元気印

毎日元気に過ごす私の出来事

歩こうかい 4回目

2018-10-31 20:18:08 | 楽しみ

秋を感じながらの歩こう会。学園都市集合。さて何処を歩きましょうか?

Fさん大山寺は昔々に一度行ったけど覚えていない。ではそこに向かいましょう。

 

コスモスやカンナを楽しみながら大山寺川をも楽しんで見ます。

 

太陽が写り込んで鯉がいました。

  

大山寺温泉なでしこの湯でひと休み。

  

霊亀2年716年建立と伝えられています。本堂は鎌倉時代創立。1285年火災で焼失。

1293-99年再建、鎌倉時代の国宝です。

    

奥の院まで歩きます。

    

花わらびを見つけて興奮のMさん。私は初めて見ました。今まで気がつかなかったのでしょう。

仁王門まではお寺が並びます。葺のお寺もあります。

 

大山寺から初めての道を通りたく総合運動公園駅に出ました。楽しい1日です。

 

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あべのハルカスと大阪市立美術館

2018-10-30 19:38:44 | 楽しみ

あべのハルカスに岡本太郎の太陽の塔を見に行きました。万博の時は子育て真っ只中。子づれで長蛇の列には並べない。テレビで見るだけでした。今回岡本太郎の感性を楽しみました。

        

      g       

昼食後市立美術館のルーブル美術館展へ。

 

鑑賞後このコーナーで大笑い。私たちも列に並びました。4コマからなりたい人物を選び肖像画にしてもらいそれをスマホなどに収めるのです。ー

 

私は伯爵夫人になりました。WW

 

兄はナポレオンにWW

三ノ宮までもどり兄と別れてパッチワーク展をみに行きます、

    

山口百恵さんの作品前は人だかり。

 

この方の作品は毎年人物画1センチほどの布を継ぎ大作が。そっくりに仕上げられます。この展覧会はこれを見たさに訪れる人もいるようです。

 

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こうべ2018森の学校

2018-10-28 20:14:44 | 楽しみ

秋晴れの中、三ノ宮発市バスで再度公園いきバスで。長蛇の列。 

紅葉はまだイマイチ。森の文化祭でクイズラリー参加 

29のブースを周り森の勉強、スタンプを集めます。

山の手入れの実演も。

 

摩耶鍋の販売もあります。

   

木の葉のローソク作り。子供たちが楽しいそうにしています。

 

   

木々の名前当てクイズ。半分くらいしかわかりません。

 

どんぐりの試食。初めて食べました。山でのお弁当は美味しいです。帰路は有馬街道まで歩きバス、地下鉄で心地よい疲れです。

 

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NARの会

2018-10-27 22:06:23 | 楽しみ

昨日ウズベキスタンからの帰国でした。疲れはまだまだ取れませんが今日はNARです。ハイキングはせず町歩きになるので参加しました。新長田集合。よく来る場所なんですが、知らないことがいっぱい。駅前のこんなモニュメントも気がついていないのです。粉もんの町でお好み焼きのコテになってる。

     

この辺りは阪神大震災で焼け野原になりました。立派なビルが建ち並びましたが人は戻って来ず町おこしが進みません。

 

鉄人28号。後ろ姿も凛々しくビルとの対比が面白いですね。

 

映画資料館に入るのは初めて。興味深いですね。

   

双葉小学校は火災に合わず今はふたば学舎として地域に開かれています。

 

素敵な校舎です。昭和4年に建てられた学校。木の廊下や懐かしい机や椅子。

      

資料部屋でこんなのが貼られる時代があったのですね。

  こなもん祭りがもうすぐあります。昼食は阪神球団の選手に食事を作ってたオーナーさん。

     

食後は港の方まで歩きます。寂しい通りですね。

 

大型スーパーアグロの中を通る???二階にこんなコーナーがあったのです。

    

この辺りの地名は駒ヶ林ですが神社は駒林。赤い鳥居の所まで海でした。

   

釘煮発祥の地。明石、垂水もそう言っていますがここが歴史的にも本物の気がします。

 

恵比寿神社により(海の守り神なので鯛を背負ってます。)路地を抜けて腕塚へ。リーダーが歴史を話してくれて明石にも腕塚が有るがここが本家?と自説の説明。 

海泉禅寺。地震で壊れ修復。

 

鐘撞堂は壊れたままです。

  

隣に新しい地蔵堂が出来ていました。

 

町のあちこちに三国志のモニュメントがあります。

 

神戸鉄人プロジェクト館に立ち寄ります。

    

四時散策でしたが用事があり、3時で一足先に失礼。

足元にある町なのに知らなくて、楽しめました。

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ウズベキスタンの旅 その8

2018-10-26 19:50:39 | 旅行

10月26日 (金曜)

