千鶴おばさんのダイエット&日々の徒然日記 (過去の太極拳)

メタボ検診で黄信号「痩せなさい」先生より命令が出ました
幾多のダイエット繰り返してもままならないこの体何とかしなきゃ

涙・涙

2006-04-30 21:44:05 | Weblog
亀岡コミニティホールで執り行われた葬儀は涙・涙で執り行われた。
喪主側も参列者もほぼ同じ顔ぶれでただ呆然と流れる涙を止めようとせず導師の唱える読経に聞き入るのみで明るく笑う遺影が霞んで見える。

(中チャンいるか?)龍安寺の檀家でもあった彼女は年に何回かお墓参りに訪れる度に私のいる事務所に顔をだし一時話し込むのが常であった。

あの笑顔はもう無い涙・涙・涙・・・・・


信じられない訃報

2006-04-29 19:02:02 | Weblog
気づかぬ内に友人から入っていたメールを開けてみると先日ご主人を亡くした龍安寺の先輩が亡くなったとの知らせが入っていた。
葬儀の後、火葬場へ向かう途中体調を崩し入院したとの仰天の知らせは受けていて今日明日にも病院へ様子を見に行こうと思っていた矢先の訃報である。

本当に仲の良かったこの友人夫婦は死ぬ時期まで前後して旅立ってしまった。
今頃は天国で少し遅れた事をご主人に謝っているのだろうか。花畑を二人手を取り合い散策しているのかもしれない。

少し頑固で口数の少ないご主人、おしゃべりで気さく、ジッとしていることの苦手な彼女は晩年何時も行動を共にして私たちの冷やかしを受けていた。

そやからご主人の旅立ちにあわてふためいて飛んでいったのかなぁ。
慌てもんやなぁ。少し落ち着いたら仲間であなた達ご夫婦を偲ぶ会をします。
その時はどうぞご夫婦で出席して下さい。
あたし達には見えないかもしれませんが話したいことは山ほど有りますから。

同窓会打ち合わせと近所の花

2006-04-28 07:35:47 | Weblog
7月に5年ぶり開催される小学校クラス会の会場新都ホテルに集合打ち合わせをした。多方面に散らばった級友の足の利便さを考え故郷を離れて始めて京都での開催になった。当日まであと一回集まり最終確認をすることとした。
6年生の面影のまま年を重ねている人、どう考えても繋がらない人、個人差が有って面白いクラス会に今回は先生の奥様も招くことになった。
子供の頃先生宅には何度かお邪魔をしてお母様はお目に掛かったことがあるが奥様にお会いするのは始めてなので楽しみが増えた。



自宅近くまで帰ってご近所の庭にハナミズキが美しく咲いているのを発見チュウリップも満開思わず夕食の食材を道路に置きデジカメに納めました。
美しいでしょう、お互いに美をきそっているようです。


4/25 超忙しい日、三部作

2006-04-26 21:33:53 | Weblog
財布が戻ってきてうきうき太極拳教室へその顛末を話しているとクリスさんが“そんなの出てくるのは日本だけですよ”ご自身も東京で電話ボックスに忘れた財布が出てきた時は吃驚した、日本は良い国ですよ。と言っておられた。ほんとやなぁ。



五歩拳の模様私はパスして勝手にしばしの休息中若い仲間はどんどん上手になっていく、がんばれ
二人で組んで五歩拳調整中限りなく成長中ですよ。
太極拳は四段最終日来月から一段に戻ります。そう言えば途中から入って一段やってない人もあるんや。
帰りにジムのオーナーと話していると私がバイクを止めさせて貰ってる銭湯のご主人と親戚やそうな、へー、知らんかったわ。
今日は忙しい一日やった。早よ帰ってご飯食べんとお腹ぺこぺこやわ。



4/25 超忙しい日、三部作

2006-04-26 21:11:35 | Weblog
葬儀の後いつものグループが待っていてくれたので合流しコーヒー無しお茶だけでトークを楽しみ私には関係のない親子論、嫁姑論、に喧々囂々たった5人やけど同じ考えはない、それぞれ揺るがない意見が出て聞いていて面白いが両方持ち合わせのない私は聞くだけの人。
夜の太極拳のため喪服を着替えに帰らなくてはとタクシーを奮発これが間違いの元やった。
家に帰り着替えをしバックの入れ替えをしたとき“気づいた”財布がない事に!!
タクシー代は払ったしそれ以後を順にたどりながら考えるがよく分からない。
取りあえず警察へ届けに行った。紛失届けを出しタクシーの名刺をもらっていたのでそこにも掛けてみると暫くしてドライバーから“預かってます”と連絡を頂いた
良かった、有り難う、今九条山にいますから、太極拳に向かう私と烏丸御池で待ち合わせ財布は私の元に戻った。
現金はたいして入っていなかったがカードやその他悪用されれば背筋が寒くなる物も入っている。ドキドキの一時間やった。辞退されたが少しのお礼をさせていただいた。以後大事な物は持ち歩かないようにしなければ・・・・・。

