ケンのブログ

日々の雑感や日記

9月も終わり

2020年09月30日 | 日記
もう9月も末日かと思う。

僕は未だに出かけるときは基本的にティーシャツ一枚だけれどちょっと寒くなったときのために必ずかばんの中にはカジュアルシャツを入れていく。

夏場は冷房対策でカジュアルシャツをカバンに入れているという感じだったけれど、いまは外気そのものが冷たくて寒さを感じたときのためにも上着を一枚持っているという感じになってきた。

街を歩く人の装いも、Tシャツ一枚の人もいる一方、長袖のフラウスのひと、カーディガンをはおっているひと、中にはライダーズジャケットを着ている人もいた。

体感温度の感じ方によって人それぞれに重ね着の仕方に差が出る季節だなと思う。

100円ショップで買い物をしたときお金をお勘定をする台の上に直接おいたら、店員の方に「お金はここにおいてください」と台の上にあるトレーを指差して無愛想に言われた。

コロナ対策と称してそういうマニュアルになっているのだと思うけれど、お客さんをしかりつけるような語気で物を言う店員さんっているものだなと思う。

こういうタイプの店員さんってなぜか男性よりも女性に多いように思う。

僕の偏見かも知れないけれど。

もともとそういう性格なのか、コロナのときのマニュアルに従うのに精一杯で、穏やかに物を言う心のゆとりがないのか。

たぶん両方なのだと思う。

きついものの言い方をするのは自由だけれど、新聞の人生相談のコーナーなどを見ていると、娘に私はきつくあたったので、自分に自信のの持てない娘に育ってしまい、不登校になってしまった、というたぐいの悩みの相談を寄せている人も少なからずいる。

きついものの言い方がくせになるとなんか人生のどこかでそのしわ寄せは自分で感じなければならないときも来たりするのではないかとこの歳になると思うことが多くなった。

若い頃はきついものの言い方のできる人は人生一直線に進んでいけてうらやましいなと思っていたりしたけれど、、、。

年齢とともに考え方、感じ方が変わってくるものだなと思う。

やはりそれだけいろんな人の例を、歳取ってみてくると経験値が上がってくるからかも知れない。

1996年の9月30日には阪神高速道路が阪神大震災以来一年八ヶ月ぶりに全線復旧したと新聞に出ている。

道路工事のたぐいは私達日本人の根性なら、災害から立ち上がるんだという強い気持ちでやれば意外と短期間でできてしまうことも往々にしてある。

あの震災のとき無残に倒れてしまった阪神高速道路の映像を記憶している人だったら一年八ヶ月での復旧は速いと思う人がほとんどではないかと思う。

それに対してコロナは頑張ればはやく収束するというものでもなさそうだ。

逆にあまりにも頑張りすぎると、つい人のことを非難したくなったり。

そういう問題をはらんでいるのもコロナが未曾有のものである要因だと思う。

コロナが収まることを祈りつつ、同時にまたそれとうまく私達が共存していけることも祈りたいと思う。




幸せは心から

2020年09月29日 | 日記
新聞に、社外オフィスを整備した会社には減税を政府が検討しているという記事が出ている。

コロナ対策で拡大しているテレワークを推進するための施策であると書いてある。

経済を立て直すためにいろんな政策が求められているのだと思う。


これらの記事を見ていると、それはいいことだと思う気持ちよりも、コロナということでなんとかしなければという意識で政策を決めて、例えば社外オフィスが増えたのはいいけれど、いざ、コロナが収束したときにそういうオフィスが、いわば不良債権のように会社や社会の重みになったりしないだろうかというなんとも言えない不安も心の中にある。

コロナでネットを使った映像授業の配信、などの仕事もやり方によっては例えば10分間の授業の映像を作るのに、その何倍もの時間がかかり、教師の仕事が過度に重いものになり悲鳴を上げる人もいるというようなことが新聞に書いてあった。

ネットを見ると、凝った映像を作らなくても生の授業をそのまま配信するようにすれば、教師の負担を少なくできるという意見もあった。

しかし、ただ、授業をそのまま撮影するだけの映像は、見ていてわかりにくい間に合わせの映像になってしまう可能性も高いように思う。

僕が予備校に勤めていたろ、最後の方は予備校の経営がだんだん悪くなってきて、もうこうなったら映像授業もありだ、ということになって、長年蓄積したノウハウもないのに、ハンディカメラなどで撮影した授業を校舎で生徒に見てもらったりする案が出て、実際に、そういうのが得意な社員が、ハンディカメラなどで講師の授業を撮影していたけれど、もう見ていると何がなんだかわからないようなアナーキーな状態に会社がなっていた感じだった。

