2月15日 京都コンサートホールに京都市交響楽団第697回定期演奏会を聴きに行った。
最近ずぼらになってきて、定期演奏会の演奏曲目は当日コンサートホールでプログラムをもらって知ることも時々ある。
年間スケジュールであらかじめ演奏曲目を確認していても忘れてしまうこともあるし。
今日は指揮が準メルクルさんとは知っていたけれどラフマニノフのパガニーニの主題による変奏曲と知ったのは演奏会の当日だった。
その二日くらい前に家でブルーノワルターが1950年にニューヨークフィルと演奏したベートーヴェンの交響曲第五番のモノラル録音のCDを聴いた。
そこに収められている演奏は かなりテンポ変動が激しく、なんとなくドラマチックな演出であるように聴こえた。
そしてアメリカでのモノラル録音の時代のこういう演奏はラフマニノフなど20世紀前半に主要な作品を残した作曲家の音楽がもつドラマ性と共通した時代的な背景があるのかもしれないとなんとなく思った。
そういえば戦争などの影響でヨーロッパを離れアメリカに生活の拠点を置いたことはラフマニノフもブルーノワルターも共通している。
そんな矢先に演奏会でラフマニノフの晩年の作品を聴けるのは偶然にせよなんとなくいいタイミングだなと思った。
演奏会では最初に指揮、準メルクルさん ピアノ独奏アレクサンドラ ドヴガンさんで
ラフマニノフ「パガニーニの主題による狂詩曲」が演奏された。
バイオリンの弦の音とピアノのからみがスリリングに聴こえた。
音楽の前半でバイオリンが弓で弦をたたくような奏法をしていた。
僕が知る限りこのような奏法があるのはベルリオーズ 幻想交響曲の第五楽章だけだぞ、と思う間もなく幻想交響曲第五楽章の主要な主題と同じメロディが出てきた。
家に帰ってきて演奏会プログラムの楽曲解説で確認するとこのメロディはグレゴリオ聖歌の「怒りの日」と出ている。
YouTubeを見て確認すると「怒りの日」はこの弓で弦をたたく奏法の後で初めて出てくるわけではないけれど この順序で出てくる時が最も幻想交響曲での使われかたに近い旋律の出し方だと思った。
幻想交響曲では弓で弦をたたく奏法に続いてこの「怒りの日」のテーマが出てきてそして曲がフィニッシュとなる。
ラフマニノフでも弓をたたく奏法から「怒りの日」のテーマの提示となる。
こういうことはきっとラフマニノフは意識してやったと思う。
僕個人にとっては世紀の大発見だった。
これも演奏会で視覚を伴った状態で聴くから気づくことで、家でCDを何回聴いても気づかなかった。
やはり生演奏はいいなと思う。
クライマックスの第18変奏が終わり19変奏以降は音楽がフィニッシュに向かって盛り上がっていく。
この場面で弦楽器の響きにもう少し骨太なものであればもっといいのにと思った場面があった。
それは僕の好みと言うか願望だけれど。
全体的に振り返ればとても素晴らしい演奏だったと思う。
20分の休憩をはさんで次にラヴェルの「ダフニスとクロエ」全曲が演奏された。
有名な日の出の場面、
ころがる木管が鳥のさえずりなど日の出の中での個々の営みを表し それと並行してゆったりと音が動く弦楽器は夜明けの個々の営みの背景、つまり空とかそういうものを表していると思った。
その意味で絵画的だなと感じた。
前半いろんな曲想が次々と出てきて「展覧会の絵」を連想した。
やはりラヴェルのような人が何の考えもなく「展覧会の絵」をオーケストラに編曲することはないのだろうなと思った。
木管はオーボエ フルート ファゴット クラリネットと言うのが僕の心の基本にあるけど管楽器がそれよりもたくさんステージに並ぶのでその心の基本ラインが崩れてしまう。
あれ、変わった音が出てるけど、どこから出てるの?と思っているうちに曲が次の段階に進んでいたり よく演奏に集中できていない時間も結構あった。
この日の演奏はコーラスを伴う形でなされた。
コーラスは最初に出てきたとき神秘的だなと思った。
メルクルさんがプレトークでこの曲の主要なテーマをピアノで奏でてくださりそれは「愛のテーマ」と言うのだと語っておられた。
そのテーマは本当にいろんな楽器で繰り返し出てきたけれど 特にビオラで出てくる場面が僕には印象的だった。
メルクルさんがダフニスとクロエはラベルの曲の中でも情熱的なもの(パッション)という主旨のことを言っておられたけれどビオラでこの旋律が出てくるときになんとなく特に情熱と言うか熱い思いが感じられるような気がした。
メルクルさんの指揮は体幹がしっかりしていて指示が細やかで鋭く さすがに世界の多方面で活躍しておられる方だなと思った。
お客さんの入りもよかったしちょっといつもの定期演奏会とは違う緊張感があったのできっと東京方面からもお客さんが来ておられたのではないかと思った。
メルクルさんはNHK交響楽団にもよくでておられる方だから。
最近の京都市交響楽団はいつも安心して聴けるなと思う。
それはともかく一日いちにち無事に過ごせますように それを第一に願っていきたい。