「十七烈士」自決直前の様子も 京都・大山崎に案内板

2017-10-31 20:11:51 | 歴 history
 禁門の変で敗走し、京都・天王山で自決した真木和泉守ら「十七烈士」を説明する案内板が、天王山中腹にある十七烈士の墓の近くに建てられた。禁門の変が起こった背景や、十七烈士が時代に与えた影響などを分かりやすく説明しており、関係者は「地域の歴史を知ってもらえれば」と期待している。

 福岡県久留米市にある水天宮の宮司だった和泉守ら17人は、長州勢として幕府軍と戦い敗走、天王山で自決した。大山崎町の団体「天王山勤皇十七烈士顕彰会」が22日の慰霊祭に合わせ、老朽化した案内板を新しくした。

 案内板(高さ約2メートル)はステンレス製で縦、横各約80センチメートル。風雨よけの屋根も取り付けた。記載内容も変更した。「禁門の変と大山崎(天王山の十七烈士)」と大書きし、幕末の勤王志士たちの動きなどを紹介。真木和泉守の肖像画(水天宮蔵)や、禁門の変を伝える幕末の瓦版(京都市歴史資料館蔵)、天王山で自決する直前の十七烈士の様子を描いた掛け軸(宝積寺蔵)もカラーで掲載した。

 今後、十七烈士の墓を通って山頂に向かう山道を記した標識も現場に設置する予定で、同会事務局長の中田貞之さん(70)=同町大山崎=は「せっかく墓の前まで来ても、誰の墓だろうと通り過ぎる人が多かった。これをきっかけに十七烈士の歴史を知ってもらえれば」と話している。

【 2017年10月26日 13時07分 】


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