天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

『生前退位』

2016-07-24 20:07:31 | 歴史


人間宣言、富田メモが誤訳またはニュアンスの違いであることがお分かり頂けたと思うが、これら過剰な反応と宮内庁長官のメモからの推測とは異質の「生前退位」が先日、宮内庁関係者とNHKのスクープとして大々的に報道され、新聞各社が一斉に補足と現状を後追いとして報じた。

この発表の狙いはマスメディアの言う国民に広く
公務の負担軽減の理解を促す為のもの、以外にもあるのでないかという疑義があげられる。

人間宣言は詔の題名、タイトルとして、富田メモは天皇に非常に近い者のメモとして、関係者が亡くなった後に、そして今回の生前退位はご存命でありながら退位の話である。

明治より、途切れることなく天皇不在の期間がないように、また天皇の譲位が強制されて政治的混乱を招いた時代があったことなどを理由に、皇位の継承は天皇の崩御に限られるとすることが、旧皇室典範から現在の皇室典範に受け継がれている。

この生前退位の問題は通常であれば天皇の政治的発言は憲法上内閣の助言と承認が必要であり、それが身体を思い遣るといった良いことであろうと手続き上関係者が漏らしNHKが報道することは憲法違反かそれを誘発する行為であり、あってはならないことである。

日経新聞が「天皇陛下の生前退位「認めるべき」77% 」本社世論調査、この様な記事を掲載した。生前退位などという造語の問題を理解した国民がそんなにいるとは俄かには信じられない。

日本国憲法第七条 「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。」であり、その一項は、「憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。」とある。

参院選で憲法改正の発議可能な状態になった自公政権、これに水を差す結果となった退位問題はその妨害工作に天皇陛下を政治利用する形となった。要するに、憲法改正を最終的に行う主体を退位させようとする護憲派の最終究極的手段が生前退位という事になる。

このタイミングでスクープとしてNHK、新聞各社だけが熱狂し国民を誘導する、しかも皇室を自分達のイデオロギーに有利に政治利用することは極めて見え透いた稚拙な手段であると共に、安倍政権の保守ナショナリズムの復活を抑えられない戦後レジームの断末魔と表現することは吝かではない。


『富田メモ』

2016-07-24 11:49:23 | 歴史


今更ながらと思われるだろうが、富田メモについてまた取り上げたいと思う。
関係者が全て亡くなってからの発表、つまり証明のしようがない事柄を歴史学的に考察することの
意味は、資料から都合良く判断することが可能となってしまう。

実は意図的に敢えてその手法を取ったという推測も可能なのである。歴史学の危険性は歴史観に沿って都合良く判断し、真逆や捏造すら可能となり得るところだ。

以前"神の手"として土器を自分で埋めた考古学関係者を紹介したが、これと同等な危険性を歴史学は含み持っているのだ。

憲法で規定されているように、天皇は政治的発言を禁止されている。それを良いことに資料から都合良くニュアンスを変え天皇の心情を歴史家が判断する、冒涜、不敬ともとれる行為が富田メモの誤訳なのではないだろうか。

戦犯合祀が昭和53年、その頃の話が富田メモとして、平成18年に公開、そして近年侍従を20年勤め、32年間日記を付けてきた卜部亮吾氏の日記がその説の裏付けとして公開された。



・1988年(昭和63年)4月28日の日記には「お召しがあったので吹上へ 長官拝謁のあと出たら靖国の戦犯合祀と中国の批判・奥野発言のこと」との記述があった。

・2001年(平成13年)7月31日の日記には「靖国神社の御参拝をお取り止めになった経緯 直接的にはA級戦犯合祀が御意に召さず」との記述があった。

・2001年8月15日の日記には「靖国合祀以来天皇陛下参拝取止めの記事 合祀を受け入れた松平永芳(宮司)は大馬鹿」との記述があった。


卜部 亮吾(うらべ りょうご、1924年(大正13年)1月6日 - 2002年(平成14年)3月11日)

その主要部分であるが、具体的なものは真ん中の7月31日のものだが、「御意に召さず」はあくまでも卜部氏の主観であろう。しかも崩御されてから10年以上経過しての日記である。

秦郁彦氏らの研究を後押しする形で半藤一利氏が富田メモは本物であると評価しているが、本物であるかどうかは問題ではなく、更に言えばそんなことは分かっている。

「戦犯合祀に不快感」と「戦犯合祀に伴う国外と一部日本人の政治問題化で御親拝が中断した事に不快感」のニュアンスの違いが問題であって戦犯を戦犯のままにし、分祀する方向に誘導する為の解釈と更に天皇の意思を政治利用して戦犯への責任をそのまま固定化する狙いがあるのだ。



『人間宣言』

2016-07-23 19:19:47 | 歴史


「朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ」

The ties between Us and Our people have always stood upon mutual trust and affection. They do not depend upon mere legends and myths.

