宇宙(そら)に続く丘

プレリュード小学校1年C組のしりとりちーが案内する宇宙への道
みかんの丘は不思議へ通じるワームホール

招かれざる客 新しい出逢い

2018年11月18日 00時28分24秒 | Weblog

久々に、本当に久々にみかんの丘に上がってきた。言い訳になるが、ここに戻ってこられなかったのは年々増えてゆく仕事のほかに、今年は我が家のリフォームが有ったからだ。しかし3月に始まった工事もようやく終わりが近付いて監理の必要が無くなったので、建設で残った資材の一部を竹取庵で使おうと持って上がった。

上がって驚いたのは、丘一帯ののみかん畑に柵が廻らされていたことだ。おばさんの娘さん夫婦に尋ねると、最近イノシシが畑を荒らしに来て、このあたりのみかんもかなり被害に遭っていると言う。柵は竹取庵が有る丘の斜面の、おばさん一家が所有するみかん畑を全部囲んでいた。娘さんの話では、岡山県の南東部ではここ10年ほどの間にイノシシが増えて、畑を荒らされた地区の人が電気の柵などでイノシシを締め出したために、追い出された一群が食べ物を求めてこの丘に現れたのだそうだ。
今日も資材を持って上がったご夫婦が柵を作っていたが、この畑のみかんはほとんど出荷していない。だから費用はそっくり持ち出しという事になる。それも半端な金額ではない。自治体からの補助が出るとは言うがとんでもない被害だ。「天文台に入るのが大変かな思うて、外れるようにはしてあるんよ。」と言われる。

そんなのは構わない。お手伝いが出来なかったのが残念だ。出来ればもっと強力で見栄えの良い柵を作れないか。気持ちだけが先行する。

 

みかん畑に入ってみると、イノシシはみかんを荒らすだけではなく畑の地中に居るミミズや昆虫の幼虫を食べるため、鼻であちこち溝を掘っていた。みかんの根も傷んでいる。とんでもない害獣だ。罠も仕掛けたんよと娘さんは大きな檻を見せてくれたが、警戒心の強いイノシシに果たして効果が有るだろうか。


今年は豪雨や台風に見舞われてみかんそのものも散々だった。裏年だったのがせめてもだが、みかんの木にとって裏年は木を立て直すための重要な期間だ。そこを叩かれては来年の収穫は期待出来ない。確かに普通の温州はほとんど実を付けていないが、大ぶりな実を付けるネーブルはそれでもまずまずの出来のようだ。

 

 

ところで今年96歳になるおばさんは、この春家の近くで転んだのを機に施設に入っていた。今はリハビリのために病院に居る。回復したのでそろそろ元の施設に戻ると言うが、いずれにしてもこの丘は今主がいない。無人の丘。覚悟はしていたが、心に穴が開いたというのか、これほど寂しいとは思わなかった。

そう思いながら丘を降りる途中おばさんの家に寄った。娘さん夫婦に渡すものが有ったためだ。玄関の方に歩いていたら目の前に猫が出てくる。なかなかの美形猫。娘さんに聞くと、少し前丘に現れて、亡くなる前の太郎のご飯を食べていたようだと話してくれた。その後娘さんにすっかり懐いて「はなまる」と言う名前ももらっている。この「はなまる」のために娘さんは毎日ご飯を運んでいるそうだ。

みかんの丘の番犬太郎が星になって寂しい思いをしていたが、その跡を継ぐ番猫が居たとは。「はなまる」。かわいい名前だ。これからは僕もこの子に逢うために丘に上がろう。そしていつか、夜空を見上げながら星の物語を話して聴かせよう。丘を降りる車の中でひそかに顔がほころんだ。

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出直しの春

2018年04月08日 13時01分48秒 | Weblog

観測デッキで星を撮らなくなって丸一年が過ぎていた。
仕事が忙しい、家で片付けなければならない事が山積している、体力が落ちた、理由はなんとでも付けられる。しかし一番の原因は星を撮りたいという心が折れていたことだ。その心を無理やり奮い立たせようと僕に思い至らせたのは太郎の死と2本の苗木だった。

竹取庵には月に一度くらい入って大工仕事をしていたが、観測デッキはスズメバチ騒動以来荒れ放題だった。外壁もそろそろ塗らなければ防水が怪しくなっている。そんなある日、材料を買いに入ったホームセンターで苗木に目が留まった。「さくらんぼ」だ。みかんの丘には枝垂桜の木が4本ある。今年も綺麗な花を付けてくれたが、周囲のみかんは娘さん夫婦が多忙な事も有って弱っていた。何とか畑に賑わいが欲しい。そう思っていた矢先のさくらんぼだった。
さっそく買って丘に上がり、遅咲きの紅の木の間に穴を掘って植える。

