おばちゃんな、自分の子供のことが、いちばん心配やさかい、ちょっと、忘れるで。
おばちゃんの子は、もう、お地蔵さんに、お頼みするトシでもないけど、やっぱ、心配なんや。
おばちゃんがな、なんで、報道について、ぎゃーすかいうか、いうたら、新約聖書に、こんな記述があるんや。
「どんだけなうるさいおばはんやねんというほど、扉を叩くうち、いやでも、声を聴こうかという気になる、裁判官ですら、そやねんから、神様には、お祈りし続けなさい」
大阪弁訳。
マタイかマルコか忘れたけれど。福音書やったとおもう。
これはな、おばちゃんの、信念なんや。
ところが、おばちゃん、自分のためのことやと、さっぱり、気合が入らへんねん。
バーゲンセールとか、あかんねん。
自分用は、こっち。
「明日は炉に投げ入れられる野の花でさえ、神様は着飾ってくれはるのやから、にんげんには、なおさら、よぅしてくれはるに、決まってる。せやさかい、あしたのことは、悩まんと、きょうを一所懸命、生きなさい」
これも、福音書。
大阪弁訳。
聖書を読むとき、ちょっと、気をつけなあかんこと。
漢籍もですけれど、「にんげんが一番、自然は、動物もなんもかんも、神様が、人間のために用意しはった道具」という考えが、根本にある。
大陸は、違うよ、やっぱ。
日本人は、「自然と人間は、生命として対等」と感じているから、死生観の違いは、わきまえて読まな。
きょうは、まだ、あと、何時間かある。
きょうのことを、がんばって、すっきりしてから、また、更新します。
ところで、もうご飯、召し上がりましたか。
うちは、炊き込みご飯。
ほっこりするもん、どっさり用意して、からだがご飯になるぐらい、たっぷりいただきました。
また、あとで。
らぶはぁと。
おばちゃんの子は、もう、お地蔵さんに、お頼みするトシでもないけど、やっぱ、心配なんや。
おばちゃんがな、なんで、報道について、ぎゃーすかいうか、いうたら、新約聖書に、こんな記述があるんや。
「どんだけなうるさいおばはんやねんというほど、扉を叩くうち、いやでも、声を聴こうかという気になる、裁判官ですら、そやねんから、神様には、お祈りし続けなさい」
大阪弁訳。
マタイかマルコか忘れたけれど。福音書やったとおもう。
これはな、おばちゃんの、信念なんや。
ところが、おばちゃん、自分のためのことやと、さっぱり、気合が入らへんねん。
バーゲンセールとか、あかんねん。
自分用は、こっち。
「明日は炉に投げ入れられる野の花でさえ、神様は着飾ってくれはるのやから、にんげんには、なおさら、よぅしてくれはるに、決まってる。せやさかい、あしたのことは、悩まんと、きょうを一所懸命、生きなさい」
これも、福音書。
大阪弁訳。
聖書を読むとき、ちょっと、気をつけなあかんこと。
漢籍もですけれど、「にんげんが一番、自然は、動物もなんもかんも、神様が、人間のために用意しはった道具」という考えが、根本にある。
大陸は、違うよ、やっぱ。
日本人は、「自然と人間は、生命として対等」と感じているから、死生観の違いは、わきまえて読まな。
きょうは、まだ、あと、何時間かある。
きょうのことを、がんばって、すっきりしてから、また、更新します。
ところで、もうご飯、召し上がりましたか。
うちは、炊き込みご飯。
ほっこりするもん、どっさり用意して、からだがご飯になるぐらい、たっぷりいただきました。
また、あとで。
らぶはぁと。