宇宙(そら)に続く丘

プレリュード小学校1年C組のしりとりちーが案内する宇宙への道
みかんの丘は不思議へ通じるワームホール

ストロベリームーン

2019年06月17日 23時47分01秒 | 

日曜日の出勤の代休として休んだ今日、丘にも上りたかったが体調が思わしくなく断念。そこでリュウマチの主治医に頼んでいろんな検査をしてもらった。と言っても原因がリウマチで無いのは分かっている。このところの無茶苦茶な天気がいろんな古傷を呼び覚ましているようだ。とにかく去年あたりから天気がおかしい。気圧配置も雲の様子も、この時期のものではない。いったいこの先どうなるのだろう。

そんな風に思いつつ家の片付けの合間にネットのニュースを見ていたら、「今夜の月はストロベリームーン」と言う文字が目に入った。マスコミは最近やたら満月に名前を付けたがる。ストロベリームーンっていったいなんだ、といぶかりながら調べてみた。アメリカの五大湖のほとりに住むオジブワ族というインディアンが、キイチゴの実る季節の満月に付けた名前だそうだ。なんだ、一部のマスコミが言うように真っ赤な月なんかじゃない。裏も取らずにいい加減な。そう思いながら時計を見ると午後6時半。ん?月の出が撮れるかな。と言っても今からみかんの丘に行ける訳が無い。そこで300ミリズームを使って家の窓から撮ってみることにした。

我が家の東にはかつて大きな製糸工場が有り女工さんたちの寮が並んでいた。そこが後にゴルフの練習場になり、今では大きなショッピングモールにかわっている。そこに登る月。情緒も何もあったものではないが、とりあえず月の出はおさえることが出来た。

少し赤いのは地平線近くの靄のせい。それに少し排ガスも混じっているかも知れない。
ところで、この月の月齢は14.0。なのに満月。いったいなぜ、と思ってしまうが、月の軌道が楕円なのが原因だそうだ。これは図面を見れば良く分かる。

取り敢えずこれがストロベリームーン。キイチゴなら「ラズベリームーン」だと思うのだが…

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お正月のランデブー

2017年01月02日 19時14分45秒 | 

師走を忙しく過ごして何とか年を越し、今日は正月も二日目。昼間は買い物をしたり壊れていた家の小物を直したりで時が過ぎ、黄昏も終わったころに家の裏でゴトゴト音がする。出てみたら野良猫だ。僕の姿を見たら慌てて逃げて行った。逃げることは無いのにと寂しく思いながらふと空を見上げると…

家の西にある古墳の上に月齢4の月が掛かっている。そのすぐ横に明るく輝く金星。そうか、ランデブーだ。大みそかに空を見て、あと少ししたら二人の神様の密会だな、そう思ったのを思い出した。家の中に取って返してカメラとミニ三脚を持って出る。レンズはとりあえずカメラに付いていた標準ズームと300ミリの望遠。ミニ三脚を車の屋根に載せてズームレンズを空へ。画角をどうしようかと迷ったが、あまり広いと無粋なものが写ってしまう。なので古墳の木々を入れこんだのが上の写真だ。ランデブーと分かっていても細々した用事で丘には上がれない。悔しいけれども晴れているのがせめてもと思った。露出を変えて3枚とった後レンズを300ミリに換える。このレンズはキャノンの純正ながら廉価版で、口径が小さくキレも今一つだ。とは言いながらここまで写し取ってくれた。

まあ今夜はこんなところかな。金星が少し扁平なのは、今この惑星が太陽から見て60度ほど離れているために拡大すると半月の形をしているからだ。ただ、本当に撮りたいのは太陽系の神様ではない。嫌われ者のオリオンだ。そのために赤外線フィルターを3枚も買い、試し撮りもしながらなかなかチャンスが来ないのだ。それまでの心の繋ぎと言っては二人の神様に失礼かもしれないが、アルテミスとビーナスのランデブーは以前にも撮影している。あとおよそ1か月。そうすればオリオンがちょうど良い位置に来てくれる。その時アルテミスは一度膨らんでもう一度細くなっているはずだ。と、自分に言い聞かせて家に入った。

 