さくらんぼは二種類。一種類では実が付きにくいと説明書に書いてある。苗木の勢いは良いが、どれほど経ったら実が付くのだろう。まあ、何年掛かっても良い。これで楽しみが増えた。毛虫に気を付けなければ。

竹取庵の建て増し部分は、たまにしか行かないとは言え、少しずつ進んでいた。

寝室となる部屋のフロアーも7割以上上張りが出来、塗料を塗る直前まで来ている。これが終わればこの部屋へのアプローチと階段、そして二階だ。その二階、観測デッキこそ、この竹取庵の心臓部であるはずだ。にもかかわらず、すっかり荒れて全く機能していない。主砲かぐや姫も分解されて休眠していた。

以前僕がそこで星を撮っていると、太郎が夜中でもやって来て下でクンクン鳴いていた。星になった太郎はきっと、このデッキの屋根が開いて僕が見上げるのを待っているだろう。そう考えるとぼんやりしている事に罪悪感を感じ始めた。早くしなければ。どうせするならこのデッキを改装して気密性を高めよう。材料は以前職場に繋がりのある大工さんにもらっていた。錆止めや断熱、交流直流の電気配線もしなくては。増築部分をそのままにして二階に上がった。

すっかり傷んだタイルカーペットをはがして作業を始める。根太になる松の材もフローリングもプロの物だけにシワリが無くて造作しやすい。赤道儀を載せたポールとの間に隙間を作りながら材料を置いて行く。白いフローリングは電線やケーブルが通る部分だ。全部張れるのはかなり先だが、それが終わると電気配線をして壁に間柱を置き、化粧板を張り付ける。それが済んだら屋根裏に断熱材を張って天井材と照明を付ける。それと同時に移動屋根と壁の間に可動式のクッションを入れていくつもりだ。すべてが終わるとかぐや姫の再建が待っている。

完成はいったい何時になるんだろう。この茫々としたアバウトな計画に心が温まる。遠のいていた宇宙(そら)がまた身近に感じられるような気がした。

心地よい疲れを感じながら作業してゆくうちに陽が西に傾く。せめて春霞の空でもとカメラを用意していたが、時折冷たい雨も落ちる空がもうお帰りとささやいていた。
判ったよ。でもまた還ってくるからね。早いうちに…

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太郎が逝った

2018年02月22日 01時21分50秒 | Weblog

出会ってから18年。長い時を共有してきた丘の番犬太郎が逝った。

僕が彼に初めて出会ったのは、天文台の建設用地を探して彷徨った挙句丘に行きついた時だった。一目でこの場所が気に入った僕が近くの民家を訪ねた時、太郎はおじさんと居た。僕に吠え掛かる太郎をおじさんがたしなめたのを憶えている。彼がまだ1歳の時だった。
その頃の太郎はどこに行くのもおじさんと一緒で、農作業の時も買い物の時もいつも母親のボーと共にそばにいた。

僕がおじさんと親しくなるにつれて太郎も僕を受け入れ、大工仕事をしているといつの間にか来てくれるようになった。天文台の建設現場がおじさんをワクワクさせたように、太郎にとっても天文台用地は居心地のいい場所だった。

2007年におじさんが亡くなってから、太郎は僕が丘に上がってくるのを心待ちにしていた。車のエンジン音を聞きつけると家の小屋から駆けてきて、帰るまでずっと一緒に居てくれた。

その太郎も18歳。人間に直すととっくに90歳を越えていた。最近では耳が聞こえず目もほとんど見えていなかった。迷い込んだ牡鹿の角で突き上げられて股関節を脱臼し、ヨタヨタとしか歩けない。それでも僕の気配に気づくと、何とか竹取庵のそばまで来て窓を見上げる。せめてもとおやつを上げるとおいしそうに食ベる姿がかわいかった。

 

 

今日は休み。増築部分の内装をしようと昼過ぎに丘に上がる。一仕事終えておばさんの家を訪ねると納屋の前に見慣れないビニールの小屋が有る。娘さんに尋ねると、それは太郎の仮の病棟だと言う。太郎は4日ほど前から急に元気が無くなり、こうして寝たきりになったのだそうだ。

覗いてみると、布団にくるまった太郎が荒い息をしていた。声を掛けても良く分からない。でも撫でてやると僕が判ったのか顔を少し動かしてくれた。しんどいんだね。無理しなくていいよ。その言葉に鼻をひくひくさせる。

