宇宙(そら)に続く丘

プレリュード小学校1年C組のしりとりちーが案内する宇宙への道
みかんの丘は不思議へ通じるワームホール

退去願う事に

2019年10月10日 12時28分05秒 | Weblog

腹の立つ気持ちを抑えながら地元の市民病院を訪ねる。あらかじめ電話でお願いをしていたためか治療はスムーズだった。刺された所がさほど腫れていないことに多少驚きながらもお医者さんはリドカインで局部麻酔した後リンデロンというお定まりの抗炎症と抗菌の塗り薬を塗ってくれた。あとは同じような作用の飲み薬を3日分くれただけ。そして、最後に「今年はスズメバチに刺された患者さんが6人も来た。うち3人はアナフィラキシーショックを起こしていたよ。」と話してくれた。

この荒くれどもにはやはり退去願わなくては。ということでそれから2日後の休日、以前観測デッキ内のスズメバチを退治してくれた会社に電話をした。すると担当の男性が、今日はそちらの方面に出掛ける用事が有るので午後には行けると言う。この会社は実はスズメバチ駆除の専門会社ではない。殺虫剤の卸会社だ。男性はこの会社の経理担当。ただシーズンには頼まれて、会社の薬剤を持って駆除に回っているという。
午後2時過ぎには丘に上がってくれて作業が始まった。

巣の直径はおよそ25センチ。バスケットボールほどもある。あまりにきれいな形なので、壊さずにそっと取り外すという言う。防護服の男性はまず巣の周辺に殺虫剤を噴霧した後、粘着板を使って周囲を飛ぶ蜂をくっつけていった。この粘着板には誘引剤も含まれているそうだ。板に貼り付いた蜂を見せてもらうと、巣の持ち主のヒメスズメバチのほかに体長4センチを超えるオオスズメバチも混じっていた。ヒメスズメバチの巣をオオスズメバチが乗っ取ろうとやって来たのかも知れないと男性は話す。恐ろしい奴ら。

何を言うか。乗っ取られたのはこちらの方だ。全員退去。巣の方は戦利品として頂戴する事にした。

巣がここまで大きくなるためには何か月も掛かるそうだ。長い間来られなかったのですか、と聞かれる。確かに観測デッキを開いたのは久しぶりだが、1階の増築部分には時折工事に来ていた。全く気付いていない。「これからは来られた時に、まず建物の周囲を注意深く観察してから中に入ってください。」と言い残して男性は帰って行った。戦利品の巣は持ち帰って岡山の家の裏に袋に入れて吊るしてある。中のさなぎや幼虫に殺虫剤は効かないし、殺虫剤自体も3日ほどで効力が無くなるようになっている。だからこのまま袋に入れておけばそのうち飢え死にするという。一か月ほど経ったら袋から出して、展示でもしようか。いや、それよりも出来るだけ早く観測デッキを復活させて星を撮らなくては。

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二度目の災厄

2019年10月09日 00時11分31秒 | Weblog

移動性の高気圧が西日本を覆っていた。どうだろう、このまま晴れてくれるかな。
そう思いながら久しぶりに、本当に久しぶりに大きいカメラを持ってみかんの丘に向かう。途中のホームセンターで材料を仕入れ、竹取庵に到着したのは午後3時過ぎ。今日は材料を運び込むだけにして観測デッキで望遠鏡のメンテナンスをしよう。そう思いながら南の妻を開けた時だ。

三角に開いた空からいきなり数匹のスズメバチが襲ってきた。

え、なにっ!慌てて階段を駆け下りて増築部分に置いていたスズメバチ用のスプレーを後ろ向きに噴射したが、時すでに遅く、頭の上を一つ刺された。くそっ、台所の流し台で刺された所に水を流しながら毒を絞り出した。ズキズキ痛い。どうしよう、写真を撮らずに帰ろうか、それとも頑張ってみようか。そう思っているうちに傷みが増してきた。やっぱり帰ろう。そう決めてデッキに上がって妻を閉じようとした時だ。今度は何十匹という大群が襲ってきた。手に持ったスプレーで応戦したが、強い海風でスプレーの薬が全部自分に掛かり、蜂はその風に乗って顔をめがけて飛んできた。右の眉をまた一か所刺される。スプレーが無かったら全身刺されていただろう。何とか階下に降りて眉の上の毒を絞り出して病院に行く決心をした。

車に乗るときに振り向いたら、観測デッキの妻のすぐ下に大きな巣が見えた。

 

