ケンのブログ

日々の雑感や日記

寒くなってきた

2024年11月21日 | 日記
だんだん寒さが本格化してきた。

シャワーを浴びて浴室を出ると身体が震えて電気ストーブにあたりたくなる。

いよいよ冬だなと思う。

マフラーも洗濯して去年覚えたミラノ巻をしようと思ってもできない。

春夏秋の間に忘れてしまった。

ネットの動画を見たら思い出した。

一度、覚えたことは見たら割とすぐに思い出すようだ。

そろそろ自動車の冬タイヤへの交換も予約を申し込まなければと思う。

昼間に空を見ていて「紺碧の空ってこういうことかね」と母が言う 「そうね」と僕。

秋から初冬にかけては確かに晴れると青空が澄み渡るイメージがある。

早稲田の応援歌 紺碧の空の歌詞は 「紺碧の空 仰ぐ日輪」で始まる。

要するに 青く晴れた空に 太陽を仰ぐということだけれど いい歌詞だなと思う。

日本の神様は天照大御神様が太陽神だし 日輪も太陽神 天照大神と日輪はどうちがうのか 僕の知識ではわからないけれど 太陽を拝むという感覚 最近の私たちにはなくなってしまったなとおもう。

けれど 大切な感覚のような気がする。


大阪のある音大の先生が古関裕而さんに言及して「古関さんは六甲おろし作曲したから言うて阪神ファンや思ったら大間違いでっせ、ちゃっかり巨人の応援歌も作ってまっせ」とある市民講座で笑いを取っておられた。

確かに巨人の応援歌「闘魂込めて」も古関裕而作曲となっている、そして早稲田の応援歌も古関さん。夏の甲子園の大会歌「栄冠は君に輝く」もそう。

もう日本のおいしいところを全部持って行ってしまっておられるような気がする。

これだけおいしい仕事のオファーがもらえるということは実力と人柄、両方兼ね備えておられるのだろうか。

いずれにしても、よほどの信頼を得ていなければこれだけいろんなところからオファーは来ないような気もする。

僕は古関裕而さんと誕生日が同じなのであやかりたいと思うのだけれどおいしい仕事のオファーってきたことがない気がする。

やはり実力の違いかとがっかりするけれど、これからの人生、いいことあるかもしれないと淡い期待ももつようにしよう。

期待を持ちすぎるとはずれたときガクッと来るので無欲が一番なのだろうけれど、、、。

それはともかく いちにち いちにち 無事に過ごせますように それを第一に願っていきたい。


京都市交響楽団定期演奏会を聴きに行く(第695回)

2024年11月18日 | 音楽
11月16日

京都コンサートホールに京都市交響楽団ダイオ695回定期演奏会を聴きに行く。

指揮は鈴木雅明さん

最初に演奏されたのがモーツァルト 歌劇ドンジョヴァンニ序曲

こじんまりまとまった演奏であるように僕には思えた。

例えば、この曲で調がマイナーからメジャーに転じて急に明るい雰囲気になっていくときモーツァルトがかけた魔法のように音楽が暗から明に変化していくそのスリリングさが表現されていたかと言うとそうでもないように思えた。

堅実な演奏だけれどちょっと色気がない そんな風に僕には思えた。

次に演奏されたのがバイオリン独奏ジョシュアブラウンさんで
ベートーヴェンのバイオリンコンチェルトニ長調作品61

華美な表現を目指すのではなく音楽の内面を表現するような演奏に僕には思えた。

そういう意味で美しい演奏と思った。

ベートーヴェンは美しい素材を こんなにも熟慮の末に展開していくのかと改めて感動した。

この曲はCDで聴くときは 穏やかな曲調であることも手伝ってついムード音楽的な聴き方をしてしまうのでこうして演奏会で聴くことで改めて曲の美しさに気づくことができてよかった。

この曲が世にも美しい曲と呼べるほど美しいということに今日初めて気づいた気がする。

特に第一楽章と第二楽章は僕にはとても美しく感じられた。

第一楽章のカデンツァは ティンパニーの合いの手が入る場面があってそこは僕にはとても新鮮なものに感じられた。

管楽器 弦楽器とバイオリン独奏との掛け合いもとてもうまくいっているように僕には思えた。

ファゴットと言う楽器はサイズが大きい割に僕は音を聴きとるのが苦手なのだけれど、この曲はファゴットの音もとても聞き取りやすいように書かれているということも僕にとっては一つの発見だった。

