、神道という点では共通でもお宮ごとの特色はあるんだなと思う。
本殿の奥にお祈りの仕方として
払えたまえ 清めたまえ
守りたまえ 幸えたまえ と書いてあった。
いつか富士山麓のお宮でたずねるとこの文句が
祝詞のエッセンスというような説明を受けたけれど
そのとおりだなと思う。
                                                                                                                                                                                                

三月二十九日

2018年03月29日 | 日記
日に日に暖かくなって今日は日中は初夏の陽気になっている。
桜も僕の自宅近辺は満開になっている。
H電鉄の駅には桜情報のポスターが出ているけれど
早いところで満開、それ以外でも五分咲きになっている。
それほど路線距離の長くないH電鉄の沿線でも
桜の開花の時期にはある程度差があるようだ。
しかし、これだけ昼間は初夏の陽気でも夕方になるとまだ
気温が下がることが多いから鞄のなかに上着は入れておかないと安心できない。
昼間の気温にあわせて薄着をしていて夕方になってもそのままでいると
くしゃみが出たり寒気が来てしまう。
町を歩いていてもTシャツ姿の人から上着を着ている人まで
いろいと人によって服の着方が季節の変わり目は違っている。
春ならではの装いを楽しめるのはほんの少しの間で
あっという間に季節は初夏になってしまう。
必然的に春ならではの装いを楽しむ人は女性が多いということになる。
先日の歌声サロンで先生はスカーフのような薄いマフラーをしていらした。
春の装いという感じだ。
このようなマフラーができるのは一年のうちでもほんのわずかの間に違いない。
「先生、スカーフのようなマフラーがよくお似合いですね」と僕は言った。
「ああ、これもうずっと昔に買ったのですよ。私は古い人間ですから
昔のものを使い回ししているんです」と先生は言った。
「いいものだから長い間使えるんですよ」と僕は言った。
「最近、幅の広いズボンとか多いでしょ?あんなの私は
こわくて着られません」と先生は言った。
「そうですね」と僕は言った。
確かに幅の広い流行りのズボンが似合うのは40代くらいまでのような気がする。
ちなみに先生はアイボリー色のブラウスに下は黒いストレートのズボンだった。
それにおおぶりのネックレスをしておられた。
しかし、話があちこち飛ぶけれど春は短いと思う。

だけど春の短さを誰も知らない
と井上陽水さんのいつのまにか少女はという歌の歌詞にある。

隣の町の青少年センターは青少年の利用が優先ということになっていて
机の上に青少年センターのスタッフが席の移動などをお願いしたときは
ご協力をお願いします。と書いてある。
しかし、席を移動するようにスタッフから言われたことは一度もない。
靴を脱ぐスペースだけは申し訳ないけれど青少年に限らせてもらえないかと
言われたことはあるけれど。
僕がわかりましたというとしばらくあとになってそれを僕に言ったスタッフと
廊下ですれ違ったときスタッフのかたは「さっきは本当にごめんなさい」とおっしゃった。
きっとスタッフのかたも本当は言いたくないことをいろんな事情で言わなければ
ならなかったと言うことなのだろうと思った。
今日80才過ぎと思われる老人の男の人が
スタッフの方に「席の移動をお願いしたときはご協力をお願いします
と書いてあるけれど、こんなん書いてあったら、移動させられるんやないかと
心配で落ち着いて本が読まへんやん。
あんたら、税金で飯食っとってどういう考え方してるんや。
今の安倍さんかてなあひどいもんやろ」というようなことをえんえんと
話していた。
スタッフのかたは話を聞いていろいろ説明しておられたけれど
議論は国会中継と同様どこまでも平行線のようだった。
しばらくするとスタッフのお姉さんは説明をしながら
咳をしだした。まったくタンのからんでないストレス性の咳だ。
ところがおじいさんの話が一段落してスタッフのお姉さんが
席に戻ると五分もたたないうちにそのせきはやんだ。
うまい具合にストレス性の咳も出るもんだなあと思った。
村上春樹さんのエッセイに女性は怒ることがあって
怒るのではなく怒りたいから怒るのだという主旨の記述がある。
お年寄りも同様で怒る内容があって怒るというよりも
怒りたいから怒るのかもしれない。
しかし、おじいさんの気持ちもわからないではない。
僕はカラオケボックスでごく標準的なボリュームで歌っていたら
スタッフがボックスのなかに入ってきて
「ちょっとこの部屋は音が響きますのでボリュームを下げます」といって
ボリュームを下げて出ていったことが二度ほどある。
それ以来カラオケのボックスに入るときには
もしカラオケのスタッフがボリュームを下げに来ても
決して腹をたてることなく、素直にスタッフの指示に従うことが
できますように、と祈っている。
八王源先生は独特の論理の考え方をする人で
線路の近くにすんでいる人が電車の音がうるさいと訴訟を起こすと
「線路の近くは土地が安い。土地が安いからといってそこの土地に
家を建てておいて電車の音がうるさいと訴訟をおこす
そんな勝手のいい理屈があるかね」と僕によくおっしゃっていた。
この八王源先生の論理は普遍的道徳則として通用するかどうかは
わからないけれど、安い飲食店や娯楽施設に入ったときは
少々のことがあってもその分値段が安いんだからと自分に言い聞かせるように
心がけている。

