9月のウォークは名谷駅からしあわせの村までです。9時集合
秋晴れの中、曼珠沙華など愛でながら、おしゃべりを楽しみ歩きました。
すみれ会
先日のグラフ質問があったのでそれの復習からです。グラフを増やして内容を変える方法です。
コンビニでの印刷についてです。ラインに入ったDPFの書類などをスマホで
コンビニに転送するのです。難しかったです。
ラインの画面キャプチャのやり方をもう一度習いました。
繰り返し繰り返しでいつか覚えられるでしょうWW
9月25日(日)
早起きして呼子の朝市に向かいます。
よさこい祭りで沢山の人出。
昼食は玄海いか舟処で頂きます。ここでも姿づくりの烏賊を頼みます。今日の烏賊は剣先でした。足が動いてる!吸い付く!など言いながらおいしい。時間がたつと味も変わってきたと楽しみます。げそは天婦羅にしてもらいます。イカシュウマイなども頂き満足。
美味しかった。満足
時間があったので山から佐世保のドックと軍艦を見ます。
佐世保バーガーも挑戦とお腹もすかないのにバーガー店カヤへ。さすが若いです。孫達は完食。
各空港に向けお別れの時間です。福岡空港発で千葉に。私達は神戸に。
長崎空港から神戸空港に到着は18:30
楽しい時間は早く過ぎます。次回もみんなで旅ができますように。素晴らしい時間が持てて幸せです。
9月24日(土)
朝食を済ませ「出島」観光です。路面電車で行きます。
とても興味深い所です。
長崎開港
天文19年(1550)、平戸に1隻のポルトガル船が入港しました。これが長崎県内に入港した最初のヨーロッパの貿易船で、永禄4年(1561)には5隻のポルトガル船が入港しました。その後、大村領横瀬浦(よこせうら)(現在の西海市)が新しい貿易港となり、さらにポルトガル人は横瀬浦から福田(現在の長崎市福田本町)へと貿易の拠点を移すことになります。 永禄8年(1565)開港された福田は、直接外海に面しているという欠点があったため、貿易の拠点はさらに島原半島の口之津港へ。しかし、ポルトガル人たちが大村領内での貿易を希望したため、候補地として挙げられた長崎港の調査が始まり、元亀(げんき)2年(1571)、ポルトガル船1隻、ポルトガルがチャーターした唐船1隻の合計2隻の入港によって長崎港は開港。以後、毎年のようにポルトガル船が訪れるようになり、長崎はポルトガル貿易港として急速に発展していきました。
出島の築造
幕府は、キリスト教の布教を阻止するために当時市内に雑居していたポルトガル人を収容する島をつくりました。これが出島です。出島は、寛永13年(1636)に「出島町人」と呼ばれる25人の町人の共同出資によって完成した人工の島で、この25人の町人たちはいずれも長崎を代表する豪商でした。 出島は、海を埋め立てて築いた島ということから「築島(つきしま)」、その形状が扇型をしていたことから「扇島」とも呼ばれていましたが、海の中に島をつくるという発想、工事の設計・監督にあたった人物、その土木技術の詳細については、現在でも謎に包まれています。 ネットから
ホテルに戻り九十九里に向かいます。晴天で海がきれいでドライブ日和。
みなとの食堂ひろで昼食
知る人ぞ知るって感じの漁港のシマアジ丼とイワシのフライ定食です。超シマアジがおいしいです。
軍艦島を見に行く時間がありませんが池島を見つけました。右端の家の見える島です。
かつて池島炭鉱で栄えた島である。2001年に炭鉱は閉鉱。トロッコ列車や旧鉱が残っている。2011年頃にイノシシが初めて確認され、西海市の松島から泳いで渡ってきたものとみられているが、イノシシの増加が問題化している
車窓を楽しみながらトイレ休憩。夕日丘そとめの駅夕陽が丘そとめは、長崎市の北部に位置する市内で唯一の道の駅です。 道の駅には遠藤周作文学館が隣接しており、車を停めて角力灘(すもうなだ)に 浮かぶ島々や出津文化村の素晴らしい風景を満喫できます。
九十九島南部のパノラマビューが広がる展望台「展海峰」。九十九島海域が素晴らしい。魚魚市場鮮魚部から裏側に回ったら景色の良いところが見れます。
佐世保に到着
徒歩で散策してささいずみへ。 烏賊を注文していましたが前日の台風で船がでていないのでもしかすると食べれないかもと電話が入ってましたが、ドライブ中、入荷できたと連絡がありみんな大喜び。3杯お願いし、足は二つは天婦羅、一つは塩焼きにしてもらい、お寿司やお薦め料理を注文。
サバのお造りも最高。
デザートは部屋で明日の計画を話し合いながら。
明日は7時集合で呼子の朝市です。おやすみ。
9月23日(金)
早起きして雲仙に向かいます。朝食は雲仙地獄のタマゴにします。水蒸気がもくもくと噴きあがり硫黄の匂いが。地球のパワーを感じます。
雲仙地獄は江戸時代キリシタン殉教の地にもなり説明看板を読みながら宗教観についても話し合いました。