あと数日かな、そう思いながらその場をいったん離れたが、間もなく電話が掛かってきた。太郎が息をしていないと言う。慌てて戻って手を握ると、まだかすかだが脈がある。「脈が有りますよ」と娘さんに告げながらもう片方の手で頭を撫でているうちにその脈が感じられなくなった。首の付け根も探ったけれどやっぱり脈を取れない。この時、太郎は星になったのだと思った。
娘さんと駆け付けた旦那さんにこれからどうされますかと聞くと、明日そばの空き地に埋めてやると言う。そう。それが良い。太郎の心は星になり、体は丘の土に戻る。
僕もいつかそうなるように…

さようなら太郎。 ありがとう太郎。

 

 

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台風一過で撮ってみた

2017年09月19日 05時30分14秒 | 

日本列島を縦断して各地に被害をもたらした台風18号は今夜やっと温帯低気圧になった。なのに低気圧としてはまだ一級の勢力を保っていると言う。その悪天候下の人たちには申し訳ないが、昨日の夜台風が通過した岡山は今朝から穏やかな空が広がった。日中は多かった雲も日が暮れて気温が下がるとともに少なくなっていく。

実は梅雨明け以来撮りたかった星空があった。みかんの丘からではなく僕のふるさと岡山の市街地の上に広がる星空だ。そのために撮影に適した場所を探していろんな道を何日も車で巡り、標高は50メートルと低いものの、市街地北側の墓地が広がる丘の一角を撮影地と決めた。ここは子供の頃望遠鏡を持ち込んで天体観測をしていた思い出の場所でもある。昼間竹取庵で大工仕事をした後早々に家に帰って時を待った。持って行くのはワイドレンズを付けたEOS5DmarkⅡと三脚、それにレリーズだけだ。

墓地の一角に陣取ってカメラ感度2500で20秒露出してみる。しかしモニターに浮かび上がったのは昼間のような景色だった。駄目だ。街が明るすぎる。そこで試行錯誤した後採用したのがカメラ感度1000、露出4秒。上の写真だ。

本当に撮りたかったのは真夏。天の川がこの街の空を貫いている星景だった。秋の空では寂しすぎるが、自然が与えてくれた台風一過の星空だ。贅沢は言えない。次はこの場所に対角線魚眼を持ち込んで冬の星空を狙おう。

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七夕の走馬燈

2017年07月31日 00時35分38秒 | Weblog

梅雨が明けたら星の写真を撮ると宣言したものの、どうもすっきりした星空に出会えない。わずか数日チャンスが有ったが、それを確認したのは仕事帰りの遅い夜だった。その多忙に拍車をかけていたのが、毎年のことだが山の中の小さな天文教室だ。

岡山県吉備中央町。かつて彗星の探索家として世界に名を馳せた本田実さんが晩年観測所を置いた場所だ。縁あって僕はその観測所「星尋山荘」の管理人の1人に名を連ねている。仕事が忙しいのと僕は僕で自分の天文台「竹取庵」を持っているため星尋山荘にはなかなか足が運べない。その代わり地元への星の恩返しとしてこの天文教室をやらせてもらっている。過疎地だけに地区の子供は年々少なくなっているが、教室への参加者は公民館の人たちのご苦労も有ってあまり減らない。そしてその子たちが毎年育っていくのを見てきた。

教室前半の天文工作は毎年趣向を凝らしてきた。今度はなんだろうとみんな楽しみにしてくれている。今日みんなに作ってもらったのは「七夕の走馬燈」だ。基本になるセットは「メイトウサイエンス」と言うところから仕入れてみた。それにネットで見た無料イラスト(ECデザイン)の織り姫彦星をベースにオリジナルのカササギの橋、天の川の波や星を加えて走馬灯の心臓部としている。出来上がりはこんな感じだ。

(この画像は織り姫と彦星を合成しています。本当はこんなに近くはありません。下のURLをクリックすると動画が見られます。)

https://youtu.be/yhs4ySgz37k

予想外だったが、参加者にとって一番難しかったのは外枠を切り出すところのようだ。僕が20分も有れば楽勝と思っていたのに、優に1時間半掛かってしまった。なので、僕を加えて3人の管理人がサポートしてようやく12人全員が工作を終了。終わったら4時半を過ぎていた。

みんないったん帰宅して、午後7時からはすぐ裏の小学校校庭に場所を移して観望会を行う。これには工作教室に参加しなかった地区の大人や家族連れもたくさん来てくれた。夜は雷雨という予報で、近くでゴロゴロ音がしていたにもかかわらず、何とか雲間に月と木星、土星が見え隠れし、みんなとても喜んでくれた。星を追尾できる僕の望遠鏡では何人もスマホで月を撮影していた。あぁ、今年も責任を終えたと言う実感が沸く。