何人かの方から、一番上の写真は月の暗い側が見えているのに、下の写真ではそれが無いとご指摘を受けました。上の写真に写っている月の暗い部分は、地球の照り返しを受けて影の部分が明るく見える「地球照」と呼ばれる現象です。地球照は暗いので、これを写し取ると明るい部分が白く飛んでしまします。なので露出の違う二つの写真を合成して、2日に見た通りの月を表現してみました。

地球照をこれ以上見えるようにすると本当に月がのっぺり白くなってしまします。人間の目ではこれが両方ちゃんと見えるんです。人間の目って、つくづくすごいなと思います。

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立待月

2015年05月07日 00時01分23秒 | 

霞の多い空に左程期待はしていなかったが、それでもせっかくカメラを持って来ている。何か星を撮って帰らなければまた欲求不満が募る。そこで今夜は月を撮ることにした。

大工仕事をしながら夕暮れを待ち、辺りが暗くなってから竹取庵の屋根を開いた。黄昏の空に春の星座がまばらに見える。パソコンを開いて星空のシミュレーターを立ち上げると、今夜の月齢は十七だ。
前にも書いたが、昔の人の月の呼び名は素晴らしい。日暮れとともに東の空に現れる月は、新月から数えて十五夜。次の夜の月は1時間近く遅れて昇る十六夜。ためらいながら昇ってくるというので「いざよい」。その次の夜の月はさらに一時間遅れるが、これならまあ立って待てる時間という事で「立待月」。次の夜は立って待っていると疲れるから座って待とうという事で「居待ち月」という具合だ。


月齢17の立待月を三脚を構えて待っていると、東南東の山の端が次第に明るくなって、少し欠けた月がゆるりゆるりと昇って来た。今夜は大きいカメラしか持って来ていない。ワイドレンズで撮影した後、あわてて300ミリの望遠に付け替え、木々の間を昇る様を狙う。

黄砂のせいだろうか、空も月もみんな茶褐色だ。いつからこんな空になってしまったんだろう。子供のころ5月の空は澄み渡っていたと思うのだが。

そんなことを考えながらふとパソコンのモニターに目をやると、月のすぐ下に明るい星がくっついているのに気付いた。カーソルをあてると土星の名が浮かび上がる。そうか、今夜は月の女神が農耕神とランデブーする夜なのだ。月が昇るのをしばらく待って、黄砂のベールの向こうにようやく土星を見つけた。

この時点で月と土星の角度は約2.5度。これが5時間後には半分の1度ちょっとまで近づくというが、そこまでは待てないか。それでも久しぶりに土星を撮ってみよう。カメラからレンズを外して8センチの望遠鏡に取り付けてみた。

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なぜ左下から欠けて左から出てきたのか

2014年10月12日 22時04分47秒 | 

今回の月食の書き込みは昨日で終わりにするつもりだった。でも、下から欠けたので下から明るくなるだろうと思ったと言われる書き込みを頂いたため、月食について簡単に説明してみようと思う。

この画像は今回の月食の画像を元に作ったシミュレーションで、下敷きにした星野写真も月も実際の物ではない事をお断りしておく。

地球は太陽に照らされている。だからその反対側には丸い影が出来るけれども、太陽が大きいせいで、完全に太陽が見えない場所と、少しだけ太陽が覗いている場所が出来る。この完全に太陽が見えない場所を「本影」と呼び、少しだけ見えている場所を「半影」と呼ぶ。それがこのシミュレーション画像で真ん中に見える薄暗い部分だ。半影は内側に行くほど暗い。
夜空には普段見えないだけで、この影が星空の彼方にずーっと続いている。その影の中を月が横切ると月食が起こる。8日の月食では、月は薄い矢印のように影の右上から左下に動いて行った。

みかんの丘の月の出の時、月はすでにこの半影部分に差し掛かっていた。その1時間後、月は本影に入って行く。この時の本影の位置はみかんの丘から見て月の左下だった。その後月は本影の中をくぐって影の左側から抜けた。

地球の影も月の通り道も動いている。だから欠けてゆく場所も輝きが戻る場所も毎回違う。また、この地球の本影は地球から近いほどくっきりしていて暗く、遠いほどぼやけていて小さく明るい。過去に1度だけ経験があるが、月が地球に近いとき起こった月食で、しかも本影のど真ん中を通った事が有る。その時は月が真っ暗になって、肉眼では見えなくなった。珍しい経験だったが、8日のように美しくは無かった。
今回の月食でも、赤銅色の美しい皆既月食が見られたが、それは輝く月が地球の影に入って明るさが極端に落ちたため、瞳が開いて目の感度が上がり、地球の大気で屈折した僅かな赤い光でも識別できるようになったためだ。今回の皆既食の月が下の方ほど暗いのは、赤色の光の回り込みに限界が有る事を示している。