ネコちゃんいっぱいいます。
次は土石流被害家屋保存公園。ここでも自然災害の恐ろしさを痛感。
昼食は姫松屋本店(島原郷土料理)島原城の所にあります。
今から370年ほど前、島原地方では天候が悪く、作物不作の上、年貢の取り立てはきびしく、江戸幕府によるキリスト教の取りしまりもはげしくなり、島原のキリスト教徒は一揆を起こしました。「島原の乱」です。一揆の総大将・天草四郎と農民たちは餅をたくわえ、山や海からいろいろな材料を集めて雑煮を作り、栄養をとりながら戦いました。これが「具雑煮(ぐぞうに)」のはじまり。
具雑煮の材料は鶏肉、アナゴ、白菜、レンコン、ゴボウ、凍り豆腐、椎茸、卵焼き、丸もち、かまぼこ、ちくわ、三つ葉などが入っていました。海の幸、山の幸の集大成です。
日本一海に近い駅と言われる島原鉄道『大三東駅』(おおみさきえき)に寄りましたが残念ながら引き潮の時間。黄色いハンカチを見て楽しみました。
有明の森フラワー公園(長崎新観光百選の地)長崎県新観光百選の「有明の森フラワー公園」コスモスには少し早かったですが、サルビアが満開。動物との触れ合いも楽しみ、餌を購入して与えますがヤギ、ウサギ、生存競争の激しい事。
千々和(ちじわ)観光センター(千々石の海、日本景観100選の地に選ばれた「橘湾」を一望できる展望台です。
左手には雲仙普賢岳の山頂を見ることもできる。)千鶏カステラを買ったり生産日本代2位のじゃがいもを揚げた「じゃがちゃん」はここでしか食べれないと挑戦。
和泉屋カステラショップにより長崎に戻りますが大渋滞。
西九州新幹線開通、ブルーインパルス、昼花火などのイベントがあり車は身動き取れません。それで原爆資料館の見学は間に合わずホテルへ。
路面電車で浜町本店吉宗に向かいます。当店は慶応二年(1866年)、長崎市万屋町で吉田宗吉信武が「吉宗」を屋号に、茶碗むし・蒸寿し専門の店。
ここも有名店で長蛇の列でしたが予約していたのでラッキーです。観光通りを散策して路面電車でホテルに戻り
夜の平和公園散策。
明日の計画会議?Wおやすみなさい。
9月22日(木)
旅行大好き我が家です。すでに、娘、息子たちは各家族で出かけた経験があるのですが、おじいちゃん、おばあちゃんに呼子の烏賊を食べさせたいと計画してくれました。
千葉から、福岡から、そして神戸から長崎で9名全員集合。現地に良く出張している息子が計画してくれました。
孫たちの勉強になる長崎原爆記念館、土石流被害家屋保存公園、軍艦島資料館を訪れる予定。
そしてお花の好きな私の為にフラワー公園。食事は郷土料理で地元に人とのふれあいなど。交通、天候にも左右されるかもしれませんがそれはその時。
9名がラインで話せる時代に感謝ですよね。楽しみにしていた当日になりました。
長崎空港でレンタカーを借り行動します。娘たちは到着が早く夕食を同じ店のちゃんぽんで済ませホテルに入って待っています。
私達はおそ~~い夕食。長崎ちゃんぽん「思案橋ラーメン」福山雅治さん御用達のお店。沢山の芸能人が来ていました。
今夜のお泊まりは
お疲れ様。
8月は中止だったスマイル。まだまだ残暑で暑いだろうと思われていたのですが台風後で涼しく曇り空で歩くのにはベストです。
今回は名谷駅集合で公園巡り。地元の私が案内することに。
すみれ会で教えてもらった方法で歩く地図を作って置きました。
総合運動公園までこの地域では名の通った公園を回ります。1時間の所を三々五々、会話を楽しんだり、お花を楽しんだりしながら2時間かけて歩きました。
解散後運動公園でお弁当を食べてコスモスの丘により、又名谷駅まで歩きました。友人とスーパーにより帰宅すると2万歩ほど歩いてました。爽やかな一日でよかったです。
先日メンバーの方が自宅のプリンターが使えなくなり困ってました。
そんな時の為にとコンビニで印刷する方法を教えてもらいました。
私はコンビニには、ほとんど行くことがなく、こんなことが出来るなんて全く知りませんでした。プリンターが壊れた時の為自分なりにまとめておきました。
ラインでこんな機能が使えるのも知りました。画面キャプチャの使い方です。
次から次に質問が出て、文字のアニメーションは次回です。
すみれ会
先日の歩いた歩数で距離や消費カロリーを計算しておにぎりにすればをグラフで表したりと難しかったので再度レッスン。
今日はグラフにも色を付けます。
楽しく学べました。1週間前習った時に復習もしてるのにすっかり忘れてるところも多かったです。
46回定期演奏会がコロナで延び延びになっていましたが6名で聴きに行きました。
迫力ある演奏で楽しいです。
プログラムにはないのですが海外にも人気があるブラス.ポルテーニョ。コロナで来れない方にとサプライズ演奏。
ハイデックスブルグ万歳の演奏でした。
2部では会場を巻き込んでの楽しい演奏会。
みんなで湊川市場に寄って帰宅しました。