今回のコロナによる映像授業の推進もそんなことにならないように願いたいのだけれど。

映像授業を中心とした勉強は、集中力があまり出ないと、僕自身の長年の経験から思うことがある。

うまく作成された映像は見ていると、その場ではわかったような気になるけれど、実際にそれを自分のものとして定着させるには、結局、昔ながらの、紙の上でものを読んで、そして書くという作業がとても大切だと思う。

話は変わって、自殺で命を絶たれたと見られる女優の竹内結子さんのことに関連して、一般論として専門家の意見がタブロイド紙に載っていた。

それによれば
芸能界で売れればファンや関係者が増えるけれど、同時によく知らない人が身の回りに増えて、プライベートな間柄の人物とは距離が生まれてしまう。物理的に人に囲まれていても内心は孤独を抱えている可能性がある。

とのことだった。

言われてみればそういうことは大いにあり得ると思った。

竹内さんも再婚して、高級な住宅で新しい夫とラブラブで幸せの絶頂とか、何ヶ月前かの週刊誌に書いてあったけれど、そう書いている記者自身が、本当に幸せの絶頂と思って書いているかどうかは疑わしいような気がする。

そんなふうに書いたほうが、雑誌が売れるからそう書いていると思われるような側面もあるように感じる。

ちやほやしてくれる人が、心の隙間を埋めてくれるということはないように僕には感じられる。

逆に、そのちやほやに応えるようとする気持ちが心の重みになってしまうこともあるし、、、。

考えてみれば中学生の子供を連れて年下の男と結婚して、新しい子供が生まれたばかりというのは、それだけでもいろんな気遣いがありハードな人生と思えなくもない。

高級な住宅に住んでいたら、家賃の心配も心にのしかかることがあるかもしれないし。

有名人は最近のSNSの普及などで誹謗、中傷を受ける可能性も一般人に比べればはるかに高いという指摘もタブロイド紙の中でなされていた。

言われてみればそれも、そうだなと思う。

僕もこの歳になっても、社会的な知名度を得ている人のことをうらやんでしまうような気持ちが出てくることもあるけれど、結局、幸せというのは自分の心の内面にあるものだということを意識して過ごしていきたいと改めて思う。

チャップリンが映画独裁者の最後の演説の中で、神は、心の中にあるものだという聖書の一節を引用していたことを僕は時々思い出すけれど、幸せも、結局は心の中にあるものだとうことを意識するように心がけたいと思う。





正代、優勝良かった

2020年09月28日 | 大相撲
昨日、優勝を決めた正代の相撲、立ち遅れ気味だった上に、腰が高くて相手につけこまれる原因になってしまった。いやあ、勝ったから良かったものの、緊張のしすぎと正直思った。

それで今日の新聞を見ると、悪い体勢になるイメージが頭をよぎって朝の5時まで寝付けなかった。取り組み直前まで心臓の鼓動が自分でもわかるほど緊張していたということが書かれている。

そうだったんだ、と思った。

新聞でこういう後日談を読んで、また優勝の感慨を新たにするのもファンの楽しみの一つだ。

テレビが普及したとき、スポーツ新聞が売れなくなるのではないかという懸念があったそうだけれど、ファンはテレビで勝利を見て、またスポーツ新聞で選手のコメントを読んだりするという具合にかえってテレビの普及でスポーツ新聞の売上が上がったという話を聞いたことがある。

よくわかる話だなと思う。

後日談と言って思い出すのはまだ僕が生まれる2年前、昭和35年の大阪場所千秋楽、栃錦と若乃花の史上初の横綱同士千秋楽全勝対決というのがあった。

決戦の前の日、若乃花が不安を紛らわそうと映画館に行くと、前にでかい男が座っていたので見ると対戦相手の栃錦だったという。

そうか、栃錦も不安で映画を見に来ていたのかと思ったら若乃花は気が楽になって翌日の全勝対決に勝利したという。

そのときの映画は若乃花は西部劇だったと言い、栃錦はドイツの恋愛映画だったと言い、両者の言い分が異なっているという。

こういう話をきくと、栃錦と若乃花が決戦の前日に映画館で鉢合わせたっていう話は本当なのかと思ってしまう。

この栃若の全勝対決、左のがっぷり四つの力相撲だけれど、最後は栃錦が左の差手を抜いて若乃花の上手を切りに行って腰が浮いたところを若乃花につけこまれて寄り切りで負けている。