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今年の獲物はさそり

2019年08月15日 22時34分18秒 | Weblog

初夏が近づくと毎年憂鬱になる。今年は何を作ってもらおう、難し過ぎても駄目だし簡単では飽きられる。そう、天文工作の題材だ。

彗星探索の第一人者本田実さんが晩年観測施設を置いていた岡山県吉備中央町で、本田さんを偲んで始めた天文教室も今年で22回を数える。初めは大和公民館の前庭に望遠鏡や双眼鏡を並べて星を見るだけの会だったが、天気が悪かったらどうしようと始めたのが昼間の天文工作だ。
工作を始めたのが2002年。最初は口径3センチのミニ望遠鏡を作ってみた。もちろん既製品のキットだ。確かに喜ばれはしたが結構高く付く。1セットが4500円。小学生の夏休み工作としては破格の値段だった。そこで発泡スチロールの球に惑星表面の模様を貼り付ける火星儀や土星儀、それに星に因んだジオラマなど、1500円を限度に材料を揃えていった。そのほとんどがオリジナル。惑星儀の表面模様も僕がパソコンで作って印刷した。それでもネタが尽きてくる。だから夏が近づくと何にしようかと悩むことになるのだ。

頭を悩ましていた6月ごろ、ふと目に着いたのが夜光塗料。そうだ、これで星座を描いたら喜ばれるかも知れない。でも何座にしようか。教室が開かれるのは8月。目につく星座と言えばはくちょう座、こと座、わし座、いて座、さそり座。おぉ、さそり座か。まとまっているし形も分かりやすい。という事でさそり座に決定。

太さが違う五つの竹楊枝の先に黄色、赤色、青色と三種類の夜光塗料を付けて透明な下敷きの上に置いていく。小学生に出来るかと少し心配だったが、やってみると、少々星の位置が違っても、大きさが違ってもあまり問題にはならない。子供たちは透明下敷きの下に敷いた星の位置を示す紙を頼りに真剣に色を置いていっている。

会場が静かだ。なんとなく飽きそうな気配。そこで作業途中の子供を一人誘った。作りかけの下敷きを持たせ、公民館のステージの緞帳の裏に連れ込む。そこはほとんど真っ暗な空間だ。目が慣れるにしたがって手にした下敷きの星座が輝いた。その子が声をあげて仲間を呼ぶ。そこからは大騒ぎだ。少し作っては緞帳の裏に行く。この繰り返しでさそり座はバックの天の川と共に次第に形を成していった。

その下敷きと言うのがこれ。明るい所で見ると単に汚れた板だ。

それが灯を消すとこうなる。大歓声が分かる気がする。我ながら良いことを思いついたものだ。

 

天文工作の後は夕方から場所を変えて観望会となる。

台風9号が通り過ぎたばかりの空は全体にかすみが掛かっていて、月も木星も土星もすべてベールの彼方だった。それでも月のクレーターや土星の輪、木星の縞模様などを楽しんでもらうことが出来た。

地平近くは雲に覆われて、当初の目論見だったさそり座のα星アンタレスの観望は来年にお預けになってしまった。来年か。あぁ、来年は何を作ろう……

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今年のみかんは超不作

2019年06月02日 00時16分52秒 | Weblog

家族の不幸や仕事のごたごたが続いて、仕切り直したはずのみかんの丘の作業がずっと停滞している。と言っても誰かのせいではなく、歳を重ねれば必ず訪れるエポック、一里塚のようなものだと思う。それでも竹取庵の工事を放置していては自分の存在意義が失われるような気がして、追い立てられるように丘に上がる。やっていることは内装の続き。星の撮影の所まで届いていない。

ところで、去年から今年に掛けての気候は異常だ。丘の植物がそれをはっきりと現わしている。
今年の春に丘に上がった時、丘一帯で毛虫が大量発生していた。その毛虫を駆除する間もなく今度はハナムグリなどの害虫の増加。それを反映したのか、今年はみかんがほとんど花を付けなかった。これほどの不作は今まで経験したことが無い。

かろうじて花の咲いたみかんの木に小さな実が付いている。しかしその実も害虫にやられているものが多い。実の付いていない木は新芽を伸ばしていた。そうだ、その方が賢明かも知れない。今年の冬は、みかんの丘のみかんは期待できない。体も仕事も星の活動も、このみかんの木たちと同様に立て直しの時期という事なのだろうか。

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星はじめ

2019年01月05日 21時58分28秒 | Weblog

正月三が日、朝起きるといつも青空が広がっている。悔しい思いと疲れとが体の中で戦っていた。何しろ忙しい。その上に風邪気味で体がだるい。でも今日の休みを逃すと今年一年またやる気を無くすかも知れない。そんな危惧から丘に上がる事にした。