午後9時を回ったころ機材を車に乗せて帰路に就いた。毎年ながら暗く長い夜道をたどりながら考える。さて、来年は何を作ってもらおうか。

 

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黄砂の休日

2017年05月09日 22時25分18秒 | Weblog

世間のゴールデンウィークは7日まで。でも変則勤務の僕は8日までがお休みだ。それまでに何とか星の写真を撮ろう。そう心に決めてカメラのバッテリーをすべて充電したにもかかわらず、天気と休みが合わない。最終日の今日こそ何が何でもと、大きいほうのカメラをバッグに入れて上がってきた。ニュースでは大陸から大量の黄砂が流れて来ていると言う。確かに朝から周りの景色が黄色くぼやけていた。

丘にはまだマツバウンランが咲いている。その間でみかんのつぼみが膨らんでいた。あと少しで甘い香りが丘に漂い始めるだろう。でも今年は害虫の当たり年。開く前のつぼみがもう食われていた。犯人はハナムグリだ。

少ない休みだけに虫を探して回るほどの時間が無い。早々に大工仕事に取り掛かる。壁に化粧板を張り付けて、天井には断熱材。その作業の合間に窓の外を眺めていたが、空はどんどん濁って、最後にはべた曇りになってしまった。向かいの島もかすんでほとんど見えない。

仕方が無い。明日からしばらく仕事だし、月も膨らんでしまった。このまま待っても星は撮れないだろう。太郎も来ないし、珍しく明るいうちに帰る事にした。次に来るときは星空に恵まれますように。

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ゴールデンウィーク初日

2017年04月30日 00時35分27秒 | Weblog

ゴールデンウィークの初日は休み。ただし明日以降しばらくは出社しなくてはならない。そう思って少し早く丘に上がった。マツバウンランが前来た時より沢山花を付けている。本当にきれいだ。それも、植えた訳でも無いのにこうして毎年花を見せてくれる。確かに外来品種で、繁殖すると在来種の生活を脅かすと言うのだが、この植物が一体だれを脅かすのだろう。綺麗ならいいかなとも思う。美人は得だ。

今丘に咲いているのはマツバウンランだけではない。紫色の絨毯のあちこちに、アクセントのように黄色い花を見せているのはカタバミ。

カタバミの近くで咲いているピンクはアメリカフウロ。これも外来種だ。ただ、こいつは花こそ可憐だが体は巨大。花が終わったら悪いが除草の対象になる。それでも毎年咲いてくるタフな植物だ。

もちろんみかんの木にもつぼみが付いていた。今年は遅い。丘に香りが漂い始めるまでにまだ一週間以上掛かるだろう。それに去年に比べてつぼみの数が少ないのは、今年は裏作だからだ。花が少ないという事は実の生りも少ない。その代り大きな実が生る。

そういえばカラスノエンドウの花が少ないと思って見てみると、 え、 茎の太さが何倍にもなったように見える。ビッシリアブラムシが付いていた。これはいけない、放って置くとみかんにも移る。慌てて噴霧器と農薬を取り出して駆除した。去年は見られなかったヤガの幼虫もあちこちに居る。今年は害虫の当たり年になるのかも知れない。なんとなく気が重くなった。

 丘の探検はいい加減して大工仕事に掛かる。午後の3時間ほどで出来たのは窓一つ。なかなかの出来だと一人悦に入ってみるが、窓の左側はまだ下地板がのぞいている。化粧板の貼り付けはこれからだ。

大気が不安定で時折雷すら鳴る天気。星の写真はお預けだな。明日は仕事だしそのあと予定も有る。今日は早めに切り上げよう。丘を降りる間際に竹取庵の東側から夕陽を撮ってみた。マツバウンランの絨毯が美しい。

この連休、まだ来る事が出来るかな。それは仕事のはかどり具合によるのだけれども…

帰る途中でまた子ヤギたちに会った。めえぇぇと鳴くと駆け寄ってくる。怖がらせないようにゆっくりと近づいてオデコを撫でるとその手をなめてくれた。名残は惜しいがさようなら。また来るね。

 

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さようなら冬星座

2017年04月25日 22時35分24秒 | 

大工仕事をしているうちに日がとっぷりと暮れた。観測デッキの屋根を開けてみると、西の空に冬の星座たちが沈もうとしている。さようなら、ごめんね、忙しくて逢いに来ることが出来なかった。バーナードループももっとかっちりと撮りたかったけれども、今年の冬までのこれも宿題。それよりも、この観測デッキでゆっくりと満天の星を楽しむ幸せを感じていたかった。本当に年々忙しくなってゆく。この先どうなるんだろう。