4/25 超忙しい日、三部作

2006-04-26 20:14:16 | Weblog
私が龍安寺に就職したときにすでに勤務されていた先輩のご主人が亡くなられた。
仲の良いご夫婦で共通の友人であるYさんの踊りの会にも毎回夫婦で見に来られていた。
このブログ新太極拳一覧の写真にも写っているが1年前私の退職時にご苦労さん会を開いてくれた。
何時もお父さん(彼女はそう呼ぶ)第一で入院を拒むからと自宅介護を続けた。
“お父さん愛してるよ、生まれ変わったら又結婚しようね”私には決して言えない台詞を80歳を超えた妻が夫に言い続けたと聞きハンマーで殴られた様な気がした。
斎場でもお父さんありがとうを繰り返す彼女の姿に列席者の涙をさそった。
これからの彼女、大丈夫やろか、機会あるごとに声を掛け見守らねばならない。
昔の仲間が10人ほど来ていたが退職して10年、20年それぞれ年を重ねただけのしわを刻んでの再会であったが長く離れていた感じは全くない。
次の予定がある私は残念ながら次の予定へ・・・・・

源氏物語を歩く

2006-04-24 18:59:58 | 源氏物語
禅宗・祖師を訪ねての講座が3月で終了し新たに“源氏物語を歩く”の講座に参加した。講師は国文学者で詩人の相馬大先生で初日は“葵祭と落葉宮”烏丸今出川に集合して烏丸から一条通を堀川までイヤホンを耳に細い道やから車に気をつけながら説明を受ける。
この通りは葵祭のメインストリートでお祭り広場桟敷が並び牛車が我先に前に出ようと大変な騒ぎが起きていた。勅使として唐鞍に乗る光源氏が目当てである。
六条の御息所と車争いをした葵の上(光源氏正妻)は恨みをかい取り殺されるこわーい話もある。
終点の一条戻り橋から見える堀の石垣はその昔、和気清麻呂が築いたものやそうです。草花が茂りよく見えなかったのが残念やった。



上の花は十二単途中の町屋の表に咲いていた。タイミング良いねぇ。
下の写真は京の町屋で切子格子と小間返しの格子この格子のある家が少なくなり先生は説明のためキョロキョロ探しながら“無いかもしれない”心配されていたがやっと一軒見つかりやれやれと言いながら嬉しそうに見入っておられた。
年々少なくなるそうです。
その後場所をお料理屋、繁なり(はんなり)に移し昼食を挟んで講義を受けた。
葵祭と呼ばれる様になったのは江戸時代でそれ以前は加茂祭と言われていたそうです。今は細い道になった一条通はそんな賑わいが有ったことは忘れているような佇まいが続いていた。


教室へ行けた(*^ο^*)

2006-04-22 20:08:38 | Weblog
朝目覚めた時“今日はアカンわ”と思った。起き上がるのに時間が掛かり歩くのもおかしい、固まった感じがする。
朝食を済ませ掃除洗濯が終わる頃身体は自由に動くようになった。
休もうかと思った教室へ行ける  よっしゃと言うわけですっ飛んで行きました。 慌ててデジカメ忘れました。

スワイショーは普通に出来るがストレッチや進歩は大事を取って敬遠見学とした。
普段一緒に動いているときは見えていないが見学しているとアレッと思う箇所がある。そうなんや私間違うてるわ、たまには見学も良きかなやなぁ。
終了後大丸の旨いもん市でチョコチョコ試食あれこれお買い上げしてしもた。
気が小さいもんやから試食すると買わなアカン様な気がして
長居したら財布空っぽに成りかねんから早よ帰ろ。

ギクッ

2006-04-21 13:04:23 | Weblog
亭主殿の依頼で大丸へ買い物に出掛けたがバイクを駐輪場へ入れスタンドを立てたとき又ギクッときた。普段スタンドを立てるのは私の場合危険に付き持ち上げる必要のない横付けスタンド?を利用しているが幅を取るのでふつうスタンドは使わない。

不安定な場所であったためうまくいかず手こずった為か腰にギクッときた。
一度痛めると変なかばい方するからチョットしたことですぐ来る。手早く買い物を済ませ帰宅した。

念のため夕方接骨院へ“あんだけ言うてんのに”怒られたけどしゃーないですやんねぇ。家の中で燻ってられますか。春やのにねぇ。