同じように見える天文現象も、条件によって毎回変わる。だから不思議。だから面白い。

 

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浮かび上がる天の川

2014年10月11日 00時12分53秒 | 

空には相変わらず薄い靄がかかっていた。それでも、黄昏が失われ月が明るさを落とすに連れて星がはっきりし始める。西の空で天の川がぼんやりと浮かび上がった。小さいほうのカメラに付けた対角線魚眼で、天の川と月の両方を狙う。目では判りづらいが、撮影してみるとそこここに薄雲が確認できた。街明かりを反射して薄茶色に染まる雲に対して、天の川はあくまでも白く青い。この画角で月の赤銅色を写し撮れないかと露出を落としてみたが、月を赤く写すと星は全く写らない。僕の目には十円玉のような月と天の川が両方見えるのに。人の目の性能の良さに改めて感心した。

 

月の赤色を見ていてふと思いついた。そうだ。外に出てこの月と一緒に竹取庵を撮ってみよう。小さいカメラのレンズを普通のズームに付け替えて外に出た。

 

 

ドアに輝くステンドグラスの月と、その上に掛かる月食の月。なんだか現実離れした不思議な光景だ。思い付いて少し近づき、月と望遠鏡にズームしてみた。

 

 

寄るとさらに現実感が無い。まるでジオラマの空だ。3年前、月食の夜は月から不思議が降ってくると書いたが、今改めてそれを実感する。何故自分がここに立っているのか、それさえ不思議に思えてきた。

 

 

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隠されてゆく月

2014年10月10日 02時09分11秒 | 

遠く離れていても太陽は大きい。だから地球の影には真ん中の濃い部分と周囲の薄い部分が出来る。月の出の時左下が薄暗く見えたのは、この半影と呼ばれる薄い影の中に月が差し掛かっていたからだった。それからおよそ20分後、月はいよいよ濃い影の部分、本影に入って行った。僅かな靄をまといながら煌々と輝いていた月が、左下からゆっくりと消えてゆく。それは昔の人ならずとも畏怖を抱かせるに充分な光景だった。

せっかくの機会だと言うのに今竹取庵の主砲かぐや姫は休暇中だ。だから今夜は赤道儀に載せた8センチを主力にすることに決めていた。大きいほうのカメラを取り付けたクリーム色の望遠鏡がわずかなモーターの音とともに昇る月を追う。女神アルテミスは今、秋の四辺形と呼ばれる4つの星の真下、うお座の中に居た。

牡牛の角の間を移動していた3年前の月食に比べて、この辺りは目立った星がほとんど無い。まるで波静かな海を航海する船を見ているような気がした。地球の自転とともに空の星たちは東から西へと動いてゆく。その流れに逆らうように、女神は星々の間を東へと移動する。衣の裾が陰り始めておよそ1時間後、月はどっぷりと地球の濃い影に身を落とした。

濃い影と言っても地球の大気による吸収と屈折で、太陽の赤い光だけは回り込むために真っ暗ではない。赤銅色に身を染めて空に浮かぶ月。それは、明るく輝く月とは全く違う、怪しげな光景だ。

 

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台風一過の月食

2014年10月09日 00時04分33秒 | 

この秋最大と言われた台風18号は各地に大きな被害をもたらし、また何人もの人が犠牲になった。なのにその後を、さらに巨大な19号が近づきつつある。本当に今年の天気はどうかしている。その18号が去ったあと、次の19号接近までの狭間が爽やかな秋晴れとなった。今日の月食がどうなるかと心配をしていたが、ここまで晴れるとは思わなかった。

 とは言うものの、きっと晴れる。そう期待して実はきょう休みを取っていた。星の撮影で仕事を休んだのは初めてだ。しかし週半ばなので遅くまでは撮影できない。早めの午後2時過ぎに家を出て準備に掛かった。
月食そのものは3年前の暮れにきちんと撮影出来た。だから今夜は景色の中の月食を撮りたい。あれこれ設定を考えて、満を持したつもりのみかんの丘に陽が沈む。月食だからこの太陽のちょうど反対側に月が居るはずだ。 夕日を撮って後ろを振り向くと、10分もしないうちに東の山の端に黄色い光がチラチラと見え始めた。午後6時。今夜の主役のお出ましだ。ゆっくりと本当にゆっくりと月が昇る。コンパスを手に、あらかじめロケハンしていた場所からそれを狙う。

