ケンのブログ

日々の雑感や日記

バイブにしてたから 

2018年10月31日 | 日記
今日、隣の町の本通りを歩いていたら
道端でおばちゃんがいきなり携帯電話を取り出して
「バイブにしてたから電話に出られんかった。ゴメン」と言った。
ちょっと小太りのおばちゃんだった。
大阪のおばちゃんだなと思う。
田園調布あたりの奥さまだったら
「ちょっと電話をサイレントモードにしておりまして
失礼いたしました」とか
マナーモードにしておりましてというところだと思う。
バイブにしてたからってやはり大阪のおばちゃんはすごいなとおもう。
昨日、町の市民交流センターに居たら
おばちゃんが来てカウンターの受付の
係りの人に話しかけていた。
おっしゃるとかそういう敬語はしっかり使える方だった。
しかし、その方は午後一時からの催しを
午後二時半からと勘違いしておられ
また、催しが行われるフロアーも勘違いしておられた。
市民交流センターの係りの人がその方に
「ここの予定表には一時開始と書いてあります」というと
そのおばちゃんは
「ええ?二時半じゃないの」と言っていた。
おばちゃんが二時半から始まると勘違いしたことが
まるで市民交流センターの過失でもあるかのような口調だった。
こういうところは概して都会は怖いなと思う。
と安易に都会、田舎と話を一般化するのはよくないかもしれないけれど
田舎にはこういうおばちゃんも少ないような気がする。
少なくとも割合としては、、、。
基本的に公民館や市民交流センターは部屋を貸す責任は
あるけれど、そこで行われる催しの日時を
告知する責任は催しの主催者にある。
やはり、原則を知っておくことは大切だと思う。
今日は十月三十一日でハロウィンと朝のラジオ番組で言っていた。
そうか、今年もあと二ヶ月かと思う。
本当に早いな、、、。
ラジオでは「今日はカボチャを煮て食べます」というお便りが
紹介されていた。
それはハロウィンにカボチャを煮て食べるのは
とても健全でささやかな楽しみだと思う。
週末に渋谷であったように軽トラックを倒してしまうのは
あまりにもひどいと思う。
昨日、夕刻にスーパーに行くと小さいカボチャと
普通のサイズのカボチャを四分の一くらいに切った切れはしが
たくさん売ってあった。
普通のサイズを四分の一程度に切ったカボチャよりも
もともと小さいサイズのカボチャの方がかなり値段が高い。
それはそうだろうなと思う。
今日100Yenショップへ行くと若いカップルが
カボチャの置物を買い求めていた。
いいなと思う。

過ごしやすい季節

2018年10月30日 | 日記
だんだん秋が深まってくるけれど
過ごしやすい季節だなと思う。
朝晩は気温が10度前後になるけれどまだ真冬のように
からだの芯から寒くなるという状況には至っていない。
僕はここ数年は冬も半袖の下着シャツというか
半袖のTシャツを下着と兼用で使っている。
夜になってちょっと気温が下がってくると
今年の冬はユニクロのヒートテックの長袖下着シャツに
しようかとちょっと季節を先取りしたことを
考えたりする。
ユニクロの店舗をちょっと見てみると店内は
マフラー、コートなど冬物中心の品揃えになっている。
この時期それが当たり前と言えば当たり前だけれど。
町を歩いているとこの時期はコートを着ている人から
比較的薄着の人まで人によって重ね着の枚数に
ばらつきの出やすい季節になっている。
この時期に厚着をしている人はたぶん寒がりなのだろうし
薄着の人はからだが暖まりやすい人なのかも知れない。
僕は薄着の方に属している。
ちょっと大阪の南の町のファーストフードの店に入ったら
お店のテレビのニュースで東京、渋谷でこの週末
ハロウィンに集まった人たちが暴徒化したということを
知らせていた。
ちょっとみただけなので詳しいことはわからないけれど、、、。
僕はこの時期になるといろんなお店にカボチャの置物が
飾ってあったりしてそれで季節を感じることは好きだけれど
ハロウィンだからといって仮装行列に参加したりすることは
気が進まない。
昨年のこの時期に歌声サロンの先生が
「ハロウィンと言ってもケルト人の収穫の
お祭りでしょ。私はそんなもので騒ぐ人の気が知れないのですよ」と
おっしゃっていたけれどその気持ちはわかるような気がする。
日本はハロウィン、クリスマス、バレンタインなどは
商業主導のイベントという意味合いが強いことは否定できない。
毎年この時期に同じことを書いているような気がするけれど
クリスマスが終わるとあっというまにその装飾を
取り払って新年の飾り付けになってしまうことが
それを象徴しているような気がする。
それにこの時期の季節感を本当にしみじみと味わうには
菊や雁、紅葉そういったものを想像した方が
日本人の心情には合うように思える。
桜の木を観察していると部分的に黄色や紅に葉が色づいてきているように
思うけれど、まだいわゆる紅葉のシーズンは少し先のような気がする。
ラジオのDJが山ではもう紅葉ということを言っていた。
確か僕の記憶では100メートル標高が上がると0.6℃気温が下がると
思うので1000メートル標高が上がると6℃下がることになる。
それは標高の高いところではもう紅葉だなと思う。
平地も紅葉の時期になったら近場のお宮へでもいこうかなと思う。

