ケンのブログ

日々の雑感や日記

プリゴジン氏

2023年08月29日 | 日記
何日か前ネットでこんな記事を見つけた。

「ロシア非常事態省は23日、モスクワ北西のトベリ州で自家用ジェット機が墜落し、乗員3人と乗客7人の全10人が死亡したと発表した。

ロイター通信によると、露航空当局は、6月に反乱を起こした露民間軍事会社「ワグネル」の創設者エフゲニー・プリゴジン氏(62)が搭乗していたとしている。ワグネルに近いグループはSNSに「プリゴジン氏は死亡した」と投稿した」と。

本当に こういうニュースを見ると 戦争中なんだなと思う。

今は テクノロジーが発達しているから 本当に ロシア政府側の人たちも 気が気でないように思える。

つらい 話だなと思う。

戦争が あってもなくても 人は死ぬけれど 僕の母が 戦争にいけるほど元気なのに死ななければならないのは 理不尽だしつらいという主旨のことを言っていた。

本当にそうだなと思う。

しかし 僕自身も 時々 あと何年 元気でいられるだろう あと 何年生きるだろう 今まで何をしてきたんだろう と物思いに沈んでしまうときがある。

本当に 考えても仕方のないことなのだけれど、、、。

元気でいられるうちに できることは しておきたいな という気持ちもあるけれど。

プリゴジン氏が 死亡したとみられる というニュースに接して ダークダックスなどがむかしよく歌っていたロシア民謡 ステンカラージンのことを思い出してしまった。

プリゴジンとステンカラージンで両方ともジンで名前が終わっているし 二人とも反乱を起こしたことが 間接的には 死因になった可能性が高いから。

歴史は繰り返すというけれど ロシアというのは そういう国なのだろうか。

そういえば シベリウスの 名曲 「フィンランディア」もロシアのフィンランドへの侵攻に対して フィンランド人の奮起を促した という説明を何かの機会に読んだことがある。

ロシアとそれを取り巻く 国々の苦労というのは 本当に 長年続いているんだなともおもうし そういう中でも 素晴らしい芸術は生まれてきたということも 今更のように思う。

もちろん 戦争は 終わってほしいという気持ちに変わりはないけれど、、、。

それはともかく 一日 いちにち 無事でありますように。 それを第一に願っていきたい。

京都市交響楽団定期演奏会を聴きに行く。

2023年08月25日 | 音楽
8月19日 京都市交響楽団第681回定期演奏会に行く。

指揮は原田慶太桜さん

最初に演奏されたのが
ヴェルディ 歌劇アイーダから凱旋行進曲とバレエ音楽。

いきなり ステージとはちょっと違う位置から金管(近眼でよく見えなかったけれどたぶんトランペット)の音が聴こえてきたので 見ると パイプオルガンの側方にトランペット(たぶん)が陣取っていてそこからの音だった。

冒頭部分は この金管と 弦楽合奏の掛け合いで音楽が成り立っているのだけれど その部分の弦楽合奏の音に とても柔らかみがあって それなりの深みがあったことが印象的だった。

もうコンサートから 5日経過してしまったので その部分の記憶がとても鮮烈で ほかの記憶は かなり 飛んでしまっている。

あと 合唱の声を聴いた時に 本当に マスクをしていない 合唱の声を聴くのは 何年ぶりだろうと思ってそのことにも感激してしまった。

次に演奏されたのがストラビンスキーの歌劇 「道化物のなりゆき」 から 「トムからはなんの便りもない」 だった。

森麻季さんがソプラノ独唱をなさった。

冒頭の オーボエやファゴットを中心とした木管の掛け合いを聴いて うーん 何となく「春の祭典」の冒頭の木管の掛け合いに少なくとも雰囲気が似ている と思った。

あと 森麻季さんの歌われる姿勢を見ていて 僕は きっと身体のセンターラインというのはかなり意識しておられるのだろうなとなんとなく思った。

指揮者の原田さんの話によると8月19日は森麻季さんの誕生日とのことだった。

次にボロディンの歌劇イーゴリー公 から「ダッタン人の踊り」が演奏された。

ピッコロの音が コロコロ転がっていたこと 小太鼓が重く感じられることがなく とてもシャープに聴こえてきたこと などがコンサートから5日経過した今でも記憶に残っている。

