蕪村の句「炉ふさぎや床は維摩に掛替る」の解釈を示した本があれば教えてほしいとT市立図書館司書のMさんにお願いしたところ、直ちに大正5年発行の合本『蕪村句集講義・遺稿講義』と平成12年発行の『蕪村全句集』をお持ち頂いた。
前者の中で子規がこんなことを言っているのには目をむいた。
「炉塞ぎでも炉開きでも、今迄維摩がかかっていたのを下ろしたにしても、新たに維摩をかけたにしても、句の趣味の上に別に変わったことはあるまい。終わり五字のたるんだ所など調子が月並に近い。即ち月並がこういう所をよく真似てやるのだ。」
すると鳴雪がすかさず「たるんだとは」と問い質してはいる。
子規は「かけかわる」と読んで、これを「たるんでいる」と言う。
だが、鳴雪は、自分はこれを「かけかえる」と読んでいたが、とくらいつく。
子規の答えは「自他からいうと無論そうだが、かけかわると言う方が目の前に維摩の像が出て来るように覚える。」
しかし、当初、子規は蕪村のこの句があまり気に入らなかったように見える。
ただ、「かけかわる」の方が目の前に維摩が出て来るように覚えると主張しており、この点はそうかもしれないと私も感じた。
だが、鳴雪はあくまで「かけかえる」だと譲らない。議論がなんだか、妙なことになってきたようだ。
私も終わり五字はどちらだろうという疑問も前から持っていたので、この二人の議論は、それはそれとして面白く読んだ。
子規は、蕪村の終わり五字を「たるんでいる」と言いながらも、「かけかわる」と読んで、蕪村の句を逆に新鮮に解釈している!
けれども、炉ふさぎになぜ維摩像という疑問は、二人の議論からは解けない。
炉塞ぎになぜ維摩像かということに関連して、子規の言い方はあまりに乱暴に過ぎないか。
というのは、炉ふさぎの「ふさぐ」という言葉が、「維摩」という言葉を導き出したと思われるからだ。なぜなら、維摩には、雷のように響く恐ろしい沈黙、すなわち維摩の一黙があるから。
だから、維摩が出て来るのはどうしても炉塞ぎでなければなるまい。
この点、『蕪村全句集』の注解では、こんな答えを出していた。
「維摩:維摩の一黙の故事で知られる。炉塞ぎに合わせて床も維摩居士の掛け軸に掛け替わった。口を慎めの謂か。炉塞ぎに口ふさぎを利かせた。」
私に解ったことは、蕪村が、維摩居士の掛け軸に掛け替えたのは、周辺文人たちの習慣ではなかったということ、子規も鳴雪もそこは問題にしていなかったということ、そして正に維摩像に「掛け替わった」のは、「ふさぎ」という言葉が一つの「沈黙」を、沈黙と言えば維摩を導いたのだろうということ。
炉ふさぎ→(ふさぎ→一つの沈黙→)維摩像
蕪村は「口を慎め」とまでは言っていないように思うが、維摩の一黙と炉塞ぎを結びつけたのは、それでよいのだと思う。
蕪村は「炉ふさぎや〜」とさりげなく月並のような句を提示して、私のようになぜ維摩像なのだろうと思う者に謎かけしたのかもしれない。
こうしたことから、芋銭が「柚味噌」(下の挿図)の賛に「炉開きや床は維摩に…」と書いたのは、もとよりとうてい解釈のしようもないものだったのだ。
だが、こうした画賛の解釈の苦しみからも学ぶことは多い!
(画像は国立国会図書館のデジタルコレクションから引用)
*蛇足
まさか、芋銭は、子規が「炉開きでも炉塞ぎぎでも、趣味の上で変わらない」と言うので、わざと取り違えたのではないだろう。