天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

『人間宣言』

2016-07-23 19:19:47 | 歴史


「朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ」

The ties between Us and Our people have always stood upon mutual trust and affection. They do not depend upon mere legends and myths.

They are not predicated on the false conception that the Emperor is divine, and that the Japanese people are superior to other races and fated to rule the world.

朕と汝ら国民との紐帯は、終始相互の信頼と敬愛とによりて結ばれ、単なる神話と伝説によりて生ぜるものにあらず。天皇をもって現御神(あきつかみ)とし、かつ日本国民をもって他の民族に優越せる民族として、ひいて世界を支配すべき使命を有すとの架空なる観念に基づくものにもあらず。

— 昭和天皇、1977年8月23日の会見

 『そのことについてはですね、それが実はあの時の詔勅の一番の目的なんです。神格とかそういうことは二の問題であった。

 それを述べるということは、あの当時においては、どうしても米国その他諸外国の勢力が強いので、それに日本の国民が圧倒されるという心配が強かったから。

 民主主義を採用したのは、明治大帝の思召しである。しかも神に誓われた。そうして五箇条の御誓文を発して、それがもととなって明治憲法ができたんで、民主主義というものは決して輸入のものではないということを示す必要が大いにあったと思います。

 それで特に初めの案では、五箇条の御誓文は日本人としては誰でも知っていると思っていることですから、あんなに詳しく書く必要はないと思っていたのですが。

 幣原がこれをマッカーサー司令官に示したら、こういう立派なことをなさったのは、感心すべきものであると非常に賞讃されて、そういうことなら全文を発表してほしいというマッカーサー司令官の強い希望があったので全文を掲げて、国民及び外国に示すことにしたのであります。』



当時、アメリカ人は日本軍の強さの根源は天皇が神であると日本人がマインドコントロールされているのではないか、との思違いをしていたようだ。しかし、陛下の記者会見にもあるように、マッカーサーはこの詔の本質を賞賛している。

戦前の日本人が天皇陛下を神として認識などしておらず、尊い貴重なご存在であることを日本人が共有していた事実の外国向けの発表と見る事が正しい見解であろう。

現に日本国外では天皇が神から人間に歴史的な変容を遂げたとして歓迎され、退位と追訴を要求されていた昭和天皇の印象も好転していったのである。

つまり、神格化の否定はあくまで国外向けの責任回避の為のイメージ戦略であり、知恵であったと評価することが可能である。

然し乍ら、マスコミはこの題名の無い詔を「人間宣言」と強調した。

三島由紀夫の英霊の聲にある、
「などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし」
「もしすぎし世が架空であり、今の世が現実であるならば、死したる者のため、何ゆゑ陛下ただ御一人は、辛く苦しき架空を護らせ玉はざりしか」

「あの暗い世に、一つかみの老臣どものほかには友とてなく、たつたお孤(ひと)りで、あらゆる辛苦をお忍びになりつつ、陛下は人間であらせられた。清らかに、小さく光る人間であらせられた。それはよい。誰が陛下をお咎めすることができよう。だが、昭和の歴史においてただ二度だけ、陛下は神であらせられるべきだつた。何と云はうか、人間としての義務(つとめ)において、神であらせられるべきだつた。この二度だけは、陛下は人間であらせられるその深度のきはみにおいて、正に、神であらせられるべきだつた」

マスコミの発表に追随するような三島の作品の執筆は自身の敗戦への憎悪と大衆への訴えかけを作品を通じてあってはならぬ方向に向けている。

江藤淳は、「イデオロギー的」であり、「妙に猥褻」と酷評している。

私なりに独自に訳したいと思う。

朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。

天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ


私と国民との結び付きは、お互いに信頼し合い、互いに敬愛することで結ばれており、この関係は単に神話や伝説の影響で生まれた訳ではない。

天皇を現人神としたこと、そして、国民を世界の民族より優れた民族なのだから、世界支配すべきさだめの有能な民族なんだとの架空観念に基づいたものでもない。

如何だろうか、これを神格化の否定、延いては人間宣言などと訳すことはあまりに国民の勝手が過ぎるのではないだろうか。

もう少し分かりやすく訳せば、

『私と国民との関係は私を現人神、国民を優れた民族と、神話や伝説の影響で成り立つものでなく、相互の信頼と敬愛で成立しているのだ。』

つまり、日本国民は多くが戦前は都合良く天皇を神格化し、戦後神格化を否定なさったからと同じ人間と判断する。天皇陛下だけが変わらず信頼と敬愛の相互関係と仰られている。

時代の流れが戦争となり、多くの国民が戦禍に倒れて行ったことは逃れようのない最大の不幸であり、怒りと絶望の向け先の無い事も理解した上で
も当時のマスコミのあまりにも身勝手な解釈に、
憤りさえ覚える。

現代の皇室、象徴となられた天皇を信頼と敬愛の欠片も無く貶め過度に同じ人間として扱おうとするマスメディアはあの時の人間宣言とネーミングした偽善を性懲りも無く受け継ぎ繰り返す罰当たりである。