ケンのブログ

日々の雑感や日記

月が出ていた

2017年09月30日 | 日記
午後6時過ぎに隣町の駅前広場から
月が見えた。まだ半月に近い月だけれど
一昨日に見た月よりもふくらんでいて
満月にだんだん近くなっていることがわかる。
日が短くなってきて午後6時はもうほぼ完全に
夜の感じだから月も見映えがするなと思う。
松任谷由実さんの歌の歌詞に
次の日から欠ける満月より十四番目の月が
一番好き、というものがある。
僕は十四番目の月が一番好きと言うわけではないけれど
だんだん欠けていく月を見るよりも
ふくらんでいく月を見る方が基本的には好きだと思う。
ふくらんでいく月を見るとき僕はしばしば
松任谷由実さんの十四番目の月の歌詞を
心に思い描く。

男女の思考方法の違い?

2017年09月30日 | 日記
最近、コンビニで紙パックのコーヒー牛乳を買うことが多い。
僕は紙パックの飲料をコンビニで買うときほとんどの場合
「袋は要りません、ただ、ストローはつけてください」と言う。
すると大概の女性店員さんはストローをテープで
紙パックに貼り付けてくださる。
貼り付けてくださらない場合も「ストロー貼っときましょうか」と聞いてくださる。
そして、大概の男性店員さんは紙パックに直接テープを貼り付けて
ストローは別に出してくださる。
僕は紙パックの飲料を袋なしで買った場合、それを
直接鞄の中に入れてしまう。
なので、ストローと紙パックが別々だと
鞄の中でストローがどこにいったのかわからなくて
探すのに手間がかかる。
つまり、ストローを紙パックに貼り付けていただける方が
ありがたい。
しかし、僕がもしコンビニの店員だったらどうするだろう。
やはり、テープは紙パックに直接貼り付けてストローは
別に出すと思う。
なぜなら、客が袋は不必要と言った場合
会計を済ませた印にテープを商品に貼るのが原則だし
その原則にはテープでストローを商品に貼り付けるという
ケースは想定されていないから。
でも、最近「何をやっても女の人には勝てない」という
男の人が いたけれど、そんな気持ちも僕なりにわかるような気がする。

桑田真澄さんの言葉

2017年09月29日 | 日記
本当に久しぶりにテレビを消音でつけたら
桑田真澄さんが出てきた。
思わずテレビの音声をONにした。
桑田真澄さんはこんなことをおっしゃった。
「甲子園の過酷な連投でこいつがいたら俺なんかとても
かなわないだろうなという人が怪我をしていっぱい消えていきました。
過酷な連投から選手を守るべきです。タイブレークではまだ不十分で
僕は球数制限をもうけるべきだと思います。
そうすると甲子園が盛り上がらないという意見が出てきますが
そんなことはありません。球数制限があっても
高校生が真剣に取り組む姿は必ず伝わります」
その言葉を聞いてポロポロっと涙がこぼれてしまった。
これは真剣にやった経験のある人の言葉だなと思って。
真剣に何かに打ち込む経験のある人生ってやっぱりいいなと思う。
※桑田真澄さんの言葉はテレビの音声を聞き取って記憶で
書いたので大筋の内容はこの通りですが細部は不正確です。

月が出ていた

2017年09月28日 | 日記
午後7時頃自宅近所のスーパーマーケットで買い物をして
外に出るとほとんど雲のない空に半月に近い月が出ていた。
雲はないけれど、今日はずいぶん気温が低かったように思える。
薄手のコートを着ている人も少しいた。
僕は今日は半袖だったけれどもういつ長袖を着ても
おかしくない時期になったなと思う。

新渡戸稲造の言葉

2017年09月27日 | 日記
ちょっと、新渡戸稲造の武士道という本をパラパラと
適当に読んでいたらこんな言葉が書いてあった。
「人類の半分を占める女性は時に矛盾(パラドックス)の典型と呼ばれる。
というのは、女性の心の直感的な働きは、男性の算数的理解力をはるかに
超えているからである。神秘的あるいは不可知を意味する妙という
漢字は若いという意味の少と女という二つの漢字が組み合わされている。
というのは女性の身体の美しさと、繊細な発想は
男性の粗雑な心理的理解力では説明できないからである」
こんな文章を読むと以前五千円札の顔になっていた
おじさんはすごいおじさんなんだなと思ってしまう。
※訳文は奈良本辰也さんによります。(新渡戸稲造、武士道の
原著は英語で書かれています)