タシケントを出発したのが20:05 日本時間すでに26日の真夜中0:05です。

KIXには07:35到着。機内では食事をしたり、テレビを見たり、ゲームをしたり、勿論寝ましたがウトウトです。

無事に帰国。幾何学模様のタイルなどモスク世界遺産は忘れることはないでしょう。

異文化に触れて、文化は繋がっていると強く思いました。この行事は中国、マレーシア、ロシア インドなどなど食事を含め結婚式などにおいても風習が同じだわと思う事が多かったです。

お留守番組ありがとう。

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ウズベキスタンの旅 その7

2018-10-25 22:00:24 | 旅行

10月25日(木曜)

朝食を済ませてヒヴァからバス移動で国内線、ウルゲンチ発タシケントに向かいます。1時間半程です。  

  

タシケント市内観光。最後の観光です。

直ぐに昼食です。中華料理になっていますが中国でも韓国でも日本でもないタシケント風。W

     

ナボイ劇場  総床面積1万5000平方メートル、客席1400席を有する煉瓦作り3階建てのビザンチン風建築のオペラハウス。正式名称は「アリシェル・ナボイ劇場」。 建物内部にはいくつかの間やパーティの部屋があり、壁装飾は中央アジアの各地域の特色を生かすよう工夫されている。レーニンによる政権樹立を行なった1917年11月7日の革命30周年にあたる1947年11月までにこの劇場を建設することを決定して建築を進めていた。しかし、第二次世界大戦が始まったため、土台と一部の壁、柱などがつくられた状態で工事が止まっていた。そのため大戦後、日本人捕虜を活用して革命30周年に間に合わせることを命題とし、建築に適した工兵457人の日本兵が強制的に派遣された。ソ連の捕虜になったのは合計60万人とも言われ、満州で捕虜となった日本兵はシベリアなどで森林伐採、道路・鉄道建設に従事しており、この劇場建設の任務は特殊業務であった。歴史を再確認。

     

劇場裏手の記念プレートには以前ウズベク語とロシア語、英語で「日本人捕虜が建てたものである」と書かれていた。これをみた独立後大統領に就任したカリモフ大統領は「ウズベクは日本と戦争をしたことがないし、ウズベクが日本人を捕虜にしたこともない」と指摘し、「捕虜」と使うのはふさわしくないと1996年に新たなプレートに作り変えられた 

ティムール広場まで歩きます。美しい公園で画家達が絵を描き販売しています。ティムール像が中心に立ち、ソ連時代のホテルなども周りのあります。

         

工芸博物館  1937年にオープンした工芸博物館は、現在4000点以上の展覧品があり、博物館の建物自体が最大の美しさを持つ展示品。ウズベキスタン各地の職人によって彫刻された建築装飾は、伝統的な建築工芸のレベルを観覧させる。1907年にロシア公使の私邸として建てられたこの建物は、3度に修復され、1930年までには孤児印、教育センターなど利用。13部屋に広がる19世紀の伝統的な建築工芸、壁が装飾が素晴らしい。

  

結婚式で使われる楽器。絨毯sっや刺繍が素晴らしい。

    

帽子の柄で環境がわかるそうです。独身者、既婚者など。

  

広間では雨乞いの音楽演奏が行われていました。

   

陶器の部屋、家具の部屋など伝統工芸が並んでいます。もちろん御土産店も。

日本人墓地 ソヴィエト時代は土を盛っただけであったがウズベキスタン独立後、遺族関係機関の支援やウズベキスタン政府の協力により、現在のような戦没者名と出身県を刻印した墓石が設けられ、敷地内奥にはこれらウズベキスタン各地に点在する13か所の日本人抑留者墓地の共同慰霊碑が設営されている。 

 

現地のかたで親子代々墓守をしてくれてます。

  

機内食が出るまで時間があるので先ほど昼食でしたが早い夕食をします。

        

お腹は空いていないのに美味しく食べました。2時間前のチェックイン。

 

タシケント発20:05で帰国します。飛行時間は約7時間半。

 

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ウズベキスタンの旅 その6

2018-10-24 22:51:08 | 旅行

10月24日(水曜)

ヒヴァ(イチャンカラ)観光日です。首都タシケントの西約750km、ウルゲンチ市から南西に35kmのアムダリヤ川の下流のオアシスの町。古代ペルシャ時代からカラクム砂漠への出入口として繁栄しました『中央アジアの真珠』ヒヴァは、ペルシャなどの周辺諸国の攻撃によって何度か破壊されているので、現在見ることができるのは17世紀から18世紀に整えられた建造物です

朝食の前にホテルのお庭散策。二階建てで数棟建っています。          

ホテルから徒歩で行けます。

     