目を東に向けると春の星座のうしかい座やおとめ座が昇ってきている。 「春の大曲線」 今の季節プラネタリウムに行くと必ずこの言葉を聞く。
明るい星が形作る幾何学模様はそれぞれの季節にある。もっとも有名なのが冬の大三角。夏にはこと座とわし座、はくちょう座のアルファ星が作る三角形がある。アンドロメダとペガサスが形作るのは秋の四辺形だ。これに対して春はめぼしい星の連なりがほとんど見当たらない。そこで思いついたのが、北斗七星のひしゃくの柄の曲がりをそのまま伸ばしていく方法だった。

対角線魚眼のレンズでは少しひずんでいるが、北斗の柄はかなり美しいカーブをなしている。このカーブをそのまま伸ばしていくと行き当たる二つの星。うしかい座のアークトゥールスとおとめ座のスピカ。この線を春の大曲線と呼ぶ。これは少し無理じゃないかと、思うのは僕だけだろうか。スピカの上で輝いているのは木星。曲線の焦点あたりにみえる星の塊はかに座の泡ぶくだ。

それはともかく、今夜は望遠鏡を使うつもりが無かったから敢えてセッティングはしなかったが、いい加減に望遠鏡とPCの接続もやり替えなければそのうち動かなくなる。だいたい観測デッキのPCのOSは二台ともWindowsXPのままだ。今の増築部分の工事が一段落したらここの工事にもかからなければ、そのうち望遠鏡で星が撮れなくなってしまう。増築部分と言えば今日の昼間までに壁が三分の一と屋根裏の一部の断熱材貼りを終えた。はは、まだまだだ。

まあ、いつかは出来るだろう。出来なくても仕上がりは頭の中にある。それを思うだけでも幸せな気持ちになれる。

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めえぇぇぇ

2017年04月25日 00時47分46秒 | Weblog

移動性の高気圧が日本を覆っていた。朝から青空が広がっている。うまく行けば今夜は晴れるかも知れない。そう思ったきのうの日曜日、大工仕事の後に星を撮ろうと、久々にカメラバッグを車に積んだ。
丘に向かう道の少し手前には小さくなだらかな峠が有る。そこに差し掛かるあたりの草原(くさはら)には、いつも何匹かのヤギが居て、この春そのうちの一匹に子ヤギが生まれた。子供の数は3匹。通るたびに大きくなっている。そこで今日こそはと道端に車を停めてカメラを取り出した。初めに警戒したのは母ヤギだ。そこで僕がカメラを構えながら「めえぇぇぇ」と鳴いてみた。すると親子4匹が一斉に「めえええ」と鳴く。ヤギたちの緊張感が一気にほぐれた。え、こんなもので仲良くなれるのか。面白いので「めえぇぇ」と応えると「めええええ」と返してくる。写真を撮りながらメエメエやっていたら、向こうのおじさんが冷たい目でこちらを見ていた。

みかんの丘はヤギたちの草原から5分ほど走ったところにある。上ってみると前にも書いたマツバウンランの花盛りだった。桜のあとはこの花。ああ、初夏が近いんだと実感する。周囲では相変わらず歌のへたくそなウグイスが「ほー、ちゅうしょうきぎょう」「フォト美女!」と唄っている。

この春竹取庵の北側に親戚の植木屋さんを頼んで、みかんの苗を20本植えてもらった。去年の秋僕が植えた15本。その前の年の10本。花に埋もれて分かり難いかもしれないが、丘のみかんは本数だけでみるとおじさんに初めて会った頃に近づいている。大きくしなければ。丘がみかんに覆われれば、おじさんもきっと喜んでくれる。そう思いながらほこほこした気持ちで大工仕事に取り掛かった。

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さくら満開

2017年04月11日 00時11分16秒 | Weblog

いくら待っても青空は来そうにない。このままでは丘の桜が散ってしまう。そこで昨日の日曜日、無理をしておばさんたちを誘って竹取庵の前で恒例のお花見をした。丘の桜は二種類。このうち先に開いた白っぽいほうはすでに散りかけていた。いつも車を止める場所にテーブルを置いて呼びに行くと、おばさんは娘さんと一緒にやって来た。今年95歳。ずいぶん前から足を傷めていて本当はここまで登るのもやっとだった。

