ケンのブログ

日々の雑感や日記

京都市交響楽団定期演奏会を聴きに行く。(第684回)

2023年11月28日 | 音楽
11月25日 京都コンサートホールへ京都市交響楽団第684回定期演奏会を聴きに行く。

指揮はシルヴァン カンブルランさん。

最初にモーツァルトの交響曲第31番K.297
が演奏された。

演奏に先立つプレトークでシルヴァン カンブルランさんはこの交響曲はモーツァルトにとって約5年ぶりの交響曲であること そしてこの交響曲ではクラリネット彼の交響曲の中で初めて使われたことを指摘しておられた。

5年ぶりということはあまり意識しなかったけれど クラリネットが初めてというのは僕も意識した。

それで クラリネットにも注目して聴いていたのだけれど 僕は 木管楽器の音色を聞き分けるのがどうもうまくなくてよくわからなかった。

それよりも ホルンが木管と並行して響く場面というのが多くて それはこの交響曲が書かれた時代としては結構前衛的なことなのではなかったのだろうかと想像した。

あくまで想像ですけど、、、。

あと 金管 木管を通して響きが柔らかいなと思った。

弦楽器もよかったけれど 特に第一楽章で 響きがもっとクリアであればと思う場面もあった。

ただ 弦楽器は 第二楽章 第三楽章と演奏が進むにつれて音が生き生きしてきたように感じた。

でも やっぱり モーツァルトは美しいなと思う。

20分の休憩をはさんで次に演奏されたのが
ブルックナーの交響曲第4番

プレトークで指揮のシルヴァン カンブルランさんが使用する楽譜にメトロノームのテンポ指定があるということを語っておられ 要するに メトロノーム記号だとアンダンテとかアレグロというよりもはるかに客観的にテンポを指定することができる という主旨のことを語っておられたときには少し心配になった。

昔 メトロノームの指定通りに演奏したベートーヴェンとかきいて 個人的にはちょっとがっかりした経験があるから、、、。


でも 演奏が始まるとそんな心配は吹き飛んだ。

とても メトロノームの指定をきっちり守っているという感じの演奏にはおもえなかったし。

モーツァルトの演奏に引き続いて この ブルックナーも響きが柔らかい 特に管楽器の響きが柔らかくてマイルドと感じた。

4番は 家でCDでも割とよく聴いていた時代があったので 演奏を聴いていると大体次の曲の展開は想像できるという感じに僕はなっている。

例えば 過去に僕が聴いた演奏で ここでは 金管が かなりの音量で来るのではないかと身構えていると 音量はそんなにこなくてやや控えめという感じだった。

僕の場合 ブルックナーは 金管がうるさいのは あまり 好きでない傾向があるので こういうマイルドで柔らかい響きはありがたかった。

第二楽章で ピチカートに乗って 弦楽器による 神秘的な旋律が聴こえてきたので 見るとヴィオラが旋律を奏でて 他の弦楽器がピチカートでこれに合いの手を入れる という構成になっていた。

楽器の音色を聴き分けるのが僕は苦手なので こういうことは コンサートでなければわからないことで 本当に生演奏が聴けるのはありがたいことだなと思った。

ブルックナーと言えば ブルックナー開始 ブルックナーリズム ブルックナー停止ということがよくいろんな説明に書いてある。

曲の開始も 家でラジカセで聴いていると いきなりホルンの響きが聴こえてくる感じだけれど コンサートだと 最初の弦のトレモロも聴こえてくるし目視もできるので やっぱりいいな。

ブルックナー停止にともなう残響も 京都コンサートホールは残響が長いので 本当に厳かな感じに聴こえた。

あと どの楽章とかいうのは忘れたけれど 全曲を通じて 今までに僕が聴いた演奏の総括的なイメージからすれば ここは 金管は つなげて つまりレガートで演奏するだろうというところで 音をあまりつなげないで つまりノンレガートで演奏される という場面が結構出てきたのは印象深かった。

楽譜がそのようになっているのか 指揮者の解釈なのかはわからないけれど、、、。

楽譜はプログラムにコーストヴエット版と書いてある。

そのような聴きなれない名前の楽譜のせいかもしれないけれど 演奏の次の展開が大体わかる程度には曲をCDなどで聴いている僕にとっては あれ ここは こんな展開だったっけ と思う場面が少なくとも一度はあった。