桜 歌 係り結び 下半身の力

2018年03月28日 | 日記
ずいぶん暖かくなりもうすっかり春という気がする。
自宅最寄り駅前のさくらもほぼ満開になっている。
桜だけではなく線路の土手やちょっとした空き地には
僕が名前を知らないちょっとした小さな花が咲いていたりする。
やっぱり春だなあと思う。
市民交流センターの職員の方に暖かくなりましたねというと。
桜が満開ですねもう散りますねとおっしゃった。
咲くともう散るのが惜しいのが桜なんですよと僕は言った。
郡上節の歌詞に

咲いた桜になぜ駒つなぐ駒が勇めば花が散る
というのがあるけれど、散る花を惜しむ心情を
ユーモアや世俗の何気ない会話のなかに巧みに表現した歌詞だと思う。
こういうのがあるから郡上節はたまらないなと思う。
 
昨日の歌声サロンで仰げば尊としを歌った。
歌詞のなかに今こそ分かれめというのがある。
ここを歌の先生は別れめは已然形と説明しておられた。
そういえば今こそのこそが係助詞でめが已然形で
いわゆる係り結びになっている。
昔の歌はこういうのが結構あって歌詞が格調高いなと思う。
係り結びということには先生の已然形というご指摘ですぐに
気づいたのだけれど家に帰ってから
今こそ分かれ目を調べてみると
別れめは別れむの已然形となっている。
ここまで解説が詳しいと別れむが別れようという意味で
現代語に直訳すると今こそ別れようということになる。
そうだったのかと今さらのように感心してしまう。
今こそ分かれめ は係り結びになっているけれど
意味は今こそ別れようということ。
小学校の時この歌を卒業式で練習し歌ったときには
今こそ分かれ目だと思っていた。
いやあ、勉強になったし、昔の人が書いた歌詞って奥が深いんだなと思う。

そういうことを皆まで解説しないでわかれめは已然形だけおっしゃって
含みを持たせる歌声サロンの先生も素晴らしいなと思う。
きっと若い頃は音楽だけでなくて他の勉強でも賢かったんだろうと
いろいろ想像してしまう。

リラクゼーションサロンに行って足やおしりがこっているんんですよ
と言うと、下半身を重点的にもみほぐしてくださって
最後に
「普通の人は上半身に力が入って、それで肩凝りや首のこり
肩甲骨の凝りが起きます。ナカシマさんの場合は下半身に凝りがきていると
いうことは逆に言えば下半身がうまく使えていて上半身の凝りを防いでいる
いいことだと思いますよ」と説明してくださった。
僕も上半身が凝るよりも下半身の凝りの方が身体的にはありがたいし
セラピストさんのおっしゃる通りだなと思ってなんだか嬉しかった。
だんだん、季節の流れとともにいろいろなことが
いい方向に流れていくように祈っている。


桜の季節

2018年03月27日 | 日記
ここ数日と同様、今日も春の陽気となっている。
自宅最寄り駅前の桜も満開とはいかないまでも
七分咲きくらいになってきた。
何年か前に新聞に入学式の頃に咲いていた桜が
最近はむしろ卒業式とタイミングがあうようになってしまった
ということが書いてあった。
そういわれてみれば最近桜の開花が早いような気がする。
昔、予備校に勤めていた頃、入学式手配りというのに行っていた。
大学受験する人の多い高校の入学式に予備校の案内物を配りにいく行事だ。
会社の営業の一貫としての仕事なので行事というのもちょっと変かもしれないけれど
毎年同じことをやっているとなんだか行事という感覚になってくる。
そう入学式手配りに行っていた頃は確かに桜の花が咲いていて
花吹雪のなかを手配りしていた記憶がある。
やはり、地球温暖化なのかなと思ったりする。
隣の町の市民交流センターで催された歌声サロンに参加した。
歌の先生も桜の歌は四月にもってきましたがこの調子だと
四月には桜はもう散っているかも知れませんね。
歌の世界で桜の満開を楽しみましょうと言っておられた。
今日はレギュラーのピアノの伴奏の先生がお休みだった。
歌声サロンが始まる前にちょっと歌の先生と立ち話をしたのだけれど
「今日は伴奏の先生は息子さんの卒業式でお休みなんですよ」とおっしゃた。
「そうですか。小学校の卒業式ですか」と僕は言った。
「それがね、大学なんですよ」と歌の先生はおっしゃった。
「ええ?大学ですか?」と僕は言った。
「ね、歳はわからないでしょ?」と歌の先生は意味深な笑みと目でおっしゃった。
「そうですね。ちょっと見には大学卒業の息子さんがいるようには
見えないですね」と僕は言った。
「でしょ。私は今年孫が大学入学ですけどね」と歌の先生はおっしゃった。
「それはおめでとうございます」と僕は言った。
「ありがとうございます」と歌の先生はおっしゃった。
代理の伴奏の先生も歌の先生との繋がりの方だ。
長年地道に音楽の活動を続けておられると先生にも
同じ世界の繋がりができるということなのだろうと思った。
代理のピアノの先生はレギュラーの先生と比べると
学校の音楽の先生のようなタイプの伴奏かなと思った。
普段のレギュラーの先生はかなり広い表現のバリエーションを
もっておられるとは思う。
今日は今日でよかったけれど。
会がおわって歌の先生に挨拶すると
「最近上手になられましたね」と先生はおっしゃった。
「そうですね、最近ちょっと変化しているような気がします」と僕は言った。
なんとなく少しずつ変化しているように自分でも思う。
よい変化でありますようにと祈りたい。