4/16 水曜日 夜8時近く、心地良い風に吹かれて帰宅途中、緑地帯から元気の良い虫の音が聞こえてきた! ・・・確かに風が暖かくなってきた。
・・・周りの木々は蕾がふくらみ、灰色の世界から暖色系に移って来たが、虫の音が聞こえると春から初夏を連想させる。
春の夜長?に、虫の音が・・・元気なコオロギでしょう。
そういえば、この1週間でイタドリなどの雑草が勢いよく伸びてきて背丈はもうすぐ1m。
4月2日昼休み・・・このような素晴らしい風景が、4月3日は雨、4月4日は桜の花びらの絨毯の上を感傷に浸りながらジョキングしていた。
季節はもうすぐ 春 ? ・・・そう再確認が必要になるようなこの3か月でした。
冬はスキー・・・しかし、週末は決まって天候不順が続き、山頂や尾根からの眺望が楽しみでスキーに出かける者としては、天気予報が気になる日々。
視界が悪いと山頂へのゴンドラやリフトが止まり、麓のゲレンテ゛のみでの滑走になる。
良きタイミングをと考えているうちに・・・出かける足・・・車(ハリヤーの4DW)を乗り換える時期になってしまった。
初めてTOYOTA社以外の車を11月末に手配し、3月の納車で予約したが、1月末にはディラーの要望で登録が済んでしまっていた。
引き取りを遅らしていたが週末の天候が悪い状態が続くのでスキーを断念し、2月末には乗り換えることにした。
これでスタッドレスタイヤを購入し直す必要があり、ルーフBOXも再取り付けが必要になったが、新型車のために既存のルーフBOXの取付け部品が確定せず・・・道具が積載できない。
新春の海・・・近くに出かけよう。
ここは ? ・・・三方を山に囲まれ、南が海・・・、由比ヶ浜辺に祀られた京都の石清水八幡宮をこの高台に移されてから約800年。
2010年3月 強風で大銀杏が倒れてしまいましたが、 倒木跡から新芽が芽吹いて・・・ 成長しています。
ここは鎌倉 鶴岡八幡宮 ・・・ 1191年、現在の構成に(建物は江戸時代に再建)・・鎌倉幕府といえば源頼朝・・鎧・兜に弓矢の時代・・・武士階級が誕生し武力の争いが始まる
800年前・・・想像がつかないが・・・当時、屍は洞窟や決められた場所に風葬されるのが多く、徐々に風化していく様子を目にすることができたようです。
・・・あのナザレのイエスも、有名人でなければゴルゴダの丘で磔刑後、風葬され白骨化した遺骨を近親者が引き取りに来るのが当時の風習のようでした。
亡くなった方の近親者は、死者への恐怖や腐敗する遺体を目にし死をケガレと思ったり、しかし生前を思うと愛着もあり・・・死後の世界が想像できず心安静にならず。
・・・伝来した仏教が鎮護国家のために貴族に広まったが、この鎌倉時代後半には一般庶民に難しい理論や厳しい修行をしなくても救われると・・・念仏を唱え、易しい教えを説く鎌倉仏教が誕生し栄えた。
・・・その後一部火葬もあったが、多くの屍は人々の目の前で大自然の土に帰す土葬が続いた。墓の下には屍があったし、あの世のことも、霊を信じることもできたでしょう。
今日では、人々の目の前から遮断された扉の向こうで火葬となり・・・1時間もしないで遺骨になる・・・屍の霊の恐怖が少なく、異次元の清潔なお骨となって近親者に帰ってくる。
・・・僧侶にとっては、つらい時代でしょう、・・・日本風仏教もキリスト教同様神話の時代の矛盾を抱えて布教をするが・・・、多くの悩める人々の救済という使命が果たせるのでしょうか。
・・・初七日や四十九日は身近だが、霊魂が六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・人天)に行くといわれても・・・?