そういうもの興味深い体験だった。

コンサートが引けた後 電車に乗ったら 僕の後ろに立っていた 二人の若い女性がタラコ唇をいかにカバーするかという話題で盛り上がっていて ずっと 関西に住んでいればそんなこと思わないだろうけれど やっぱり たまに関西に来ると 関西の人はしゃべくるし面白いなと思う。

それはともかく いちにち いちにち 無事に過ごせますように それを第一に願っていきたい。

システムの発達

2023年11月25日 | 日記
ここ数日 気温が10度を切ることがままあって いよいよ寒くなったなと感じる。

夜になると エアコンの暖房にプラスして電気ストーブを併用することも多くなった。

窓の近くにパソコンが置いてあるから 窓の近くから部屋が冷えてくるという感じで、電気ストーブは主にパソコン台の近くで使うことが多い。

オリオン座も僕が見る時間は 東の空に輝いている。

冬だなと思う。

100円ショップなどにはクリスマスのグッズがいっぱいおいてあるし、、、。

母が今は電話もひとりひとり それに付随して いろんな連絡手段 あるいは 各種端末がひとりひとり という時代になっている だから 一見便利になったようで 逆に人間が孤独になっている という主旨のことをよく話している。

本当に 世の中がシステム化されて 予約なども 電話を入れると 要領を得ない対応をされるから いっそのこと ネットで 予約。

でも ネットで 予約すると キャンセルも クリック一つでできてしまうし 無断キャンセルなども 電話で声を聴いていない分 抵抗がなくなってしまう。

その結果かどうか わからないけれど アプリを導入している お店の予約状況を見ると キャンセル待ち という表示が 出る場合が多い。

キャンセルが出たら 通知します という表示が出るアプリもあるけれど 通知されたときは もう 別のことを考えていたりして 逆に面倒くさいなと思ってしまう。

それに そんなに キャンセル待ち というほど 実際 あの店 いつも混んでいるかなあ と思ってしまうこともある。

いっそのこと 予約などしないで ダメなら 他を当たればいい という気持ちで飛び込んだ方がいい結果を招くことさえあるし、、、。

たぶん 私立大学が 合格者のうちの 一定数は他の大学に流れるから合格者を定員の何倍も出すように アプリの予約も 予約したうちの実際に何人来るかは お店も読めないのではないのでは と思ってしまう。

電話で予約していた時代は 予約していくと 「はい 予約のお客様でしたね。お待ちしてました」という感じだったけれど アプリの予約だと システムにまだ慣れていないお店だと 「ああ 予約されてたんですね」と店員さんが言って それから 店員さんがパソコンの画面を見て「ああ 予約が入ってます」となることが多い。

もう 店員さんは お客と パソコンの両方に気を遣うから 言葉づかいも はっきりしない感じになってしまうし。

本当に このまま 世の中のシステム化が進むと どうなるんだろうと 思ってしまう。

自動精算では バーコードを読んだふりをして お金を払わずに行ってしまう といういわば 新種の窃盗が あとを絶たなくなって 声掛けを強化しなければならない という記事が 2,3日前に 出ていたし。

声掛けの 店員さんに 見張られながら 自動精算するのもあんまり感じの良いものではないし。

本当に システムの 発達のし過ぎが 逆に 人類滅亡の原因にならなければいいけれど という心配が生まれてくるまでに システムが発達してしまっているように感じる。

そして システムの発達に 人間が追い付いていないとも感じる。

追いついていないのに システムを導入しないと負けてしまうから という不安から よく吟味しないまま システムを導入して えらいことになっている というのが今の世の中のようにも思えてくる。

まあ それは ともかく いちにち いちにち 無事にすごせますように それを第一に願っていきたい。



夜の駐車場

2023年11月11日 | 日記
夜 コンビニを見ると お客さんの数より 駐車している自動車の数の方がどうみても多いということがままある。

要するに 自動車を止めてどこかに行っているか 暗い車内に誰かが潜んでいる可能性が極めて高いということになる。

どちらにしても あまり 気持ちの良いものではないので 昼間でもそうだけれど 特に夜は 自分の自動車以外の車には 極力 視線を向けないで うつむいて歩くようにしている。