昼前に家を出て丘を目指す。空一面の雲。まあいいか、曇っても構わないと思いながらカメラを持って行った。去年の暮れに手に入れた中国製の魚眼レンズのテストも目的のひとつだ。

とは言いながら空の様子が気になり、大工仕事をしながら時折外を見ているといつの間にか青空が広がっていた。

あれ、撮れるのかな。そう思いながら頑張って二段ベッドを組み上げる。何しろ元は子供用の三段ベッドだ。それを二段に改造するのだから強度の面でも大きさの面でもいろいろと問題が有る。補強材を入れたり嵩をあげたりしながら実際に乗ってみて不具合が無いかを調べては作っていく作業だ。とりあえず形が出来たところで外がとっぷり暮れた。

大工仕事はこれで終わり。ここからは星空タイムとする。とは言いながら外を見るとそこら中にまだ千切れ雲が散らばっていた。どうやって撮ろうか。レンズは焦点距離8mmの対角線魚眼。元々APSサイズの撮像素子に対応しているレンズだが、この中国製のレンズは面白いことに花びらフードを外すことが出来る。フードを外して、撮像素子をフルサイズに替えるとかなり広範囲の風景を捉えることが出来る。という訳でカメラをCANONの5DmarkⅡにしてみた。レリーズは持って来ていない。なのでみかん畑の真ん中に脚立を立てて、その上にこんな風にカメラを置くことにした。

かなり強かった風も夕方から止んで、みかん畑に寝転がっての撮影になった。とはいっても露出は30秒。絞りと感度を色々変えて撮影してみたが、絞りを開放にすると収差が大きすぎる。結局明るさと画像の荒さの中庸を取って絞り5.6、カメラ感度3200とすることに。その結果がこれだ。



星がぽってりしているし全体にノイズが多い。それでもこれが今年の星はじめ。次はレリーズを使ってもう少し露出を増やしたうえ感度を下げ、絞りも絞ってみたい。居心地のいいみかん畑にもっと居たかったが明日は仕事。それに大工仕事に精を出しすぎたのか疲れがどっと出てきた。時刻は6時半を回ったあたりだが、今日はこの辺で丘を降りることにする。あと半月もするとこの時刻に冬の天の川が竹取庵の上に掛かる。動画で取れたら面白いかな。

 

 

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猪くんに出会う

2018年12月13日 22時39分43秒 | Weblog

仕事はまだ忙しい。でも前ほどではない。竹取庵の工事も少しずつだが前のペースを取り戻しつつあった。日曜日の勤務の代替えで休みとなった昨日、昼前から丘に上がる。天気は良いものの北風が強い。撮影はしたいが観測デッキは撮影できる状態ではなかった。取り敢えず遅れている増築部分の工事に入る。今は二段ベッドを取り付ける作業だ。古い子供用の3段ベッドを手に入れて2段ベッドに改造するため、横板を途中で切ってダボを入れ直してゆくのがこの日の目標。手間は掛かるが思った大きさに出来る。精密な作業だけに3時間ほど掛けてようやく1段目が出来上がった。

ベッドの下には荷物を入れる引き出しを作ることにしている。右側の隙間はクローゼットだ。

丘の番猫はなまるとは何とか仲良くなり、呼べば近付いて来るようになった。コロコロと太った女の子。でも野良でひどい目にも遭って来たのだろう。警戒心が強いし、ちょっとした事で隠れようとする。特に人間の男は怖いらしい。可哀想に。

はなまるにご飯をあげ、大工仕事と居間の片付けを少しして帰路に就いたが、すっかり暗くなった帰り道で思わぬ生き物に遭遇した。イノシシだ。畑を荒らし、近所の家にまで入り込む困った害獣。ただ、僕の車の前を横切ったのは、瓜坊の縞がようやく消えたばかり、体長80センチくらいの子供だった。

動画

猪くんに出会う

みかんの丘を荒らすとんでもない敵だ。実は1年以上前にも一度、もっと大きい大人のイノシシに出会っている。ただ僕はどうしてもこの子達を心底憎めない。彼らの領分を犯しているのは人間たちだという気持ちが有るからだろう。どうしたら共存できる世界が出来るのか、ハンドルを握りながらそう考えた。

 

 