それでも今年花見が出来るのを歓んでいる。「もうこねえ生きんでもええのに。」とはいつも聞く口癖だ。ただ、おばさんにとってこの冬は本当にきつかったようだ。それだけに冬を超えられたのは家族にとっても喜びだった。僕も嬉しい。丘の番犬太郎も今年18歳。人間で言えば90歳をとっくに超えている。おばさんと同い年だ。

もうあまり耳が聞こえない。目も良く見えていない。以前は僕が大工仕事をしていると、まるで元の主人のおじさんを懐かしがるようにそばにぴったりついていたが、この頃は丘をパトロールするのがやっとだ。「一緒に行くんじゃ。」と、おばさんはよく口にする。本当にそうかもしれないと思う。「ペット」とか「飼い犬」とか言う言葉にはどうしても違和感を覚える。共に暮らす仲間。どちらが偉い訳でもない。支え合って生きる命だ。

竹取庵の西で枝を広げるもう2本の桜は花の色が紅。やや遅れて花を付け、今は三分咲きになっている。これも来週には満開になるだろう。みかんもそろそろ新芽を吹き始めた。丘の季節はかなり足早に初夏への坂を登っている。

ただ、空はなかなか晴れてくれない。星の写真はいつになったら撮れるんだろう。まあ、仕事も目白押しで夜中まで観測デッキでゆっくりするのは難しいのも事実だが。

ところで、ずっと前にも書いたが、丘のウグイスは本当に歌が下手だ。「ホーホケキョ」などと鳴く奴は一羽もいない。「ほー、ちゅうしょうきぎょう」「えー、もがじしお」と、分かって言っているだろうと思いたくなるような鳴き方だ。この日たまたま捉えたのはこれ。https://youtu.be/NSKa1F38WV4
僕には「フォト美女」としか聞こえない。

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さくら開花

2017年04月02日 00時50分00秒 | Weblog

岡山では昨日から桜カーニバルが始まっている。職場の近くの桜もちらほらと花が開き始めた。
みかんの丘には4本のしだれ桜が有るが、今年は桜の開花が遅いと言われていたのであまり気にしていなかった。だから丘に到着して視野の中にポッと明るいものを感じた時には驚いてしまった。  咲いている。  もちろんわずかだ。それでもちゃんと咲いている。一分咲きにも届いていないかもしれないが、みかんの芽がまだまだ堅い中でいち早く春本番の到来を告げていた。そう。先週ここでウグイスの声を聞いた時は桜はまだ遠い先だと思っていたのに。

丘のしだれ桜は2種類。早く咲くのはこちらの白っぽいほうだ。ブログを遡ってみたら去年は4月2日にはすでに満開で、おばさん達と花見をしていた。今年出来るとしたら1週間先だろう。紅のほうはさらに1週間先かも知れない。春仕事に追われるのはいつものことだが今年の春は格別だ。だから花見はゆっくりでいい。慌てないでいいからね。写真を撮りながら桜にそう言い聞かせた。

お花見前線とも言われる菜種梅雨の停滞前線が本州の南に横たわっていた。それでもと車にカメラを積んだが、昼過ぎに到着したとき広がっていた青空は午後3時を回る頃雲に閉ざされてしまった。これから月が膨らんでくる。黄砂や花粉も濃くなるだろう。撮れるだろうか。いずれにしても仕事のスケジュールと相談だ。

 

仕方が無い。今日は大工仕事だけで帰ろう。
その大工仕事、長い間ブログにアップしていなかったが、月に2回くらいは丘に来ていた。ただ作業時間は長くて3時間。まとまった仕事はなかなか出来ない。そして今日ようやく建て増し部分の北の妻の天窓に外枠をはめる事が出来た。来週ここに入れる三角形のガラスを発注する。

 

少しずつ。少しずつ。本当に僕の寿命が有る間に出来上がるのだろうか。と言うよりも、どの時点を以って完成と言うのだろうか。完成してしまったら面白くないだろう。と心のどこかで思っている自分が居る。

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星空のもうひとつの姿

2017年01月27日 22時28分44秒 | 宇宙

レンズを赤外線用のカメラに付け替えて空に向ける。そしてレンズの前に赤外線だけを通すフィルターシートと言うものをそっと載せた。ファインダーを覗いてみるが真っ暗。当たり前か。露出はいったいいくらにすればいいのだろう。とりあえずカメラ感度1600で絞り4とし、2分半シャッターを開いてみた。しかしこれではほとんど何も写らない。その後何度も露出を変えて撮影してみたがいい結果が得られなかった。そこで目で見える赤い光も少し通すSC66と言うフィルターに換え、カメラ感度を3200にアップしてみた。そしてシャッターを切ると、3分半後にオリオンの三ツ星を取り囲むようにぼんやりと光る帯がカメラのモニターに現れた。