差手を抜いて上手を切りにいけば腰が浮いて危ないことは素人でもわかりそうな気がする。

やはり前日に、映画を見に行くほど緊張していたので動きがぎこちなくなったのかも知れない。

大相撲往年の名勝負というようなテレビ番組で、この栃若の勝負がビデオで流れると、栃錦のファンだったという母は、これは栃錦が負けた相撲だから見たくないと言っていつも目をそむけていた。

まあ、そういういろんな後日談があるところも相撲の楽しみの一つだと思う。

しかし、正代も本当に土俵下で感慨深そうな顔をしていることが新聞の写真で見ると改めて伝わってきて胸がジーンとなる。

最近の安定していて思い切りの良い取り口を見ると横綱を狙える雰囲気があるような気がするので本当に正代には頑張ってほしいなと思う。

熊本の人も喜ぶと思うし、、、。




正代初優勝

2020年09月27日 | 日記
大相撲は正代の優勝ということで幕を閉じた。

今場所はあまり見ていなかったけれど、僕が見た限りでは上位陣では正代が一番安定していてかつ思い切りが良かったと思う。

そういう今場所の取り口が結実しての優勝かと思う。

今日はちょっと立ち遅れ気味で、腰も高かったように思う。

土俵際まで詰められいなしも食らって相手に背中を取られそうになったけれど動きがいいのでなんとかさばけたという感じだった。

ちょっと今日はさすがに緊張したのだろうか。あるいは変化の考えられる相手なので慎重に行った結果なのかもしれない。こればかりは本人でないとわからない。

正代の土俵下優勝インタビューを聴くのはちょっと楽しみだったけれど、コロナのため中止ということだった。

土俵下で優勝インタビューをするとコロナに感染する蓋然性がどのくらい高くなるのかわからないけれど、要するに自粛しているということを示すことが興行的に大切なのかもしれないと思った。

なんと言ってもお客さんあっての大相撲なので。

しかし、正代の優勝インタビューを聞けなかったのは残念だったな。

なにしろ初優勝の力士なので。

9月25日に浅田真央さんが30歳になったとネットのニュースに出ていた。

ええ、真央さんが30歳と思ってしまう。

月日が経つのは速いなと思う。


時代も変わった

2020年09月26日 | 日記
新聞を見ていると、これから冬にかけてインフルエンザが流行する季節になるからコロナとインフルエンザの並行した流行を懸念する人は少なからずいるらしい。

コロナが流行し始めた今年の2月ころは、今はコロナでみんな気をつけるからインフルエンザの流行もいつもの年よりましらしい、と言っていた人もいた。

しかし、いまはコロナそのものもさることながらコロナにかかったらどんな扱いを受けるだろうかということに対する不安がある。

一説によると例年コロナの100倍程度の患者数のいるインフルエンザにかかってコロナと間違えられたらやはり面倒だなという気持ちがある。

何とかなりますようにと願っているけれど。

蕎麦屋でそばとおにぎりを注文したら570円と言われた、1020円出したらおばちゃんがお釣りは350円ですよねと言った。それで僕は、ああ代金は670円やったんかと思って、はい350円ですと言った。するとそばにいた男性がちゃうちゃう450円やと言った。

それで僕がもう一度お値段はいくらですかと聴いたら570円ですと言った。

それならおつりは450円です と僕は言い直した。

おばちゃんはあわてて電卓を出してきて計算して450円であることを確かめた。

そして450円おつりをくれた。

代金は商品と引き換えに現金で、と言っているお店でおつりの計算ができないのはちょっと情けないと思う。

最近、どの職場もアルバイトで転々としている人が増えたから、その道の専門の人というのが少なくなってしまったと思う。

お店に入っても商品知識のない店員の方とか。

ある皮膚の薬をドラッグストアのレジに出したら、レジのお姉さんが、この薬の使用法はご存知ですかと聞いてこられたので。

要するにステロイド系の皮膚薬なので、つけすぎると皮膚が黒ずんだりする恐れがある、一定期間使用して症状の改善が見られない場合には医師、または薬剤師に相談するべき、とまあその程度の知識しかありません。

と僕が言ったら、レジのお姉さんは言葉に詰まってしまって、しばらく無言で考えていて、「中に入っている説明書に書いてあることを守ってください」と言った。

わかりました、と僕は言った。

もうこのお姉さん特定第二類医薬品を買った人には注意喚起するということだけ覚えていて商品知識はまるでないのがその時点でちょんバレという感じ。

なんだかそんな時代になってしまったなと思う。

ある意味さびしいことであるようにも思う。

まあ、ドラッグストアも扱う商品の種類が多すぎてとても全部の商品の知識など身につかないということなのだろうけれど。

本当に大変な時代になった。自信を持って行動できる人が少なくなったしまったと思う。

自信がないことは過信よりも安全だとは思うけれど。