9月24日(土)
朝食を済ませ「出島」観光です。路面電車で行きます。
とても興味深い所です。
長崎開港
天文19年(1550)、平戸に1隻のポルトガル船が入港しました。これが長崎県内に入港した最初のヨーロッパの貿易船で、永禄4年(1561)には5隻のポルトガル船が入港しました。その後、大村領横瀬浦(よこせうら)(現在の西海市)が新しい貿易港となり、さらにポルトガル人は横瀬浦から福田(現在の長崎市福田本町)へと貿易の拠点を移すことになります。 永禄8年(1565)開港された福田は、直接外海に面しているという欠点があったため、貿易の拠点はさらに島原半島の口之津港へ。しかし、ポルトガル人たちが大村領内での貿易を希望したため、候補地として挙げられた長崎港の調査が始まり、元亀(げんき)2年(1571)、ポルトガル船1隻、ポルトガルがチャーターした唐船1隻の合計2隻の入港によって長崎港は開港。以後、毎年のようにポルトガル船が訪れるようになり、長崎はポルトガル貿易港として急速に発展していきました。
出島の築造
幕府は、キリスト教の布教を阻止するために当時市内に雑居していたポルトガル人を収容する島をつくりました。これが出島です。出島は、寛永13年(1636)に「出島町人」と呼ばれる25人の町人の共同出資によって完成した人工の島で、この25人の町人たちはいずれも長崎を代表する豪商でした。 出島は、海を埋め立てて築いた島ということから「築島(つきしま)」、その形状が扇型をしていたことから「扇島」とも呼ばれていましたが、海の中に島をつくるという発想、工事の設計・監督にあたった人物、その土木技術の詳細については、現在でも謎に包まれています。 ネットから
ホテルに戻り九十九里に向かいます。晴天で海がきれいでドライブ日和。
みなとの食堂ひろで昼食
知る人ぞ知るって感じの漁港のシマアジ丼とイワシのフライ定食です。超シマアジがおいしいです。
軍艦島を見に行く時間がありませんが池島を見つけました。右端の家の見える島です。
かつて池島炭鉱で栄えた島である。2001年に炭鉱は閉鉱。トロッコ列車や旧鉱が残っている。2011年頃にイノシシが初めて確認され、西海市の松島から泳いで渡ってきたものとみられているが、イノシシの増加が問題化している
車窓を楽しみながらトイレ休憩。夕日丘そとめの駅夕陽が丘そとめは、長崎市の北部に位置する市内で唯一の道の駅です。 道の駅には遠藤周作文学館が隣接しており、車を停めて角力灘(すもうなだ)に 浮かぶ島々や出津文化村の素晴らしい風景を満喫できます。
九十九島南部のパノラマビューが広がる展望台「展海峰」。九十九島海域が素晴らしい。魚魚市場鮮魚部から裏側に回ったら景色の良いところが見れます。
佐世保に到着
徒歩で散策してささいずみへ。 烏賊を注文していましたが前日の台風で船がでていないのでもしかすると食べれないかもと電話が入ってましたが、ドライブ中、入荷できたと連絡がありみんな大喜び。3杯お願いし、足は二つは天婦羅、一つは塩焼きにしてもらい、お寿司やお薦め料理を注文。
サバのお造りも最高。
デザートは部屋で明日の計画を話し合いながら。
明日は7時集合で呼子の朝市です。おやすみ。
あと、池島の時に私は爆睡してしまったからこうやって知識と共に写真をブログに上げてくれるのはありがたいものです。笑