アタ・ダルヴァザ門を入ると、すぐ右手に見えます。青の彩紬タイル模様で覆われた、ヒヴァで一番カラフルな美しい塔ですが、残念ながら未完成品です。当時のムハンマド・アミン・ハーン が中央アジアで最も高い109mのミナレットを建てようと、1852年に着工されましたが未完成。色々と理由や伝説がありますが結局26mで終わってしまいました。

   城壁の中には20ものモスクなどがあります。 砂漠の砂が入らないように深く作られています。                

義務教育は11年制。教科書は国からの貸し出し。無料。6年生の数学の本を買いました。

 

クフナ・アルクとは『古い宮殿』という意味で、新しくタシュハウリ宮殿が完成した後に区別する意味でこう呼ばれるようになりました。モスク内にある最古の柱は古代ホレズム王国の都から運ばれたもので2本あり、他にも4本が10〜11世紀、25本が12〜17世紀の古いものだそうです。
          宮殿は公務を行なう謁見や儀式の場、宴会やお客を接待する場、アルズ・ハウリと呼ばれる    

ヒヴァのイチャン・カラの東門近くにあるタシュ・ハウリ宮殿です。
タシュ・ハウリとは『石の庭』の意味で、アラクリ・ハーンによって1830年から1838年にクフナ・アルクに匹敵するものとして建てられた宮殿です。ヒヴァの中でも最も豪華なタイルや柱で飾られているそうです。ハーレム。王の部屋の屋根は一段高く。4人の妃はすべて同格に扱われています。

       

ジュマ・モスク 10世紀に建てられたモスクですが、何回もの修復工事を繰り返し、18世紀末頃に現在の形に。広さは55×46m、高さは5mで、3.15mの間隔で212本の柱が立っていて、明かり窓付きの天井とシンプルな漆喰の壁に囲まれています。柱には一本一本異なる精密な彫刻が施されています。この間隔と本数は、説法者から全員の顔が見えるように、計算されて決められたそうです17世紀に建てられた、ハーンの居城です。

               

昼食 ここのナンは温かく美味しかったです。焼きたてです。

     

自由行動の時この用紙の写真を見せると入場料無料になります。

  

     

 

 

 夏のモスクは七宝タイルの細かい模様で飾られていますアラクリ・ハーンの命令で1838年に建てられた夏のモスクはの七宝タイルの細かい模様で飾られ、6本の柱で支えられています。

  

お買い物もなく、西門から入りましたが帰路はタシュダルヴァザ門からホテルに向かいました。

イスラム・ホジャ・メドレセ 1910年にヒヴァの最後のハーン、イスフェンディヤル・ハーンの大臣イスラム・フッジャによって建てられた、まだ100年足らずの新しいものです。イスラム・フッジャは、ヨーロッパ式の学校、病院、郵便局などを作り、ヒヴァで初めてロシア語の学校を開くなど、とても革新的な人だったそうです。保守派の嫉妬と反発を買い、生き埋めにされて殺されてしまったそうです。自由時間が3時間少しありましたが私達はお買い物も特別なくホテルに戻りシャーしてくつろぎました。 

夕食 は宮殿での食事。ゴージャスなお部屋で旅も6日目になると和気藹々で話が弾みながら楽しい時間です。

 

         

ホテル到着 明日は国内線でタシケントに向かい観光後帰国になります。

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ウズベキスタンの旅 その5

2018-10-23 22:37:25 | 旅行

10月23日(火曜)

朝食を早朝に済ませて7:10発で砂漠縦断です。二人分です。

400Km砂漠縦断です。約7時間 朝ごはんが早かったのでおやつにサンドイッチとジュースのお弁当が出ました。昼食が3時ごろになるからです。   

トイレ休憩は男性は青空?政府がトイレ設置に税金を安くする法律を進めかなりトイレ事情が良くなったようです。コーヒー店併設も有ります。

 

 

現地添乗員さんは日本に6年間留学。皆さんが長時間飽きないように工夫されて色々なことを話してくれます。どんな質問にも丁寧に答えて資料など充実。     

白いのは塩で土の塩で食べることは出来ません。

カラカル・パクスタン共和国に入ります。これのビルの壁面に描かれてる旗でわかります。

昼食場所のユルタ(遊牧民の移動用の住居)に行きました。ユルタは羊の皮で外側が覆われ、中は絨毯が敷き詰めてありカラフルです。

  

        

