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(未定稿)松木靖夫さん。そして境涯詠のことなど

2024-09-08 16:24:01 | 月鞠の会
お身内のかたに内容の確認を取らせていただくので、未定稿として、いったん公開します。




松木靖夫さん。そして境涯詠のことなど

辰 巳 泰 子


片付けてしまふは惜しき鰯雲   松木靖夫
(「俳句誌「あだち野」2018年アンソロジー[通巻40号])

靖夫さんの「片付けてしまふは惜しき鰯雲」の句は、地域にお住まいの方々の俳句誌「あだち野」に掲載。靖夫さんはご療養中とのことで、靖夫さんのご息女とお話ができました。

「鰯雲」は三秋の季語。空一面に広がる秋の雲。「鰯雲人に告ぐべきことならず」という、楸邨の有名な句が、先行します。
楸邨の句は、昭和十三年。日中戦争の真っ只中、言論弾圧の激化するなかで詠まれました。鰯雲は、取り立てて美しいというのでもなく、秋めいてきた時節によく現れる天文現象です。また同時に、折々「じゃこ(雑魚)」とも呼ばれる鰯の字義からとらえれば、ごくごく普通の名も無き人々のメタファー、つまり、貴族でもなければ大臣でもない、私たちのことです。ごくごく普通の名も無き人々が、その声を奪われた重苦しい時代、大空の広がる鰯雲の、なんとのびのびとしていたことでしょう。

そして、靖夫さんの「片付けてしまふは惜しき鰯雲」の句は、令和元年です。戦争が終わって、新しい時代を代表する句として、鰯雲といえばこの句「も」というふうに、文学史が更新されていても、よいのではありませんか。

靖夫さんの詠まれた鰯雲の句には、靖夫さんの世代の皆さんが築かれた、平和と生産性の時代の、自由な空気が象徴されています。
私ども、子の世代は、その恩恵に浴しました。
この句は、さらにそのうえ子々孫々に、希望のもてる未来の広がることを信じてくれています。あきらめるなと、背中を押してくれているのです。
片付けてしまうには惜しい、一つ一つの生命のつながり。
「鰯雲」のような取るに足りない存在の心地を汲みながら、天空一面に広がるきらきらしい景色とともに、このいまの眺めがさらに、未来につながることを願ってくれているのです。

松木靖夫さんは、亡き母の幼なじみ。兵庫県立篠山鳳鳴高校の同級生なので、一九三六年生まれのご学年でしょう。歌誌「かりん」の塩見匡さんのご親戚でもあり、馬場あき子さんの遠縁にあたると伺ったことがあります。
私といえば、母の三回忌を過ぎた頃、心の調子を崩しました。母にかかるもろもろに尋常でない悲しみが残り、それがいつまでも回復せずに、とうとう、母にひもづく一切を忘れようとしたのです。
そうして靖夫さんに小誌「月鞠」へご寄稿のお打診をしながら、連絡をしなくなりました。
晩年の母に、俳句の趣味を与えてくださったのは、靖夫さんなのに……。
それでも、冒頭に掲出の靖夫さんの句を、「俳句アトラス」(代表 林誠司)のウェブサイトという、亡き母にひもづかない場で見つけてしまい、そのとき、自分が本当にしなければならないことが見えてしまったのでした。

今、かつていただいた合同句集『ザクロ』(二〇一〇年)の靖夫さんの句、『ザクロ』を創刊した稲垣鷹人さんの句を再読、今の目で、あらためて拝読しています。『ザクロ』の師系は右脳俳句提唱者の品川良夜。合同句集の指導者は菊池都。靖夫さんは、『ザクロ』では千樹という俳号を用いておられました。

私が「片付けてしまふは惜しき鰯雲」の句を見て受けた衝撃の第一波は、拙ブログ連句の記にある、連衆の「どこからかたづけようか鰯雲」に着想を得られたと思われたことでした。靖夫さんは、母がお世話になったばかりではなく、私の短歌朗読会にも、よくお越しくださいました。濃やかに、お見守りをくださった日々に思いを致し、この句をウェブ上で見かけてしまってから、何としても、ご連絡を取り直したいと思うようになりました。
しかし、私が無為の日々を過ごすうちに、『ザクロ』のどなたとも、ご連絡がつかなくなっておりました。
趣味人の冊子の多くは、発行と流通にかかわるほぼ同世代の人間関係のなかで、一切が閉じられてしまう。それは、わかっていました。でも、後の世代に引き継がれるアドレスがないのは、後の世代にとっての損失であるとお考えになっていただきたいのです。
私は、これからも折に触れ、合同句集『ザクロ』のことを、書きますよ?