そう、これがバーナードループ。ずっと前から捉えたかった水素分子の雲だ。ただピントが甘い。光は波長が長いほど屈折率が低い。だからピントの位置を少し手前にずらす必要がある。そうしたつもりだったのだが目分量ではうまくいかない。このままピントを追い込みたかったが明日は仕事だ。無闇にピント位置を変えて撮りまくるよりも、改めて昼間に明るい被写体で試し撮りをしたほうが良い。今日はこのまま帰ることにした。

という訳で家に帰って、普通に撮った写真に赤外線の写真を重ねてみることにした。ところがこれがまた難しい。撮像板の大きさが同じカメラに、同じレンズを取り付けて撮影した写真は難なく重なるだろうと高をくくっていたのだが、微妙に合わない。悪戦苦闘して「比較明合成」で重ね合わせ、さらにどうしてもズレてしまう部分をカットしたのがこの写真だ。

こうしてみると水素ガスの雲はオリオン周辺だけでなく、天の川全体に広がっている。中でも赤い玉のように見えるのがいっかくじゅう座のバラ星雲だ。そしてここにガスが集まったためにその周辺が希薄になっている。まあ、ピントは甘いけれども何とか肉眼では見えない水素ガスの雲を撮影できた。この写真が寒い夜に見上げた星空のもうひとつの姿だ。これから赤外線撮影の訓練をして、空一面を撮ってみたらどんなになるだろう。画像処理をしていてそう思った。 

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久々に屋根を開ける

2017年01月27日 01時10分37秒 | 宇宙

長い間日本列島を支配していた冬型の気圧配置が緩んで移動性の高気圧が西日本に差し掛かろうとしていた。月は無い。しかもたまたま今日は休みだ。今日撮らなければ撮る日が無い。カメラバッグを車に積んで夕方までに家の用事を済ませると、日が沈む前に車をみかんの丘に走らせた。連日の激しい労働。疲れているはずなのに体が軽い。そうだ。星を撮るために丘に向かうのは本当に久しぶりだった。
丘に着くと黄昏を終えた空が迎えてくれた。満天の星。急いで竹取庵に入って観測デッキの屋根を開ける。長い間この作業をしていないのに気が付いた。潮風でモーターの電源の一つが外れかかっている。屋根の鉄骨もあちこち錆ていた。いい加減に塗らなければと思いながら10年近い歳月が流れてしまった。

やっと開けた空では冬の星座たちがかまびすしい。待ってろ。今撮ってやる。赤道儀に火を入れ、パソコンを開いてオートガイダーのウインドウを開く。まずは小さいほうのカメラCANON EOSkissX4をピギーバックで取り付けた後、ガイド星を導入して動作確認。よし、作業手順は忘れていない。カメラ感度1600で露出は30秒とした。狙うのはここだ。

この星座の周辺では水素ガスが渦を巻いているという。その渦の一つ、「バーナードループ」を写し撮る。それが今夜の目的だった。ずいぶん前からの夢。そのために赤外線撮影用のカメラを買い、フィルターだっていくつも買ったのだから…

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ひそやかな天体ショー

2017年01月10日 08時10分20秒 | 

冬の代表的な星座のひとつ「おうし座」の中の最も明るい星アルデバランが月に隠される。この「星食」と呼ばれる現象は、ネットなどでかなり前から話題になっていた。もちろん天文関係の仲間たちの間での話だ。
地球が自転しているため、空の星たちは太陽も含めてすべて東から西へと動いていく。これを「日周運動」と呼ぶが、月は地球の周りを回っているために、この日周運動に抗うように少しずつ東向きに移動する。と言っても日周運動の速さには及ばないが。これを地上から見ると月が星々の上をゆっくりと滑って行くように見える。空には星が無数にあるため月が星を隠す現象は珍しい物では無いが、肉眼でも見える星、まして0.9等と明るく、名前まで付いている星の星食となると比較的珍しい。

