真言宗大谷派・東本願寺の飛び地境内渉成園(枳殻邸・きこくてい)で源氏物語の講座があった。
渉成園は当時、枳殻(からたち)を生垣に用いたことから、枳殻邸(きこくてい)とも呼ばれていました。今は門を入ったところに少しあるだけとなっています。
平安時代の優雅さをしのばせる書院式回遊庭園は石川丈山の作庭で、印月池を中心に、漱枕居(そうちんきょ)・縮遠亭(しゅくえんてい)などの茶室や書院を配しています。
平安時代初期、嵯峨天皇の皇子左大臣源融が、奥州塩釜の景を移して難波から海水を運ばせた六条河原苑池の遺蹟と伝えられています。
この皇子・左大臣源融こそが光源氏のモデルといわれていて六条院の佇まい春夏秋冬の庭になっている。
上は卯月池のほとりにひっそり佇む漱枕居(そうちんきょ)無粋なビルが写ってしまった。
下は侵雪橋(しんせつきょう)程よく積もった雪の日が絶景やそうです。
美しい風景が広がっていますが暑くて暑くて日陰を探しながらの講義でした。
近くの京都駅横ルネッサンスビル4階の京一に場所を移して食事を取りましたが先生の80歳誕生日を心ばかりの寸志と大きな拍手でみんなでお祝いしました。
渉成園は当時、枳殻(からたち)を生垣に用いたことから、枳殻邸(きこくてい)とも呼ばれていました。今は門を入ったところに少しあるだけとなっています。
平安時代の優雅さをしのばせる書院式回遊庭園は石川丈山の作庭で、印月池を中心に、漱枕居(そうちんきょ)・縮遠亭(しゅくえんてい)などの茶室や書院を配しています。
平安時代初期、嵯峨天皇の皇子左大臣源融が、奥州塩釜の景を移して難波から海水を運ばせた六条河原苑池の遺蹟と伝えられています。
この皇子・左大臣源融こそが光源氏のモデルといわれていて六条院の佇まい春夏秋冬の庭になっている。
上は卯月池のほとりにひっそり佇む漱枕居(そうちんきょ)無粋なビルが写ってしまった。
下は侵雪橋(しんせつきょう)程よく積もった雪の日が絶景やそうです。
美しい風景が広がっていますが暑くて暑くて日陰を探しながらの講義でした。
近くの京都駅横ルネッサンスビル4階の京一に場所を移して食事を取りましたが先生の80歳誕生日を心ばかりの寸志と大きな拍手でみんなでお祝いしました。
でも、行くのが大変ですよねー。
ビルは、歴史との融合かな?
緑だったら、よかったかも。
でも、違う角度から見たら、やっぱり、変ですね。
hahaha失礼しました。
塀や立木を低めに作った庭から遠くの山々も我が庭に取り入れる技法です。
何の傷害もなく楽しめた昔と違い乱立するビルが広がる空間を阻んできました。
残念なことです。
昔の京都はなんと素敵な町だったことか??
でもナベから見ると今の京都も素敵です
これ以上ビルが建たないように望みます
何度か見る内に徐々に広く見えます何故か?
それは土塀に遠近法を取り入れているのですそして塀を低くして周囲の景色を石庭の一部としています。
もう一つ我が家の菩提寺ですが天寧寺は門が額縁門といい正面から見ると比叡山がスッポリ入り絵のように見えます。
昔の人は賢かったんですね。
日曜日に京都に行きます。京都見物出来るかどうかはわかりませんが走りながら京都の空気に触れようと思います
同じ暑さでも空気が乾いているので過ごしやすいですね。
次の日曜もキット晴れるでしょう。
京都の初秋を楽しんでください。