葬式仏教と言われて久しいが、突然の死に向き合った時、近親者のストレス緩和に僧侶が貢献されているのは事実でしょう。
・・・突然ですが、四谷の若住職、奮闘を祈ります。
・・・そして、49日になる K・M 様、ご冥福をお祈り申し上げます。
横道にそれたが、鶴岡八幡宮の裏手(北に約600m)に歴史のある寺院があります。
入り口横に案内板があります。
鎌倉時代、1253年の創建、本尊は地蔵菩薩。 この門(天下門)の中に入ると鎌倉にあっては広い駐車場がある。
駐車場から、総門を入ると右側に拝観受付がある。総門の上に「山福巨」と掲げられている。
右から読むので「巨福山」(こふくさん)と読むそうです。
一部のお寺に山号(さんごう)がありますが、元々は、中国からの伝来で同じ寺名があると識別しにくいので付けられているようです。
さて、正面にあるのが三門。上部に「建長興国禅寺」とあります。 入口には、建長寺(けんちょうじ)とあったが・・・
山号に続いて、これは寺号というそうです。 詳しくは「建長興国禅寺」(けんちょうこうこくぜんじ)とのこと。
正式名称は、「巨福山 建長興国禅寺」と呼ばれるわけです。
その奥に、仏殿
そして、その次の建物に法堂。
外に出て、通りを挟んで左側に豪華な唐門(からもん)が光っている。
江戸時代の真新しい感じがするが、・・・2011年に(飾金具がつけられたていた姿に復元された)修理が行われていた。
この唐門の先に「龍王殿・方丈」がある。方丈とは、住職の居間で、ここでは「龍王殿」と呼ばれている。
この唐門の右側に通りがあり、進むと棟続きの建物に入る玄関となる。下足を袋に入れて案内に従って進むと、左の建物「龍王殿・方丈」の縁側に出た。
コの字に進み裏手に周ると、左端に案内板が
庭園が鑑賞できる。
肝心なことを忘れていました。この方丈の畳の隅のほうでに座禅をされている方々をお見かけした。座禅してみたいなぁ・・・
参加されますかと声をかけられた。もうすぐ始まります。・・・エー 「次の機会に」・・・と話したのは覚えているが
多分 PM5時から1時間だったような記憶が・・・
・・・鎌倉仏教で特筆すべきは、武士が好んだ禅宗が伝えられ「臨済宗」と「曹洞宗」の多くの禅寺が立てられた。
代表的なものが「鎌倉五山」と呼ばれるそうです。この建長寺の入口に書いてありました・・・「臨済宗 五山第一 建長寺」・・・ここは禅寺として歴史ある寺院でした。
曹洞宗の「大本山 永平寺」もまた、ご承知の通りNHKゆく年くる年などで有名ですね。
・・・
さて、JR鎌倉駅に降り立ったことは無いのですが・・・
JR鎌倉駅の東側駅前から約500mに渡って小町通りという商店街があります。修学旅行生でにぎわっていました。
コインパーキングに車を入れてここで昼食をとり、車で西の小山に向かう。
鎌倉事情:土日・祝日などは交通規制があります。この小町通りも歩行者専用となります。
車で西に向かい、平日のみ通行できる狭い小道の先の専用駐車場に駐車をする。
そこから駐車場脇の坂道を登ると、切り通しの途中で左側に入口がある。
薄暗い短いトンネルを抜けると、そこは・・・鳥居がありました。
銭洗い弁天、源氏山の中腹に・・・戦後にこの隧道は掘られたようです。
弁天様がなぜ銭を洗うのか?いや、弁財天は七福神です。中国伝来ですが元はインド産のようです。富と幸福をもたらす神様が・・・
一説によると頼朝の夢枕に立った宇賀福神のお告げによって湧水地に祀ったのが「銭洗い弁天」という。
宇賀福神? 蛇をご神体としているそうです。
湿った所に住む蛇は、・・・農業に水は欠かせず水とかかわりが深いのが蛇。そこで蛇が信仰の対象だったそうで、世界中で嫌われ物が・・・不思議な感じです。
「鎌倉銭洗弁財天宇賀福神社」の案内板です。これが正式名称。
案内板の御由緒によると、源頼朝公が岩窟に宇賀神を祀り・・・最後の4行には
”また、この時弁財天を信仰する者が、持っている金銭をこの水で洗い清めると同時に心身を清めて行いを慎めば、不浄の塵埃(じんあい)が消えて、清浄の福銭になるといい率先して持っている金銭を洗って一家繁栄、子孫長久を祈りました。
以来700余年銭洗井は鎌倉五名水の一つとし天下に聞こえ、四季の参拝者は絶える事はありません。”
と書かれています。
ご利益は2倍になるとか、作法がどうとか・・・昔の面影が少し残っている銭洗弁天でした。
長谷寺の駐車場が混んでいるので、また後にして、・・・この駅名のお寺に行ってみましょう。
極楽寺・・・良い名前です。・・・境内は撮影禁止と案内がありました。
ここが入口です。真言律宗 山号寺号は「霊鷲山(りょうじゅせん)感応院極楽律寺(かんのういんごくらくりつじ)
建立:1259年 と案内板にあります。
長い歴史があります。境内は狭いが良く手入れがされていました。
・・・
モンサンミッシェルにしては、山がなだらかですね。
日本のモンサンミッシェル?・・・江の島でした。
逗子方面の朝日
小田原方面・伊豆半島・箱根・富士山
365日、海のスポーツが盛んな湘南です。・・・江の島は割愛して・・・
この高層ビルは、
・・・10年ぶり位でしょうか 新幹線に乗車するのは
JR名古屋駅東口、ここから近鉄名古屋線で西に向かいます。
唯一神明造の建物がある、外宮・内宮に向かいます。
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