がんと闘いながらもプロゴルファーとしての現役にこだわり、国内外通算63勝を挙げた杉原輝雄(すぎはらてるお)さんが28日午前8時30分、前立腺がんのため亡くなった。
74歳だった。後日、お別れの会が開かれる予定。
大阪府茨木市出身。1957年に20歳でプロテストに合格し、62年の日本オープンで初優勝。73年以降のツアー28勝を含めて国内で56度優勝したほか、シニアツアー6勝、海外で1勝(69年、香港オープン)を挙げ、永久シード権も獲得した。1メートル62、60キロ前後の小柄な体ながら妥協を許さない姿勢で人気を集め、粘り強いプレースタイルから「マムシ」「ドン」などの愛称で親しまれた。
ツアー施行の73年から94年まで賞金シードを獲得。98年4月に前立腺がんを告白したが、手術は受けず、投薬などで治療しながら試合に出場した。60歳前から手足をゴムチューブでしばる「加圧式トレーニング」で筋力増加を図るなどして現役にこだわった。
2006年4月の兵庫・つるやオープン第2日には、69をマークして国内ツアー最年長となる68歳での予選突破記録を達成した。08年4月に前立腺がんの転移を明らかにしたが、投薬などを受けて試合に出場。中日クラウンズには10年まで51年連続で出場し、同一大会連続出場の世界記録樹立の表彰をされたが、同年8月下旬、新たながんの転移が発覚。その後、入退院を繰り返し、ツアー出場は10年6月のミズノオープンよみうりクラシックが最後となった。
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74歳だった。後日、お別れの会が開かれる予定。
大阪府茨木市出身。1957年に20歳でプロテストに合格し、62年の日本オープンで初優勝。73年以降のツアー28勝を含めて国内で56度優勝したほか、シニアツアー6勝、海外で1勝(69年、香港オープン)を挙げ、永久シード権も獲得した。1メートル62、60キロ前後の小柄な体ながら妥協を許さない姿勢で人気を集め、粘り強いプレースタイルから「マムシ」「ドン」などの愛称で親しまれた。
ツアー施行の73年から94年まで賞金シードを獲得。98年4月に前立腺がんを告白したが、手術は受けず、投薬などで治療しながら試合に出場した。60歳前から手足をゴムチューブでしばる「加圧式トレーニング」で筋力増加を図るなどして現役にこだわった。
2006年4月の兵庫・つるやオープン第2日には、69をマークして国内ツアー最年長となる68歳での予選突破記録を達成した。08年4月に前立腺がんの転移を明らかにしたが、投薬などを受けて試合に出場。中日クラウンズには10年まで51年連続で出場し、同一大会連続出場の世界記録樹立の表彰をされたが、同年8月下旬、新たながんの転移が発覚。その後、入退院を繰り返し、ツアー出場は10年6月のミズノオープンよみうりクラシックが最後となった。
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