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招かれざる客 新しい出逢い

2018年11月18日 00時28分24秒 | Weblog

久々に、本当に久々にみかんの丘に上がってきた。言い訳になるが、ここに戻ってこられなかったのは年々増えてゆく仕事のほかに、今年は我が家のリフォームが有ったからだ。しかし3月に始まった工事もようやく終わりが近付いて監理の必要が無くなったので、建設で残った資材の一部を竹取庵で使おうと持って上がった。

上がって驚いたのは、丘一帯ののみかん畑に柵が廻らされていたことだ。おばさんの娘さん夫婦に尋ねると、最近イノシシが畑を荒らしに来て、このあたりのみかんもかなり被害に遭っていると言う。柵は竹取庵が有る丘の斜面の、おばさん一家が所有するみかん畑を全部囲んでいた。娘さんの話では、岡山県の南東部ではここ10年ほどの間にイノシシが増えて、畑を荒らされた地区の人が電気の柵などでイノシシを締め出したために、追い出された一群が食べ物を求めてこの丘に現れたのだそうだ。
今日も資材を持って上がったご夫婦が柵を作っていたが、この畑のみかんはほとんど出荷していない。だから費用はそっくり持ち出しという事になる。それも半端な金額ではない。自治体からの補助が出るとは言うがとんでもない被害だ。「天文台に入るのが大変かな思うて、外れるようにはしてあるんよ。」と言われる。

そんなのは構わない。お手伝いが出来なかったのが残念だ。出来ればもっと強力で見栄えの良い柵を作れないか。気持ちだけが先行する。

 

みかん畑に入ってみると、イノシシはみかんを荒らすだけではなく畑の地中に居るミミズや昆虫の幼虫を食べるため、鼻であちこち溝を掘っていた。みかんの根も傷んでいる。とんでもない害獣だ。罠も仕掛けたんよと娘さんは大きな檻を見せてくれたが、警戒心の強いイノシシに果たして効果が有るだろうか。


今年は豪雨や台風に見舞われてみかんそのものも散々だった。裏年だったのがせめてもだが、みかんの木にとって裏年は木を立て直すための重要な期間だ。そこを叩かれては来年の収穫は期待出来ない。確かに普通の温州はほとんど実を付けていないが、大ぶりな実を付けるネーブルはそれでもまずまずの出来のようだ。

 

 

ところで今年96歳になるおばさんは、この春家の近くで転んだのを機に施設に入っていた。今はリハビリのために病院に居る。回復したのでそろそろ元の施設に戻ると言うが、いずれにしてもこの丘は今主がいない。無人の丘。覚悟はしていたが、心に穴が開いたというのか、これほど寂しいとは思わなかった。

そう思いながら丘を降りる途中おばさんの家に寄った。娘さん夫婦に渡すものが有ったためだ。玄関の方に歩いていたら目の前に猫が出てくる。なかなかの美形猫。娘さんに聞くと、少し前丘に現れて、亡くなる前の太郎のご飯を食べていたようだと話してくれた。その後娘さんにすっかり懐いて「はなまる」と言う名前ももらっている。この「はなまる」のために娘さんは毎日ご飯を運んでいるそうだ。

みかんの丘の番犬太郎が星になって寂しい思いをしていたが、その跡を継ぐ番猫が居たとは。「はなまる」。かわいい名前だ。これからは僕もこの子に逢うために丘に上がろう。そしていつか、夜空を見上げながら星の物語を話して聴かせよう。丘を降りる車の中でひそかに顔がほころんだ。

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出直しの春

2018年04月08日 13時01分48秒 | Weblog

観測デッキで星を撮らなくなって丸一年が過ぎていた。
仕事が忙しい、家で片付けなければならない事が山積している、体力が落ちた、理由はなんとでも付けられる。しかし一番の原因は星を撮りたいという心が折れていたことだ。その心を無理やり奮い立たせようと僕に思い至らせたのは太郎の死と2本の苗木だった。

竹取庵には月に一度くらい入って大工仕事をしていたが、観測デッキはスズメバチ騒動以来荒れ放題だった。外壁もそろそろ塗らなければ防水が怪しくなっている。そんなある日、材料を買いに入ったホームセンターで苗木に目が留まった。「さくらんぼ」だ。みかんの丘には枝垂桜の木が4本ある。今年も綺麗な花を付けてくれたが、周囲のみかんは娘さん夫婦が多忙な事も有って弱っていた。何とか畑に賑わいが欲しい。そう思っていた矢先のさくらんぼだった。
さっそく買って丘に上がり、遅咲きの紅の木の間に穴を掘って植える。

