美術の学芸ノート

中村彝などの美術を中心に近代日本美術、印象派などの西洋美術の他、つぶやきやメモなど。

中村彝と中原悌二郎 ドストエフスキーの《空想的リアリズム》をめぐって(1)

2024-04-11 09:12:33 | 中村彝

 中村彝の代表作「エロシェンコ氏の像」(大正9年作)について、親友の彫刻家である中原悌二郎がドストエフスキーの言葉を借りながら語ろうとした未完の原稿がある。しかし、これは、彝の研究者たちにはあまり知られてないようである。文献等に引用されることも、きわめて稀である。ただし匠秀夫の中原悌二郎についての基本文献『中原悌二郎 その生涯と芸術』には、彝のこの作品を語るに当たって引用されている。

 そのドストエフスキーの言葉とは以下のようなものである(旧漢字、仮名遣い等は改めた)。

 「余は芸術中に於て極端に写実主義を愛する、いわば空想的にまで進んだ写実主義を愛する。余にとって、現実よりも更に空想的にして、且つ思い掛け無き何物があり得ようか」(『彫刻の生命』「中村彝氏の『エロシェンコ氏の肖像』を見て」より)。

 実は悌二郎、このドストエフスキーの「空想的にまで進んだ写実主義」という言葉を「実に面白い」と感じていた。

 というのも、ロダンの芸術を語る際にも、悌二郎はこの言葉を好んで引用しているからである。しかも、そこでは他のフレーズも付け加えられている。

 「余は芸術中に於て極端に写実主義を愛する、いわば空想的にまで進んだ写実主義を愛する。余にとって、現実よりも更に空想的にして、且つ思い掛け無き何物があり得ようか、加之(しかのみならず)往々にして現実よりも現実らしからざる何物があり得ようか。多数者が往々空想的及び除外例と呼ぶものは余によっては時々あらゆる真実の本質となる。ードストエフスキー」(上掲書「空想的に迄で進んだ写実主義」より)

 大正期の芸術家である悌二郎は、彝の代表作とロダンの芸術を語る際に、今日、ドストエフスキーのリアリズムの本質を語る際に極めて重要な概念となっている「ファンタスティック・リアリズム」の概念を好んで用いていたのである。それが重要な概念だということは、例えばマルコム・V.ジョンズの"Dostoyevsky after Bakhtin"(1990)などの著書を見ても分かる。

 悌二郎のこの引用は、日本におけるドストエフスキー受容史の中でも注目されることと思われるが、それは本稿の目的ではないから、ドストエフスキーの研究者に任せるほかはない。

 しかし彼は、そもそも先の引用をドストエフスキーの如何なる文献から取ってきたのであろうか。そのことだけでも確かめたいと思って、いくつかの文献を探ってみたが、まだその完全な解決には至っていない。ただ、悌二郎がドストエフスキーの言葉として掲げたこと、そのこと自体には誤りがないことは確かめられた。どういうことか?

 何しろドストエフスキーの文献資料は厖大で、今なお新たなドストエフスキー全集の編纂がロシアでも進んでいるような状況らしいので、日本語訳の「全集」にその出典が見つかるという保証はない。しかし悌二郎がロシア語の文献などからこれらの言葉を見出したとは考えられないから、日本語文献からの引用とするなら、彼が活動していた時代の評論、翻訳などを含む何らかの文献にこのような言葉が載っているはずだ。

 もしくはここで忘れてはならないのは、彼が旭川出身で、元来文学好きでもあり、旭川でロシア文学者の米川正夫と出会い、親交が古くからあったことである。すなわち米川氏から悌二郎がドストエフスキーの言葉を直接に教示されている可能性もあるのだ。もしそうだとすると、なお厄介である。確かめる手立てがなお困難となるからである。しかし、前者の記事で悌二郎は「何かの本で・・・読んだことがある」と言っているので、やはり文献から探し出すのが順当だろう。

 今のところ私に分かったのは、先の引用のそれぞれ異なる部分、部分の出典に過ぎない。すなわち、それらの部分、部分をつなぎ合わせると、悌二郎が掲げたドストエフスキーの言葉になるという程度で、完全な解決には到っていない。もちろん、匠氏の文献にも悌二郎が引用した出典は示されていない。

 「①余は芸術中に於て極端に写実主義を愛する、いわば空想的にまで進んだ写実主義を愛する。②余にとって、現実よりも更に空想的にして、且つ思い掛け無き何物があり得ようか、加之(しかのみならず)往々にして現実よりも現実らしからざる何物があり得ようか。③多数者が往々空想的及び除外例と呼ぶものは余によっては時々あらゆる真実の本質となる。ードストエフスキー」

 私が最初に分かったのは上記のうち③の部分だ。これは、ドストエフスキーの書簡の中に見出せる。すなわち、1869年2月26日のストラーホフ宛書簡にこの一節がある。ただし、それは①と②に繋がっているわけではない。

 次に私が見出したのは小林秀雄がドストエフスキーの『白痴』を語るに当たって引用している①の部分だ。しかし、その典拠は示されていない。小林は米川氏の『ドストエフスキー全集』に依拠しているらしいから、そこに手懸りがあるのかもしれない。(続く)

 

 

 


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