再び大阪に戻ってきて

2018年10月29日 | 日記
十日間の岐阜への帰省を終え再び昨日
大阪に戻ってきた。
スーパーマーケットに行って
「これ、なんぼや、買うんか、買わんのか」と
夫婦が話しているのを聞くと
岐阜から大阪に戻った直後は
どぎつい言葉だなと思ってしまう。
逆に岐阜の言葉は穏やかだと思う。
まあ、故郷が懐かしくて言葉が穏やかに思えるという
バイアスもあると思うけれど。
上田正樹の大阪に出てきてからという歌が

大阪に出てきてからもう一年
どぎつい大阪弁にも慣れたけど
というフレーズで始まることをしみじみと思い出す。

そういえば上田正樹、県立岐阜高校に在籍していたことが
あるらしい。
岐阜と大阪の言葉、両方知っていれば
それは大阪弁がどぎつく思えるような気がする。

朝ラジオを聞いていたらさだまさしさんの
風に立つライオンという歌が流れていて

故郷ではなく東京の桜が恋しいということが
自分でもおかしいくらいです

というフレーズが耳に残った。

このフレーズは君とみた千鳥ヶ淵の桜が
恋しいという文脈で出てくるのだけれど
僕には東京の桜が恋しいとか
大阪の桜が恋しいとかそういう感情は
ないな、とこのフレーズを聴くたび思う。

将来、もし大阪を離れたら
ここでみたもろもろが懐かしくなることはあるかも知れないけれど、、、。

十月二十六日

2018年10月26日 | 日記
このところ朝晩は寒くて昼間に太陽が
照ると暖かくなると言う日が続いている。
暑くなると服を脱ぎ寒いと着るので
服を脱いだり着たりに忙しい毎日だなあと思う。
僕はたぶん服を着たり脱いだりが
人並みよりもちょっと多いような気がする。
この季節は寒がりの人とそうでない人で
着る服の枚数の差が出やすいと思う。
朝は車のウインドウが寒さで曇っている。
普段それほど車を運転しないので
こういう状況になるとどう対処したらよいのか
わからなくなってしまう。
車を発進させたらフロントガラスの曇りの程度が
著しくて視界が悪くなったのでこれはあかんと
思って車を路肩に停止させて曇りがとれるのを
待ったこともある。
それにこりて次の日からはウインドウの曇りを
布で拭き取って、さらにワイパーを回すようにしたら
それほど著しい曇りで車を停止させる必要もなくなった。
もっといい方法もあるような気がするけれど
まあ、車もたまにしか乗らないからそういう応急的な
処置でもいいかなと思う。
川沿いを車で走っていて蛇行する川
そして山並みをみていると故郷に帰ってきたんだなと思う。

久しぶりに満月をみる

2018年10月24日 | 日記
夜、駐車場から空を見たら満月だった。
新聞の月齢を今朝見たら16となっていたので
もう満月は過ぎたと思っていた。
しかし、ネットで月齢カレンダーを見ると
月齢は16で満月となっていた。
やはり満月だったのだなと思った。
中秋の名月の日は雲の向こうに月が出ていて
まともに月をみたという感じではなかった。
今夜は晴れていて月がはっきりと見えた。
久しぶりに満月をみたなと思う。

最近、日にち薬という言葉を聞いた。
例えば怪我なども日の経過と共にしだいに治っていく
という意味があるかと思う。
八王源先生が亡くなる数日前にお見舞いに行ったら
先生はこう言われた。
「これが骨折やったら、松葉杖がとれた
ギプスがとれた、と順番に希望が持てるけれど
ケンちゃん、今の私に何の希望があるね?
希望もないのに人に来てもらっても
時間を使わせるだけやで、今度の病気は
私は人には言わんことにしておるの」と。
それを聞いて僕はああ、先生もう
自分がまもなく死ぬと思っておられるのだなとなんとなく感じた。
その言葉を聞いていたので
その数日後に再び先生を見舞って
先生の体に取り付けられた脈拍などをはかる機械が
100を優に越える数値を示しているのをみて
ああもう危篤だなとおもって先生に
しっかりとお別れの言葉をいうことができた。
その二日後に先生は亡くなった。
先生の言葉を聞いて、なおる見込みがあれば
病気も希望につながるんだなと思った。
パウロの言う通り愛と希望と信仰は
いわばセットのようなものなのだと思う。