「しぬものは しにゆく つつじ もえており」 臼田亜浪
この句を初めて目にしたとき、とにかく怖くて目を逸らしてしまった。
だいたい、この躑躅(ツツジ)という字、画数がこのように多くて
この字を見ただけで怖い気がする。
この「躑躅」は(てきちょく)と音で読み、行き悩む・行きつ戻りつする
という意味だそう。(漢和辞典で調べた)
これがどうして「ツツジ」なの?
この句が怖い理由は「死」という言葉にもある。
桜のあでやかさに「死」を感じる人も多いと思うが、
ツツジの花もあまりに華やかで、亜浪の詠むように燃えるという
表現が本当に似合っている。
「いずれ一回は死ぬ。逆にいえば、2度とは死な(ね)ない」と言い換えて、「安心」したのは40才台でしたでしょうか?
近づいてきている死(おのれ自身、近親者、友人知人たちの)に対し、もっと詳細で親身な覚悟が必要になってきたと思っています。
先に逝った人達と再会できるし・・・・
良い所だから、先に逝った人達は、いくら呼んでも戻ってきてくれない、よほど良い所なんだよ^-^v
心を揺り動かされる。それが死であれば
尚更の事だろう。
諦めと微かに持ちたい希望が交差を繰り返し
究極の諦観になった時、本当の気持ちの整理が
成されるのだろうか?
咲き誇る赤いツツジを眺めながらその花に
心を溶け込ませる。
一時の華やかさを心から褒め称えながら優しく
語り掛ける・・・
「思いきり咲けよ、自然のままに・・・
来年も有るんだよね。」
そんな作者の気持ちを感じる・・・
でも、なんと、難解な漢字だろう。
まさに、ツツジが燃えています。
燃えてしまったら・・・
あまり深刻に考えないほうがきっといいよね。
少し安心しました。
気弱になっていました。
ツツジの明るい生命力を素直に受け入れましょう
ツツジの花が終わった後は花がら摘みが
結構大変。でもこれをやらないと来年のお花が
十分付かないのですね。
今年の花は終わっても、また来年に希望をつなぐという事をかみ締めます。
起死回生を図るため野外に出て複式呼吸しています。なんてネ!