20分の休憩をはさんで ラターのレクイエムが演奏された。

冒頭付近の旋律を聴いていて 確かに敬虔なのだけれど 新しい時代の音楽によくあるように どこか映画音楽のよう とも 思った。

ある先生が ラヴェルの音楽を聴いて 映画音楽のよう と言った子に対して 映画音楽よりもラヴェルの方が時代が先ですから 映画音楽がラヴェルのようと言った方がいいかもしれません とおっしゃったことを妙に覚えているけれど とにかく いろんなジャンルの音楽が相互に影響を与え合っていることに変わりはないと思う。

この映画音楽のような旋律は レクイエムの終曲でも 回想されて 曲が終わる形になっていた。

最後の方は その 美しい旋律に思わず眠気がこみあげてきて 目を閉じて聴いていたら 音楽が静かに終わった。

ああ 終わったのか と思って 目を開けたら 弦楽器の人が まだ 弓を下におろさずに 曲が終わった時の状態で ストップモーションのように静止した姿勢をとっていた。

弓を早くおろすと 拍手も早く来てしまうから あらかじめ オーケストラのみんなで打ち合わせてそうしたかもしれない と思った。

演奏会が引けた後 北山の駅で地下鉄に乗るときも まだ その メインのメロディが心に残っていて 心の中でリフレインしていたら 松任谷由実さんの「雨のステイション」という歌の 「雨のステイション 会える気がして いくつ 人影見送っただろう♪」というくだりのメロディが心に浮かんできて 「いくつ人影♪」の部分に相当する旋律と ラター レクイエムのその旋律がほとんどというか きっと まったく 同じであることに気づいた。

偶然の一致とは思うけれど そういうのも 松任谷由実さんの旋律の美しさの ひとつの 証(あかし)かも と思った。

原田慶太桜さんを聴くのは二度目だけれど 長身の体の動きが 楽しい 感じで コンサートを楽しくまとめる ということに関して とても 才能のある方だなと思った。
もちろん プログラムが そういう プログラムだったということもあるけれど、、、。

いい コンサートでよかった。
 
それはともかく いちにち いちにち 無事に過ごせますように それを第一に願っていきたい。






木曽川は神聖?

2023年08月14日 | 日記
8月11日に誕生日が来て61歳になった。

今まで何をして生きてきたんだろう という思いとか あと何年元気でいられるだろうとかそんなことを思う。

大阪にいた最後のころから70歳以上の人が集まる場所にいろいろ行くようになったけれど やはり人生長くなったと言っても70歳過ぎるとだいぶん衰えるなというイメージがある。

60台のうちにやりたいことはやっておきたいなという気もする。

ただ それにこだわりすぎるとしんどいから まあ 適度にとは思うのだけれど。

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本当に暦の上では立秋を過ぎて秋でも ずっとここ半月以上 異常に暑い日が続いていて だんだん 身体に応えてきている。

でも 病気という感覚ではなく ただ しんどい という感覚だから そこが 大難は小難というか おかげさまだなと思う。
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普通なら 日本を通過すると 西に進路を変え 東北か 北海道沖で熱帯低気圧に変わったりする台風が 北朝鮮に上陸したときくと やっぱり 異常気象なのかなと思う。

ハワイの山火事も 異常と言えば異常に思えるし。

ハワイの山火事で 岸田首相が バイデン大統領にお見舞いの電報を送ったというニュースを見ると 逆に ハワイ出身の 高見山が 昭和47年大相撲名古屋場所で 優勝した時 当時のニクソン大統領からお祝いの電報が来たことも思い出す。

その時は 黙っていて 何年かたって 時効になったころに 実は ニクソンのライバルの候補の人からも 電報が来ていたんですよ と 明かしてしまうところが 高見山の 愛される人柄でもあるような気がする。

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先日 名古屋地域の留学生の方を 応援するイベントバスツアーに参加した。

