台風が過ぎていった。それなのにみかんの丘には雨が降らない。枯れる苗木が出ている。週に1度の水遣りでは追いつかなかった。そう思いながら通う丘も秋色が次第に濃くなる。すっきりした晴れ間をまだ拝めない中で宵の明星はその光度を増し、そして位置を低くしていった。撮影を始めてまだ2週間目。
それでも一つの画像だけでは分かりにくいが、3つ並べると確かに大きく、そして欠けが深くなっている。天体のソフトを使って計って見ると太陽との角度の幅は40度を切っていた。これからが楽しみだ。
友人にこの画像を見せた。
「ピンボケに見えるのは私だけ?」
確かに。
光度が低い上に激しい陽炎の中で撮影した宵の明星は、頭の真上で撮影できる木星などのようにはっきりとは写らない。と思うのは事情を知っている僕の贔屓目なのかも知れない。どうすればはっきり写せるのだろう。
苗に水を遣った後、竹取庵の一階で少し作業をして観測デッキに上がった。機材は前に木星を撮った時のままだ。8センチ屈折にカメラを取り付けて屋根を開け、空を見ると金星が雲間に輝いていた。
風は無い。しかし、異常なほどの残暑で陽炎が激しい。モニターに写る明星を見ながらシャッターを立て続けに切った。その中から良さそうな画像11枚を選んで重ね合わせる。
前に金星を撮影してから1週間。宵の明星はやや大きく、欠け方も深くなっていた。
最初見たとき、なんだか寂しい、白っぽい映像だと思った。そしてしばらくして気が付いた。えっ、縞が無い。
そう。今まで見慣れていた木星の、赤道近くに有るはずの太い縞が無いのだ。去年撮影した木星はこれだ。一目瞭然。
去年画像では赤道をはさんで2本の太い縞が見える。その1本が今年は消えていた。そう言えば縞が消えたというトピックを見た事が有る。それがこれだったのだ。
木星の縞はもともと大気の対流によって産まれるものだ。だから過去にも何度か消えたことが有る。
それにしても文字通り間が抜けている。これが今年の木星。しばらくはこのさびしい木星を追い駆けるしかない。
そうだ。木星を撮ろう。太陽系最大の惑星は、さっきまで狙っていたM15のすこし東で輝いていた。惑星なら露出時間が短い。それに空の明るさにほとんど影響されないはずだ。
カメラがまだ画像を処理している間に20センチ反射から外し、8センチに取り付けた。木星は去年の9月に撮影してこのブログに載せている。それ以来だ。カメラのモニターを生かして木星を入れ、ピントを合わせていく。ぴったりピントが合ったところで驚いた。 あれ…
有名な秋の星座のひとつに天馬ペガサスがある。背中に羽を持つこの馬は、ペルセウスに首を落とされたメデューサの切り口から、流れる血と共に生まれてきたとされている。そのくせ父親は海の神ポセイドンだと言うから、俗人の僕には理解できない生い立ちだ。
それはともかく、この天馬の鼻先に、小さな双眼鏡でも見えるほどの星の塊がある。メシエカタログ15番。数ある球状星団の中で、星の密度が最も高いとされている。それだけに、20センチ程度の望遠鏡で中心部の構造まで写し取るのは至難の業だ。以前何も考えずに狙って内部が真っ白になってしまった事がある。
今度こそは捉えたい。少し手荒いが、いつも通り露出の違う画像を重ねようと言うのだ。まず、カメラ感度を2500にセットして、8分、5分と2枚撮影する。続いて感度を1000に落として3分、2分と2枚撮影。これを重ね合わせたのがこの画像だ。これでもまだ、中心部が白く飛んでいる。撮影にはやはり口径が必要なのだろう。
解像度が自慢のハッブル宇宙望遠鏡が、この星団の中に惑星状星雲を発見した。当然だと思う。球状星団の星はみんな古い。だからその中には星の残骸があると考えるのが普通だ。球状星団の星すべてが惑星状星雲になったところを想像してみた。不気味だ。
はくちょうのいる空には、前にも話したとおり天女の忘れた羽衣が浮かんでいる。この羽衣は2枚あって、その1枚は前に撮影した。今晩撮るのはもう1枚、はくちょうの羽により近いほうだ。
天女の羽衣。本当は網状星雲と呼ばれる超新星爆発の残骸で、NGC6960、NGC6992などと言う無粋な名前が振られている。今から7万年前、この場所で一つの星が生涯を終えた。星はその大きさによって最後が違う。太陽くらいの大きさの普通の星は寿命が長く、終焉も比較的穏やかだ。しかし質量が10倍もあるとそうは行かない。中の構造自体が違ってくる。その星たちはほとんど寿命が短く、最後は宇宙空間を揺るがす大爆発で幕を閉じる。それが超新星爆発、スーパーノバだ。飛び散ったガスは大きく広がり、やがて薄れて見えなくなる。羽衣はこの超新星爆発で広がったガスが、今まさに消えようとしているところなのだ。
そして、この超新星爆発だけが、宇宙の中で唯一鉄より重い元素を作ることが出来る。ビッグバンによる宇宙かいびゃく以来、こうした爆発が繰り返されてきたからこそ、僕らは数々の合金を使い、金や銀の装飾品を持つことが出来る。
帰宅して軽く夕食を済ませ、カメラ2台を持って車に乗った。バッテリーはこんな時に備えてチャージしてある。みかんの丘に上がると期待通り満天の星が迎えてくれた。心がほぐれて行く。僕の居場所はやはり街じゃない。
屋根を開けて20センチ反射に大きいほうのカメラを取り付ける。撮るものは決めていた。天女の羽衣の片割れだ。時刻は9時を少し回ったところだが、天の川はもう真上に居た。東の空には秋の星座が昇りかかっている。適当な星でピントを合わせ、その星を軸に筒先を目標に振った。空が澄んでいる。なんだか独りで見るのがもったいない星空だ。