 メインはピーマンにひき肉とお米がつめられています。

食後はアヤズカラはカラカルパクスタンで最も壮観な城塞の1つを見にの砂漠の中歩きます。アヤズカラのキジルクム砂漠からの眺めは素晴らしい。アヤズカラ遺跡は千年もの間、砂で隠されてきましたが、広さ2.7ヘクタールで長方形の形をしています。壁は10mの高さで一定の間隔で塔があり、2層の回廊と矢狭間が備えられています。下の回廊はアーチ型の天井は失われることなく残っており、その回廊を歩くことが出来ます。アヤズカラ1の建設は紀元前4世紀から始まり、このときには回廊のある壁が作られ、そのあと紀元前3世紀に塔が付け加えられました。その後城塞は1世紀まで使用されていたと考えられていますが、中世の初期には地元の人々の避難場所として使われていたようです。

      

登り詰めると第3の遺跡が見られます。

  

トプラカラは2~3世紀に起源をもつ、ホラズム王の宮殿でした。これは5つの部分から成り立っています。
  ・城壁の内部に規則的に設計された道路の部分
  ・テメノスの部分(テメノスとは:神の使用する領域、礼拝の中心となる神の祭壇を囲む神聖な境内を意味する)
  ・宮殿や寺院として考えられている大きな記念碑的な建築物の部分
  ・外交のための宮殿部分
  ・大きく囲まれた土地は王宮の庭園

  

ラクダ草。棘が有るのですが血を流しながら食べるそうです。

      

盛り上がったところが城壁跡です。

    

ヒヴィァ到着 今日の総走行距離は450Km。半分くらいはガタガタ道。

アジアヒヴァホテル ホテルでの夕食です。

 メインのキイマザラフシャャンはヒヴァ料理です。

    

お疲れ様。

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ウズベキスタンの旅 その4

2018-10-22 22:50:32 | 旅行

10月22日(月曜)

朝食   

ブハラ観光

イスラムは偶像崇拝を禁止しているため、人間や動物をモチーフにすることができません。そのためこのように一定のパターンに従って作図する幾何学模様が高度に発達したのです。整然と、しかし複雑に絡みあう模様と鮮やかな色彩は、いつまで見ていても飽きませんね日干し煉瓦で造られた城壁は、外敵の侵入を防ぐ目的だけではなく、砂漠から押し寄せ る砂をせき止める役割も果たしていました。この城壁からしてすでに個性的な形をしていますね。積み上げられた煉瓦もまるで芸術品のようです。

アルク城  

              玉座  ブハラの町が見降ろせます。 説明を聞きます。 

チャシュマ・アイュブ  カラーンミナレット 1127年に建てられた高さ46mのミナレットは、砂漠を行く隊商の道しるべであり、外敵に対する望楼でもありました。いわゆる「砂漠の灯台」の役割を果たしたのです。

                   カーランミナレットはブハラで最も高いです。

アドゥールアジス・ハーン・メドレッセ

   

昼食 ラブマン 楽器の演奏を楽しみながらの食事です。

    タキ・バザール 独特なドーム状の屋根を持つのは、「タキ」と呼ばれるバザールです。市場兼関所のような役割を果たしていたそうで、16世紀ごろに造られました。新旧織り交ざった建築物が見られるのもブハラの魅力です。

      

    コウノトリのハサミにサインを入れてもらいました。

バラハウザモスク 胡桃の柱が20本建てられてハーン専用の赤い絨毯を敷かれアルク城城から歩いて来られたとか?

  

世界遺産内部のレストランでショウーを見ながらの夕食はウズベク料理 

         プール後のラビハウス。 

ブハラ泊 グランドブハラホテル

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ウズベキスタンの旅 その3

2018-10-21 22:02:54 | 旅行

10月21日 (日曜)

朝食

サマルカンドからシャフリサブスに向かいます。中央アジアにおける主要都市だった歴史を誇り、今日では、14世紀にトルキスタンを席巻したティムールが誕生した場所として知られています。2004年にシャフリサブス歴史地区として世界遺産に登録されました。今日も世界遺産たっぷり楽しみます。

  

     アクサライ宮殿ティムールにより築かれた巨大な夏の宮殿跡です。ドルッティロヴァット建築群
現在残るアーチは38メートルの高さがあります。(かつては50メートルあったそうですバスに乗ってほんの数分移動します。次はドルティロバット建築群を観光します。コク・グムバズ・モスクの青いドームが見えてきました。ここはウルグベクによって建てられたモスクだそうですコク・グムバズ・モスクの向かいに二つの廟があります。向かって右奥にあるのがグンバズィ・サイーダン廟、手前にあるのがシャムスッディン・クラル廟。コク・グンバズ・モスクの内部。綺麗に修復されています。お隣のグンバズィ・サイーダン廟にも入りました。                  

     50年ほど前は日本も新婚旅行はこんな感じでしたね。

昼食 ディムラマ    肉じゃがのような料理です。

   ブハラに向かいます。

ホテルでの夕食ビストロガノフなど、お昼同様デザートが既に置かれています。   

ブハラ泊 グランドブハラホテル

  

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