木曽川の岐阜県内の流域をツアーで観察した時に 中国人の留学生の子が 僕に 「木曽川って神聖な川なんですか」ときいた。

たぶん そういう知識を彼女があらかじめ持っていたか 山と 川の 美しいコントラストを見てそのように感じたかどちらかだと思う。

それで 僕は返答に困ってしまったのだけれど 一瞬考えて「木曽川は例えばインドのガンジス川のように一般的に神聖な川と考えられているわけではないですが 木曽の山々に対する山岳信仰というのは日本にはあるので そこから 流れている川ということで 木曽川を神聖とみなす人が いることは事実です」と答えた。

その答えが適切かどうかは 自分では判断できなかったけれど。

それで 僕はしばらく間をおいて

「木曽川が神聖かという問いの意図とは無関係かもしれませんが 僕のおばあちゃんは 木曽川のほとりで生まれたので 嫌なことがあると “木曽川に飛び込んで死ぬ”というのが口癖でした。でも実際は 家の中で 老衰で死にました」と付け加えた。

ああそうですか という感じで中国の子はうなずいていた。

でも 考えてみると おばあちゃんは 単に川に飛び込む と言ったことは 一度もなく また 木曽川以外の川の名まえを言ったことも一度もない。

おばあちゃんが 飛び込んで死ぬというときは 必ず その川の名まえは 木曽川だった。

その意味で おばあちゃんも木曽川を神聖とみなす人の一人だっただろうと思う。

それはともかく いちにち いちにち 無事に過ごせますように それを第一に願っていきたい。

あしなが蜂 ラテンの雰囲気

2023年08月04日 | 日記
僕の実家の庭に水道の蛇口があってその蛇口の下におおきな洗面器で水をためている。
その水道に水を汲みに行ったらあしなが蜂がその洗面器の水を飲んでいたことがここ数日何回かあった。

やっぱりこの暑さ 蜂も水を飲まないとやってられないのだと思う。

僕は20歳になるまでに二度あしなが蜂にさされた。一度は台風が来るときに雨戸の戸袋に手を突っ込んだらそこにあしなが蜂が巣をつくっていて刺された。

二度目は僕の首にあしなが蜂がとまっていることに気づかずに首を傾げた瞬間にやられた。

蜂に刺されると本当に痛い。

やっぱり 刺されると嫌なのでそこの水は蜂にゆずって 屋内の水道で水を汲んだ。

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先日 コンビニで支払いをするとき 小銭を探していたら 財布の中から 50円玉と10円玉が飛び出してしまった。

レジに ベトナム人の店員さんがいらして 「50円落ちましたよ」と僕に向かって言った。僕がそれを拾うと店員さんはさらに「ここにも10円落ちてます」と言ってカウンターの上を指さした。

別に言われなくても落ちたことには気づいていたけれど ベトナムの人って結構 話すときは話すんだなと思った。

後日 同じコンビニで 自動支払機で支払ったら 支払いが終わってもまだ レジの 液晶パネルはおつりの額を表示していた。

おつりを取り忘れたのかと思って 自動支払機の おつりが出るところを見ていたら
「もう おつりは 出ました 何もありません」と先日のベトナム人の店員さんが言った。

ベトナムの人は 南国の人というイメージで明るいのだろうか とも思う。

また ちょっと あれは ラテンの雰囲気かな とも思う。

それで 調べてみると ベトナムはフランスの旧植民地でカフェなどでも フランスの音楽がBGMで流れていることも多いと 僕が見たサイトには書いてあった。
きっとラテンの雰囲気もあるのだろうなと思う。

先日、ベトナムで コロナ禍で航空機の特別帰国便の便宜を図った収賄罪で 終身刑を言い渡された人がいるという ニュースが新聞の国際欄に出ていた。

日本では 収賄で 終身刑というのは ちょっと考えにくい。

あまりに重い刑罰だと思う。

ベトナムはラテンで明るい と決めつけるのは短絡的かもしれないけれど ラテンの雰囲気の人もいるな と思う。

それはともかく いちにち いちにち 無事に過ごせますように それを第一に願っていきたい。