コンピュータがライティングを巧みにこなす時代がやってきました。お飾りでいいなら俳句も短歌も、コンピュータが合成してくれます。ゆえに、短詩形の作者に実用的な価値は全く存在しない。そういう時代になりました。
そのような状況にあるからでしょうか。
昨今、俳句にも、境涯詠が登場したと聞きます。
私はこれにも驚いています。
それは、俳句というジャンルが無くなってしまうことを意味するのではないですか。

短歌は境涯を詠み、俳句は境涯などは詠まないものだと、言われてきました。
俳句は、我がことでないかのように詠みます。そうでありながら、共感を示し、共感を誘うものが、俳句なのです。
しかし、コンピューターに、他者に共感する自我がありましょうか。コンピュータに「~が感じられます。」などと言われても、うれしくもなんともないのでは。言葉というのは、この人がいうからいい、あの人に伝えてみたい、そういう性質のものではありませんか。
そんななかで、短歌とは、叙情のための形式であり、その作法は、他者に成りかわったようでも自分の気持ちであり、誰かの気持ちなのです。短歌では、我がことのように詠むのが、作法なのです。
少し難しくいいますと、短歌は、境涯に依拠するところにその美を成立させ、俳句は境涯から切り離したところにその美を結実してきたのです。
ここで、俳句にとって、境涯を切り離すとはどういうことか。
合同句集『ザクロ』から、例句を挙げましょう。


初蝶のはや恋仲となりてをり   稲垣鷹人
花筏ひと跨ぎして蕎麦処
夕闇の包み切れざる白牡丹
原爆忌切り口赫き西瓜かな
この谷に散るほかはなしななかまど
蝋梅や如来は軽く右手挙げ
(合同句集『ザクロ』)

鷹人さんは一九二六年生まれ。ご存命であれば御年、九十八歳でしょうか。なんという華やかな作風でしょう。恋の蝶、包んでも包み切れない花のなかの花を幻想的に描き、如来仏が「よっ」と挨拶しそうに印を結ぶといいます。鷹人さんはどんなときも華麗に、足取りは軽く。そのような方だと、お作を見れば、わかります。

さてこのうち、次の二句に注目します。

原爆忌切り口赫き西瓜かな
この谷に散るほかはなしななかまど

原爆忌、西瓜もともに初秋の季語。「あかき」を「赫き」と書くのは、戦争への忿怒からでしょうか。西瓜のゆたかにほとばしる甘汁を、水がほしいといって亡くなられた方々へ捧げておられるのでしょう。季重なりせずにいられないほどの思いがおありでしょう。
ななかまどは、晩秋。七回燃やしても燃え尽きないと言われている、関東以北の木。関西には生えていません。私は、東京に移り住んで、この木を初めて見ました。散っているのは、落葉でしょう。ピラカンサによく似た実を残しますが、いっそう深いあかさの実です。そのななかまどの死に場所は、そこにしかないというのです。いいえ、樹木はどの樹木も、そこから動くことなどできないし、ただただ環境から作用を受け入れるほかありません。ななかまどの深紅は、鮮烈な覚悟の色でしょう。



山ほどの絵具使へと笑ふ山   松木靖夫
紫陽花を背に量感のある女
納得の行くまで歩き夏終る
祝福のごとくに弾けザクロの実
秋草と山あり故郷歩くべし
埋み火のごとく戦の日の記憶
(合同句集『ザクロ』)

鷹人さんの句と並べたとき、靖夫さんの句の素晴らしさが、くっきり浮かびあがります。鷹人さんの句が妖艶を描いて華やかであればあるほど、靖夫さんの句の実直さ、まことの花が浮かびあがってくるようです。
「山笑ふ」は、春。絢爛たる花の山でしょう。そこで絵具が山ほどいるぞと、靖夫さんは、クリエイターならいかに描くかと思いを巡らせます。靖夫さんは、春という季節の美よりも、その美を描きとろうとするクリエイターのことを、まず考えるのです。紫陽花を後ろにした量感のある女は、きっと、くるくると家の中をよく動き、家事をこなし、がっちりと小太りの女でありましょう。靖夫さんは、その人の実直に、まず目がいくのです。そして、華やかであることよりも、「納得が行く」ことが、大切なのです。

このうち、次の句に、境涯とは何かを見ます。俳句と、その作者の境涯とは、どのような関係性であるべきかということ。

祝福のごとくに弾けザクロの実

ザクロは仲秋。鬼子母神を思い浮かべる人が少なくないでしょう。ザクロの実がばっくりと割れているところは、本当に生きた人の肉が裂けたよう。この見た目から人肉の代わりとして鬼子母に与えられたのだろうと、私は一人合点しているのですが、靖夫さんは、その張り裂けた肉芽を、祝福の弾けたようだというのです。ここには、価値観の引き直しがあります。「鰯雲」の句の、未来を見つめる目と同じように、なんとかして、無骨にも、希望を見出してやろうとする意志を感じます。この無骨さを、もし私が「片付けてしまふは惜しき鰯雲」の句を知らなければ、「無理な」と思ったかもしれません。しかし、この句は、「片付けてしまふは惜しき鰯雲」の作者の句です。そうであるからには、無理な、とは思いません。
言葉には、この人がいうからこそ良いという面があります。それが、その作者のまことの花でありませんか。
我がことでも、我がことでないかのように、描きとるのです。それでいて、この人がいうからこそ深い、というように。

埋み火のごとく戦の日の記憶

我がことでないかのように描かれながら、鷹人さんの句、靖夫さんの句のうしろに、戦争の時代が隠れています。戦争の時代を知る人々が、歳月の奥へ奥へと隠れてしまわれるなか、私は、「あだち野」に掲載されたご本名での句を、もっと読んでみたいと思っています。未来に希望を見せてくれる作品が、きっと、あるように思われて。






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