さくらんぼは二種類。一種類では実が付きにくいと説明書に書いてある。苗木の勢いは良いが、どれほど経ったら実が付くのだろう。まあ、何年掛かっても良い。これで楽しみが増えた。毛虫に気を付けなければ。

竹取庵の建て増し部分は、たまにしか行かないとは言え、少しずつ進んでいた。

寝室となる部屋のフロアーも7割以上上張りが出来、塗料を塗る直前まで来ている。これが終わればこの部屋へのアプローチと階段、そして二階だ。その二階、観測デッキこそ、この竹取庵の心臓部であるはずだ。にもかかわらず、すっかり荒れて全く機能していない。主砲かぐや姫も分解されて休眠していた。

以前僕がそこで星を撮っていると、太郎が夜中でもやって来て下でクンクン鳴いていた。星になった太郎はきっと、このデッキの屋根が開いて僕が見上げるのを待っているだろう。そう考えるとぼんやりしている事に罪悪感を感じ始めた。早くしなければ。どうせするならこのデッキを改装して気密性を高めよう。材料は以前職場に繋がりのある大工さんにもらっていた。錆止めや断熱、交流直流の電気配線もしなくては。増築部分をそのままにして二階に上がった。

すっかり傷んだタイルカーペットをはがして作業を始める。根太になる松の材もフローリングもプロの物だけにシワリが無くて造作しやすい。赤道儀を載せたポールとの間に隙間を作りながら材料を置いて行く。白いフローリングは電線やケーブルが通る部分だ。全部張れるのはかなり先だが、それが終わると電気配線をして壁に間柱を置き、化粧板を張り付ける。それが済んだら屋根裏に断熱材を張って天井材と照明を付ける。それと同時に移動屋根と壁の間に可動式のクッションを入れていくつもりだ。すべてが終わるとかぐや姫の再建が待っている。

完成はいったい何時になるんだろう。この茫々としたアバウトな計画に心が温まる。遠のいていた宇宙(そら)がまた身近に感じられるような気がした。

心地よい疲れを感じながら作業してゆくうちに陽が西に傾く。せめて春霞の空でもとカメラを用意していたが、時折冷たい雨も落ちる空がもうお帰りとささやいていた。
判ったよ。でもまた還ってくるからね。早いうちに…

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太郎が逝った

2018年02月22日 01時21分50秒 | Weblog

出会ってから18年。長い時を共有してきた丘の番犬太郎が逝った。

僕が彼に初めて出会ったのは、天文台の建設用地を探して彷徨った挙句丘に行きついた時だった。一目でこの場所が気に入った僕が近くの民家を訪ねた時、太郎はおじさんと居た。僕に吠え掛かる太郎をおじさんがたしなめたのを憶えている。彼がまだ1歳の時だった。
その頃の太郎はどこに行くのもおじさんと一緒で、農作業の時も買い物の時もいつも母親のボーと共にそばにいた。

僕がおじさんと親しくなるにつれて太郎も僕を受け入れ、大工仕事をしているといつの間にか来てくれるようになった。天文台の建設現場がおじさんをワクワクさせたように、太郎にとっても天文台用地は居心地のいい場所だった。

2007年におじさんが亡くなってから、太郎は僕が丘に上がってくるのを心待ちにしていた。車のエンジン音を聞きつけると家の小屋から駆けてきて、帰るまでずっと一緒に居てくれた。

その太郎も18歳。人間に直すととっくに90歳を越えていた。最近では耳が聞こえず目もほとんど見えていなかった。迷い込んだ牡鹿の角で突き上げられて股関節を脱臼し、ヨタヨタとしか歩けない。それでも僕の気配に気づくと、何とか竹取庵のそばまで来て窓を見上げる。せめてもとおやつを上げるとおいしそうに食ベる姿がかわいかった。

 

 

今日は休み。増築部分の内装をしようと昼過ぎに丘に上がる。一仕事終えておばさんの家を訪ねると納屋の前に見慣れないビニールの小屋が有る。娘さんに尋ねると、それは太郎の仮の病棟だと言う。太郎は4日ほど前から急に元気が無くなり、こうして寝たきりになったのだそうだ。

覗いてみると、布団にくるまった太郎が荒い息をしていた。声を掛けても良く分からない。でも撫でてやると僕が判ったのか顔を少し動かしてくれた。しんどいんだね。無理しなくていいよ。その言葉に鼻をひくひくさせる。