このアルデバランの食は岡山では9日深夜の23時54分頃始まり、翌10日の1時3分頃終わる。昨日はみかんの丘に大工仕事に上がったが、空が雲に覆われていたためそのまま帰ってしまった。しかし午後10時過ぎ、気になって空を見上げると雲の切れ間から月が見え隠れしている。あれ、見えるのかな。そこで撮ってみようと家に入った。ただ撮ると言ってもろくな機材が無い。大昔に3,600円で買ったファミスコ60を大きいほうの一眼レフに繋ぎ、三脚を使わず手持ちで撮影する事にした。星食を手持ち撮影する。このためカメラの感度を800としてみた。月だけならシャッタースピード1200分の1くらいで撮れる。しかし、その露出ではたしてアルデバランが写るだろうか。
不安に思いながら食の始まりを待ったが、時刻が近づくにつれて雲が増え、23時40分頃には全くの曇り空になってしまった。やっぱりだめか。がっかりしたものの、諦めて寝ることも出来ない。そこで食が終わる午前1時の10分ほど前に外に出てみると、え、雲がほとんど無い。よしよしと家の中に取って返してカメラを持ち出し月に向けた。シャッタースピード1250分の1とは言うものの焦点距離は400ミリある。やたら沢山シャッターを切って、その中からカメラブレの少ないものを選び出したのが上の写真だ。

判るだろうか。月のほぼ真下に小さくぽつんと浮かぶ白い点が。さすが光度0.9等のアルデバランだ。あれほど明るい月のすぐそばでちゃんと存在を主張している。撮影時刻は2016年01月10日01時04分30秒。月の後ろから抜け出して30秒ほど経ったときの写真だ。

ただ、一般の人にしてみるとこの星食は大変に地味だ。空に有る小さな光る点があるときフッと消えて、やがて月の裏から出てくる。日食や月食の、あのドラマチックさに比べると本当にひそやかなショー。翌日の新聞もテレビも、取り上げている社はどこにも無かった。

 

ところで、仕事が忙しくてちっとも上がれないみかんの丘だが、それでも竹取庵の大工仕事は少しずつ進んでいる。昨日は午後3時頃から3時間ばかりの作業で増設中の寝室の壁の一部に化粧材を貼り付け、天井の一部に断熱材を取り付けた。

ここまで遅くなった工事だが、仕事がそろそろ軌道に乗ってきたため、これまでより少し進むことになるだろう。と、いつもの楽観的な見通し論。まあ、いつかは出来るだろう。

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お正月のランデブー

2017年01月02日 19時14分45秒 | 

師走を忙しく過ごして何とか年を越し、今日は正月も二日目。昼間は買い物をしたり壊れていた家の小物を直したりで時が過ぎ、黄昏も終わったころに家の裏でゴトゴト音がする。出てみたら野良猫だ。僕の姿を見たら慌てて逃げて行った。逃げることは無いのにと寂しく思いながらふと空を見上げると…

家の西にある古墳の上に月齢4の月が掛かっている。そのすぐ横に明るく輝く金星。そうか、ランデブーだ。大みそかに空を見て、あと少ししたら二人の神様の密会だな、そう思ったのを思い出した。家の中に取って返してカメラとミニ三脚を持って出る。レンズはとりあえずカメラに付いていた標準ズームと300ミリの望遠。ミニ三脚を車の屋根に載せてズームレンズを空へ。画角をどうしようかと迷ったが、あまり広いと無粋なものが写ってしまう。なので古墳の木々を入れこんだのが上の写真だ。ランデブーと分かっていても細々した用事で丘には上がれない。悔しいけれども晴れているのがせめてもと思った。露出を変えて3枚とった後レンズを300ミリに換える。このレンズはキャノンの純正ながら廉価版で、口径が小さくキレも今一つだ。とは言いながらここまで写し取ってくれた。

まあ今夜はこんなところかな。金星が少し扁平なのは、今この惑星が太陽から見て60度ほど離れているために拡大すると半月の形をしているからだ。ただ、本当に撮りたいのは太陽系の神様ではない。嫌われ者のオリオンだ。そのために赤外線フィルターを3枚も買い、試し撮りもしながらなかなかチャンスが来ないのだ。それまでの心の繋ぎと言っては二人の神様に失礼かもしれないが、アルテミスとビーナスのランデブーは以前にも撮影している。あとおよそ1か月。そうすればオリオンがちょうど良い位置に来てくれる。その時アルテミスは一度膨らんでもう一度細くなっているはずだ。と、自分に言い聞かせて家に入った。

 

何人かの方から、一番上の写真は月の暗い側が見えているのに、下の写真ではそれが無いとご指摘を受けました。上の写真に写っている月の暗い部分は、地球の照り返しを受けて影の部分が明るく見える「地球照」と呼ばれる現象です。地球照は暗いので、これを写し取ると明るい部分が白く飛んでしまします。なので露出の違う二つの写真を合成して、2日に見た通りの月を表現してみました。

地球照をこれ以上見えるようにすると本当に月がのっぺり白くなってしまします。人間の目ではこれが両方ちゃんと見えるんです。人間の目って、つくづくすごいなと思います。

コメント (4)
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