ケンのブログ

日々の雑感や日記

2025年02月06日 | 日記
2月5日 雪が降る。

実家の庭の木は本当に綿帽子をかぶっている。

文部省唱歌 「雪」 の歌詞の通りだなと思う。

夜 自動車で走る。

雪は結構、局地的なもので予想外に 道路が凍結している場所に突入。

どんな自動車が後ろから接近してきても30キロ マックスでも40キロで走ると決意。

赤信号でブレーキを踏んだら大雑把な感覚だけれど25メートルくらいスリップして自動車が停車。

停止線を越えた横断歩道の中に自動車が入り込む一歩手前で停車した。

びっくりしたけどゆっくり走っていてよかった。

さすがに雪が降ると徐行の度合いは人によって違うけれどスピードをだしてもせいぜい50キロくらいまでだなと思う。

やはりすき好んで事故に会いたい人はいないということだと思う。

僕はその交差点でスリップを経験したのでそのあと慎重になってしまい、30キロイーブンで行った。

途中で何台かの後続車に追い付かれてしまってしばらくその状態が続いたのでちょっと路肩によって停止したらトラックを含めて3台追い越して行ってくれた。

こういう時はトラックの後ろがむしろ安心と思ってついていったらだいたいそれで正解だったような気がする。

マンションに帰ってきたらエレベーターで女性と一緒になった
「名古屋は降ってなかったのでこちらに来てびっくりしました」と彼女はおっしゃった。
「雪や雨は意外と局地的なものですからね。僕もびっくりしました」僕は言った。

本当に意外と局地的なものだなと思う。

それはともかく いちにち いちにち無事にすごせますように それを第一に願っていきたい。













名古屋フィルハーモニー名曲シリーズを聴きに行く(第94回)

2025年02月02日 | 音楽
1月23日 フォレストホールに名古屋フィルハーモニー交響楽団第94回名曲シリーズを聴きに行く。
指揮はロベルト フォレス べセスさん。

最初にドビュッシー 牧神の午後への前奏曲が演奏される。

5日前に他のコンサートでメンデルスゾーン シューマンを聴いた後だと
フランス音楽はエレガントだな夢のようだなと思う。

ドビュッシーの音楽は独特の弛緩性があるなと思いながら演奏を聴いていた。

次に演奏されたのがピアノ独奏 田所光之マルセルさんで
矢代秋雄 ピアノ協奏曲

演奏の冒頭ショスタコーヴィチかと思うけれどそんな思いも10秒くらいで消えた。

ただ、冒頭のピアノの音が異様な存在感を持ったものとして耳に届いてきたことはとても印象に残っている。

家に帰ってきてYouTubeにアップロードされている1960年代録音の動画を見たのだけれど録音 生演奏の違いはあるものの そのような録音と比べても冒頭の音の存在感はけた違いだったように僕の記憶には残っている。

演奏全体を通じてピアノの音が異様に大きくというか存在感をもって耳に届いてきた瞬間がその他にも何度かあった。

僕は昔の大阪フェスティバルホールなど天井の高いホールのほとんど最後列で聴いた音が若いころの原体験として心に残っている。

この名曲シリーズが開かれる名古屋のフォレストホールも天井が高くて登ってくる音の感じがある意味、旧大阪フェスティバルホールに似ているような気がする。

そういうこともピアノの音が時に驚くほど耳に飛び込んできた理由かもしれない。

もちろんピアノがそういう演奏だったということなのだと思うけれど。

演奏を聴きながら怪獣映画の音楽のようだと思ったり ガーシュインのジャズの要素を取り入れた音楽のようだと思ったり いろいろ思いを巡らせていた。

一楽章のある瞬間に指揮者がパーカションとピアノに同時に気を送り パーカションとピアノがピタッと息の合った打楽器的な音を出したとき 音がそろうように気を送るのがとてもうまい指揮者だなと思った。

体幹がしっかりしていて 手や腕の動きも細やか かつ鋭いからそういうことが可能になると思った。

それに、ピアノとパーカション、つまり指揮者から見てほぼ正反対にある楽器に同時に気を送るような器用な動きができる指揮者ってそんなにいないような気がする。

そういうところはすごいと思った。

今日の演奏は一曲目のドビュッシーから音がよくそろっているなあと思って聴いていたけれど、指揮者のリードがうまいというのもきっと大きな要因だったのだと思う。

20分の休憩をはさんで次に演奏されたのが

ラヴェル 古風なメヌエット 
メヌエットって3拍子だけれど これって4拍子じゃないの、どこが3拍子なのだろうと思いながら演奏を聴いていた。

でもメヌエットなら3拍子のはずだしと思って心の中で拍子を取っていくと確かにワンツースリーで拍子は取れる。

ただ、僕の場合メヌエットの典型例として心に焼き付いているのはモーツァルトの交響曲のメヌエット。

そのメヌエットに比べると随分早い拍子だなあと思った。


しかし、ベートーヴェンのスケルツオのように高速かつ快活であるわけでもなく、やはりメヌエットかと思った。

ただ、そういう微妙なラインを行くところがラヴェルらしいかもしれないと考えていた。

しかし、モーツァルトあるいはハイドンのメヌエットをピリオド奏法のようにビブラートをかけずに、早めのテンポで音を抜くような感じで演奏した場合を心に思い浮かべると、少なくともテンポ感という意味ではちょうどこの古風なメヌエットのような感じが想像されるから やはり そういうところが古風なのかもしれないとかいろんなことを考えてしまった。


音楽は独特の哀愁の漂うものでそれが演奏にもよく表現されていた。

なんだかいい感じだなあと思って演奏を聴いていた。

次にドビュッシー夜想曲より 第一曲 雲と第二曲 祭りが演奏された。

祭りは ラテン音楽の祭りと言う感じで 熱狂的だなと思う場面もあった そんな時はビゼーの「アルルの女組曲」の終曲ファランドールを思い浮かべたりもしていた。


最後にラヴェルのダフニスとクロエ第二組曲が演奏された。

演奏の中でどう考えてもヴァイオリンソロが夜明けの鳥の鳴き声を表していると思える場面があった。
鳥のさえずりと言えば木管と思っていたけれど バイオリンの音を聴いて鳥のさえずりと思ったのは生まれて初めてだった。

それも、生演奏で視覚を伴った状態で聴いているからわかることで、家でCDを聴いていてもわからなかった。やはり、生演奏はいいなと思う。

最後の方の盛り上がりはとてもよかった。僕から見て若い奏者が多いこともあると思うけれど盛り上がるところは本当に盛り上がるなと思う。

普段はステージで見られないような楽器もステージには並んでいて最後の方に指揮者から見てクラリネットの最も左に位置している見慣れない楽器がおどろおどろしいフレーズを執拗に繰り返していたのも印象的で最後の盛り上がりに大きな役割を果たしていると思った。

当日のプログラムの楽器編成の記載を見るとEフラット管クラリネットと記載されているからこの楽器がそれなのかと家に帰ってきてから思った。

一番左にいたからこの楽器が目立ったけれど、最後の盛り上がりのところではほとんどすべての木管が目まぐるしく転がるような音を出していた。

プログラムのすべてを通して、とても満足できるコンサートだった。



それはともかく一日いちにち 無事に過ごせますように それを第一に願っていきたい。