毎日絵手紙交換。手元を離れる何を描いたか忘れます。
24ページのフォトブックに記録をと思い作り始めて3冊目。
コンサートに行ったら、それを描き、雷さんが鳴ったら雷神を描いてみたり。
ネットで調べることも多くなりました。
旅に出ると
頂き物があると いろんなものに挑戦してます。
楽しみが増えて脳トレ。失敗してもそれなりです。
毎日絵手紙交換。手元を離れる何を描いたか忘れます。
24ページのフォトブックに記録をと思い作り始めて3冊目。
コンサートに行ったら、それを描き、雷さんが鳴ったら雷神を描いてみたり。
ネットで調べることも多くなりました。
旅に出ると
頂き物があると いろんなものに挑戦してます。
楽しみが増えて脳トレ。失敗してもそれなりです。
台風の風が少し強いかな?と思う中、有馬温泉太閤の湯に行きました。
露天風呂に入ると同時に雨が。。。。アーアー仕方ないね。
有馬温泉は、環境省の指針により療養泉として指定している9つの主成分(単純性温泉、二酸化炭素泉、炭酸水素塩泉、塩化物泉、硫酸塩泉、含鉄泉、硫黄泉、酸性泉、放射能泉)のうち、硫黄泉と酸性泉を除く7つもの成分が含まれており、世界的にも珍しい多くの成分が混合した温泉です。
炭酸泉なども楽しみました。帰宅後はこれを絵手紙にしてお友達に。
昨日のコンサートは
その前の日の坂越日帰り旅で
友人と毎日一枚絵手紙交換。下手が良いで続けてます。失敗しても送るを約束に。
自己中の自分が楽しいこと。
大谷美術館のコンサートに行きました。今回の「ひろがる美術館ヒストリー」展はあまり理解出来ませんでした。なかでも良いなと思ったのは、太田三郎の作品かな?と同行の兄に話すと兄も同じでした。やはり、兄妹?
目的のコンサートは無伴奏チェロコンサート。上森洋平さんです。こんなに間近にチェロだけのコンサートは初めて。とても良かったです。
青春切符が一回分残っていたので、坂越に行ってきました。台風の影響で朝から曇り、強風。しかし坂越に着くとめちゃ日照りでも強風で日傘はさせません。日焼け覚悟でマップ片手に歩きます。
千種川を渡り石仏を見て街並みをたのしみます。 大正末期に奥藤銀行として開設。当時の金庫も残り今は坂越街並み館として観光客を受け入れています。
妙道寺
奥藤酒造郷土館に立ち寄ります。
大道井跡は昭和35年道路拡張の後、石の井戸枠だけが残っています。 日本遺産、市指定の旧坂越浦会所は天保2-3年(81831-1832)建築。明治時代まで坂越会所として使用。赤穂藩主も休息場所として利用。管理してる方が説明してくれます。正面一段高いところが藩主が座るところで弁柄色。
二階からは生島が見渡せます。
大避神社へ。祭神は奏河勝・天照大御神・春日大神。拝殿両脇の絵馬堂は見ごたえがありました。(1722年) 妙見寺観音堂まで行きたかったのですがすごい階段が続いてる様でギブアップ。手前の公園まで。生島が見渡せます。高台で風もあり吾妻やでおにぎり。
海岸線を歩きます。
「とうろん台」は神戸海洋気象台から坂越郵便局に入電する気象情報を坂越湾に航行する船舶に知らせる櫓台を縮小展示。水分補給しながら歩いてきました。
暑さの続く中もう9月。すみれ会第一週目なので楽しみの映画会
今回は邦画で「引っ越し大名」です。内容を見て楽しみにしていました。
姫路藩書庫番の片桐春之介(星野源)は、書庫にこもりっきりで人と話すのが苦手な引きこもり侍。藩主の松平直矩(及川光博)は、幕府に姫路(兵庫)から日田(大分)への国替え(引っ越し)を言い渡される。当時の引っ越しは全ての藩士とその家族全員で移動するという、桁外れの費用と労力がかかる“超難関プロジェクト”。しかも藩の財政は逼迫しているため、引っ越しを成功させるためには家財を減らし、人も減らし(リストラ)、さらには商人から借金までしなければならない。全ては国替えの総責任者、【引っ越し奉行】の手腕にかかっている。お国最大のピンチに、いつも本ばかり読んでいるのだから色んな知識があるだろうと、なんと春之介に白羽の矢が立った!
突然の大役に怖気づく春之介は、幼馴染で武芸の達人・鷹村源右衛門(高橋一生)や前任の引っ越し奉行の娘である於蘭(高畑充希)に助けを借りることに。こうして前代未聞の引っ越し準備が始まった!
移動人数10,000人!距離600km!予算…なし!?
果たして春之介はこの超難関プロジェクトを知恵と工夫で無事に成し遂げ、国を救うことができるのだろうか?!
鑑賞後居残り組でPCも教えてもらいました。