出会ってから18年。長い時を共有してきた丘の番犬太郎が逝った。
僕が彼に初めて出会ったのは、天文台の建設用地を探して彷徨った挙句丘に行きついた時だった。一目でこの場所が気に入った僕が近くの民家を訪ねた時、太郎はおじさんと居た。僕に吠え掛かる太郎をおじさんがたしなめたのを憶えている。彼がまだ1歳の時だった。
その頃の太郎はどこに行くのもおじさんと一緒で、農作業の時も買い物の時もいつも母親のボーと共にそばにいた。
僕がおじさんと親しくなるにつれて太郎も僕を受け入れ、大工仕事をしているといつの間にか来てくれるようになった。天文台の建設現場がおじさんをワクワクさせたように、太郎にとっても天文台用地は居心地のいい場所だった。
2007年におじさんが亡くなってから、太郎は僕が丘に上がってくるのを心待ちにしていた。車のエンジン音を聞きつけると家の小屋から駆けてきて、帰るまでずっと一緒に居てくれた。
その太郎も18歳。人間に直すととっくに90歳を越えていた。最近では耳が聞こえず目もほとんど見えていなかった。迷い込んだ牡鹿の角で突き上げられて股関節を脱臼し、ヨタヨタとしか歩けない。それでも僕の気配に気づくと、何とか竹取庵のそばまで来て窓を見上げる。せめてもとおやつを上げるとおいしそうに食ベる姿がかわいかった。
今日は休み。増築部分の内装をしようと昼過ぎに丘に上がる。一仕事終えておばさんの家を訪ねると納屋の前に見慣れないビニールの小屋が有る。娘さんに尋ねると、それは太郎の仮の病棟だと言う。太郎は4日ほど前から急に元気が無くなり、こうして寝たきりになったのだそうだ。
覗いてみると、布団にくるまった太郎が荒い息をしていた。声を掛けても良く分からない。でも撫でてやると僕が判ったのか顔を少し動かしてくれた。しんどいんだね。無理しなくていいよ。その言葉に鼻をひくひくさせる。
あと数日かな、そう思いながらその場をいったん離れたが、間もなく電話が掛かってきた。太郎が息をしていないと言う。慌てて戻って手を握ると、まだかすかだが脈がある。「脈が有りますよ」と娘さんに告げながらもう片方の手で頭を撫でているうちにその脈が感じられなくなった。首の付け根も探ったけれどやっぱり脈を取れない。この時、太郎は星になったのだと思った。
娘さんと駆け付けた旦那さんにこれからどうされますかと聞くと、明日そばの空き地に埋めてやると言う。そう。それが良い。太郎の心は星になり、体は丘の土に戻る。
僕もいつかそうなるように…
さようなら太郎。 ありがとう太郎。