 

 

半影の月食は午後6時15分ごろと聞いていたが、昇って来た月は左下が何となく薄暗い。そう言えば3年前にもそんな事を思った気がする。地球温暖化のせいで、大気の屈折率が変わったのかも知れない。いずれにしても、幕が上がった時ショーはすでに始まっていた。

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迫り来る雲

2014年09月29日 00時08分17秒 | 

空の透明度はそれほど良くなかった。それでも星雲や星団が撮れないほどでは無い。今夜は頑張ろう。そう思って竹取庵の屋根を開けた。西の空に綺麗な三日月が掛かっていたが、その向こう。西から北に掛けて嫌な雲が姿を見せていた。まさか。あれが来るのかな。そう思いながらカメラを8センチに取り付けて月に向ける。肉眼では晴れて見える空も、望遠鏡を通すとうす雲が広がっているのが分かる。ピントと露出を決めているうちにそれが次第に濃くなった。

やっぱり来たか。そう思いながらシャッターを切る。この時点の月齢は3.2。「細月」よりは少し太っている。雲のほとんどない写真も何枚か撮れたが、たなびく薄雲の向こうの三日月も面白い。なんだか物語に出て来そうな情景だ。

などと悦に入っているうちに、雲はどんどん迫って、晴れの区域を縮めていった。

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十六夜の満月

2014年09月10日 00時35分25秒 | 

昨日は仲秋の名月。お天気が気になったが、雲間の名月が楽しめた。ただ、やっぱり月齢14と言うのは引っかかる。そこで今日の夕方、満月の出を撮るために少し早めに職場を抜け出してみかんの丘に向かった。座席にはかねて用意の大きいカメラ。取り回しは小さいほうが良いけれども、どんなシチュエーションになるか分からないのでこちらを選んだ。

竹取庵から8センチと6センチの屈折を運び出したところで、丘の番犬太郎に見つかる。逃がしてはくれない。太郎を相手にしているうちにおばさんも現れた。黄昏時の撮影はあきらめて竹取庵に戻り、屋根の上から昇って来る十六夜を撮る事にした。そう、昨日が仲秋の名月だから今夜の月は十六夜というわけだ。しかし月齢は今夜の午後10時から午前2時ごろまでが15.0。満月と言う事になる。

なぜこんな事になるのか。何度か書いたが、月は二つある焦点の片方に地球を置いた楕円軌道を回っている。その地球が太陽を中心としたほぼ真円の軌道を回っている。この為に地上から見た月の満ち欠けに、暦との誤差が生まれるのだ。言葉では分かりにくいが模型を使うと意外に簡単に理解できる。

ところで、月が楕円軌道を描いているので地球から見ると月は遠くなったり近くなったりする。このところ満月は地球の近くにいる。ちょうど一か月前、「台風一過のスーパームーン」と言うタイトルで書き込みをしたが、この時の月が今年一番近かった。今夜の月はこれよりもおよそ6000キロ遠い36万キロだ。それでも平均距離は38万キロだと言うから今夜もスーパームーンには違いない。

そう思って丘の月を撮った後、8センチ屈折を持ち帰って家で撮って見た。比較するものが無いからスーパーだかノーマルだか分からないが、これが今夜の満月。暦の上の十六夜だ。満月と言いながら右側が少し欠けているのを許してあげて欲しい。本当に欠けていない満月。僕が「正満月」と名付けた月は月食の前後にしか現れない。

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仲秋の小望月

2014年09月08日 19時13分16秒 | 

外の様子を気にしながら夕暮れを待つ。月の出は午後4時50分。観測デッキの屋根を開ける頃には月がかなり高いところまで昇っていた。秋晴れと言うには少し濁りが有るが贅沢は言えない。本当に久々の青空だった。日暮れとともに周りで虫が鳴き始める。本格的な秋がすぐそこに来ていると、風景が告げていた。

