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文明化重視から文化再生へ、日本の文化の根源を支える、生業(なりわい)。その再構築にIT技術の導入を

ふゆみずたんぼで生態系保全農業。商工業はIT生産技術。出版はXMLフオーマット、フルバッチ制作で再構築を.

ちばの里山をどのように再生させるべきか(1) 江戸末期、日本の里山の景観を見た外国人は

2005-08-21 00:31:13 | 里山に託す私たちの未来-再生策を探る
[satochiba:0975]
東京湾学会誌 2巻1号 東京湾の水土
外国人の見た幕末の東京湾(上)
-湾岸地域の景観を中心に- 筑紫敏夫  千葉県立中央博物館 
 記事内からの抜粋です。
今、千葉県下の里山や谷津田、沼や湖沼の景観という観点から見たときに、その活き活きとした姿に、始めて接した外国人が何を感じ、何に感動したかを知ることは、最高の情報価値があると考えています。

 2)陸上からの視線
 日本の農業や耕地については,上陸して見聞した記録に,より一層詳しい記述がある。日米和親条約締結のために来航していたペリー艦隊のウイリアムズは,ある日の午後、任務が急に暇になったので、同僚の博物学者のモロー博士と連れ立って,密かに「横浜の向うの一番近い丘続き」を歩いた。その時の「日誌」の記録は次のようなものである(E・224・225頁・1854 年3月14日<嘉永7年2月16日>) 
 「丘の上に着くと,花や珍しい植物が見つかりそうに思えた,雑木林や木の浸った丘の斜面を選んで,田園へ進んで行った。麦や油菜の畑を横ぎって,森の端から森の端へと渡り歩いた。(中略)麦の生育ぶりはすばらしく,土壌は,これまで見たうちでは一番黒ずんだ沃土であった.それに,至る所、畝の列も鮮かに耕されていた.土地が非常に肥え,また、よく耕されており,風景は実に美しい。これらの丘の上からは,人家はほとんど見られず,農舎をもった農場も村落も目に映らなかったが、ここかしこに一家から遠く離れて野良仕事に精を出す農夫や木こりの姿が目にとまった.(中略)後一,二週間もすれば,田園は初夏の装いを見せ始めることであろう.われわれは学校の遠足のように気持をはずませて数マイルを歩いた.海岸を見下ろす所へやって来ると,眼下に細長く横たわる村落が認められ,一本の小路がそこへ下りて行っている。われわれはこの道を下って行ったが,その村へ立ち寄ることは避けた.この高い場所から見渡した美しい眺望は,今の今まで,外国人の目にはいっさいが閉ざされたままであったのだな,という思い入れも手伝ってか,私にとつては,なかなか忘れられそうにないものとなつた.この一帯は実によく手入れをされた作付状態を示しており,さすがに日本が桐密な人口を支え得るであろうことを,否,現に支えていることを物語っていた.」




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