あと数日かな、そう思いながらその場をいったん離れたが、間もなく電話が掛かってきた。太郎が息をしていないと言う。慌てて戻って手を握ると、まだかすかだが脈がある。「脈が有りますよ」と娘さんに告げながらもう片方の手で頭を撫でているうちにその脈が感じられなくなった。首の付け根も探ったけれどやっぱり脈を取れない。この時、太郎は星になったのだと思った。
娘さんと駆け付けた旦那さんにこれからどうされますかと聞くと、明日そばの空き地に埋めてやると言う。そう。それが良い。太郎の心は星になり、体は丘の土に戻る。
僕もいつかそうなるように…

さようなら太郎。 ありがとう太郎。

 

 

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七夕の走馬燈

2017年07月31日 00時35分38秒 | Weblog

梅雨が明けたら星の写真を撮ると宣言したものの、どうもすっきりした星空に出会えない。わずか数日チャンスが有ったが、それを確認したのは仕事帰りの遅い夜だった。その多忙に拍車をかけていたのが、毎年のことだが山の中の小さな天文教室だ。

岡山県吉備中央町。かつて彗星の探索家として世界に名を馳せた本田実さんが晩年観測所を置いた場所だ。縁あって僕はその観測所「星尋山荘」の管理人の1人に名を連ねている。仕事が忙しいのと僕は僕で自分の天文台「竹取庵」を持っているため星尋山荘にはなかなか足が運べない。その代わり地元への星の恩返しとしてこの天文教室をやらせてもらっている。過疎地だけに地区の子供は年々少なくなっているが、教室への参加者は公民館の人たちのご苦労も有ってあまり減らない。そしてその子たちが毎年育っていくのを見てきた。

教室前半の天文工作は毎年趣向を凝らしてきた。今度はなんだろうとみんな楽しみにしてくれている。今日みんなに作ってもらったのは「七夕の走馬燈」だ。基本になるセットは「メイトウサイエンス」と言うところから仕入れてみた。それにネットで見た無料イラスト(ECデザイン)の織り姫彦星をベースにオリジナルのカササギの橋、天の川の波や星を加えて走馬灯の心臓部としている。出来上がりはこんな感じだ。

(この画像は織り姫と彦星を合成しています。本当はこんなに近くはありません。下のURLをクリックすると動画が見られます。)

https://youtu.be/yhs4ySgz37k

予想外だったが、参加者にとって一番難しかったのは外枠を切り出すところのようだ。僕が20分も有れば楽勝と思っていたのに、優に1時間半掛かってしまった。なので、僕を加えて3人の管理人がサポートしてようやく12人全員が工作を終了。終わったら4時半を過ぎていた。

みんないったん帰宅して、午後7時からはすぐ裏の小学校校庭に場所を移して観望会を行う。これには工作教室に参加しなかった地区の大人や家族連れもたくさん来てくれた。夜は雷雨という予報で、近くでゴロゴロ音がしていたにもかかわらず、何とか雲間に月と木星、土星が見え隠れし、みんなとても喜んでくれた。星を追尾できる僕の望遠鏡では何人もスマホで月を撮影していた。あぁ、今年も責任を終えたと言う実感が沸く。

午後9時を回ったころ機材を車に乗せて帰路に就いた。毎年ながら暗く長い夜道をたどりながら考える。さて、来年は何を作ってもらおうか。

 

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黄砂の休日

2017年05月09日 22時25分18秒 | Weblog

世間のゴールデンウィークは7日まで。でも変則勤務の僕は8日までがお休みだ。それまでに何とか星の写真を撮ろう。そう心に決めてカメラのバッテリーをすべて充電したにもかかわらず、天気と休みが合わない。最終日の今日こそ何が何でもと、大きいほうのカメラをバッグに入れて上がってきた。ニュースでは大陸から大量の黄砂が流れて来ていると言う。確かに朝から周りの景色が黄色くぼやけていた。

丘にはまだマツバウンランが咲いている。その間でみかんのつぼみが膨らんでいた。あと少しで甘い香りが丘に漂い始めるだろう。でも今年は害虫の当たり年。開く前のつぼみがもう食われていた。犯人はハナムグリだ。

少ない休みだけに虫を探して回るほどの時間が無い。早々に大工仕事に取り掛かる。壁に化粧板を張り付けて、天井には断熱材。その作業の合間に窓の外を眺めていたが、空はどんどん濁って、最後にはべた曇りになってしまった。向かいの島もかすんでほとんど見えない。

仕方が無い。明日からしばらく仕事だし、月も膨らんでしまった。このまま待っても星は撮れないだろう。太郎も来ないし、珍しく明るいうちに帰る事にした。次に来るときは星空に恵まれますように。

