目指せ華麗な七十代!

旧mandalaflowerからタイトルを替えました。今から始まる七十代をより華麗に生きる覚悟です。

ヒヤシンス咲く

2017-12-24 | 日記
曇りの予報だったけど晴れてきました。

うれしー


お天気の日が続いているので毎日気分良く過ごしています。


ヒヤシンスの花が咲き始めました。

いい香りです。




このヒヤシンス、去年買った鉢を庭の隅に放っておいたら


勝手に根をつけて子供がいっぱい出来ていました。

それを秋の終わりに偶然見つけたのよね。





三つ大きな株があってそのひとつずつから子供らしき緑の芽があっちにもこっちにも出ています。

できればうまく増やしたいわね。


去年は色々と処分品の鉢物を買って楽しみました。

シクラメンも去年のものが再び花を咲かせようとしています。

今までこんなに上手に植物が育ったことがないのでちょっと驚きながらも

感激しています。

みんな偶然の賜物なので

どうしたらこれを継続できるのかわかりません。


できることなら何年も同じ株を育てて毎年花を咲かせたいものだけど

いざとなると難しそうですね。


去年は処分の品の中にパキラを見つけ、

この辺りでは寒すぎて育たないだろうと

思いつつも

その姿に惹かれて買ってしまいました。

それが見事に大きくなっています。


昨年はまだ小さかったので

大事にしてやろうという行き過ぎた思いから

日の当たるところに連れ出して

返って葉をからしてしまったり、過保護ゆえの弊害が出てしまいました。

春を迎えた時にはついに一、二枚だけの葉っぱが残るのみ。


ほとんど裸になってしまったパキラを見て

悲しくなっていた私ですが

冬の間から眺め続けた新芽が五月になってやっと成長を始めたのです。

それから背丈もぐんぐん伸びて

夏には六十センチを越えるほど大きくなりました。

買った時の三倍くらいですよ。




発財の木と言われる所以となった大きな緑の葉っぱも豊かです。


空気清浄の木とも呼ばれているのは

その大きな葉っぱで新鮮な酸素をいっぱい放出してくれるからでしょう。


パキラに関しては去年色々勉強させられました。


この植物ってね、環境の急激な変化についていけないのだそうです。

人間にだってそういう人いるでしょ。

植物も同じなんですね。

それを知らない私は

良かれと思って日向に出したりしたけれど


それもダメ。


直射日光にも弱いのだそうです。


木漏れ日がチラホラと適当に当たるくらいの環境が好きらしい。


一度おいたらあちこち動かさない。


それが一番いいようですよ。

無知とはいえ去年は色々と無理をさせてしまいましたね。

ごめんよ。


そのことを知ってから今年はずっと寝室に置いたままにしています。


冬が来て朝の短い時間しか日の当たらない北向きの部屋だけど、


植木鉢をダンボールで囲ってやり、

それだけで今の所マイナス6の寒い朝を一枚も葉を枯らさずに耐えています。


暖かい部屋に移動させてやりたい気持ちを抑えつつ


じっと寒さに耐える植物に


そっと声をかけるのです。


「春が来るまでじっと我慢の子でいてくれよ」


ヒヤシンスがひときわ早く春の香りを運んでくれます。

人間も植物も

この寒さがあってこその春の喜びなのですね。
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友来たる・穏やかな一日

2017-12-23 | 日記
昔の友達が遊びにきました。

夫婦揃ってくるなんて何年振りのことかしら?

今年の春に一人暮らしをする娘を送った後に立ち寄って

ウッドデッキ作りを手伝ってくれた友人です。

あれから九ヶ月、

娘はどうなったのか?