赤道儀のカバーを外して8センチ屈折に大きいほうのカメラを取り付ける。あれこれ試してカメラ感度を160に設定。露出を160分の1としてみた。

杵を持ったうさぎはやや前のめりだがそれでもせっせと餅を搗いている。旧暦では7月から9月までを秋と言う。そのちょうど真ん中、旧暦の8月15日、今年で言えば明日8日の月が仲秋の月と呼ばれてお月見をすることになっている。だから今夜は仲秋の小望月だ。クレーターを楽しむには少し膨らみ過ぎているが、それでもこの小望月は月齢が12.9とやや細め。そう。この数字に1を足しても15にならない。本当の満月は明後日9日の午後10時半頃になる。暦の上の十五夜と月齢15が同じではないと言う見本のようなものだ。

明後日か。晴れるかな。この写真を撮って帰宅した頃、空には雲がぎっしり詰まっていた。やっぱり今年の天気は信用ならない。

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台風一過のスーパームーン

2014年08月10日 22時28分53秒 | 

台風が接近していた。予報ではみかんの丘直撃コース。手持ちの建設材料が無い今、大した事は出来ないが、少しでも防災対策をしなければという気持ちで夕方から丘に上がった。やはり風が強い。目の前の海の白波はまだそれほどでもない。しかし島に掛かる雲は天気の悪化を告げていた。とりあえず有り合わせの合板で増築部分の隙間を出来るだけ塞ぎ、望遠鏡のカバーを確認して丘を下りた。

雨風はその夜から強まった。家の近くの電線が悲鳴を上げている。四国への上陸は朝6時頃。どうなるんだろう。天気図によると勢力はほとんど弱まっていない。

丘から遠く離れた寝床ではどうすることも出来ない。ただ時折起きて雨雲レーダーと進路図を見比べていた。そうこうするうちに台風は進路を東に取り始め、丘は思ったより早く暴風圏から外れていった。

一夜明けた今日の朝、一刻も早く丘に上がりたかったが、家でしなければならない事が有る。ゲストも来る。買い物にも行かなければならない。結局丘に上がることは不可能で、そのまま夕暮れを迎えた。黄昏がせまる中で雲が切れ始めた。台風一過の青空だ。透明度も悪くない。撮影に行けるかな、へとへとの体でそんな事を考えているうちに月が昇ってきた。それを見て驚く。大きい。そうだ。今日は今年一番のスーパームーン。

竹取庵を手前に置きたかった。しかし今からでは間に合わない。それに雲が切れたのは月がかなり昇ってからだ。仕方が無い。家の前の銀杏の枝を取り込んで撮って見た。ガイドナンバー58のストロボを大きいカメラに取り付けてフル発光。月と銀杏の枝の露出バランスを絞りとシャッタースピードとカメラ感度で調整し、これかなと撮った一枚が上の写真だ。
この時の月齢は14.6。視直径33.8度。地球との距離35万7000キロ。いつもより3万キロも近づいてくれた女神アルテミスの姿だ。

この写真を撮りながらも思う。明日は大工仕事に上がらなければ。姫の館が無事であればいいが。

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細月

2014年02月01日 22時45分41秒 | 

家の用事もあってそう頻繁には丘に上がれない。それでも工事は少しずつ進んでゆく。今日はその用事を済ませてから午後ゆっくり家を出て、丘でブルーベリー号に乗り換えて材料を買いに行った。だから工事を始めたのは午後3時過ぎ。棟に刃物を入れて垂木をはめてゆく。これが意外に面倒で、3時間で3本しか付けられなかった。

そろそろ手元が薄暗くて見えにくくなる。諦めて道具を片付けて、ふと西の空を見ると細い月が浮かんでいた。月齢1.5。空自体は霞がかかって何となくくすんでいるが、それがむしろこの月を引き立てている。
以前昼間の空に浮かぶ淡い月を「幽(かそ)けき月=幽月(ゆうげつ)」と名付けた。それならばこの月は「細月(さいげつ)」だ。

ぼんやり眺めているうちに写真に撮りたくなった。間に合うだろうか。あわてて観測デッキに上がり、赤道儀に載せていた8センチ屈折を外してアタッチメントを付け下に降りた。手持ちで撮ろうとしたがさすがにだめだ。居間に置いていた三脚に取り付けて月に向ける。どうぞ沈みませんように。祈りながら撮った月。それが一番上の写真だ。