They are not predicated on the false conception that the Emperor is divine, and that the Japanese people are superior to other races and fated to rule the world.

朕と汝ら国民との紐帯は、終始相互の信頼と敬愛とによりて結ばれ、単なる神話と伝説によりて生ぜるものにあらず。天皇をもって現御神(あきつかみ)とし、かつ日本国民をもって他の民族に優越せる民族として、ひいて世界を支配すべき使命を有すとの架空なる観念に基づくものにもあらず。

— 昭和天皇、1977年8月23日の会見

 『そのことについてはですね、それが実はあの時の詔勅の一番の目的なんです。神格とかそういうことは二の問題であった。

 それを述べるということは、あの当時においては、どうしても米国その他諸外国の勢力が強いので、それに日本の国民が圧倒されるという心配が強かったから。

 民主主義を採用したのは、明治大帝の思召しである。しかも神に誓われた。そうして五箇条の御誓文を発して、それがもととなって明治憲法ができたんで、民主主義というものは決して輸入のものではないということを示す必要が大いにあったと思います。

 それで特に初めの案では、五箇条の御誓文は日本人としては誰でも知っていると思っていることですから、あんなに詳しく書く必要はないと思っていたのですが。

 幣原がこれをマッカーサー司令官に示したら、こういう立派なことをなさったのは、感心すべきものであると非常に賞讃されて、そういうことなら全文を発表してほしいというマッカーサー司令官の強い希望があったので全文を掲げて、国民及び外国に示すことにしたのであります。』



当時、アメリカ人は日本軍の強さの根源は天皇が神であると日本人がマインドコントロールされているのではないか、との思違いをしていたようだ。しかし、陛下の記者会見にもあるように、マッカーサーはこの詔の本質を賞賛している。

戦前の日本人が天皇陛下を神として認識などしておらず、尊い貴重なご存在であることを日本人が共有していた事実の外国向けの発表と見る事が正しい見解であろう。

現に日本国外では天皇が神から人間に歴史的な変容を遂げたとして歓迎され、退位と追訴を要求されていた昭和天皇の印象も好転していったのである。

つまり、神格化の否定はあくまで国外向けの責任回避の為のイメージ戦略であり、知恵であったと評価することが可能である。

然し乍ら、マスコミはこの題名の無い詔を「人間宣言」と強調した。

三島由紀夫の英霊の聲にある、
「などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし」
「もしすぎし世が架空であり、今の世が現実であるならば、死したる者のため、何ゆゑ陛下ただ御一人は、辛く苦しき架空を護らせ玉はざりしか」

「あの暗い世に、一つかみの老臣どものほかには友とてなく、たつたお孤(ひと)りで、あらゆる辛苦をお忍びになりつつ、陛下は人間であらせられた。清らかに、小さく光る人間であらせられた。それはよい。誰が陛下をお咎めすることができよう。だが、昭和の歴史においてただ二度だけ、陛下は神であらせられるべきだつた。何と云はうか、人間としての義務(つとめ)において、神であらせられるべきだつた。この二度だけは、陛下は人間であらせられるその深度のきはみにおいて、正に、神であらせられるべきだつた」

マスコミの発表に追随するような三島の作品の執筆は自身の敗戦への憎悪と大衆への訴えかけを作品を通じてあってはならぬ方向に向けている。

江藤淳は、「イデオロギー的」であり、「妙に猥褻」と酷評している。

私なりに独自に訳したいと思う。

朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。

天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ


私と国民との結び付きは、お互いに信頼し合い、互いに敬愛することで結ばれており、この関係は単に神話や伝説の影響で生まれた訳ではない。

天皇を現人神としたこと、そして、国民を世界の民族より優れた民族なのだから、世界支配すべきさだめの有能な民族なんだとの架空観念に基づいたものでもない。

如何だろうか、これを神格化の否定、延いては人間宣言などと訳すことはあまりに国民の勝手が過ぎるのではないだろうか。

もう少し分かりやすく訳せば、

『私と国民との関係は私を現人神、国民を優れた民族と、神話や伝説の影響で成り立つものでなく、相互の信頼と敬愛で成立しているのだ。』

つまり、日本国民は多くが戦前は都合良く天皇を神格化し、戦後神格化を否定なさったからと同じ人間と判断する。天皇陛下だけが変わらず信頼と敬愛の相互関係と仰られている。

時代の流れが戦争となり、多くの国民が戦禍に倒れて行ったことは逃れようのない最大の不幸であり、怒りと絶望の向け先の無い事も理解した上で
も当時のマスコミのあまりにも身勝手な解釈に、
憤りさえ覚える。