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ゴールデンウィーク初日

2017年04月30日 00時35分27秒 | Weblog

ゴールデンウィークの初日は休み。ただし明日以降しばらくは出社しなくてはならない。そう思って少し早く丘に上がった。マツバウンランが前来た時より沢山花を付けている。本当にきれいだ。それも、植えた訳でも無いのにこうして毎年花を見せてくれる。確かに外来品種で、繁殖すると在来種の生活を脅かすと言うのだが、この植物が一体だれを脅かすのだろう。綺麗ならいいかなとも思う。美人は得だ。

今丘に咲いているのはマツバウンランだけではない。紫色の絨毯のあちこちに、アクセントのように黄色い花を見せているのはカタバミ。

カタバミの近くで咲いているピンクはアメリカフウロ。これも外来種だ。ただ、こいつは花こそ可憐だが体は巨大。花が終わったら悪いが除草の対象になる。それでも毎年咲いてくるタフな植物だ。

もちろんみかんの木にもつぼみが付いていた。今年は遅い。丘に香りが漂い始めるまでにまだ一週間以上掛かるだろう。それに去年に比べてつぼみの数が少ないのは、今年は裏作だからだ。花が少ないという事は実の生りも少ない。その代り大きな実が生る。

そういえばカラスノエンドウの花が少ないと思って見てみると、 え、 茎の太さが何倍にもなったように見える。ビッシリアブラムシが付いていた。これはいけない、放って置くとみかんにも移る。慌てて噴霧器と農薬を取り出して駆除した。去年は見られなかったヤガの幼虫もあちこちに居る。今年は害虫の当たり年になるのかも知れない。なんとなく気が重くなった。

 丘の探検はいい加減して大工仕事に掛かる。午後の3時間ほどで出来たのは窓一つ。なかなかの出来だと一人悦に入ってみるが、窓の左側はまだ下地板がのぞいている。化粧板の貼り付けはこれからだ。

大気が不安定で時折雷すら鳴る天気。星の写真はお預けだな。明日は仕事だしそのあと予定も有る。今日は早めに切り上げよう。丘を降りる間際に竹取庵の東側から夕陽を撮ってみた。マツバウンランの絨毯が美しい。

この連休、まだ来る事が出来るかな。それは仕事のはかどり具合によるのだけれども…

帰る途中でまた子ヤギたちに会った。めえぇぇと鳴くと駆け寄ってくる。怖がらせないようにゆっくりと近づいてオデコを撫でるとその手をなめてくれた。名残は惜しいがさようなら。また来るね。

 

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めえぇぇぇ

2017年04月25日 00時47分46秒 | Weblog

移動性の高気圧が日本を覆っていた。朝から青空が広がっている。うまく行けば今夜は晴れるかも知れない。そう思ったきのうの日曜日、大工仕事の後に星を撮ろうと、久々にカメラバッグを車に積んだ。
丘に向かう道の少し手前には小さくなだらかな峠が有る。そこに差し掛かるあたりの草原(くさはら)には、いつも何匹かのヤギが居て、この春そのうちの一匹に子ヤギが生まれた。子供の数は3匹。通るたびに大きくなっている。そこで今日こそはと道端に車を停めてカメラを取り出した。初めに警戒したのは母ヤギだ。そこで僕がカメラを構えながら「めえぇぇぇ」と鳴いてみた。すると親子4匹が一斉に「めえええ」と鳴く。ヤギたちの緊張感が一気にほぐれた。え、こんなもので仲良くなれるのか。面白いので「めえぇぇ」と応えると「めええええ」と返してくる。写真を撮りながらメエメエやっていたら、向こうのおじさんが冷たい目でこちらを見ていた。

みかんの丘はヤギたちの草原から5分ほど走ったところにある。上ってみると前にも書いたマツバウンランの花盛りだった。桜のあとはこの花。ああ、初夏が近いんだと実感する。周囲では相変わらず歌のへたくそなウグイスが「ほー、ちゅうしょうきぎょう」「フォト美女!」と唄っている。

この春竹取庵の北側に親戚の植木屋さんを頼んで、みかんの苗を20本植えてもらった。去年の秋僕が植えた15本。その前の年の10本。花に埋もれて分かり難いかもしれないが、丘のみかんは本数だけでみるとおじさんに初めて会った頃に近づいている。大きくしなければ。丘がみかんに覆われれば、おじさんもきっと喜んでくれる。そう思いながらほこほこした気持ちで大工仕事に取り掛かった。

