美術の学芸ノート

中村彝などの美術を中心に近代日本美術、印象派などの西洋美術の他、つぶやきやメモなど。

メナードとポーラの中村彝作品(3)

2015-06-19 01:06:57 | 中村彝
 メナード美術館の中村彝は、俊子像3点の魅力的なコレクションというところに特徴があった。

 これに対してポーラ美術館の中村彝作品は、どちらかといえば、研究的な観点から面白いコレクションである。後者の所蔵品「泉のほとり」は、かつて「ルノワール『泉のほとり』模写」などと称されていた。それほど一見して明らかなように、間違って呼ばれていても誰も異議を唱えなかったほど、ルノワール晩年の影響が濃厚な作品なのである。

 かつて、と言ったが、実は1941年刊の森口多里著『中村彝』では、単に「泉のほとり」と称されており、混乱は起こっていなかった。
 
 それが戦後になってからいつの間にか、ルノワールの「泉のほとり」なる作品の<模写>となってしまったのである。ちょっと考えると、研究が進んで、ルノワールの「泉のほとり」なるオリジナルが見つかったのだろうか、と人は思うだろう。だが、そうではない。全く逆なのだ。
 
 調べてみると、どうもこれは、ルノワールの「裸」とか「坐る浴女」と言われていたある小品(岸本家蔵)や、ありもしなかった今村繁三家のルノワール作「泉」(今村家にはシスレー、モネ、ドガ、マルタンなどがあったけれど、ルノワールは「風景」1点しかなかったのだ)、彝が1度は見たことがあり、その後、何とか倉敷に行ってもう1度見ようとしていた大原美術館のルノワールの「泉による女」などが様々に絡み合っていて、弟子筋の人たちや画集、図録の執筆者たちが混乱に混乱を重ねた末、この作品が、ありもしないルノワールの「泉のほとり」の模写だとされてしまったのである。
 
 しかし、当時、彝がオリジナルのルノワールを見ることのできる可能性をひとつひとつ探っていけば、こうした混乱は防げたはずだ。あるいは複製図版の模写であっても、そのオリジナルを探っていけば、こうした混乱は多分起きなかったはずなのである。模写と言うからには、学芸員たる者、オリジナルをきちんと確かめてからにせよ、ということである。
 
 彝のオリジナルがルノワールの模写とされてしまったのは悲しいが、買う時点でそれが模写と信じられていたら、安く買えたことだろう。もっとも、ある大手画商が発行していた美術雑誌では、編集者の方が拙稿に気づいて、それは模写ではなかったのだと紹介してくれていた。

 これとは逆に、彝の模写なのに彼のオリジナルと思われていた作品もあるから、次にこれを紹介しよう。
 
 なお、女性の裸像が<泉>と関連付けられるのは、言うまでもないかもしれないが、近代ではアングルの「泉」がよく知られているところだ。

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