20歳代のころに八王源先生から 他人との無用のトラブルを避けるには 目を合わせないことが大切 と教わったことが心の片隅にあるのだと思う。

確かに 例えば 関西だと 「お前 今 メンチきったやろう」とか 「なにメンチ切っとんねん」とか言って絡まれている人を見かけたことがある。

僕自身も 直接そのような言葉でからまれたことはないけれど 予備校で働いているときに「お前のクラスの生徒 俺が ちょっと注意したら メンチ切ってきたで ちゃんと礼儀を守るように 生徒に言っとけ」と他の職員に言われたことがある。

これも 言われたというよりも絡まれたのかもしれないけれど、、、。

結構 その職員とは 一緒に食事に行ったりもしたけれど、、、。

まあ そんなこともあって 極力 他の自動車を見ないようにしている。

一方 自分は 自動車の中に 深海魚のように潜んでいると思われるのがいやなので 夜 コンビニに限らず駐車すると すぐに 車内灯をつけて 車内を明るくすることが多い。

そうすると 車内は暗いままで 急に カーラジオをかなりの音量で 5秒くらいだけオンにしてまた切ったり、一瞬エンジンを起動して また切ったり ちょっと自動車から降りて ドアをちょっとこれみよがしにバタンとしめて 友達とちょっと話して また車内に戻ったり、大阪で暮らしていたころの感覚で考えると 「ようわからんな」という行動をする人も結構多い。

それで カードやアプリなどをあらかじめ 車内でチェックして 他の自動車に視線をやらないようにして コンビニの店内にはいっていって しかるべき 用事をすませて 出てくると コンビニに駐車していた自動車が 一台も いなくなっている ということも時々ある。

僕も深海魚のように 夜 自動車に潜んでいる人が 怖いと思うように また 自動車に潜んでいる人も いろいろ 気をつけながら 行動しているのだなとは思う。

でも どちらにしても あまり 気持ちのいいものではない。

大阪では 電車で行動することが多かった。

電車では みんな 自動車というヨロイはかぶっていなくて その意味で みんな 丸腰なので 逆に安心という感じがする。

都会の人は それなりに 電車の中での ふるまいになれているし、、、。

まだ いろんな意味で 東海地方の感覚になれるのには時間がかかるな とは思う。

それはともかく いちにち いちにち 無事でありますように それを第一に願っていきたい。







休日の道路

2023年11月05日 | 日記
東海地方に引っ越してきて ほぼ 毎日 自動車に乗るようになる。

一方 会社に勤めているわけではないので 今日は何曜日だったか忘れてしまうことがある。

自動車に乗っていて あれ こんなところで こんなに速い速度で走る自動車 普段はあまりないな とか 今日は 回りの自動車の流れというか 交通状況の雰囲気が違うなと思うことがある。

そして あとで ああ 今日は 土曜日 日曜日だったとか 気づくことがある。

自動車の運転がうまくなったわけではないけれど 休日に 何か ちょっと変だなと思うことが多くなったのは それだけ 自動車に乗る 機会が常態化したということだと思う。

大阪にいたころは 逆に 自動車に乗るのは 休日が多かったのであまり そういうことに気付かなかった。

移動手段が変わると いろいろ 感じ方も違ってくるんだなと思う。

気付けば 半月くらい前から 夜中になると 東の空にオリオン座が見えるようになったし 昼間は気温が上がることも多いけれど やっぱり冬だなと思う。


オリオン座に限らず 恒星は一年で 一周回転する・・・ というか 実際は 地球の自転や公転の関係で回転しているように見えるだけなのかもしれないけれど。

それを思ったとき 一年が 365日なのと 角度の単位も一周で360度でほぼ等しいのは 二つの事柄の間になにか 関係があるはずだと思った。

それで グーグルで 一年365日と 角度は一周360度の関係を検索語にして調べてみると やはり この二つの数字は 大きな関係があると書いてある。

そのことがわかればオリオン座は同じ時刻に見ると 一ケ月で西に何度 いどうしますか?と問われれば 一か月が30日なので 角度も ほぼ30度西に移動するということになる。

こうなると 理科の問題も ほとんど 暗記で解けるということになるな とどうでもいいことを考えたりする。

それはともかく いちにち いちにち 無事にすごせますように それを第一に願っていきたい。