天竺猫の秘密基地

安曇野在住。連れとジャム(2008年8月12日〜2024年2月11日)と日常の話。

同居時の諸事情

2020-06-29 21:45:11 | 雑談
同居のメリットはお金だけ。上げ膳据え膳は有難かったけれど、義母の料理はとても微妙だった。毎朝の味噌汁は減塩のしすぎで残念の極みだったし(インスタントの味噌汁が美味しいと思えるレベル)せっかくのレシピを自己流に改悪するのは日常茶飯事(政治家かw)。偽善が高じて「まずいでしょ?」と聞いてくるが、肯定したら一緒に住めないので「そんなことないよ美味しいよ(棒読み)」と答える茶番。さらに義母は料理を一晩寝かせたりしないので、カレーもけんちん汁もイマイチ。冷蔵庫の中にはラップをかけ(て忘れ)られた小鉢やお皿が隅っこ暮らしをしているし、野菜室では使いかけの野菜が袋に入ってかくれんぼをしている。冷凍庫に至っては悪の巣窟で、いつ収穫したのかも分からない食材(野菜とか野菜とか野菜とか)が霜にまみれている。義母はご飯の冷凍と解凍を繰り返しても平気だし、海苔の袋を開けたまま冷蔵庫に入れておくし(冷蔵庫内は乾燥しているから大丈夫だと義母は言うが、私の一存でジップロックに収納)至るところに火種があったなぁ。連れと私の好みは似ていたが、「美味しい」より「健康にいい」ほうが尊い義両親とは全く好みが合わなかった。義母より私の作る料理の方が連れには評判が良かったが、「優しい味だね」という(素直に美味しいと言わない)義母の褒め言葉にカチンときて、辛い麻婆豆腐を拵えたのはココだけの秘密。確かその時は「食べられるけど辛い」と言っていたので「無理し(て食べ)ないで〜」と私が応じたけれど義父ともども完食していた。

洗濯も全て義母がしてくれたけれど、私の黒いTシャツを洗濯に出せば、必ず自分のものと間違えるし(毎回「黒いTシャツがないけどお義母さんの所?」と聞きに行く羽目に)靴下は自分のを混ぜて寄こすし(自分の靴下を忘れる意味が分からない)しょっちゅうモヤモヤしていた。弟から貰ったコーデュロイのシャツを義父が着ていた時には、何も言わずに諦めた。暫くたってから義母に「もしかしてこれって?」と聞かれたけれど「もう着ないからどうぞ」と返した。エンガチョ。

同居中は考えないようにしていたけれど、結構なストレスだったのかも。お年取り(当地の年越し)をしたくない一心で年越しキャンプに行っていたし、長期休暇も(逃げるように)キャンプに行っていたし。同居を解消したら、どこにも行かずに休日をのんびり過ごせるようになった。収入は増えないけれど、外食も外飲みも激減したので生活を逼迫するような支出ではない。同居していた時の方が今より贅沢な生活だったかもしれないが、正直なところ、あの頃に戻りたいとは思わない。インドア派だからw
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