月の拡大写真を撮るのは去年の10月以来。思えば久しく望遠鏡そのものに触っていない。丘に上がるだけで宇宙(そら)に触れた気になっていた。ダメだな。天文ファン落第。
星雲や星団も撮りたいけれども、このところ何となく気忙しくてその気にならない。今日は狙ってみようかな。でもこの空だし、きっと星雲の細かいところまでは撮れないよ。そう思いながら丘を下りようとして振り返る。昇ったばかりの星座たちと目が合った。言い訳がましいねと笑っている。僕にはそんな風に見えた。

 

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お月見気分の観測デッキ

2013年10月13日 05時48分28秒 | 

なんだかようやく本当の秋が来たような気がする。太平洋にはまた新しい台風が二つも出来ているけれど、ここ数日の空を見てそう思う。
この秋三度目の三連休の初日、真っ青な空に魅かれてみかんの丘に上がった。月齢は7.5だから星の撮影は難しいが、せっかくの深まる秋に丘に上がらない手は無い。明るいうちに残っていた竹取庵の柱の溝切りとほぞ穴掘りを終え、日暮れを待たずに観測デッキの屋根を開いた。

澄んだ空の南東に上弦の月が掛かっている。島影も美しい。沖では漁船がカキ筏の準備を始めていた。この筏が丘から見た海を埋める頃、季節が冬に移ってゆく。双眼鏡でその様子を眺めているうちに空は明みを失っていった。
空気が澄んでいるせいか、まだ半分の月が目に眩しい。それなのに辺りに星が瞬き始めている。これなら天の川も見えるかな。そう思いながら双眼鏡で月を堪能する。そうだ、今日丘に上がった証拠に月を撮っておこう。
かぐや姫はまだメンテナンス中。赤道儀に載せている20センチに小さいカメラを取り付けた。こいつもまだ調整中だが月くらいは撮れるだろう。

デッキを時折つむじ風が舞う。「風の音にぞ驚かれぬる」という歌を思い出した。あれは初秋を詠んだ和歌だ。仲秋を過ごして月を迎えるこの丘には季節違いだが、今年の異常な気候には何となくしっくりくる気がした。

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十六夜

2013年09月24日 21時19分53秒 | 

金星を撮影した後、デッキの椅子に腰掛けてしばらく空を見上げていた。今年はここでこうして星を眺めるチャンスがずいぶん少ない。ジェット気流が蛇行していて、真夏なのに寒気が大陸の上に有ったという。不順な天候に一つ一つ理由は有ると思うが、それがいろんな形で連続すると何かもっと大きな仕組みが働いていると考えたくなる。温暖化という一言では済まされない別の理由。

そんな事をぼーっと考えているうちに、天の川が少しずつはっきりしてきた。あれ、星雲の撮影も出来るのかな?それなら準備しなくては。しかし椅子から立ち上がって東を見ると、梢の間から十六夜がその名の通りためらいながら昇って来ていた。そうだよね、昨日が満月だもの。今日の月の出は昨日より50分ほど遅いだけのはずだ。仕方無いそろそろ終おう。3連休だけど明日は仕事が有る。帰らなくては。
デッキの機材を片付け、屋根を動かすモーターのスイッチを入れた。全部閉じる前に記念の一枚。十六夜を取り囲む光りのベールが、空が完全に透明でなかったことを教えてくれた。

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月面 再びパッチワーク

2013年06月19日 00時08分50秒 | 

ほこりを払って少しさっぱりしたかぐや姫のトップリングにアイピースアダプターを取り付けた。かぐや姫は頭を軽くする為にトップリング周りがそれ程頑丈に出来ていない。これが今になってこの望遠鏡のウィークポイントになってしまった。20センチほども長さの有るアダプターの先に付けたカメラにガタが出たのだ。グラグラする上にフラフラ動く月をカメラの写野に入れて、やたらシャッターを切る。その中から画質のよさそうな11枚の写真を選び出し、パッチワークして作ったのが上の画像だ。

先にも書いたがこの月齢の月は欠け際が面白い。上弦の月などと呼ばれている様に、肉眼ではまっすぐに見えるラインも、こうしてみると「アラ」が分かってしまう。お月様にとっては一番見られたくないショットなのかも知れない。

実際にアップした画像はもっと大きいのですがgoo blog の設定でこれ以上大きく表示することが出来ません。あしからず。

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