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さくら満開

2017年04月11日 00時11分16秒 | Weblog

いくら待っても青空は来そうにない。このままでは丘の桜が散ってしまう。そこで昨日の日曜日、無理をしておばさんたちを誘って竹取庵の前で恒例のお花見をした。丘の桜は二種類。このうち先に開いた白っぽいほうはすでに散りかけていた。いつも車を止める場所にテーブルを置いて呼びに行くと、おばさんは娘さんと一緒にやって来た。今年95歳。ずいぶん前から足を傷めていて本当はここまで登るのもやっとだった。

それでも今年花見が出来るのを歓んでいる。「もうこねえ生きんでもええのに。」とはいつも聞く口癖だ。ただ、おばさんにとってこの冬は本当にきつかったようだ。それだけに冬を超えられたのは家族にとっても喜びだった。僕も嬉しい。丘の番犬太郎も今年18歳。人間で言えば90歳をとっくに超えている。おばさんと同い年だ。

もうあまり耳が聞こえない。目も良く見えていない。以前は僕が大工仕事をしていると、まるで元の主人のおじさんを懐かしがるようにそばにぴったりついていたが、この頃は丘をパトロールするのがやっとだ。「一緒に行くんじゃ。」と、おばさんはよく口にする。本当にそうかもしれないと思う。「ペット」とか「飼い犬」とか言う言葉にはどうしても違和感を覚える。共に暮らす仲間。どちらが偉い訳でもない。支え合って生きる命だ。

竹取庵の西で枝を広げるもう2本の桜は花の色が紅。やや遅れて花を付け、今は三分咲きになっている。これも来週には満開になるだろう。みかんもそろそろ新芽を吹き始めた。丘の季節はかなり足早に初夏への坂を登っている。

ただ、空はなかなか晴れてくれない。星の写真はいつになったら撮れるんだろう。まあ、仕事も目白押しで夜中まで観測デッキでゆっくりするのは難しいのも事実だが。

ところで、ずっと前にも書いたが、丘のウグイスは本当に歌が下手だ。「ホーホケキョ」などと鳴く奴は一羽もいない。「ほー、ちゅうしょうきぎょう」「えー、もがじしお」と、分かって言っているだろうと思いたくなるような鳴き方だ。この日たまたま捉えたのはこれ。https://youtu.be/NSKa1F38WV4
僕には「フォト美女」としか聞こえない。

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さくら開花

2017年04月02日 00時50分00秒 | Weblog

岡山では昨日から桜カーニバルが始まっている。職場の近くの桜もちらほらと花が開き始めた。
みかんの丘には4本のしだれ桜が有るが、今年は桜の開花が遅いと言われていたのであまり気にしていなかった。だから丘に到着して視野の中にポッと明るいものを感じた時には驚いてしまった。  咲いている。  もちろんわずかだ。それでもちゃんと咲いている。一分咲きにも届いていないかもしれないが、みかんの芽がまだまだ堅い中でいち早く春本番の到来を告げていた。そう。先週ここでウグイスの声を聞いた時は桜はまだ遠い先だと思っていたのに。

丘のしだれ桜は2種類。早く咲くのはこちらの白っぽいほうだ。ブログを遡ってみたら去年は4月2日にはすでに満開で、おばさん達と花見をしていた。今年出来るとしたら1週間先だろう。紅のほうはさらに1週間先かも知れない。春仕事に追われるのはいつものことだが今年の春は格別だ。だから花見はゆっくりでいい。慌てないでいいからね。写真を撮りながら桜にそう言い聞かせた。

お花見前線とも言われる菜種梅雨の停滞前線が本州の南に横たわっていた。それでもと車にカメラを積んだが、昼過ぎに到着したとき広がっていた青空は午後3時を回る頃雲に閉ざされてしまった。これから月が膨らんでくる。黄砂や花粉も濃くなるだろう。撮れるだろうか。いずれにしても仕事のスケジュールと相談だ。

 

仕方が無い。今日は大工仕事だけで帰ろう。
その大工仕事、長い間ブログにアップしていなかったが、月に2回くらいは丘に来ていた。ただ作業時間は長くて3時間。まとまった仕事はなかなか出来ない。そして今日ようやく建て増し部分の北の妻の天窓に外枠をはめる事が出来た。来週ここに入れる三角形のガラスを発注する。

 

少しずつ。少しずつ。本当に僕の寿命が有る間に出来上がるのだろうか。と言うよりも、どの時点を以って完成と言うのだろうか。完成してしまったら面白くないだろう。と心のどこかで思っている自分が居る。

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