ファゴットが美しい旋律を奏でる場面が多かったのもその理由の一つだと思う。

20分の休憩をはさんで次に演奏されたのが

ドボルザーク 交響曲第6番ニ長調作品60

凝縮された音で推進力もとてもある演奏のように僕には思えた。

ただ、第三楽章など速い楽章を聴いた時 これはスラブダンスだなと思ったのだけれど、スラブの人たちと一緒になって踊っているようなスリリングさがあったかと言うと、それはあまりなかったように感じられた。

それとはあまり関係ないことだけれど 第一楽章で木管の音を聴いた時、鳥のさえずりのようだと思った。

ベートーヴェンのバイオリンコンチェルトもとても木管の活躍する演奏だったけれどそこでは、無常に美しい旋律が弦から管へ管から弦へと移行していく連動性そして音楽全体の包括性の中で木管の美しさが際立っているという感じで、そのことがそれ以外の何かを連想させるということはなかった。

ドボルザークの場合、木管が鳥のさえずりの意識させたり、スラブ特有の哀愁、ロマン、を連想させたり そういう何かの想いにつながるということが多かった。

そしてその違いがもっと一般的にベートーヴェンとドボルザークの違いと言えるのかもしれないと思った。

ベートーヴェンを聴いた後ではドボルザークをどこかムード音楽のように思って聴いている時間も演奏中にはあった。

モーツァルトの時と同じように それなりに引き締まっていて推進力のある演奏だけれどちょっと色気とかスリリングさそういうものには欠けるように僕には思えた。

それはともかくいちにち、いちにち無事に過ごせますように それを第一に願っていきたい。


立冬を過ぎて

2024年11月09日 | 日記
11月6日頃からぐっと寒くなってきたと思う。

それで調べると11月7日は二十四節季の立冬となっている。

暦の上ではここから冬と言うことになる。

最近、暦の上の話ってあまりでなくなったように思うけれど、8月の立秋はまだまだ残暑で暑いけれど、11月の立冬はここから冬と言う実感、あるなと思う。

オリオン座も10月の初めに比べると同じ時刻で30度高い空にある計算になる。

実際に夜空を眺めていると本当にそのくらい高くなったような気がする。

11月9日の今日はマンションで夜、窓のそばにいると外気の寒さが伝わってくるような気がする。

寒さのランクが関西にいたころより少し上のように思える。

夏が終わると年末までころがるようにあっという間だなと毎年のように思う。

それはともかくいちにち、いちにち無事に過ごせますようにそれを第一に願っていきたい。

三浦監督

2024年11月06日 | 日記
たまたま夜、食事をしていた定食屋でのテレビで横浜ベイスターズが日本一になった瞬間を見た。

三浦監督の終章インタビューも見た。

テレビのボリュームが小さかったから何をしゃべっているのかわからなかったけれどいい顔だなあと思った。

翌日、新聞の写真を見てまたびっくり。

胴上げされている三浦監督。

お尻から脚がピンと伸びている。

脚だけがピンと伸びているのではなく、お尻と脚がワンセットでピンと伸びているという感じがする。

胴上げされて空中でこんなに下半身がピンと伸びた姿勢がとれるなんて鍛え方が半端ではないなと思った。

動画を見ているよりも新聞写真のような静止画像を見たほうが情報が得られることが多いなと思う。

打った瞬間の写真でキャッチャーのミットの位置を見ればテレビで動画を見ているより正確に打った球のコースはわかるし、、、。

確かイチロー選手が日米4000本安打を記録した時の打ったコースはキャッチャーのミットが写っていない写真だったのでイン アウトはわからないけれど高さはちょうどベルト線だった。(それはミートの瞬間の写真だったので、その時のバットの位置でわかった)

そういう試合でベルト線に来た球をちゃんと打つのだからすごいなとその時は思った。

と話が横道にそれてしまったけれど、三浦監督の胴上げの姿勢にほれぼれしてしまった勢いで監督のことを調べてみた。

ハマの番長というニックネームだから関東の人かと思っていたけど、奈良県橿原の出身とあるサイトに書いてあった。

そうだったのかと思った。

FA宣言をしたときには阪神から横浜を上回る条件でオファーを受けたけれどあえて横浜一筋で来たと書いてあった。

本当にあの胴上げ姿を見るとまさに一筋という感じがする。

しかし、いろいろ変わっていくのも力だけれど一筋を貫けるのもやはり力だなと思う。

そして、それを貫くといいこともあるんなと思った。

それはともかく 一日いちにち無事に過ごせますようにそれを第一に願っていきたい。