現代の皇室、象徴となられた天皇を信頼と敬愛の欠片も無く貶め過度に同じ人間として扱おうとするマスメディアはあの時の人間宣言とネーミングした偽善を性懲りも無く受け継ぎ繰り返す罰当たりである。

天地創造

2016-07-22 08:29:00 | 歴史


厳密にはユダヤ教のヘブライ語聖書、キリスト教の旧約聖書『創世記』における世界の創造のことだ。
1日目 暗闇がある中、神は光を作り、昼と夜が出来た。2日目 神は空(天)をつくった。
3日目 神は大地を作り、海が生まれ、地に植物をはえさせた。と、こんな具合だ。

一方日本に於いては古事記冒頭の「天地初発之時」(あめつちのはじめのとき)とあり、ここには天地がいかに創造されたかの記載はない。

日本書紀の中でも、「本文」とされる部分の他に「一書」とされる異説の部分があり、世界誕生の神話は1つに定まっていない。

ユダヤ教で「アドナイ」、キリスト教は「ゴッド」、イスラム教は「アラー」と呼ぶが、これらは全て「ヤハウェ」の事である。

日本に於いてこれら一神教の考え方が深く影響しているとは考え難い。わからない事はわからない、正直者が多く、日本に於いて西洋文明の流入に比べ宗教の影響をさほど受けていないのは鎖国の為だけではない事がザビエルの手紙を見れば瞭然とする。

当時の庶民も西欧の宗教に対して少なからず違和感を抱いていたことは以前にも述べた。

天地でさえ神が創ったとする宗教とやおよろずの神という考え方は自然現象の下にある。風の神、雷の神がいる日本では至って謙虚に膨大な自然のパワーを只管祈ることで受け入れて来たのだろう。

この謙虚さの欠落した欧米は大航海時代で侵略者となり、宗教対立で殺し合うという国家観を共有したのだろう。これは、なにも日本人が野蛮な民族ではなかった、と自画自賛しようとするものではなく、往々にして宗教観が国民性に与える影響が多少なりとも存在すると言えるのでなかろうか。

日本には現人神(あらひとがみ)という存在がある。天皇陛下である。
「この世に人間の姿で現れた神」または、
「人間でありながら、同時に神である」とも一時期は説明されたこともあるが、
「人間でありながら、神のような、神に等しいご存在」と理解されれば良いだろう。


14世紀から明治2年までの間の「内裏」、すなわち歴代天皇が居住し儀式・公務を執り行った場所
京都御所である。

城壁に比べ遥かに低い壁と跨げる程の堀は誰も御所を攻める者がいない事を表しており、権力によって日本を治めて来なかった事を物語る。

この点に於いても西欧の王族とは位も期間も異なる。ルイ125世など存在しないことでも明らかである。

つまり、少なくとも皇紀2676年間以上は男系の一系で血を繋いできた。明治期に王政復古して、
「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」
天皇個人やその一族のために国を統治するのではなく、公平に納めるという統治形態である。

連綿と続く皇室は明治期に於いてその万世一系を理由に日本の元首となったが日本を支配した訳ではない。明治期でさえ天皇は国民の中心に存在したのである。

戦後日本の象徴となった天皇陛下は憲法に元首の記載はない。不敬罪は廃止され、国民主権となり、反天連のデモは表現の自由を濫用する。
メディアは皇室典範にもある敬称を使わず、学校教育では尊敬を教えず、親しみ易い皇室などと皇室の壁をガラス張りに替えようとする。

国家神道解体とともに神道までもが宗教のカテゴリーに分類され、信教の自由の名の下に徐々に国民から引き離されていった。

鳥居をくぐり、お賽銭を入れ、柏手を打ち、御神籤をひくことが、誰も宗教行為だとは思わない。
漠然としたやおよろずの神々に感謝の気持ちと祈りを捧げることが宗教行為だとも感じない。

今、自分がこの世に生を受けここに存在することは、先祖を辿れば神々の子孫である日本人は現人神を象徴としての中心におき、そこに日本人としてのアイデンティティを見出すことは宗教行為ではなく、神道であるのだ。


都知事選全候補者

2016-07-21 18:30:08 | 政治
1 高橋しょうご 32
2 谷山ゆうじろう 43
3 桜井誠 44
4 鳥越俊太郎 76
5 増田ひろや 64
6 マック赤坂 67
7 山口敏夫 75 国民主権の会
8 やまなかまさあき 52 未来創造経営実践党
9 後藤輝樹 33
10 岸本雅吉 63
11 小池ゆりこ 64
12 上杉隆 48
13 七海ひろこ 32 幸福実現党
14 中川ちょうぞう 60
15 せきくち安弘 64
16 立花孝志 48 NHKから国民を守る党
17 宮崎正弘 61
18 今尾貞夫 76
19 望月義彦 51
20 武井直子 51
21 ないとうひさお 59