時々気になっていたのです。

聞いてみると、かなり大変そう。

何が大変って仕事が続かないのだそうです。

三、四日勤めてはすぐに辞めてしまい、

素行の悪い連中とつるんで朝まで遊んでいるとか。。。

あのおぼこい山育ちのまるちゃんが

今や化粧の名人。

この間はネットで

化粧した顔とすっぴんの顔がどれほど違うかと言うコンテストで

かなりの上位に入ったらしい。

見せてもらった写真は完璧に化粧した顔で

とてもあの子だとは思えません。

道であったって絶対気がつかないレベルです。

だいたい私の知っているまるちゃんは地黒なんだぜ。

健康的な素肌の美しい子だったのに・・・・


それにしても

都会に出て十六歳の娘がたった一人で生きて行くって

勇気が必要でしょうね。

私は十八の時だったけど考えてみれば二歳違うだけですね。



それにしても親も勇気がいるでしょうね。




これから先、あの子がどんな道を歩いて行くのか未来は誰にもわかりませんが、

どんな道の上にいても良い人に出会えるよう祈ってあげたいです。



それしか出来ませんもの。


穏やかな師走の一日を旧友と楽しく過ごしました。

特別なことはなかったけれど

平和な一日でした。


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冬至の晩御飯

2017-12-22 | 日記
柚子湯に入ってきました。

たわしも使ってさっぱりと・・・・・


さてさて、今夜の晩御飯。

冬至の夜には「ん」のつくものを食べるといいらしい。

と言うことで南京かぼちゃサラダを作りました。

今日のカボチャはホックホク。

ひたひたよりすこーし少なめの水で茹でました。

水がすっかりなくなるまで茹でてマッシュしたカボチャに

少し多い目のココナッツオイルで炒めておいたニンニクと短く切ったえのき茸を

混ぜました。

冷めてからオニオンのみじん切りとピーマンの粗みじんに切ったのを加え、

少量のマヨネーズ、牛乳を入れて伸ばしたところに

思いっきりよくドバッとワインビネガーを入れて見たのです。

へへ、

本当はワインビネガーをちょっぴり入れてみるか・・・

ってはずでしたのに、

間違って瓶の口からドバーッと出てしまいました。

でもそれが返って良かったみたいで

パンチのあるかぼちゃサラダになったのよ。

ラッキー




メインはズッキーニパスタとミートソース。


かぼちゃサラダのサイドにはミニトマトと紫オニオンのスライスを添えて

彩りもよく盛り付けました。


写真を撮りたいと思ったけど、

テーブルに食事が並んだ時点で

二階までカメラを取りに行くことはできませんでしたわ。

食事を前にしてどこかに行くことは私が一番嫌いなことだから。

最初からカメラを用意しておけば良かったのに、

それができません。

晩の支度を始める頃にはカメラのことなんかすっかり忘れてしまうものですから・・・・

すみませんね。

写真があったら楽しいのに・・・・


それはそうと、

実は今夜食べたズッキーニは

かれこれ三ヶ月ほど前に収穫したものなのです。

今年はズッキーニが全く穫れなかったのよ。

ところが九月の終わり頃、たった一つ

めちゃくちゃ大きいのができたのです。

あまり大きすぎるのでそのまま食べずに裏の縁台に転がしたままにしておいたら

なんとなく食べそびれて

月日が経ってしまいました。

もうダメだろうなって思いながらもそのままにしておいたら、

この間家人がそれを持ち出してきて

食べられるかどうか一度試してみようと提案したのです。

それでダメなら捨てるしかないね、と

万能削り器で削って見たらなんとまだ食べられそうだったの。

だからミンチを入れたトマトソースを作ったわ。

そして美味しくいただきました。

それにしてもすごいでしょ。

ズッキーニってこんなにも保存がきく野菜だったのですね。




今日は「ん」のつくものをいっぱい食べました。

来年はどれほど運がいいかと期待しちゃうわ・・・・・



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冬至にはもちろん柚子湯に入ります。

2017-12-22 | 日記
午後三時五十五分、当時の日が山に沈みました。

と日の入りの時間が遅くなっていきます。

明日からは日の出の時間も少しずつ早くなっていきますね。

いよいよ新年の始まりです。

って、

お正月はまだだけど、

一日の昼間の時間が長くなり始める今日は明るい季節の始まりですから

ゆず湯に入ってお祝いしましょうよ。




それに益々運が強くなるように


んのつく南京かぼちゃもいただきましょう。

縁起を担いで来る年の幸運を願います。



今日も外出でした。

今年最後の病院通いです。

来年はまた病院に縁のない暮らしに戻りたいと思います。

そんな願いも込めて

ゆっくりと柚子湯を楽しみますよ。

今日は早めにお風呂を準備して居ます。


薪で沸かすお風呂、

最高の贅沢よ。




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ふんぞり返る

2017-12-21 | 日記
ふんぞり返るという言葉を辞書で引いてみたらこうありました。

上体をぐっと後ろに反らせる、また尊大な態度をとる


病院通いで外出が続いています。

病院の待合室でテレビを見ていたら

貴乃花親方の姿が見えました。

横綱審議会とやらが開かれていた模様です。

そこに居並んだ方々の中で

貴乃花親方だけが踏ん反り返って座っておりました。

どうしてあんなに踏ん反り返っているのでしょう。


反面

その尊大な態度は威厳のようにも見え

まるで明治の偉人の写真でも見ているかのように感じます。

伊藤博文とか、山縣有朋とか、

歴史の教科書でしか見たことのない方々と並んでも

遜色ないように思えませんか。


一刻な人と言うのでしょうか。



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